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「自分を変えたら佐渡が教えてくれた」島の個性に向き合い、日本一夕日の美しい小学校を酒蔵へ

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 海に沈む眩しい夕日と、昔ながらの木造校舎が美しい「学校蔵」。もともと小学校だったというこの場所は、いまは日本酒を醸造する酒蔵として生まれ変わっている。この学校蔵で酒造りをする尾畑酒造は、新潟・佐渡島で120年以上にわたり日本酒をつくり続けてきた。地域とともに歩み続ける老舗酒蔵が、この島で育んできた長い歴史と未来を象徴するような学校蔵での取り組みは、酒造りの枠を越えて注目を集め続けている。

目次

廃校から生まれた「学校蔵」。

 「日本一夕日がきれいな小学校」と謳われていた、新潟県佐渡市の旧・西三川小学校。少子化の影響により、2010年に惜しまれつつ廃校したこの小学校は、その4年後、日本酒を醸造する「学校蔵」として生まれ変わった。

学校蔵_廊下
酒蔵に生まれ変わった校舎と、製造されている日本酒「学校蔵」。

 そのスタート以来さまざまなメディアにも取り上げられてきた「学校蔵」。いまもなお注目を集め続けるのは、ここで作られる日本酒の品質の高さや廃校を再生したというストーリーはもちろん、この場所を起点にして、地域の未来をつくる取り組みが次々と行われているからでもある。

 廃校になった小学校を酒蔵に再生させたのはなぜだったのか。そして、老舗の酒蔵が、地域づくりに関わる理由とは? 尾畑酒造5代目蔵元の尾畑留美子さんに話を聞かせてもらった。

尾畑酒造_尾畑さん
佐渡で創業128年の歴史を誇る尾畑酒造、五代目蔵元の尾畑留美子さん。1995年に佐渡へUターンし、家業の酒蔵を継ぐ。2014年より、廃校した小学校を酒蔵に再生した「学校蔵」をスタート。2017年5月には、『Forbes Japan』により「ローカルイノベーター55人」に選出。

小さいころは、佐渡が嫌いだった。

 尾畑さんが家業を継いだのは、29歳のとき。蔵元の次女として生まれ、幼いころから日本酒蔵とともに育ったが、それまで家業を継ぐ気はまったくなかったと振り返る。

尾畑さん「私は小さいときは佐渡が嫌いで、『こんなところ出てってやる』と思ってました。佐渡という島に押し込められているような気がして、『もっと大きな世界に飛び出していきたい』という欲望がものすごくありましたね。将来はジャーナリストになって世界を紹介する仕事がしたいと思っていたのですが、結果的に東京の映画会社に入社。しばらく家業を継ぐつもりもありませんでした」

 しかし、4代目蔵元の父・俊一さんが病気で入院したことをきっかけに、自分の“死”を意識するようになる。「人生最後の日に何をしたいだろう?」。そんなことを考え始めたときに思い出したのは、幼いころに遊んでいた暗くて小さな仕込み蔵のことだった。

 最後は、あの蔵に戻ってお酒を飲みたい――そんな思いに至ると、突然、実家の蔵のことが気になりだした。毎日考えを巡らせているうちに「自分で蔵をやったほうが早い」と思い立ち、帰郷を決意。それから半年後には勤めていた会社を辞め、故郷の佐渡へUターンした。

尾畑酒造
1892年創業の尾畑酒造。清酒「真野鶴」などを製造している。

 そうして家業を継ぐ覚悟を決め、意気込んで佐渡へ戻ってきた尾畑さんだったが、それから5年間は何ひとつうまくいかない日々が続いたという。

尾畑さん「佐渡で酒造りをするということは“一生佐渡にいる”ということですから、それ相応の覚悟を持って帰ってきました。だから、いつまでも嫌いな佐渡じゃ困るのよ、と思って、じゃあ自分が佐渡を変えよう!と非常に意気込んで帰ったわけです。なんだけれども、やることなすこと何もうまくいかなくて。ほんと5年間、なんにも変えられなかったんですね。佐渡を変えるどころか、自分の会社も変えられないやっていう状態で、当時一緒に佐渡へ来てくれた旦那さんにも『東京に戻ろうよ』と弱音を吐いていました」

 しかし、そんな尾畑さんを変えたのは、ご主人で社長の平島健さんの一言だった。

尾畑さん「ちょうど5年経ったころ、いつまでもウジウジそんなことを言ってる私に対して、旦那さんから『いま戻ったら負け犬になるよ』って言われて。それを聞いた瞬間に『あ、この人帰るつもりないんだ』と。旦那さんは東京の出身で、初めは“たびんもん”(“よそ者”の意味)と言われたりして私よりよっぽど大変だったはずのに、帰らないんだ、と。そう思ったときに、改めて自分の覚悟も決まったんですよね」

尾畑酒造
代表取締役社長の平島健さん(右)と、尾畑留美子さん(左)ご夫妻。

「いきがっていた自分を変えたら、佐渡が教えてくれた」

 そこで再び覚悟を決めた尾畑さんは「佐渡も会社も変えられないけど、まだひとつだけ変えられるものがある。自分だ」と思い立ち、自らの行動を変えていく。蔵の外へ出るようになり、それまでなかなかうまくいかなかった海外輸出も徐々に販路を拡大。アクションひとつひとつが変わっていくと、少しずつ結果も出始めた。

 そんななかで、2007年に世界的に最も権威のあるワインのコンペティション「International Wine Challenge」のSAKE(日本酒)部門で、尾畑酒造の「真野鶴・万穂」が金賞を受賞。イギリス・ロンドンで行われた授賞式では、各地の日本酒がもつ個性豊かな味わいを目の当たりにし、それまで品質やスペックばかり重視してきた考え方を改めることになる。

尾畑さん「それまでは『うちのお酒の品質はこんなに高いんですよ』とか『こんなにお米を磨いたんですよ』っていうスペックを語ってたんですよね。でも授賞式で感じたのは、品質を超える個性でした。たとえば、すごく良い子がいたら『ああ、この子はどんなおうちで育ったのかな』って思うじゃないですか。優しいご両親で、自然豊かなところに育ったのかなあ、みたいな。そんな想像力を掻き立てられるお酒ばっかりが並んでいて、そのときに『大事なのは、お酒の個性を生み出す環境や生産地の物語なんだ』とやっと気がついたんです」

真野鶴
「真野鶴・万穂」(左)と「真野鶴・実来」(右)。

 そこから、酒造りの三大要素と言われる、“米、水、人”に“佐渡”を加え、「四つの宝の和をもって醸す」ことを意味する“四宝和醸”という言葉を作り、尾畑酒造のモットーとして掲げ始めた。すると、今まで見えなかった佐渡の素晴らしさが次々に見えるようになっていったという。

尾畑さん「それからはもう目からウロコというか、『ああ、佐渡って宝の山だったんだ』っていうことがどんどん見えてきました。要するに、それまで『佐渡を変えよう』なんて勘違い甚だしく意気込んで、いきがっていた自分を変えたら、佐渡が教えてくれたんですよね。それからは見るものすべてが宝物だったし、進むべき道が見えてきた。道を進むなかでひとつ階段を登れば景色が変わって、そこでまた新たに見えてくる宝がさらにたくさんあったんです。そしてその先にあったのが『学校蔵』でした」

学校蔵_外観
136年の歴史をもちながら、少子化のため廃校になった旧・西三川小学校。

ここにしかない景色を守りたい。

 尾畑さんがそう語る「学校蔵」との出会いもまた、ご主人からの提案が大きな転機となった。

尾畑さん「ちょうど主人が佐渡市のPTA連合会の会長をやっているときに、島内で廃校になる学校を全部視察して回る機会があったんです。そのなかですごく景色のいい学校があって、それが廃校になってしまう、と。そのあと視察からだいぶ経って、彼から『廃校を引き取って酒蔵にしようと思うんだけど、どう思う?』と言われたんです。でも酒蔵をつくるなんてすごく大変だし、酒業界も決して良い状況ではなかったので、最初は反対していました」

 しかし、ご主人に連れられ、もうすぐ廃校になるという西三川小学校を見に行くと、反対していた尾畑さんの心は一気に変わったという。

尾畑さん「反対する私に『まあ、とにかく見に行こうよ』と言うので、小学校のある丘の上まで登って連れて行かれたんですね。そこの校庭の上に立って海を眺めたときに、見たことのない絶景が広がっていて、身体中を風が吹き抜けていくような感覚になったんです。もうこれはここにしかない、と。お金では買えないもの。世界のどこを探しても、こんな風景はここにしかないと思ったときに『これはやらねばならぬ』という言葉が出ていました」

学校蔵_夕日
旧・西三川小学校から見える、日本で一番きれいと謳われる夕日。

 とはいえ、もともと設備もまったく整っていない小学校を酒蔵にするのには相当の苦労があったはず。しかし尾畑さん曰く、「やらねばならぬと思ったらあとはやるだけ。前に進むことだけを考えていたので、何が大変だったのかあまり覚えていないんです」と笑う。

 それでも具体的な準備には4年以上の長い時間がかかった。オープン前には事前に周辺の住民向けに説明会なども実施し、最初の構想から約6年を経て、2014年に学校蔵はスタートした。


学校蔵の“未来を変える特別授業”とは。

 学校蔵は、尾畑酒造本社の蔵から車で15分ほど離れた場所にある。冬場は本社で仕込みを行うため、学校蔵は夏場の仕込みを行う蔵として稼働している。

 学校蔵での酒造りは「オール佐渡産」を基本として、原料となる酒米や水はもちろん、敷地内にソーラーパネルを設置し、必要なエネルギーも佐渡産の太陽光によって作られる。酒造りに関わるすべてを佐渡のなかで循環させながら、豊かな自然との共生や持続可能な酒造りのかたちを目指している。

佐渡_稲刈り
牡蠣殻農法を用いて米を育てる、佐渡相田ライスファーミングでの稲刈り。学校蔵の酒造りでは、ここで育てられた酒米も使用している。

 そして学校蔵は、酒造りだけではなく、その“学校”という場所を活かした取り組みにも注目を集めている。

古い木造校舎が生む、人と人との化学反応。

 そのひとつが、「佐渡から考える島国ニッポンの未来」をテーマに毎年開催される、学校蔵の特別授業だ(2020年は新型コロナウイルスの影響により休止)。学校蔵のスタート以来、毎年開催され、講師には藻谷浩介さん(日本総合研究所調査部主席研究員)や出口治明さん(立命館アジア太平洋大学学長)、玄田有史さん(東京大学社会科学研究所教授)らが登壇し、島内外から集まった参加者とともに授業を行う。

学校蔵_特別授業
「学校蔵の特別授業」の様子。

 少子高齢化が進み、課題先進地とも言われる佐渡。しかし見方を変えれば、すでに多くの課題が見えているからこそ、その解決にも早くから取り組むことができるはず。佐渡で考えたことが、いつか日本全体の課題を解決するヒントになるかもしれない。そんな思いから、「佐渡から考える島国ニッポンの未来」というテーマを決めたのだという。

 初年度は40名ほどだった参加者も年々増えていき、現在は上限の120名を大きく上回る応募が寄せられているという人気ぶり。参加する人の年齢や性別、職業はさまざまだが、教室のなかでは全員が同じ目線で話すことができるのも、学校蔵のおもしろさだ。

尾畑さん「10代から70代まで、農家さんもいれば上場企業の役員さんもいる。ジャーナリストの人も取材ではなく生徒として来ていたり、みんなフラットな立場で授業に参加しているんです。それを可能にしているのは、たぶん教室でやっているから。会議室だとどうしても自分の肩書きを意識してしまうけど、木造の古い教室ではみんな生徒として参加できる。笑顔がいっぱいで、授業が終わってからは初対面の生徒さん同士、盛り上がって話しています。そうやって世代や立場を超えたつながりができる。それもまた良いところだなと思います」

 授業のスタートにはチャイムが鳴り、「起立、礼、着席」という懐かしい号令もある。古い木造校舎のなかでタイムスリップするように、学校蔵の特別授業では誰もが“生徒”として授業を聞き、発言する。そんな純粋な学びと交流を通して、参加者の間では新たな気づきや発見が次々に生まれていくのだという。

特別授業
授業中も参加者の笑顔があふれる。

 そして2年目からは、この特別授業に地元の高校生も参加するようになった。尾畑さん自身、「もっと広い世界へ出ていきたい」と思っていたひとりだったからこそ、これから島の未来を担う高校生たちには、佐渡に居ながらにして世界と直接繋がることができる、世界は手の届くところにあるんだ、という実感を得てほしいと考えた。ある年にはアメリカのパートナー企業の担当者に登壇してもらい、佐渡に来て感じたことを話してもらったこともあるのだそう。

佐渡_高校生
毎年、参加した高校生がプレゼンテーションする時間もある。高校生たちとともに、佐渡の未来を考える。

 さまざまな世代が交じり合いながら学んでいくなかでも、特に高校生たちの変化は目に見えて早い、と尾畑さんは話す。

尾畑さん「やっぱり高校生の変化がいちばん早くて、だんだん目がキラキラしてくるんですよ。そうすると不思議なことに大人がキラキラしてきて、どんどんキラキラが広がっていくんです。授業では必ずしも何かの正解を導き出すのではなくて、そうやって“化学反応”が起きていくことが大事だなと思っています。答えはいつも参加者自身のなかにあるんですよね。その答え探しのきっかけを、誰かのストーリーや発言のなかから見つけて、ハッとなって帰れる場であればいいなと思っています。気づきがあれば必ずアクションが変わって、明日見る景色が変わっていく。そういう化学反応を起こすことで、学校蔵の特別授業が『未来を変える特別授業』になっていけば素敵ですね」

 自分のなかで主体的な気づきが生まれれば、いつでも人は変わることができる。尾畑さん自身もそんな経験を繰り返してきたからこそ生まれた、学校蔵の特別授業なのだろう。

学校蔵_特別授業


酒造りを通して、地域を学ぶ。

 そしてこの特別授業に加えて、佐渡のファンを増やしているのが「酒造り体験プログラム」だ。一見、そのタイトル通り日本酒造りを学ぶだけのように見えるこのプログラム。しかし尾畑さんは「酒造りを学ぶことは、地域を学ぶこと」だと言う。

学校蔵_酒造り体験プログラム
2019年の「酒造り体験プログラム」での麹づくりの様子。

 学校蔵に一週間通う体験プログラムのなかでは、蒸した酒米を麹米にしていく作業が行われる。作業が進むにつれて米の触感や匂いが変化していく工程そのものも興味深いが、そこからしだいに「このお米はどこからくるのか?」「水はどこから?」「なぜ佐渡島は米作りが盛んになったのか?」というように、だんだんと佐渡の米作りや酒造りの歴史にもスポットが当たり始める。そうすると今度は、山や田んぼなど島全体をフィールドにしながら、実際に現地へ足を運び、地形や文化、歴史も含めて学んでいく。

佐渡_朱鷺
朱鷺が舞う、佐渡。島では、低農薬・低化学肥料での農業やビオトープの造成など、朱鷺が暮らせる環境を守る取り組みが続けられている。

 するとそこには、自然と共存しながら発展してきた“佐渡”という土地の魅力が詰まっている。それは観光の一部としての自然ではなく、この島に根付く人びとの生活や産業とともに守られてきた豊かな里山。そして、自然を敬いながら日々の暮らしを営んできた人びとの姿がある。そうした佐渡の魅力を、日本酒の仕込み体験とフィールドワークによってリアルに実感できるのが、学校蔵の「酒造り体験プログラム」なのだ。

 昨年は全参加者10名のうち7名が海外からの参加というほど、海外からの注目も集めているが、国内外問わずこの体験プログラムを通して佐渡のファンになる人は多い。なかには体験後、海外から移住してきた人もいるほどだ。

 このように参加者が日本酒だけでなく“佐渡”という地域に魅せられるのは、参加者を“お客様”扱いするのではなく、酒蔵の一員としてそこにあるコミュニティへ自然と招き入れ、佐渡のありのままの空気を感じられるからなのだろう。尾畑さんはそれを“おすそ分け”という言葉で表現していたのも印象的だった。

尾畑さん「私たちがやっているのは“おもてなし”ではなく、自分たちがやってる日常の“おすそ分け”。“おすそ分け”なら、私たちも気張らず無理なく続けることができるし、参加する人たちも普段着の佐渡や酒蔵の風景に触れることができる。それで佐渡を好きになってくれる人も多くて、去年参加した香港の方は、今年はじめにパートナーと一緒に移住してきて元気にやっています。これからもそういう人を増やしていきたいですね」

酒造り体験
2019年のプログラムに参加した、アメリカ、オーストラリア、香港からの参加者と尾畑さん。

地域とともに歩み続けるために。

 こうして「廃校の小学校を酒蔵に再生しよう」と始まった学校蔵のプロジェクトは、いつしか酒造りの枠を超えて、地域をつくる取り組みにまで広がっている。

 しかしそこには、必ずしも「地域づくりのために」や「地域に貢献しよう」という目的が先にあったわけではないのだという。にもかかわらず、それらがいま地域につながる取り組みになっているのは、そもそも酒蔵自体が地域とともにある存在であり、常に未来志向であるから、と尾畑さんは話してくれた。

酒造り
尾畑酒造本社で行われる仕込みの様子。

尾畑さん「酒蔵は、やはり持続することが非常に大事な使命なんですよね。しかも、資源も資産もすべてその土地に紐付いているので、やっぱり地域が元気じゃないと。酒蔵は旧態依然としていると思われることもありますが、実はとても未来志向です。次の100年持続するためにいま何をしたらいいのか、常に考えながら仕事をしているというのが多くの酒蔵のあり方だと思います。なので、こういう地域の取り組みは、その大小はあれど、私たちだけがやってることではないんですよね。私たちの取り組みが、いろいろな地域の酒蔵が行っている活動を再認識するきっかけになったら嬉しいです」

 学校蔵では次の100年を見据えて、自然再生エネルギーの導入やCO2排出削減など、さらにサスティナブルな仕組みづくりに挑戦していくという。そのほかにも、まだ企画段階ではあるが、佐渡に関わる人とコラボレーションするものづくりの構想もあるとか。この地で酒造りを続けていくことを第一に考えているからこそ、未来へつながる新たな挑戦が次々と生まれているのだろう。

佐渡_朱鷺
海外のパートナーたちが佐渡を訪問。日本酒で、佐渡と世界をつなげる。

 佐渡で120年以上の歴史を紡いできた尾畑酒造が手掛けるこの「学校蔵」は、地域とともに歩む酒蔵の存在を象徴するような場所になっている。かつて小学校として育まれてきた“学び”の歴史は、そのかたちを変えながら今も続けられ、酒造りとともに次の100年へ続く島の未来を作り出そうとしている。酒造りの枠を超えた尾畑酒造の挑戦は、これからも続いていく。

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