井の頭公園や善福寺公園の緑に囲まれ、若者から家族連れ、お年寄りまで世代を交えにぎわう吉祥寺。住みたい街として常に人気を維持する理由をランドスケープから見つめる。
江戸が愛した水源・井の頭池
5月はじめの井の頭公園は水際のミズキの花が美しい。小さな花火のような白い花が、水面にふわっと傘のようにいくつも重なっている。池の最奥にある島の上に、赤い社殿の井の頭公園弁財天が立っている。弁財天は水の神、芸能の神で、日本神話の、神に斎いつく島の巫女であるイツキシマ(斎島)ヒメと同一視されてきた。
井の頭池は江戸との繋がりが深い場所だ。家康は江戸入城の暁に、神田上水の水源として井の頭池を選び、自身も度々この地を訪れている。また、弁財天へと渡る石橋、立派な石灯籠は、墨田、日本橋あたりに住む職人からの寄贈である。海が近く、井戸が使用できない地域の人びとは、神田上水の水を船で運んで、飲料水として重宝していた。水源の神としての弁財天への参拝は、江戸の町人全般にひろがり、甲州街道、人見街道には、弁財天への道標の石碑が残る。
井の頭公園弁財天の崖の上にはイヌシデの林が広がっている。20mほどの高さの樹冠がつくる緑の屋根の下を歩くのは実に気持ちが良い。この一帯は三代将軍・家光が鷹狩場とし、「御殿山」という地名として残っている場所だが、江戸中期以降はほとんど鷹場として使われることはなく、幕府直轄の御用林として水源涵養のため維持されてきた。明治に入ってからは、皇室の御料地として宮内庁が管理することになる。公園として開園したのは神田上水が廃止されてから20年後の1917年で、「井の頭恩賜公園」という名称は、まさに権力者から井の頭池一帯を市民が賜ったという史実を示している。
井の頭池でカップルがボートに乗ると別れるという都市伝説があるが、女の神さまである弁財天が嫉妬なさるというのがその理由となっている。弁財天が建立されるはるか以前、縄文時代から井の頭池付近には人が住み着き、水の神を祀ってきた。100万人都市であった江戸の住民にとっても、生命の源であり、聖地であったことには変わりはなかった。行楽地として、男女を惹き付けるウェットな井の頭池であっても、池を乱してはならず、清浄に保たなければならない。男女が別れるという現代の神話が機能しているのは、聖なる池にまつわるそんなタブー(禁忌)が、いまなお無意識に生きているからではないだろうか。
(第4回に続く)
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