全国に存在する、地元民にしか読めない“難読地名”。名古屋市営地下鉄にも、「名古屋人にしか読めん!」と言われる駅名がいくつもあります。特によく挙げられるのが、鶴舞線・桜通線の「御器所」駅です(昭和区御器所)。見慣れない三文字の漢字の並び。お…?ご…?ごき…じょ…?地元民以外が地下鉄に乗ると戸惑うことでしょう。実は、この地名の由来を紐解くと、「熱田神宮」との深い関係性が見えてきます。
正しい読み方は「ごきそ」!気になる由来を解説
御器所の正しい読み方は、「ごきそ」。
一度は、昭和に実施された住居表示によって、御器所一丁目〜御器所四丁目に「ごきしょ」という読み方が付けられたことも。ただ、地元民にも浸透しなかったため、平成になってから再び「ごきそ」に戻されたそうです。
この地が、熱田神宮とどう関係しているのでしょうか。
名古屋市熱田区にある「熱田神宮」といえば、名古屋を代表する古社。三種の神器のひとつ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」が祀られていることで知られます。
御器所はかつて熱田神宮の所有地で、神事に用いる土器をつくっていた場所でした。そのため、「御器(ごき)をつくる所」=「御器所」と呼ばれるようになったのです。
この由来まで知っていたら、真の名古屋人!
徳川家康も訪れた!?熱田神宮の鬼門を守る寺
御器所周辺には、古くからまちに根付く寺社が数多くあります。寺社巡りが好きならば、散策も楽しいエリアですね。
なかでも御器所最古の寺と伝えられるのが「医王山 神宮寺」です。神宮寺は元々、熱田神宮の鬼門方位を守護するため鎮座された寺。熱田神宮からは4km近くの距離がありますが、一体なぜここに?
住職に尋ねると、創建から現在までの由緒を教えてくれました。
「神宮寺は、平安時代に嵯峨天皇が創建を計画し、その遺志を引き継いだ仁明天皇の勅願によって850年(嘉祥3年)に創建されました。当時は御器所ではなく、熱田神宮 本宮のすぐ近くにあったようですね。しかし、雷によって大火事に見舞われ、現在の御器所へと場所を移されました。さらに明治に入ると、神仏分離令によって、現在も隣に建っている御器所八幡宮と分離されたのです」
また、徳川家康が「小牧・長久手の戦い」の前に、神宮寺に立ち寄ったという言い伝えも。かの天下人・家康もここで掌を合わせたかと思うと、感慨深いですね。
秀吉の母の生誕地から、昭和レトロな郡道まで
地元民も意外と知らないのですが、御器所は歴史上の名だたる重要人物とゆかりのある場所。
住宅街にひっそりと小さな祠と石柱が建つ「御所屋敷跡」は、豊臣秀吉の母・大政所(なか)の生誕地とされる場所。さらに、ここにあった屋敷で秀吉を産んだという“秀吉生誕地説”が唱えられることも。
神宮寺や御所屋敷跡から東に向かって歩くと、昭和の面影漂う通りがあります。東海道と飯田街道をつなぐこの道。「愛知郡」時代の呼び名が今でも愛称として残り、「郡道」と呼ばれているそうです。
昭和の全盛期に比べて立ち並ぶ店は少なくなりましたが、老舗の商店や喫茶店を覗くと、気さくな店主が迎えてくれます。
また、鎌倉街道や塩付街道、御器所周辺には歴史薫る街道が多いのが特徴。「みんなが知っている名古屋」に物足りなくなったら、ディープなまち歩きに出かけてみては?