くじらキャピタル 代表の竹内が日本全国の事業者を訪ね、地方創生や企業活動の最前線で奮闘されている方々の姿、再成長に向けた勇気ある挑戦、デジタル活用の実態などに迫ります。
福島県いわき市の中央に位置する「いわき湯本温泉」。かつて炭鉱で栄え、温泉街をはじめとする市内の観光地は大きな賑わいをみせていた。しかし、石炭産業の衰退に加え、2011年3月の福島第一原発事故に起因する風評被害により、観光客は激減した。
「このままでは、いわき湯本温泉がなくなってしまう……」。
「私たちが愛してやまないこの街を、後世に残したい……」。
そこで立ち上がったのが、いわき湯本温泉「湯の華会」の女将たちだ。面白企画創造集団・トコナツ歩兵団の団長である渡部祐介さんの協力のもと、着物でフラダンスを踊る「着物deフラ」を構想。いわき市が誇るフラダンスといわき湯本温泉の「和」を融合させた、「フラ女将」が誕生した。
ただ、これまでの歩みは決して平坦なものではなかった。フラ女将はどのようにして実現し、これからどうなっていくのか。「湯の華会」副会長でRyokanこいとの女将でもある小井戸(こいと)文恵さん、いわき市常磐支所長の千葉伸一郎さん、トコナツ歩兵団・渡部団長に話を伺った。
映画「フラガール」が開けてくれた風穴
竹内 昨晩、久しぶりに映画「フラガール」(2006年公開)を観ました。改めて、あの時代にまちの未来を見据えて、果敢に転身に挑んだ勇気に感動しました。今振り返ってみると、あの時代をどう思いますか?
千葉 「子供の頃が懐かしいな、確かにああだったなー」という想いがあります。あの映画が2006年に出たことで、フラがスパリゾートハワイアンズから町に出てきた、湯本の町としてフラを打ち出していっていいんだと思いました。
ハワイアンズの前身である常磐ハワイアンセンターを作ったのは旧常磐炭鉱の社長を務めていた中村豊さんという方ですが、今振り返れば、あの時代に、この常磐にハワイって、相当尖っていますよね(笑)。以前は、裸踊りと勘違いされていたフラダンサーさんも、映画の影響で応募者が増加し、レベルもさらに上がっています。
小井戸 私の父が常磐興産グループ(ハワイアンズの運営会社)の病院関係に勤めていて、常磐興産グループの社宅に住んでいました。常磐興産側の親戚がいたので、ハワイアンズを建てるときは炭鉱関係者との調整が色々と大変だったと聞いています。
でも、常磐と関わりのあった家族なら、老若男女問わずみんなハワイアンズに思い入れがあると思います。
千葉 古い話をすると、昔は湯本温泉って自噴していたんですよ。53本くらいかな。でも炭鉱開発で自噴しなくなった。だから、温泉に携わる人間として炭鉱にはやりきれない想いが元々あった訳です。
そこがさらにハワイアンズという宿泊施設込みの商売を始めたわけですから、本当に複雑な想いが親の世代まではあったと聞いています。この地区では、炭鉱と全く関係のない人はいないと言っていい、本人は違っても、おじさんとか親戚が常磐興産関係というのがほとんどですから。
「フラ女将」誕生秘話
福島県=フラ県というイメチェンに気付く
竹内 女将が着物を着てフラを踊るという発想は、どのような背景・きっかけから生まれたのでしょうか?
小井戸 元々のきっかけは震災でした。とにかくお客さんがいなくなって、女将みんなで「どうしよう」って言ってばかりでした。
そんな時に、別件でいわきに仕事に来ていた渡部さんとお目にかかる機会があって、それからはいろいろ相談に乗ってもらいました。
ただ、フラの話はこの時点ではまだ何も決まっていませんでした。
その時、とあるお祭りで女将さん仲間と3人でフラを披露したことがありました。映画「フラガール」の影響で女将さん仲間とフラを習っていたんです。その時は着物ではありませんでしたが(笑)、踊り終えた後、フラを見てくれた方から「どこから来たんですか?」と聞かれたので、福島県と答えました。ただ、たぶん常磐のことは知らないだろうと思って「分かりますか?」と聞いてみたら「わかります、ハワイアンズですよね」って言われたんです。
それまでは福島県イコール会津や鶴ヶ城と思われることが多かったので、「そうか!世間では今、福島県はフラ県なんだ!!」と気づき、これは逃す手はないなと感じました。
渡部 いざ、フラをやる、となっても、それだけでは面白くありません。面白さのタネは女将さんの中にしか埋まっていないから、もっと湯本のことを教えてもらいたいと伝え、女将さんを集めて女将さんが何をやりたいか、アイディアを出し合いました。「アイドルになりたい」「恋愛相談やりたい」など女将さんのやりたい事が数多くでてきましたね。その中で、以前着物でフラを踊った「着物 de フラ」の話を聞き「フラ女将」のイメージが湧きました。今振り返ってみると、その時のアイディアはほとんど実現していますね。ただ残念なことが一つだけあって、千葉さん、自分が出したアイディア全部却下されたんですよ(笑)。
一同 爆笑
渡部 その後、「フラ女将」というアイディアを実現しようと話し合いました。
ただ、「フラ女将」という名称には、さすがに皆さんも最初は抵抗があったようで、半年間は動きませんでした。
僕にできることは、女将さんがやる気になるのを待つことだけ。
そして、2015年冬、女将さんから「やる」という返事をいただきました。
踏ん切りがついたと。
やんなきゃどうしようもないじゃん
小井戸 当時は女将の間でも意見が割れていて、着物でフラならともかく、「フラ女将」となると、やっぱりふざけているという意見はありました。
自分の中でも「女将」という職業に対する自分なりのイメージがあって、凛として上品な女将像を崩さぬようにずっと努力してきたつもりだったので、そのイメージとそぐわないかな、という葛藤がありました。ただ、そんな話を周りにしたら、誰も自分のイメージを共有してくれていなくて(笑)。「キリリとしているって誰も思ってくれていなかったの?おっちょこちょいってバレてたの?」と(笑)。
それなら、ありのままでもいいのかなという思いも生まれましたし、女将全員で話し合った結果
「やんなきゃどうしようもないじゃん!!」
という思いが一致し、ようやく事が動いたという感じです。
思い返してみると、あの頃はとにかく「湯本温泉は元気ですよ」ということを発信したかった。お客さんに来てほしかった。観光客を受け入れておらず宿泊客は除染作業員が主だった時期で、その人たちが帰り始め、被災地への復興支援が下火になる時期でした。ちょうど暇な時間ができたことから、少しずつ活動を始めていきました。
2016年7月に湯本駅近くの「鶴の足湯」という場所にステージ作って初めてフラ女将のダンスを披露したら、始める前の自分たちの不安とは裏腹に反応がすごく良かったんですよ。「次の月もやるんでしょ?」「またやるならお店も出すよ」と、声をかけてもらい町の人たちも応援してくれ、少しずつ動きが広がっていったんです。
千葉 大きな動きに発展してくれたのは本当に嬉しかったです。また、フラ女将でイベントを開催するだけではもったいないので、グッズも作りました。
フラ女将カレーは累計で2万食以上売れて、フラ女将ブランドの日本酒を作ったり、湯めぐり手形も始めました。
今ではさらに機運が盛り上がり、女将さんのアイディアの一つであったフラ女将の恋愛相談所などが実現に至りました。新しい企画もどんどん進めていますから、ぜひ湯本に足を運んで欲しいと思います。
小井戸 全体を通して考えてみると、正直私としてはまだまだかな、と思っていますが、ちらほらオンステージを見るために予約してくれる人が出てきました。
この動きを、丁寧に宿泊につなげていきたいと思っています。
次の10年のために
フラ女将、今後の集客に関する課題とは
竹内 WEBの「フラ女将」紹介ページは非常に面白く、ユニークな動画などもありますが、そこから先、各旅館様のサイトやその中の予約画面などを拝見すると、率直に申し上げて「IT面では苦戦されているのかな」という感想を持ちました。
今後のWEB上での集客や予約機能については、どのようにお考えですか?
渡部 昨年、自分たちの手でフラ女将の公式HPを初めて作成しました。当時は「フラ女将」と検索してもニュース記事しか出ず、どの旅館サイトにも着地しない状態でした。宿泊プランにしても、せっかくみんなで取り組んでいる「フラ女将」のイメージが伝わってこない。ようやく「フラ女将」という名前も少しずつ認知を得てきたので、ここから数年間で予約をきっちり取れる仕組みを作ろうと、つい先月のミーティングで話したところです。
小井戸 フラ女将を始めたきっかけも、いつかお客様にお越しいただきたい、という気持ちだけでしたから、肝心の目標が漠然としていたのは事実です。戦略も何もなかった。ただただ「何やるの?」という問いかけに対して始めたことだったんです。
竹内 例えば旅館業組合などで一括して地域の旅館のデジタル対応を進める方向はありえるのでしょうか?
千葉 全員というわけではありませんが、ITには苦手意識ある人が多いので、現段階では難しいかもしれません。このあたりは観光課としてもテコ入れが必要だと思っているところですが、現状では各旅館の対応まかせになっています。
渡部 一般企業と違って、戦略・戦術を作り粘り強く行動にまで持っていくやり方が、女将さんには必ずしも合わない部分もあるのかもしれません。フラと同じで、まず「楽しい」という感情があると女将さんたちは盛り上がっていくと思います。
竹内 幅広く情報を発信でき、さらに見る人に応じて対応をきめ細かく変えられるデジタルは、おもてなしそのものだと思っています。皆さんはおもてなしのプロなのに、技術的に分からないからという理由で、デジタルでそれが発揮できないのはもったいないかもしれませんね・・・。
小井戸 デジタルツールの営業やオンライン旅行代理店などの営業はいっぱい来ますし、時代の変化とともにそれだけ必要性が高くなっていることも肌で感じています。
渡部 集客のための面白い取り組みをしたり、表立っておもてなしをしたりするのは女将さんの仕事です。その裏に経営者としての旦那衆が構えています。予約に関連する部分で言えば、旦那衆にもっと訴える必要があるかもしれません。
小井戸 確かに、売り方・営業ひとつとっても変わりました。昔は営業マン雇って、東京で1週間営業してもらって、大きな会社や旅行代理店を回って団体客を取ってくるというスタンスでした。ただ今は、自分の子供たちも、海外旅行に行くのもスマホでホテルと飛行機を予約している状況。そういう方向性も検討しなければと思っています。
渡部 将来、福島の観光が活気付くまでの期間を10年スパンで見込み、その間「食いつなぐ」ために行動を起こすことが大切だと考えています。それを考えたとき、今は決して悪い時期ではないと思います。千葉さんもいてくれるし、このような取材も増えつつあります。
小井戸 昔、湯布院の女将とお話しする機会があって、湯布院も昔地震があって大打撃を受け、そこから数十年かけてブランドを作ったと聞きました。湯本もブランドにしなきゃダメだなと。そのためには行政はもちろん、多くの熱い志を持った人を巻き込むことが重要だと感じています。
今までもたくさんの人に恵まれて、そのおかげでここまで来られたと思っていますから、きっと湯本は大丈夫だと思っています。