私たちは、ウイルスのパンデミックにより、非日常が日常化した体験を共有しています。図らずも変わってゆく日常。自ら変えてゆく日常。私たちは、そのような無常なる日常に何を求め、また、これからどう向き合っていくのでしょうか。
今回の対談相手は、写真家の西山勲さん。カメラを片手に世界各地のアーティストを訪ね、目の前に立ち現れるものを映し続ける彼との対話から見えてきた、日常に潜む豊かな世界とは。
1977年生まれ。編集者、写真家、グラフィックデザイナー。地元・福岡、鎌倉の二拠点生活を送る。2013年よりアーティストの日常に迫るビジュアル誌『Studio Journal knock』を創刊(タイ・カリフォルニア・ポートランド、中南米、ヨーロッパ、東欧、北アフリカの全7タイトル)。雑誌「TRANSIT」、WEBメディア「ATLANTIS」、「Making Things」において撮影・編集・執筆や、映画「おじいちゃん、死んじゃったって。」(2017)、「人と仕事」(2021)のスチールなどを手掛ける。2021年9月には、初の写真集『Secret Rituals』を発売。
グラフィックデザイナーとしての10年
(※西山さんは、FAMILY TREE TAKAMORIのプロモーション動画、写真を担当)
西山さんに対して、僕は不思議に思ったことがあって。撮れ高はすでに十分なのに、もう少し撮りに行ってくると言って、颯爽とまだ見ぬ景色を追い求めていく姿を見て、西山さんを突き動かしているものは一体何なんだろう、と。僕の中で西山さんは、手放しながら新しいものを追い求めて、さらに、常に難しい方向にいっているイメージがあります。本日は、そのあたりのお話もぜひお聞きしたいです。
今は、ご出身の福岡と鎌倉で二拠点で活動していますが、最初はどういったお仕事をしていたんですか?
西山勲さん(以下、西山) 地元のグラフィックデザイン会社で4年間くらいお仕事をさせてもらって、それから独立しました。33、34歳ぐらいまでは、ずっとデザイン業務です。クライアントさんとどっぷり関わって、イチから組み立てるような仕事だったので、やりがいもありました。とにかく忙しかった。あっという間に10年が過ぎました。
西山 たまたまデザインの仕事をTVで知って、入り口はふわっとした憧れみたいなものでした。当時は、ブラジル留学でプロサッカー選手の夢が破れた後、アメリカで語学留学をしていた頃でした。やりたいことを失って、何かないかと探していました。
こつこつ取り組むことは割と好きなので、デザインの仕事は思ったよりも自分に合っていたのか、10年が経っていました。そこで少し身体を壊したときがあって、はっと我に返ったというか、もともとの自分に戻ってきた感覚がありました。中屋さんがおっしゃったように、本当にやりたかったことなのか、という問いが自分自身に…。
そんなとき、プライベートでフィルムカメラで写真を撮るアシスタントの子がきっかけで、カメラに興味を持って。彼が撮る写真と僕のとでは、世界観や味わいが全然違うんです。(このカメラ、一体何だっけ?)と思うようになった。彼の撮るものは、とてもフィジカルなものというか、感受性や感覚だったり、手や足を使って現場に行って撮る、みたいなことが当時の自分とはまったく違いました。動作的なもの、身体や感情など肉体が動くものが、自分が本来したいことのような気がしました。
中屋 僕ももともとサッカーをしていましたが、身体の反応で生きる感覚、フィジカルなものに戻っていく感覚、直感や経験から生まれてくる瞬間を逃さない、みたいな感覚は分かります。
フィジカルという意味では、人が集まったところで新しい出会いや変化の兆しというか、自分が興味ある/ないの話ではなくて、ふと自然に振る舞っていたときに、(あれ、これ気になるな)というところに向かえるような環境づくりとして、体験をつくっていこう、というのが、この会社の仕事の始まりでした。
肉体が動くものを求めて10年
西山 カメラだけを持って、ヨーロッパからずっとジブラルタル海峡を渡って、モロッコを北から南まで一人旅をしたんです。
それまでは、安心の範囲から抜け出ることはしていなかった。でも、何も知らない、言葉が通じない場所で、自分が分からない世界を経験したかったんです。さっき話した、我に返ったときのインパクトが相当に強くて、自分の身体がどうなってもいいや、くらいの気持ちでした。もし帰れなくなってもいいかな、みたいな。そのくらいの心境の変化があって、旅に出ました。
最初はもちろんこれで仕事になるなんて、これっぽっちも思っていなくて、単純にカメラの質感みたいなものに惹かれて撮っていただけでした。帰国して、僕が勝手に写真の師匠として尊敬している方に暗室を借りて、写真が形になるところまで体験してみました。
暗室の中で手探りで作業して、この写真という行為は、一言では決して語り尽くせないと感じた。もちろん分かってはいたんですけど、こんなに真っ暗なところにそもそも入ったことがないとか、ひとつひとつの作業を自分で体験してみたら、その面白みにどっぷりハマってしまって。そのまま写真展まで開催して、プリントを売りました。写真家がすることをちょっとかじっただけですが、一通り体験してみたんです。
イベントは、福岡にあるアルバス写真ラボで開きました。近くに住むモロッコ人の方に来てもらって、ミントティーを振る舞ってもらったり、太鼓の音楽をつけてもらったりして、催し物として面白く盛大にやりました。写真を通じて色々な人との交流が生まれて、PCの前でデザインの仕事をしていた10年間にこんな瞬間はなかった、と思ったんです。ばーっと目の前が広がったというか、今とは全然違うことは、もしかしたらこんなふうにたくさんあるのかもしれない、ということを体験して、2年間くらい放浪の旅に出ちゃいました。
中屋 ご自身の会社を閉じて、新たな写真家としての活動を始めて何年になりますか?
西山 ちょうど10年です。
中屋 グラフィックデザイナーとして働いた年月と、同じ時間を過ごしたわけですね。
西山 まったく違う生き方になったなと思います。
中屋 コンフォータブルな環境を出るのは、最初はしんどいと思います。西山さんにとって、”心地いい”みたいな感覚は、何なんですか?住む場所も含めて、何度も脱ぎ捨てていくと、逆にどうなっていくんだろう、と思っています。
西山 旅に出るまでは、周りの環境や生活を物質的に整えて、満足を得ていました。より広い場所やカッコいい事務所を求めて引っ越したり、いい家具を揃えたり、車を買ったりした。自分がこれだけやってこういう生活が手に入った、みたいな自己肯定的なものです。
でも、あるとき病気をして、結局、生きる/死ぬみたいなところまで考えてしまうと、(あ、それじゃない!)ということに気づいてしまったんです。自分が知らない世界を、自分が知らないところで誰かが楽しんでいる。そういった知らない何かは、世の中に絶対にもっとある。知らない世界を知るには、自分で調べるよりも、その世界をどんどん突き進んでいく人に話を聞く方が面白い。内に秘めたものがある人だったり、黙々と何かをしている人が眩しくて…。
僕にとって、その最たる対象がアーティストでした。彼らが追い求めているものや没頭しているものは、それぞれ深くて、かつ、政治や生活といった自分事に密接に関わっている。自分が持っていないものだからこそ、興味があるんです。
西山 旅に出たときがMAXで非日常感みたいなものですよね。今までの日常をすべて捨てていくではないですが、マンションも車も仕事も、全部手放して旅に出たわけです。それはすごく怖くて、同時にすごくワクワクします。
最初の衝動的な高まりもあって、10年旅を続けてきましたが、やっぱり、とはいえ人生は長いな、ということにやっと気づいてきました。
一回死にそうになって、人生は短いんだと思うわけですよね。色々なことを知りたい気持ちがそのときは強くあって、でも、その気持ちが持続するわけにはいかない。気持ちが高まったまま生きていこうとしても、息切れするというか。最近、コロナの影響もあって、逆に落ち着きが出てきたところはあります。海外に行けなくなってしまったので。
中屋 旅がライフワークで生き甲斐みたいなところですもんね。
西山 この10年の中心に据えていたことが出来ないというのは、喪失感がかなり大きいです。今は、少し先のことを考えられるようになってきたかなと思います。
最後の一歩を踏み出せるワケ
西山 単純にどんな画が撮れるかな、というのも多分あるんですけど、予定通りにしたことが外れたとき、外れたことをしたときに、必ず面白いことが起こっちゃうんですね。
旅なんかがまさにそう。予定していたところじゃないところで出会いがあったりとか、ちょっと耳にしたことを頼りに行ってみるとか、そういうこと。
TRANSITの撮影も、言われた通りにその場所に行って、頼まれたものをそのまま撮っても、あの雑誌ってきっと成立しないと思っています。
中屋 予定通りの場所で撮影すると、すでに誰かほかの人も見たことがある景色かもしれないですよね。
西山 それぞれの写真家が、自分なりの考察とか疑問とか、出会いとか楽しみとか、色々ものが発展していったことで、想像していなかったような風景が撮れていく。だから、それが蓄積したときに、すごくいい写真が並んでいるように見えるのだと思います。
僕は旅の中で、何か面倒臭いこととか変なことが起こったときの嗅覚みたいなものが、磨かれていきました。そこに広がる景色は、何においても楽しみで、それこそ生きてるって思うし、何か輝かしいなと思います。
中屋 計画通りに生きていたら出会わないものにこそ、面白いことがたくさんある。そして、無意識だから嬉しいんですよ。意識して予想通りの結果が生まれても、誰かは感動するかもしれないけど、自分に感動がないじゃないですか。自分の感動を大切にしないと、人っていつの間にか楽な方にいくのかもしれません。
西山 人生、基本は平坦な日々の積み重ねなので、計画から外れようとする意識ってなかなか持ちづらいと思います。でも、僕は意識の改革みたいなものが図らずも起こった。自分が病気をして、その時期に親族が急に2人亡くなった。死と向き合ったときって、生きることをすごく考えるじゃないですか。それを身をもって感じられました。より、人生というか日々のちょっとしたことも面白いと思いたい、意味あるものとしてとらえたいっていう気持ちは、かなり強くなったと思います。
中屋 経験の蓄積による嗅覚なのか、(あ、ここに絶対面白いことあるな)とか、(ここは危ない匂いがするな)と分かったりしますよね。人間が動物の一種であるということをふと思うとき、人間は頭を使い過ぎたのかな、と思うことあります。
西山 そういう意味で、フィジカルなこともすごく大事なんだろうなと思いますね。
孤独と寂しさはイコールではない
一歩を思い切り踏み出すと、孤独もそこにつきまとうと僕は思っているんです。皆誰しも少なからず、孤独とか自分の虚無みたいなものと向き合っていると思うんですけど、アーティストはとくに、本人にしか分からない世界で孤独と向き合っている人、というイメージがあります。
西山さんは、どういうときに孤独を感じますか?
西山 自分が大事にしているものをつくっているときですね。『Studio Journal knock』という本をこの世に出すために文章を書いて、デザインをして、写真を選んで、という一連の作業を一人でとにかく黙々と行うとき、すごく孤独を感じます。
でも、孤独っていうのは、寂しさとはまた違うと思うので、一人でどうにかしないといけないし、同時に、自分にしか出来ないことがそこにある幸せでもある。苦しいんですけどね。水中で苦しい思いをしているような気持ちで。そのときは感じないけど、一番幸せな時間なんだろうなって思います。孤独にならないと出来ないことがある。
今、孤独というものになりにくいと思うんです。すぐに孤独を脱落できるコンテンツがめちゃくちゃあるから。とくにSNSは、孤独感から一時的に逃げて、侘しさみたいなものを感じている。
皆それぞれ、自分一人の孤独の時間みたいなものを持てれば、劣等感を抱いて辛くなる必要がなくなるんじゃないかな、と思っています。自分が没頭できることがあると、人と別に比べなくていいんですよね。これはこれ、自分はこれがあればいいんだ、って。
自分と向き合うことに精一杯になってくると、ほかを見れないというか、見ようともあまり思っていないというか、むしろ無感覚に近いかもしれません。他人の目をずっと気にして生きる方が、もっと辛そうだなと思います。
日常に聖域をもつ:アーティスト性を備えた生き方、人との関わり
中屋 写真集のタイトル『Secret Rituals』は、実体験に基づいているんですか?
西山 めっちゃそうなんです。
人知れず儀式的に日々淡々と行われることに、すごく意味がある。奇しくもこの時代には、そういうアーティストみたいな生き方がふさわしい気がしています。皆が繋がっていて、お互いを認識出来るけど、それぞれ聖域はちゃんと備わっている。
「君がやっていることは素敵だね」、「僕のはこうだよ」なんて対等に言えたら、すごくヘルシーですよね。精神的にどこか保てるんじゃないかと思います。もし、辛い思いをしている人がいたら、自分のことに意識を向けることは、方法としてひとつあるのかなと思っています。
写真を撮っていて、アーティストが自身のスタジオやアトリエの中に自分の足を踏み入れさせてもらったとき、一番精神が浄化されます。そういった場所は、その人が秘密にしていることではないですが、あまり入られたくないスペースで、「君だったらここにいていいよ」と、優しさを越えて相手を信頼して、開示してくれている状態だと思うんです。それは有り難くて、幸せで、そのおかげで自分が美しくいられます。お互いの関係性で出来た写真はきっと美しいだろうし、一番幸せだし、いい写真だって思えると思います。
中屋 ピュアな気持ちで仕事に取り組んでいきたいとき、相手がすべてを見せて、受け入れてくれている状態って、究極的な関係性ですよね。仕事を超えて、人と人が関わることの最大値なのかなと思います。