名古屋市千種区の地下鉄覚王山駅からほど近く。住宅街にある白い建物の扉を開けると、絵本や童話の世界が待っている——。ここは、“旬”の児童書が並ぶ書店「メルヘンハウス」。2021年8月に実店舗を再オープンさせたことで、地元で話題を呼んだ。

メルヘンハウスの誕生は1973年。「日本で初めての子どもの本専門店」として愛されたものの、インターネット通販の普及による経営悪化などを理由に、2018年に閉店した。3年半ぶりの開業を実現させたのは、2代目店主の三輪丈太郎さんだ。
三輪さんは現在46歳。今でこそ、児童書の普及活動に力を入れているが、30代半ばまでは店を継ぐつもりはなかったという。なぜ、2代目として生きることを選択したのか。店舗を復活させるほどの強い熱意は、どこから湧き上がったのだろうか。
自由を追求した高校時代が、今の自分の基礎となった

三輪さんがメルヘンハウスに入社したのは39歳の頃。それまではどこで何をしていたのか、店に携わるまでの経緯が気になるところ。
「僕は16歳で名古屋を出て、埼玉にある高校に入学したんです」と話し始める三輪さん。いきなり30年前までさかのぼることになるが、これまでの人生を振り返るのに、高校時代の話は避けられないそうだ。
三輪さん:「中学時代に音楽に目覚めて、特に好きになったのがブルーハーツ。多感な時期に“学校もジュクもいらない”といった歌詞が心に刺さりました。僕も絶対評価に縛られた教育や厳しい風紀に疑問を持っていて、父に『僕は高校に行かない』と言ったこともありましたね。すると父『ブルーハーツは学校に行ったからこそ、“学校はいらない”とわかったんだ。行ってみないと何もわからない』と。その言葉に納得して、父のすすめで知った自由な校風の私立高校を受験。倍率が高かったため入学試験を通過できず、一度は地元の高校に進学しましたが、翌年再受験しました」
転入ではなく、再び1年生からの入学。20代で入学する人もいるくらい年齢主義にとらわれない高校だったそうだ。
三輪さん:「“自由”であるということは“自分勝手”と紙一重。ゆえに、自由とは何かを深く考えさせられました。独自性の強い高校だからか、音楽などの表現活動をしている生徒も多くて。面白いコトをしている人たちから刺激を受けました」
こうした境遇の高校生活が、三輪さんの人格形成に大きな影響を与えたという。
大学で沖縄へ、そしてミュージシャンをめざして東京へ
三輪さん:「高校卒業後は、沖縄の大学に進学。理由は『沖縄に住みたいから』というだけ。初めて旅行で訪れたときから、異国情緒と活気のある雰囲気に惚れ込み、いつか住みたいと思っていたんです」
優秀な成績をおさめ、中学・高校の社会科の教員免許も取得。だが、「自分はあくまでも表現者でありたい」との思いから、教員はめざさなかった。大学卒業後は、ミュージシャンになろうと東京へ。
三輪さん:「アルバイトをしながら、ライブハウスなどに出演する日々。バンドを結成しては解散して落ち込む時期もありましたが、30歳近くになってメジャーレーベルの人たちと縁ができ、憧れていたアーティストの方々と一緒にバンドを組んで活動するようになりました。父は一貫して『好きなことをやればいいい』と言ってくれていましたね」
ただ、一度だけ「店を継いでみないか」と言われたこともあったが、音楽活動がうまくいき始めた頃だったために、断わってしまったという。
三輪さん:「生まれたときから絵本に囲まれて育ったので、絵本はごく当たり前にある存在。僕にとって“特別なもの”ではなかったんです。当時は、自分が後継ぎになるなんて思っていなかったですね」
音楽の世界を去り、メルヘンハウスを継ぐことを決心
しかし、のちに東京での生活が長くなるにつれて迷いも生じた。
三輪さん:「憧れの存在だった人たちと活動できて、達成感も得られて。でも、プロの世界で次のステップにいくのは厳しいと感じていました」
アルバムをリリースしても、フェスで演奏しても、テレビに出演しても、音楽だけでは食べていけない。あいかわらずアルバイトを続ける毎日。そんなとき、とある人の言葉が生きる道を変えた。三輪さんが「音楽的にも人間的にも尊敬している」と語るのは、音楽プロデューサーでありDJやミュージシャンとしても活躍する恩人。
三輪さん:「彼と一緒に全国ツアーを回っていたとき、名古屋公演の合間にメルヘンハウスに立ち寄ってくれて。店に入って衝撃を受けたようで、『お前の親父さんがやっていることは、すごいことだ!これは文化事業だ!』と絶賛してくれたんです」

メルヘンハウスは地下鉄本山駅近くで20年間営業し、1993年に千種駅近くへと移転している。千種時代は、60坪もの広い店内に約3万冊の本を揃えていた。最盛期には、定期購読サービス「ブッククラブ」の会員は1万5千人にものぼった。来店客とコミュニケーションをとりながら適した本を探すというスタイルも、メルヘンハウスならでは。ここに行けば必ず良い本に出会える、いわば“最高の児童書セレクトショップ”だったのだ。
三輪さん:「彼が言うには、父の仕事は『DJと似ている』と。良いDJは、独りよがりなプレイをせず、周囲を見ながら柔軟に選曲する。子どものために良い本を揃える父はまさに“良いDJ”のようで、かっこいい仕事をしているんだと気づきました。それまで、他人の作った本を売る仕事はクリエイティブではないと思っていたのですが、DJだって他人の曲を流しているじゃないかと。モノを作るだけが表現者じゃないと、自分の中でスッと腑に落ちて。『店を継ぐべきだ』と助言され、音楽活動をやめることを決めました」
心を奮い立たせた、人生でいちばん好きな絵本
ここまでの話では、三輪さんの人生にあまり「子どもの本」の影響は見受けられない気がする。恩人の言葉による“決心”より以前に、絵本や童話を好きになる“きっかけ”はあったのだろうか。
三輪さん:「この一冊がなければ、店を継いでいなかったかもしれないくらい、大切な絵本があるんです。3歳の頃、父が読み聞かせてくれた『すてきな三にんぐみ』。初めて読んだ当時の記憶も鮮明に覚えていますね」

『すてきな三にんぐみ』は、3人組の泥棒が主人公の絵本。3人は夜な夜な馬車を襲い、宝を奪いとっていく。ある日襲った馬車に乗っていたのは、宝ではなく、みなしごの少女。泥棒たちは彼女を隠れ家に連れて帰ることに。翌朝、宝の山を目にした彼女に「まぁぁ、これ、どうするの?」と尋ねられ、3人は困ってしまう。なぜなら、使い道なんて考えていなかったのだから。そこで3人はみなしごたちをたくさん集め、素敵なお城を買って一緒に暮らした。
三輪さん:「3歳の僕の感想は『みなしごになりたかった』。だって、おそろいのマントと帽子を身につけて、友だちといつも一緒に遊べるから。大人になってから、新宿の書店でこの絵本に再会しました。アルバイトばかりして、『自分は何をやっているんだろう』ともやもやしていた頃。少女の質問に答えられなかった泥棒たちの姿が、自分の現状に重なったんです。このシーンに心を動かされ、奮い立たせられました。そして今では、息子もこの絵本を読んでいます。時を超えて、3世代が同じ絵本でつながっているんです」
読み手の年齢や心情によって見え方が変わるからこそ、何度でも新しい感動を得られるのは絵本ならではの魅力だろう。