今回の対談相手は、一部上場メーカー企業に長年勤める土代裕也さん。組織の中で新たな潮流を生み出してきた土代さんと、野良でビジネスを学び、道を切り拓いてきた中屋さん。結果を出し続ける2人は、世の中をどうとらえ、突破しようとしているのか。そこには、常に挑みながら、必死にもがく姿がありました。
大阪生まれ。新卒で一部上場メーカー企業に入社。18年間勤務している。営業を希望するも人事部門に配属され、のち、広報、営業、労働組合、マーケティングリサーチ、商品開発を経験。近年は、新規事業の立ち上げを牽引している。
現在、茨城県在住。アウトドアとDIYが好きで、車や住まいにもこだわりが満載。車は車中泊仕様で、庭にはセルフビルドの小屋や棚が並び、家で薪を焚べる生活を送る。愛読書は、夏目漱石の『社会と自分(私の個人主義)』と岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を含めた3シリーズ。
会社、家族、自己へのまなざし
土代さんとの出会いは、Ichi no Hito※というコミュニティでしたよね。それをきっかけに、一緒に仕事で関わらせてもらうようになりました。
※ Ichi no Hito : 2017年創設のコミュニティ。noteはこちら。
まず、今の新規事業を手掛けるポジションに行き着いた経緯をお聞きしたいです。
土代裕也さん(以下、土代) もともとの入社の動機は、会社の商品が好きという理由でした。職種は営業を考えていたので、「どうせ売るなら好きなものが良い!」という単純なものでした。ただ、会社に入ってからはちょっと珍しい職務経験を重ねてきたかもしれません。
日本企業はゼネラリスト型の人材育成が多くて、異動もよくあると言われるけれど※、それでも、人事系とか営業系、マーケティング系といった大きな職能枠を行き来することは少ないと思います。
※土代さんは、一部上場企業に所属するため異動は珍しくない。一方、日本の企業の99.7%(2021年版小規模企業白書)を占める中小企業では、異動のハードルがきわめて高い。
そうした中で私は、その枠を超える異動を若いうちに重ねました※。かつ、労働組合という特殊な立ち位置で、外側から会社を見る時間がありました。
※冒頭のプロフィール参照
統率のために、会社や部門は求心力が強くなるけれど、私はその力のかかり方が少し弱くなっていたのだと思います。とはいえ、会社は大好きなので、退職して外に出ていく発想にはなりませんでした。
中屋 社内にいながら、会社を俯瞰する目を養っていったんですね。
土代 会社は、求心力と遠心力のバランスが重要だと思っています。当時、私の目には求心力が強過ぎるように映って、その状況を変えるべきではないかと感じるようになりました。経営者からすると、少しお節介な話かもしれませんが…。
この違和感が直近5年間の私の原動力でしたし、今の部署の異動へのきっかけになったと思います。
中屋 土代さんは、単に異動するだけではなくて、その部署の創設自体にも関わったんですよね。迷いとか不安はなかったんですか?
土代 本当に踏み出すべきかは、かなり悩みました。というのも、当時、新規事業を担う部署をつくることは社内で望まれていなかったですし、それまで私は、誰かに期待されることをうまくやるタイプだったので。でも、ちょうどそのときに母が他界して、「前に進もう!」と思うようになったんです。
中屋 以前少し聞きましたが、幼少期にもご家族で大変な時期を乗り越えていますよね。
土代 私が生まれてすぐ、父は母に何も言わず会社を辞めて起業しました。働き過ぎたせいか、私が9歳のときに他界しました。それから母は会社を清算して、女手一つで、兄と私を育ててくれたんですよ。
母からは、父が相談もなしに会社を辞めたこととか、保険や病院を勧めてもまったく聞く耳をもたなかったこととか、よく恨み節を聞いていました。「サラリーマンで安定してるって思ったから結婚したのに、ほんま騙されたわー」って(笑)。私もそうだよなぁと頷いていました。でも、死ぬ間際に母が父について語ったことは、そんな恨み節ではまったくなかった。
中屋 そうだったんですか。
土代 母の死をきっかけに、迷わず会社員の道を選んだのは、自分の意志というよりは、「母を安心させたい」とか、母の人生からの教訓が大きく影響していたんだと気づかされました。しかも、その根っことなる母の想いを見事に誤解していたことまで分かった…。
この気づきは、それまでの自分の判断や存在を揺るがすくらい、インパクトがありました。未だに自分自身のことを自分で決められていないし、しかも、一番近くにいる身内のことも分かっていなかったと。自分の意志で進む道を決められる人間になりたいと強く思いましたね。
中屋 チャレンジする道を歩むようになった原体験ですね。
土代 目の前の会社や上司の期待だけではなくて、私の全人格をもって世の中に向き合って、私が私自身に期待することとして、一歩前に出ることができたと思っています。
自分自身に対する期待に、能力が追いつかない情けなさ。そもそも、その期待は確かなのかという疑念。この2つと向き合うことはなかなかヘビーですが、少しは人間的に成長できたかなと感じています。
キャリアを掛け算する
土代 2003年入社なので、18年間です。
中屋 ご自身が関わった社員で去っていった人も、大勢いますよね。土代さんは、「辞めよう」とか「もう無理」と思ったタイミングはなかったんですか?
土代 あまり辞めたいと思ったことはないですね。異動が多くて、その都度新しいことを学ぶことが大変だった記憶はあります。でも逆に、新しく出会うものと自分の経験を掛け合わせることを強みにしていました。
新入社員のときに叩き込まれた「三現主義」と「守破離」を意識しながら、目の前の人の期待や悩みを自分事化して、それを原動力に動く。その繰り返しでした。地道に見えるかもしれませんが、「もっとやれることはたくさんある!」と楽しみながらやっていたと思います。
信用貯金じゃないですけど、その積み重ねがあったから、新規事業を提案するときに「土代が言うなら」とGOサインを出してくれるようになったのかなとは思っています。信用を得続けることの重要性は言わずもがな、その使いどころも大事だと思っています。
中屋 単発でキャリアをとらえずに、その後のキャリアに活かしていく。そういう視点で考えたとき、何がしたいのか答えが出ていないのに、会社を辞めたり転職したりしていくと、どう落とし所をつけていくのか、すごく不安を感じます。
僕はもともとバンドを組んで、プロのギタリストを目指していました。それからアルバイトでアパレルの世界に入って、最初からずっと前例がない中で進んできた。とにかく自分が経験したことのないことに挑み続けて、結果、他者から珍しがられるキャリアにつながっています。「チャレンジしたい」という思いを突き詰めた先に何があるのか。それはそこに到達したときにしか分からないものです。
一方で、土代さんのキャリアのように、大学を卒業して入社するパターンの人は、多いと思うんですよね。
土代 めっちゃいると思います。
中屋 でも、掛け算が掛け算を生んで、今や土代さんと同じようなキャリアの人はいない。
土代 レアキャラになってきていると思います。
中屋 キャリア形成の過程で、いい掛け算を経験していく。今までは、そういうレアキャラは「君、変わってるね」で終わっていました。でもこれからは、あまりにも普通過ぎると、代替が利いてしまう世界になってきていると思っています。
機械化やAI化が進んでいく中で、たとえば、ある企業では「もう高度人材しか採用しません」と言ったりする。もちろん、会社にとっても社会にとっても、必要じゃない人なんて本来はいませんが、必要な人を多くつくっていかないと、社会のお世話にならないと生きていけない人が増えて、大変な気がしています。
土代 「誰でも替えが利く人=金太郎飴をつくっていくのが是なのだ」という考えは、かつてはおそらく是だったんです。高度経済成長期には、そういう紋切り型こそがむしろ、競争力の源泉でした。結果として企業は成長を遂げられて、大きな成功体験として刻まれたものだと思っています。
それが、「あれ、何かちょっと違うんじゃないか」ということが、ちょっとずつ起こり始めています。でも、成功体験のインパクトが強ければ強いほど、慣性の法則が働いて、違和感を抱いても簡単には変わりません。
こういう状況を変えるには、まず誰かがリスクを取ってやって見せる。それが組織の中である程度認められる。この流れが一番スムーズだと思います。いわゆるファーストペンギン的な話です。
中屋 誰かがチャレンジしないと、変わらない。でもそれは、優しい同僚とか上司が、絶対に教えてくれないじゃないですか。
土代 そこは難しいですよね。むしろ優しい人ほど、「リスク高いから程々にしておきな」と諭してくるのではないでしょうか。純粋な親心として。組織維持の視点でも、私のようなハイリスクな行動をとる人間ばかりになると、存続が難しくなりますからね。
家にも会社にも、しっかり継いでいく人も絶対に必要です。昔で言う長男坊のような人がいないと、組織は回りません。でも、何人かはそのことをリスペクトしながらも、あえてメインストリームから外れた方がいい。とはいえ、それは命令でチャレンジさせるものではないと思っています。
挑む舞台を見極める
「舞台の選択ができる」、「その舞台に立ち続けないという選択肢もある」と意識することで、気持ちが少し楽になります。一方で、「せっかく立たせてもらえる舞台をもらったのに、ここでやれること、やりたいことは本当に何もないのか」を問うことも大事だと思っています。
会社には会社のお作法があって、何より、会社を支えてくれている株主やそれぞれのステークホルダーに求められているものがあります。だから、相撲をとるところで空手はやっちゃいけないんだ、ということは理解せざるを得ない。そのことを理解せずに「何で空手ができないんだ!」と思うと、本当に会社が嫌いになっちゃいます。
中屋 社内で何かを変えていくときに、自分自身のフィットのさせ方を間違えたらダメですよね。
土代 長年この会社にいて、さっきの相撲の話でいえば、私はずっと相撲をしてきたわけです。技を身につけていく中で、このままでは相撲自体がダメになるのではないかと違和感を抱いていく。
そのとき、「蹴り技もOKにしたい」と思っちゃったんですよ。選択肢として「ここは自分の舞台ではない」と会社を離れる道もあるけれど、今の会社がそれをできないでいる理由、会社が保有するアセット、私自身の会社への想い、それらをトータルで考えて、まずは「この会社の中でやれることをやってみよう」と思いました。社内で「ネオ相撲同好会をつくろう」じゃないですけど(笑)、まずはネオ相撲ができる小劇場をつくって、少しずつその舞台を大きくする。そこに立ちたいと思った人が、立てるようにしたいと思っています。
中屋 そもそも、会社に完全にフィットするなんていうことは、絶対にないですからね。
土代 そうなんです!でも、私はものすごくフィットさせていました。会社にフィットさせることが正解だろうと、ある意味怖いくらいに、無自覚に…。それが、むくっと開いていきました。それが本当に自分や組織にとってベストなのかと。
「個性」を再考する
「個性だ!個性だ!」と言うのは簡単だけど、あんまり言われすぎると「個性なんてない」、「何をしたらいいか分からない」と悩みますよね。さっきのチャレンジの話にも通じますが、個性は、誰かに命令されて表現するものではない。
中屋 「個性」は、便利な言葉ですよね。競争社会の中で、差別化や、機械と人間との違いの文脈で語られることも多い。ただ、この2つは分離して説明する必要があります。「個性」とは何なのか、「個性」に達するためには何が必要か、といったことを伝えないといけない。
土代 ややもすると、「個性」を謳っている人が、その本質を理解していない可能性もありますよね。「世の中が個性が大事だと言っているから」と、ただ何となく文字面だけを追っているのは、一番悲しいです。
中屋 表層的な「個性」になっていますよね。言葉がもつ凶暴な側面です。
本来、私たちは全員唯一無二な存在です。日常の経験すべてが、個性の形成に関わっています。「個性」は、意識してつくり出したり表現したりするものではない。自分では出したいと思っていなくても、にじみ出ていくようなものなんです。
キャリアの掛け算の話も同じで、キャリア単体では珍しくなくても、いくつものキャリアが掛け合わされたとき、非凡なものに変容していきます。それは、ひとつの会社の中でも目指せるんですよね。
土代 「別に一緒でいいんだよ」とか「今はそれでいいよ。でもその代わり、世の中をいっぱい見ようよ」と言ってあげないと、辛いですよね。組織と「個性」のはざまで悩む人たちは、たくさんいると思っています。
中屋 これまで、「皆で手をつないでゴールしようよ」とか「成績だけが価値あることじゃないんだよ」と言っていたのが、世の中が厳しくなってくると、全然違った言葉に代わっていく。長い期間、平和ボケして過ごしてきた皺寄せがきていると感じています。
機動力で突破する
でも、あらかた事態が掴めたら、機動力はすごく必要ですよね。アジャイルで色々とテストケースをつくっていく、という考え方に近いです。災害なんて、待っていたら死んじゃうわけじゃないですか。そのあたりが、この国を覆っている重たい雲だと感じます。
大企業に勤めている人もそうですが、大きなものに囲まれている人たちほど、熟考し過ぎて動けなくなる。でも、ご一緒させてもらっているプロジェクトもそうですが、最初から、答えを決めていないじゃないですか。
土代 「誰もやったことないしね」と言いながら、つくっていましたよね。一番上にある「〜のために」だけを決める。
中屋 やりながら、「ここが落とし所としていいな」とか「ここがフックになるよね」といったものを見つけて、皆が「あ、ここがはまったね!」という瞬間に、突破していきます。
準備期間がものすごく長かったですけど、結局、アウトプットが大切ですよね。目の前に「こういうものなんです」と名前をつけた現物を出して、見えることをつくり続けるしかありません。百聞は一見にしかずをつくっていかないと。
現存するものとして共有できる瞬間に、皆の中で共通認識化する。たとえ色々な視線が向けられても、現物がある事実は揺るがないじゃないですか。現物がないと、突破できるものも突破できません。
土代 その通りだと思います。
中屋 試し試しの過程で、「こういう反応があるんだ」と発見していく。開催したイベントに高校生が関わってくれたときも、その状況に応じて案を練りましたよね。ちなみにその彼は、今や会社を創業してもう2期くらい続けています。
土代 すごい。
中屋 このプロジェクトだけがすべての要因ではないですが、自分のチャレンジがひとつのきっかけとなって、人の人生を変えたわけです。人が大きく心を決める瞬間に立ち会えることは、仕事をやっていく上で、これ以上ないことだと思っています。
動機を得た人のアクションは、強いですよね。動機を喪失するから、人間は生きる気力が湧いてこなかったり、疲れちゃったりして、モラトリアムに陥ることがある。
動機を失っている人がいたときに、自分に何ができるのか。原因と結果じゃないですけど、自分がいつ相手の立場に回るか分かりません。出会った人には、今後何かあったら声を掛けたいし、今、自分が舵を取れるポジションにいるなら、なおさらです。
人によっては、ステージが変わるとそれまでの人間関係を断ち切る人もいますけど、僕は、人間関係は連綿と続くものだと思っています。
土代 中屋さんらしいです。
今この瞬間に、何がしたいのか
土代 なるほどねぇ。
中屋 仕事をお願いされるときに、「こういう感じでやろうと思っているんですけど…」と持ちかけられたとします。相手が何がしたいかが分かっていると、返答が考えられるんですけど、「それで、僕はどうしたらいいですかね?」と聞かれると、何を返せばいいのか迷ってしまいます。返答の選択肢が無数にあるぞ、と。
土代 そうですね。
中屋 仕事をしていて恥をかくのが嫌だと思うことは、絶対になくした方がいい。失敗しまくることって、恥ずかしいじゃないですか。恥ずかしいと思う気持ちはなくしちゃダメですけど、それを怖がってチャレンジしなくなると、恐ろしいと感じています。チャレンジして失敗したときに「何がいけなかったですかね?」と聞くことは、許されると思うんですよ。
さっき話しましたが、僕は最初のキャリアがアパレルの店舗のアルバイトで、普通なら新卒研修で教わるお作法を知らないわけですよ。たとえば、名刺の渡し方すら分からなくて、ある日、序列関係なく自分の近くにいる人から名刺を渡していってしまった。あとでこそっと、「あれ、やばいぞ」と教えてもらったこともありました(笑)。
僕は、野良でビジネスを学んできましたが、今のところ死にやしないです。
土代 「自分らしさなんて分かりません」という人こそ、まずは1mmでもいいから、自分の気持ちに素直に動いてみるのがいいと思います。そこには新しい出会いや環境があって、自分のことをもっと知るきっかけにつながると思うので。
中屋 そうですね。人の目ばかり気になる世界ですけど、いい意味でもっと空気を読まずに、もっともっとチャレンジする人が増えるといいですね。
対談日:2021年12月24日
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【体験を開発する会社】
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文・川上陽子