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海外で磨いた感性と表現力を、北海道・十勝で唯一無二のアクセサリーに

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北海道十勝管内本別町に拠点を置く完全オーダーメイドのアクセサリーブランド『Omnia(オムニア)』。ブランドを立ち上げたのは、アメリカやロシアのストリートで表現力を磨き、5年前から北海道を拠点に活動するアーティスト「Ryoji」こと山本遼二さんです。彼が日本、そして海外を放浪し本別町でブランドを立ち上げるに至ったユニークな足跡を紹介します。

目次

人生の岐路に迷っていたときに出合った1本の映画が、 運命の道を切り拓いた

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彼の名は「Ryoji」(本名:山本遼二さん)。1986年、奈良県天理市生まれの37歳です。
夜の仕事に就いていた20歳代のころ、彼は人生の方向性に迷っていました。これからどう生きていけばいいのかわからず、布団から出られない日が長く続くようになっていたのです。誰にも思いのたけを話せずに、自宅に引きこもる毎日を過ごしていました。
ある日、そんな彼を見かねた友人に誘われ、半ば強引に見に行った映画がRyojiさんの心を激しく揺さぶります。それは、路上詩人の先駆け的存在で映画監督としても活躍し、現在は沖縄県で環境保護活動にも取り組み、全国各地で講演会を開催されている軌保博光さんの作品でした。
「すごく感動したんです。震えました。これほど人を感動させることが、僕にもできないか、人のためになることが自分にもできないかと本気で考えたんです」
Ryojiさんはすぐに動き出します。自身も軌保博光さんと同じように「貴方の目を見て、詩を書きます」というスタイルで路上に立ちはじめたのです。地元の奈良を皮切りに、東京・大阪・九州、そして全国各地へと活動の幅は広がりました。
決して順風満帆ではない路上での生活が2年ほど続いたとき、転機となる出来事が訪れます。ロシアで日本語教師をしているお客さんの紹介で、ロシアのウラジオストクで活動してみないかという話をいただいたのです。このときRyojiさんに迷いはなく、2013年にウラジオストクへ渡りました。

現在の礎になっている、世界を渡り歩いた経験の第一歩

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ロシア・ウラジオストクでのひとこま。「日本人を好意的に見てくれる、とてもフレンドリーなお客さんが多かったですよ」(文中の海外での写真は、Ryojiさん提供)
「日本のストリートと同じように路上に立ち、独学で覚えた書道で言葉を書く生活を送りました。これで生計を立てることができ、現地のテレビニュースで報道もされました。運も味方してくれたように思います」とRyojiさんは話します。
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「ロシア語はまったくわからないままでしたので、本当に『眼を見て得たインスピレーションだけ』で文字を書いていました。得られた経験は大きかったですね」とRyojiさんは笑って話してくれました。
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ウラジオストクでは壁面に絵を描くことも。「自分の感性が磨かれていく瞬間を感じながら、描きました」

帰国後に渡米。アメリカでの挫折を経て、人生を切り拓く強さを得る

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ニューヨークのストリートでの出店光景。安宿に泊まることもできず、路上生活を続けた時期もあったという。
ウラジオストクから日本に帰国してからも、日本各地のストリートに立ち続けたRyojiさん。時にはお店の看板デザインやお店のメニュー、赤ちゃんの命名書や名刺デザインなど、さまざまな「文字を書く仕事」をしました。忙しい日々を送るなか、ストリートで知り合った仲間の一人が渡米します。彼の後を追って、Ryojiさんもアメリカ・ニューヨークに渡りました。2014年のことでした。
「ウラジオストクでの経験があって、日本での活動経験もかなり積んだので、うまくやれると思ったんです。でも縁もゆかりもないニューヨークに、日本のストリートで知り合った仲間だけを頼りに行ってみたものの、現実は甘くはありませんでした。ブルックリンのストリートに立っていたとき、銃声と共に3~4人が悲鳴を上げながら走ってきたことがあって、はじめて命の危険も感じました。今でも忘れられない経験です。ニューヨークでの暮らしは、今も作品作りに生きていると思います」
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Ryojiさんは、ニューヨークでは文字だけでなく絵も描くようになります。
「ニューヨークではゲリラ的に出店していたので、最初はまったく相手にされませんでした。言葉だけを商品にしていたロシアでの経験が、そこでは通用しなかったんです。そこで絵を描き、言葉を添えて表現手段を増やしたところ、少しずつ認知されるようになりました。数か月後にはフリーペーパーで紹介されるようになり、路上での生活も楽ではありませんでしたが、充実したものになりました」
その後、日本に帰国した際の残金は、わずか5,000円だったそうです。

世界を旅したRyojiさんが、北海道・十勝にたどり着いた理由

帰国後、Ryojiさんは以前から親交があった女性と結婚。彼女とともに暮らす場所として選んだのが十勝・本別町でした。これまで絵や文字で想いを伝えていたRyojiさんですが、本別町に拠点を置いてから新しい表現方法を取り入れます。 
「自分のことを誰も知らない土地で、新しいことに挑戦してみたいという気持ちがあったのです。そこで、いくつかの街をたずね歩くなか、春に訪れた北海道でたどりついたのが本別町でした。都内で生活していた時期もありましたので、田舎の風景に身を置いたとき、空の青さや広さ、風の香りで創作のインスピレーションが一気に高まりました。北海道の自然とストリートでの経験を俯瞰して見つめたとき、そのインスピレーションを言葉とは異なるカタチにして伝えたいと思い、アクセサリーをつくることにしたんです。デザインの発想力は、日本各地やウラジオストク、ニューヨークの路上で培ったもの。そこに本別の暮らしや自然、環境のイメージを重ねています」
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Ryojiさんが暮らす北海道十勝・本別町の夏。
アクセサリー制作を始めるにあたって考えたブランド名は『Omnia(オムニア)』。ラテン語で「すべて・万物」を意味する言葉で、Ryojiさんがつくるアクセサリーブランドの名前です。
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サファイアブルーがRyojiさんの手掛ける「Omnia(オムニア)」のイメージカラー。開業した9月の誕生石がサファイアなどの理由から、この色を選んだという。
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『Omnia』のアクセサリー。
「日々身に着けてくれる方の力になれるよう、私の想いだけでなく、身に着ける人が込めたい願いなど、たくさんの想いを込めてつくります。『そのすべてを込める』という想いから、『Omnia』という言葉を選びました。既製品でもなければオーダーメイドともまた違う、着ける人に寄り添うアクセサリーをつくっています」
Ryojiさんの創作スタイルは、顧客の要望を聞いてカタチにするだけではありません。「自分を見て感じた言葉を書いてくれ」と言われて作品をつくっていたストリート時代のように、「他人から見た自分をカタチにしてほしい」という依頼に応える。そんなアクセサリーブランドを目指しています。
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本別町の自宅内の工房で、作品を作るRyojiさん。作品には緻密さがただよう。
「生み出すものが言葉からアクセサリーに変わったので、イマジネーションやクリエイティビティはより必要になりました。色や大きさ、素材も考慮して、制作には約1か月かかることもあります。時間の経過でお客様から感じるイメージも変化するので、柔軟に対応し、コミュニケーションもとりながら作品を仕上げています」
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写真は、商品受け渡し当日の様子。できるだけ手渡しで、必ず手書きのメッセージカードを添えているRyojiさん。この日は本別町から約70キロメートル離れた、釧路の町まで足を運びんだ。
Ryojiさんは、「Omnia」のこれからについても話してくれました。
「数ある中から選んでもらえるラインナップづくりも視野に入れていますが、メインは受注生産で行こうと考えています。たくさんの方に『Omnia』の想いが伝わるよう、単なる既製品ではない、相互に想いが通じるアクセサリーを提供できるよう、自分自身も磨き続けていきたいです」
<ブランド概要>
パーソナルハンドメイド「Omnia(オムニア)」
Facebook:https://www.facebook.com/kodamaya.ryoji
Instagram:https://www.instagram.com/omnia_0258/
文・撮影:なーしぃ(本名:山崎陽弘)
■ライタープロフィール
1975年、大阪生まれ。32歳の時に「趣味のオートバイで訪れ、その雄大さに魅了された」北海道・道東に移住。現役の男性看護師として地域医療・福祉分野に尽力するかたわら、15年を越える北海道生活を個人ブログ「なーしぃのひとりごと」で発信している。私生活では、妻と2人の子どもと暮らす。https://nursy-hokkaido.com/

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