MENU

人々

通い始めて20数年のネイチャーガイド・佐藤雅子さんと、厳冬の知床・原生林をゆく

山﨑 陽弘(やまざき あきひろ)

山﨑 陽弘(やまざき あきひろ)

  • URLをコピーしました!

2005年に世界自然遺産に指定された北海道「知床」。以来、その雄大な自然に惹きつけられて、世界各地から多くの人が斜里町のウトロ地区を訪れています。そのウトロ地区へ、20年以上前に移住してきた一人の女性がいます。

北海道伊達市から身ひとつで知床にやってきたのは佐藤雅子さん。休日はもちろん、仕事がある日の出勤前も出勤後も時間の許す限り知床の森に通い続け、還暦を迎えた2023年に知床原生林の自然ガイドを始めました。今回はそんな佐藤さんが案内する「厳冬期ガイドツアー」に同行する機会を得ました。厳冬期の知床の魅力を写真も交えながら紹介します。

目次

「知床峠から昇る朝日を見て、運命の赤い糸を感じた」

佐藤雅子(さとう まさこ)さん。北海道・伊達市出身。

佐藤さんが知床に興味を持つきっかけになったのは、小学生のころにテレビから流れて来た『知床旅情』(作詞・作曲:森繁久彌)でした。『知床旅情』を聴いた佐藤さんは「歌詞の情景をこの眼で見てみたい」と漠然とした憧れを抱くようになります。その気持ちは、成人になっても薄れることはありませんでした。

札幌で会社勤めをしていた20代の頃から、長年憧れの地であった知床に足を運ぶようになります。

知床岬は国立公園内の特別保護地区として厳重な管理下に置かれていて、アクセス道路も無いため一般観光客の立ち入りは事実上できないなど、知床に通うようになって知ることも少なくなかったそうです。

佐藤さんは土曜日の午後に仕事を終えてから札幌を出発し、自家用車で400キロメートル以上離れた知床まで8時間以上をかけて通い、知床峠の駐車場で仮眠を取り、朝日が昇るのを見てから札幌に戻るという週末を過ごすようになるのでした。

ある日曜日の朝、知床峠から見る朝日がいつもと違って見え、何度も見たはずの朝陽が、その日は特別なまばゆい光を放っていました。このとき、佐藤さんは心を揺さぶられ、知床に運命を感じたのです。

9月。知床峠から見る神々しい朝日(佐藤さん撮影)。

佐藤さんは昭和38年生まれ。折しもその年は国道334号線、通称「知床横断道路」の工事が着工され、「知床岬灯台」が完成した年です。翌年には「知床国立公園」として国から指定を受けました。

「これはもう、知床に住まなきゃダメだ」

知床への思いが心から離れなくなった佐藤さんが、ウトロで生活を始めたのは38歳の時。札幌で築いたものを失うことも多く、かなりの決意と覚悟を決めて知床に来たのでした。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね
  • URLをコピーしました!

関連記事