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連載 | 体験にはいったい何があるというんですか?

鮭と共存する村に移住!1万km旅をする鮭が教えてくれた人生のヒントとは【松並三男・中屋祐輔対談】

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物や情報が簡単に手に入りやすくなった今、便利になっているはずなのに心が満たされず、どこか物足りなさを感じている人が多いように感じます。モノ消費からコト消費へと変わって行く中で、どんな体験をするかによって人生の豊かさや経験値が大きく変わっていくのではないでしょうか。今回は、山形県鮭川村(さけがわむら)で地域おこし協力隊として活動をしている松並三男(まつなみ みつお)さんにお話を伺いました。

目次

伝承される文化と日本の原風景が残る「鮭川村」

鮭川村のシンボルでもある一級河川「鮭川」の風景
鮭川村のシンボルでもある一級河川「鮭川」の風景

中屋 松並さんは現在、山形県鮭川村の地域おこし協力隊として活動されていると思いますが、まず鮭川村はどんな場所なのかお伺いしたいです。

松並 鮭川村は山形県と秋田県の県境・最上(もがみ)エリアにある、山形県内でも一番人口密度が低い地域です。村の真ん中を通る鮭川は、原始の地形がそのまま残っている素晴らしい川で、鮭がたくさんいることが地名の由来にもなっています。鮭がつく自治体名は日本中で鮭川村しかありません。美人の湯と呼ばれている『羽根沢(はねさわ)温泉』、日本の原風景が残る景色があり、自然豊かな環境で過ごせるのが良いところです。

また、『山形県指定無形民俗文化財』に指定されている、約250年の歴史を誇る『鮭川歌舞伎』があります。歌舞伎保存会を代表しているのは80〜90代の方たちですが、地元や役場の若者を巻き込みながら歌舞伎を行っているのが鮭川村の特徴です。「歌舞伎=格式が高い」と思われがちですが、その考えを覆すように若い世代を中心に盛り上げているのはとても素晴らしいことですし、農村歌舞伎本来の楽しみ方をしていると感じられます。

中屋 鮭川村は若い方が活躍されていることもあり、未来に継承していく環境づくりに力を入れられていることは素敵ですね。

松並 地域おこし協力隊の任期を終えた後、定住している方もいますし、離れてしまっても歌舞伎のポスターのデザインをしていたり、 パンフレットを作っていたり……人との繋がりを残していける村だと思います。

中屋 離れた後も自然と集まりたくるような雰囲気を作り、密なコミュニケーションを取ってきた結果だと思うのですが、地域おこし協力隊を卒業したとしても、村に関わった人たちが第2の故郷として縁を大切にしていることは魅力ですよね。

松並 移住者だけではなくて、住んでいる人たちがみんな優しい人ばかりです。山形の中でも特別雪深いエリアなので、助け合って生きてきた文化がそのまま残っていて。コミュニティが小さいがゆえにみんなの顔が見えるのと、土地特有の温かさがあるのではないかと、ひしひしと感じる部分があります。
 

「鮭」をテーマに地域おこし協力隊として活動する日々

鮭川村で行っているローカルトレイルランニングチームメンバーと一緒に活動している様子
鮭川村で行っているローカルトレイルランニングチームメンバーと一緒に活動している様子

中屋 松並さんが鮭川村に移住したきっかけは何だったんですか?

松並 前職はアウトドアメーカーの『パタゴニア』で10年働いていたのですが、区切りを迎える節目だったことと、子どもが産まれたタイミングで東北への移住を考え始めたのがきっかけです。今後何をやりたいか考えたときに魚や海に関わる仕事をしたいと思い、そのタイミングで鮭川村の地域おこし協力隊の募集を見つけました。

鮭に関するテーマが魅力的だったので問い合わせをしたところ、折り返しの電話をもらい「来ませんか?」と言ってもらえたんです。鮭のテーマに関する問い合わせはたぶん僕が初めてだったのではないかなと思います。現地に行って、いろいろ案内をしてくれたことや人の温かさに触れたことで鮭川村に移住する決意を固めました。

地元の人たちと一緒に鮭漁を行っている写真
地元の人たちと一緒に鮭漁を行っている写真

中屋 さまざまな要因が重なって移住することに繋がっていったんですね。普段地域おこし協力隊としてはどのような活動をされていますか?

松並 現在2年目になりますが、鮭漁や鮭の利活用をテーマに活動をしています。鮭が遡上(そじょう)してくる時期は集中できるように配慮してもらっていますが、それ以外の時期は臨機応変に村の手伝いをしていて。僕の他にあと2人地域おこし協力隊がいるのですが、ワラビ園の草刈りを手伝ったり、歌舞伎の無観客公演の撮影サポートをさせてもらったり、チームで連携しながら動いている状態です。

中屋 まさに鮭川の特性を活かした活動を行っているんですね。鮭漁を行っているとのお話でしたが、鮭川村の鮭漁の特徴について教えてもらえますか?

松並 鮭川村では川をせき止め、遡上する鮭をウライ(鉄製のカゴ) に導いてすくい上げる「ウライ漁」を行っています。これは川を上ってくる鮭の習性を活かした捕り方です。ウライはアイヌ語で「梁(やな)」という意味。鮭川はウライの設置が難しく、自分たちで杭を打ち川の流れを変えてカゴに入りやすい高さや水深にしないといけないんですが、自然豊かな川で漁を行っているのが特徴です。

鮭漁は10月中旬~12月初旬まで、毎日朝6時半から地元に住んでいる60~80代の方と一緒に行っています。今期の漁は終わったんですけど、おじいちゃんたちはとても元気で。「網張るぞ、ここからが楽しいんだ」と言って素手で川に入って行くようなパワフルさを兼ね備えています。
 

海のごみを減らすために身近な生活を変える意識を持つようになる

松並さんが大学時代に海岸清掃を行っていた様子。台風で大量のゴミが上がった日も、とにかく楽しみながら続けていた。
松並さんが大学時代に海岸清掃を行っていた様子。台風で大量のゴミが上がった日も、とにかく楽しみながら続けていた。

中屋 鮭川村にはパワフルな方たちが多いんですね(笑)。魚や海に関する仕事をしたいとお話されていましたが、もともと海洋学に興味があったんですか?

松並 僕は自然環境が豊かな神奈川県の大磯町で育ったのですが、小学生のときに近所のおじさんに釣りに連れて行ってもらってから、釣りや魚に興味を持ちました。中学生になると海のごみ問題にも関心を持つようになって。台風のあとに釣りに行くと、ごみが毎回のように引っかかって魚が釣れる状態ではなかったんです。どうにかしてこの環境を変えられないかと思ったことが、環境問題を意識するきっかけになったと思います。

大学では海洋環境学の研究室に入って海のごみをテーマに研究を行いました。身近なごみ問題に取り組もうと思い、学園祭で出るごみを減らす活動やビーチクリーンをしながら学生生活を過ごすことが多かったです。

フィッシングショーにスタッフとして関わっていたパタゴニア時代
フィッシングショーにスタッフとして関わっていたパタゴニア時代

中屋 プロサーファーの友人が、ずっとビーチクリーンをしているのになぜごみが永遠に減らないのかをテーマに『OCEAN TREE』というショートムービーを作っていて。街から出ているごみが川をつたってその多くが海に流れ出ていると話していました。大学を卒業してからも海や環境問題に関わる仕事をしていたんですか?

松並 大学卒業後は新卒で働くイメージができず、内定を辞退してフリーターになったんです。海岸清掃を行いながら派遣の仕事をしていたり、訪問販売の会社に入ったり、蔵王や小笠原に行ったり……3年間さまざまな経験を積み重ねました。ずっとビーチクリーンは行っていたのですが、ゴミを拾ってもなくならない、供給側、つまり社会が変わらない限りごみはなくならないという思想に辿り着いて……。当時パタゴニアの取り組みや本も読んでいたこと、理念に共感していたこともあり、たまたまオープン募集をしていた店舗に応募して入社することになったんです。

パタゴニアでは人の繋がりが作れたこと、お店作りやブランディングを学べたこと、志のある人たちが集まっていた職場環境で過ごせたことは良かったなと思います。
 

モノがない時代を生き抜いてきた人生の先輩たちから学ぶ、自然に対しての感謝や敬意

84歳の川の師匠。屈強で、命や自然への姿勢、本気でかっこいいと思える大先輩
84歳の川の師匠。屈強で、命や自然への姿勢、本気でかっこいいと思える大先輩

中屋 松並さんの中でさまざまなものが繋がって今の仕事に取り組んでいるわけじゃないですか。インターネットによって情報格差がなくなり、生きている中でも大事にしなければならない、失ってはいけない価値観が存在すると思いますが、地方で学べることや残しておきたい大切なものはありますか?

松並 人生の先輩たちから学ぶことはとても多いです。東北の80代以上の方たちはモノがない時代を生き抜いた世代なので、当たり前のようにモノを大事にし、自然に対しての感謝や敬意を忘れていなくて。ひとつの命との関係性は、今よりずっと濃く、豊かだったと思います。グッとくる言葉やスタイルを持っているおじいちゃんたちがめちゃくちゃカッコいいんですよ。

一緒に同じものを食べて、手を動かして感じないと得られない経験や学びがあるので、響くものが多いです。今来ないと学ぶことができないので、若い人にぜひ来ていただいて、地方にある藁細工や林業・農業に飛び込んでほしいと思います。 

中屋 いきなり地方に飛び込むことは難しいと思うのですが、現地に行ったら共感できることはたくさんあると思っていて。関係人口という考え方もありますが、鮭川村へ実際に訪れて体感するプログラムを一緒に作れると面白いなと思っています。

松並 現状そのような機会が少なく、ゲストハウスのように気軽に泊まれるところが無いのも課題です。きっかけは増やしていきたいですし、もっと受け入れ体制を整えていければ良いなと思っています。また、地域おこし協力隊はいい制度だなと思っていて。3年を少ないと捉えるか、長いと捉えるかはその人次第かなと思います。
 

数千kmの旅路を経て故郷に帰ってくる鮭から学ぶ生命とは

鮭の移動距離は約1万km。長い旅路を経て故郷に帰ってくる鮭
鮭の移動距離は約1万km。長い旅路を経て故郷に帰ってくる鮭

中屋 松並さんはSNSでも鮭川村での暮らしや仕事に取り組む姿を発信されていると思いますが、 僕が毎回見て考えさせられるのが、鮭から感じる生命についての投稿です。遡上してきた鮭に想いを馳せている部分もあると思うのですが、 松並さんにとって鮭から感じる生命はどういったものでしょうか?

松並 鮭川村に来て2年目ですが、鮭は特別な魚だと感じざるを得ないです。まず移動距離が1万km近くということ。アラスカまで回遊してここに戻って来て、卵を産んで子孫を繋いでいく。ピンポイントで戻ってくる理由は解明されていないので、とても面白い魚ではありますね。鮭にマニアックに関わりたいというよりも、 自分が今まで感じてきた想いなどをこの魚が一番体現してくれるだろうと素直に感じられています。

ひれが擦り切れ、身が朽ち果てるまで泳ぎ続け、卵を守ろうと尽きていく身は川や森に還り、新たな命になっていく。数千kmの旅路を経て故郷に戻った彼らは、どんな気持ちで尽きていくのだろうと思うと感情が入ってしまうこともあります。

鮭たちは物言わず命の循環について教えてくれるし、生命力がすごいんですよね。血抜きをしていても、 獣を扱っているようなパワーに圧倒されることが多いです。鮭を扱う以上は周りに伝えていかなければいけないですし、残していかなければいけないという想いやパワーを感じる魚だなと思います。

ウライ漁では首都圏の通勤ラッシュ並みの密度で鮭が入る
ウライ漁では首都圏の通勤ラッシュ並みの密度で鮭が入る

中屋  アラスカから鮭川村まで帰ってくると聞くとロマンがありますよね。1万km近く旅してきた冒険者みたいじゃないですか。意味ある人生、意味ある仕事とは何だろうと、鮭を通じて考えるきっかけになるかもしれませんね。

松並 人生について教えてくれるヒントを持っていると思います。鮭は子どもたち、子孫への対応が過保護でもあって。最後の最後まで子どもたちのために泳ぎ続ける姿を見ていると、親が子どものために尽くすことは、子孫を残すための生物の当たり前の本能なのかなと感じます。だからこそ丁寧に扱わないといけないし、命をいただくことに敬意を忘れないでいたいと思うようになりました。

僕の仕事観としては、受け継がれてきたものを残していく方向性はブレてはいけないと思いますし、自分が遊ぶ以上は、次の世代が遊んでいけるような場所を残すことが必要だと思っています。また、仕事の一つの定義として誰かの役に立つようなことをしていきたいと思っているので、自分が獲った鮭を誰かが美味しく食べてくれたら嬉しいです。
 

効率を求める時代だからこそ、一つの命に丁寧に向き合っていきたい

荒川の手祭で村の特産品販売サポートをした際の写真
荒川の手祭で村の特産品販売サポートをした際の写真

中屋 仕事観や人生観を鮭に置き換えたのは感慨深いものがありました。 世の中にある他の事柄に結びつけて考えるときに、鮭の行動から学ぶことや教わることも多いのかもしれませんね。数十秒で情報を消化して生きていく中で時間の重みや、時間を重ねることに対する考え方は大切だなと改めて思いました。

松並 シンプルに一つの命と向き合うことから始めていくといいのではないかと思っています。効率を求める時代になった結果、 破滅的な経済になってきているのではないかと疑問を感じている人は増えていると思っていて。パタゴニア時代も「消費自体を抑えていかないと意味がない、要らないものを買うんじゃない」と話はよくしていたのですが、どこにお金をかけていくのかが今後問われていくと思います。

今キャンプが流行っているのは、時間をかけることに価値を置く人が増えてきた結果だと思うんですよね。鮭の話はテーマとしてわかりやすいので、日々の選択肢を少しでも考えるきっかけになればいいなと思っています。
 

体験には何があった?

地域おこし協力隊の受け入れをしている鮭川村役場むらづくり推進課のアットホームな仲間たちとの写真
地域おこし協力隊の受け入れをしている鮭川村役場むらづくり推進課のアットホームな仲間たちとの写真

松並さんが鮭川村に移住を決めたのは今までのさまざまな体験が重なったことと、鮭川村の温かい人柄に魅了されたことがきっかけ。人との繋がりを大切にする松並さんだからこそ、鮭川村の次の世代に伝承していく文化や、お互いに助け合って生きてきた土地特有の温かさが一つのピースとして繋がったのではないかと感じることができました。

好奇心旺盛さを武器に新しいことに挑戦していく姿勢、過去の経験をプラスに捉えて進んで行けるからこそ、点と点が繋がり、偶然から必然へと運命が変わっていったのではないでしょうか。

過去や未来に目を向けるのではなく、今を懸命に生きる松並さん。人生の先輩たちや鮭から学んだ生命の重み、感謝と敬意を忘れずに一つの命に真剣に向き合う大切さ、鮭を通じて感じる世界の見え方について今一度私たちも考えるきっかけを与えられたような気がしました。

松並さんがTRAILSにて連載を行っている記事はこちら
TRAILS環境LAB

文・木村紗奈江

【体験を開発する会社】
dot button company株式会社

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