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連載 | 田中康夫と浅田彰の憂国呆談

憂国呆談 season 2 volume 116

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京都にあった元・遊郭『五條楽園』の町家をリノベーションした宿泊複合施設『UNKNOWN KYOTO』を訪ねた田中さんと浅田さん。その昔、田中さんが「知られざる京都」で体験したディープな思い出を懐かしみながら、カルロス・ゴーン問題やアフガニスタンで亡くなった医師・中村哲さんのことについて語り合った。

目次

『UNKNOWN KYOTO』から、
銃撃された中村哲さん、
日本政府の「冷たさ」、
日本の「人質司法」まで。

元・遊郭『五條楽園』は、まさに、知られざる京都。

浅田 今日は京都市の河原町五条の南東にあった元・遊郭『五條楽園』に新しくできた『UNKNOWN KYOTO』に来てる。1階にはコワーキング・スペースや飲食店、2階にはこの2月に営業開始予定のゲストハウスが入ってるとか。

田中 女将役の菊池怜子さんによれば、この建物は築100年以上。敗戦翌年の1946年にGHQが公娼廃止指令を出した後も、売春防止法が施行される1958年まで「赤線」として営業を続け、その後も『五條楽園』と名前を変えて、大阪市西成区の飛田新地や生野区の今里新地といった“ちょんの間”とは微妙に異なる営みを続けてきた。店仕舞いして荒れ果てていた空間を、当時の雰囲気を残しながらリノベートしたようで、欧風な雰囲気の外観でカフェーを営んでいた名残も感じられる。いかにもその手合いの「お茶屋」でなくカフェーの女給だと見せかけて、実は2階の小部屋で秘め事を行っていたと。

浅田 他方、10年くらい前まで売春を続けてた店もあったらしく、普通の京都人はあまり来ない地域だった。田中さんのほうがよくご存じでしょう?

田中 実は1987年に極めて得難い体験をした思い出深い場所なんだよ。高瀬川の左岸に当時、指定暴力団『会津小鉄会』の本部事務所があって、後に5代目会長となる図越利次組長の自宅も近くにあった。図越組長が「ラルーナ」と名づけたプレジャーボートを琵琶湖に停泊させていて、「ラルーナ」のステッカーを車に貼っていると駐車禁止場所に車を停めても反則切符を切られないらしい、強引に横入りしてもクラクションを鳴らされないらしいと親密だった女子大生から京都の「都市伝説」を聞いた僕は、『朝日ジャーナル』で連載していた「ファディッシュ考現学」に書いたの。しかも『源氏物語』以来の長い歴史を誇る京都では、そうした方々のご子息とも、“ええトコ”のお嬢が、おおっぴらにおつき合いするのも驚きだとね。

 すると会津小鉄会の理事で2次団体・荒虎千本組の三神忠組長から「田中はんか? あんたえらいことしてくれましたなあ」と自宅に電話がかかってきて、東京・千代田区紀尾井町にあった『赤坂プリンスホテル』の客室に呼び出された。人のよい町工場の親爺さんみたいな風貌で、「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。わしらは何言われてもかまわへん。けど、図越さんの息子さんは堅気やで」と理詰めで畳みかけてくる。

 今にして思うと、西の山口組、東の住吉会、稲川会をはじめとする全国の広域暴力団の仲裁を取り持つ“京都の公家”として存在感を高めていた会津小鉄会の、彼は神出鬼没なヘンリー・キッシンジャーみたいな渉外担当を務めていたんだね。『ソトコト』読者は「日本皇民党事件」や「東京佐川急便事件」で検索すると、永田町を巻き込む一連の醜聞の収拾にも三神さんの名前が見え隠れしているのがわかると思う。

 「ほな、今度は京都にも来てもらおうか」と言われて出向いた二条城近くの『京都全日空ホテル』で強面の別の理事に「どういうことや。頭下げてすむと思うてんのか」とロビー・ラウンジで2時間近く詰問され、「まあまあ、田中はんも反省しておんのや」と横で三神さんが仲裁役を務めると(苦笑)。その後、僕は京都のガールフレンズと会うのは大阪や神戸にしていたんだけど、数か月後に『京都東急ホテル』での講演が入って、すると前日に「不義理してましたなあ」と三神さんから電話がかかってきた。講演後に僕は彼の先妻との間の娘さんが運転する車で『五條楽園』の本部事務所に連れて行かれる。すると2階の大広間に、今出川通にある大学を卒業した図越さんのご子息と、彼が勤める『KTM』という会社の社長が座っていて、「ほらみぃ、堅気やろ」と言うのね。僕が「はい、おっしゃるとおりであります」と答えながら目が合った息子さんは微苦笑しているの。実は“情報源”だった北山通沿いの女子大に通う彼女とも彼は昵懇の仲で、勤務先は「京都土地問題」の頭文字を並べた地上げの会社だったんだ。

 これで一件落着かと1階に降りると、「そこで待っといて」と3人は足早に出て行ってしまう。歴代幹部の真影が掲げられた一室で「どういうことや! はっきり言わんかい、誰が間違っとったんや」と若い衆にド突かれていると電話が鳴って、「会長がお呼びだ。その先の立派なお宅だ」と命令される。すると「いい勉強になったやろ」と三神さんが笑いながら玄関先で出迎えてくれて、部屋に通されるとホテルで会った強面の理事も息子さんらと一緒にコタツでミカンを食べていた。「わしがラルーナや」とチャンチャンコを着て登場した図越組長は、「ステッカーのラルーナはの船の名前やない。知り合いの女性が祇園でやってる喫茶店の名前や」と表向きの絵解きをしてくれる。なんか話が長くなっちゃったけど、続けてもいい?

浅田 どうぞ、どうぞ。田中さんから初めて聞くよ、この話。

田中 90年代末に『週刊SPA!』で連載して単行本化した『一炊の夢』で4章にわたって書いているから興味のある方は古本屋で探していただくとして、しばし歓談して帰ろうとすると、確か京都五花街の芸妓出身の年若い奥さんが赤ちゃんを抱いて現れて、分厚い封筒を図越組長に手渡す。「いえいえ、これは」と固辞すると、「京都までお越しいただいたホンの印ですわ。の気持ちを無にしてはあきません」と“人の道”を説かれてしまった。

 『東京プリンスホテル』の地階にあった『西武PISA』で、封筒の中身と同額分のエルメスの食器を三神さんに贈ったら彼が亡くなるまで盆暮れの品が届いて、こちらも信州のリンゴなんぞを返礼して、だけどさすがに「住吉会の奥さん方が田中はんと銀座で食事したいと申してますわ」といった電話には「遅筆で原稿が終わらなくて」と方便を返したのも90年代初頭までの懐かしい思い出。

 実は京都・山科区で産業廃棄物と“街金”の仕事を生業としていた三神さんは、バブル崩壊後、94年の真夏に三神家の墓碑の前で旧・ソ連陸軍のトカレフをこめかみに当てて拳銃自殺する。あとで祇園町のお茶屋のお母さんから聞いたけど、都をどりの切符が捌ききれないと芸妓に頼まれると数十枚単位で引き受け、今月の売り上げが足りなくてとクラブの娘に泣きつかれると同伴出勤した、優しい彼のドライアイスを敷き詰めた亡骸の前で、数多くの芸妓やホステスが泣き崩れたらしい。でも、葬儀には組関係者は誰一人として訪れなかった。任侠の世界では、抗争で亡くなるのは殉職だけど、自害は最も恥ずべき行為なんだね。自裁を殊更に美化する日本の文化との大きな違いでもあると。

浅田 ディープな話だねえ。1992年にいわゆる暴力団対策法が施行されてから、全国的に暴力団の構成員の数が減ってきた。近年では山口組も分裂、関西で抗争が激化してるけど、95年の阪神・淡路大震災のあと神戸港の比重が下がり景気が悪くなったのも遠因じゃないかな。

 他方、組に所属しない中途半端なチンピラ、いわゆる「半グレ」(「半分グレた愚連隊」ならいいけど、半分黒がグレーなんで、どうも座りの悪い呼称)が増えた。「オレオレ詐欺」じゃ済まず、電話で在宅してるとわかった家に押し入って強盗するとか、以前ならボスに止められたようなことをやるから、むしろ怖い面も。

田中 世界最古の職業は泥棒と売春と博打。善くも悪くも人間が人間であるかぎり、根絶はできない存在だ。そこで24時間営業の暴力団が、サラリーマンの警察では手に負えない案件を引き受け、かつては上場企業も汚い処理を彼らに任せていたのも事実だ。

迷走するカジノ問題、日本の「人質司法」。

浅田 もちろん暴力団はよくない。ただ、堅気と極道が棲み分け、極道の中でも若い者の暴走を抑えて暴力団同士が棲み分けるってのも、ひとつの知恵ではあったのかも。今西錦司の言うように、チャールズ・ダーウィンの進化論を誤解するとすべての生物が常に食うか食われるかの生存競争を闘ってるように見えるけど、生物同士はおおむね無関心、まともに目が合えば喧嘩になりかねないから、目を合わせずにすれ違う、そうやって棲み分けるんだ、と。

田中 里山が、人間が暮らすエリアと野生動物のエリアの棲み分けを可能にしていたように、緩衝帯としてのバッファが必要なんだよ。そうした先人の知恵を軽視するから、東京の国立駅前にイノシシが出てきたり、冬眠前の餌を探していたクマの親子が北海道で特急列車にねられて死んじゃったりする。人間の戦争だって非武装地帯があるんだからね。

浅田 南北朝鮮間の非武装地帯は生物多様性がすごく豊からしい(苦笑)。他方、博打って言えば、日本じゃIR担当副大臣だった秋元司衆議院議員(自民党)がカジノに一枚噛みたい中国企業からの収賄容疑で逮捕、下地幹郎衆議院議員も同じ企業からの献金を政治資金報告書に記載してなかったと認めて『日本維新の会』を離党した。ほかの政治家にも広がりそうだ。利権の塊であるカジノIRが成長戦略の要(苦笑)っていう安倍政権への打撃は小さくないと思うよ。

田中 ハコモノさえつくれば千客万来という前世紀の思考回路が痛すぎる。人口減と高齢化を乗り切るにはカジノで活性化しかないと横浜の女性市長は市民説明会で大見得を切ってるけど、人口減少社会ニッポン全体で何百個必要なのよ(爆笑)。

浅田 あと、保釈中の元・日産会長カルロス・ゴーンが、民間軍事会社の元・特殊部隊隊員を雇い、音響機器のケースに身を潜めてプライヴェート・ジェットに乗り込みレバノンに逃亡した事件は、グローバル資本主義のエリートの世界が無法地帯すれすれだってことを露わにした。特権階級だとまともに荷物のチェックもしないんだから。日本は、被告人を延々と拘束し、取り調べに弁護士の同席を許さない「人質司法」の国だって知れわたったかと思うと、今度は、保釈された被告人に在留カード(許可証)に代えてパスポート(鍵付きのケース入りとはいえ)を携帯させてたって間抜けぶりを露呈。ゴーンがレバノンで記者会見を開くって言ったら、東京地検特捜部が2019年4月の証人尋問での偽証を理由にゴーン夫人の逮捕状を取ったって発表するとか、会見直後、午前1時に森まさこ法相が記者会見で反論するとか、いつもは超然たる態度を気取る連中の異例の慌てぶりを見てると、いかにも安倍政権らしいって感じがしちゃうな。しかもその会見で「潔白というのなら司法の場で無罪を証明すべきだ」と発言、「有罪の立証責任は検察官にあり、被告人に無罪の立証責任はない、この原則を無視した司法制度の国だから、間違えたのも容易に理解できるが」とゴーンのフランスの弁護士に皮肉られる始末。

田中 妻との面会すら認めない極東の「先進国」で彼が暮らしていた東京・港区麻布永坂町の借家前で監視と尾行を請け負っていたのが日本シークレット・サービス。4人の顧問全員が警察庁長官、警視総監OBで社長は元・鳥取県警本部長。しかも顧問弁護士が東京地検特捜部長OB(爆笑)。さらにスパイ行為を依頼していたのは、全役職から彼を解任した日産自動車だったと『週刊新潮』『週刊文春』が報じた。これっぽっちも報じない「“誤送”船団」記者クラブの新聞やテレビは睡眠導入剤を大量投与されているのかね(苦笑)。それにしても『ルパン三世』も『ピンク・パンサー』も顔負けの逃避行の行程。「グリーンベレー」で知られるアメリカ陸軍特殊部隊OBと待ち合わせをしたのが六本木ヒルズの『グランドハイアット東京』。年末年始に連泊していた安倍晋三首相がゴルフに出かけている合間の出来事(苦笑)。しかも品川駅まで徒歩で移動したらしい。日仏自動車会社のトップを務めた人物は、有言実行のグレタ・トゥーンベリちゃんも有言「不実行」の小泉進次郎環境大臣も脱帽する持続可能なSDGsの実践者だった(爆笑)。

銃撃された中村哲さんに、「冷たい」日本政府の対応。

田中 2019年12月、医師として、またNGO『ペシャワール会』の現地代表として、「100の診療所より1本の用水路を」とアフガニスタンで灌漑用水路を掘り続けた中村哲さんが銃撃されて亡くなった。「9・11」を錦の御旗に掲げてアメリカと有志連合国、ISAF国際治安支援部隊が侵攻したアフガニスタンで耕作地を失い、家族を養う収入を必要として傭兵となった戦闘世代の男たちも、耕作地が蘇ると作物の世話で忙しくなって破壊行為が激減したと英国の『フィナンシャル・タイムズ』は長文の署名記事を掲載し、農業の復興でそれを防ごうと命がけで現場で活動を続けた中村さんと違って、ワシントンの頭でっかちな「意識高い系」はヴェトナム戦争を泥沼化させた『ベスト&ブライテスト』(デイヴィッド・ハルバースタム著)と同じ過ちを繰り返していると断罪している。

 首都・カブールの空港で追悼式典が行われ、中村さんの棺をアシュラフ・ガニー大統領が担いでエミレーツ航空の機体に運び込んだ。なのに、成田到着時に首相も官房長官も外務大臣も出向かず、外務副大臣レヴェルの対応で済ませ、福岡市での告別式にも日本政府からは供花も弔意も届かなかった。皇后が自身の56歳の誕生日に「とても残念なことでした」と言及し、親交のあった上皇と上皇后、秋篠宮ご夫妻も遺族に弔意を伝えたのにね。後出しジャンケンで仕事納めの12月27日に官邸で旭日小綬章と首相感謝状を遺族に手渡してもねえ。ガニーは韓国の基文が選出された2006年の国連事務総長選にも立候補した世界銀行出身の野心家でパフォーマンスに長けた政治家。でも、それとこれとは別問題。一国の大統領が送り出した亡骸だよ。プロトコールと呼ばれる国と国の外交儀礼に背いている。その一方で首相夫妻はサウジアラビアで民族衣装に身を包み、ジャマル・カショギ惨殺の「首謀者」と非難されたムハンマド・ビン・サルマン(Mbs)皇太子と会談し、エミレーツ航空がドバイに拠点を置くアラブ首長国連邦とオマーンにも1月中旬に訪れたけど、その対岸のアフガニスタンや「親日国」であるイラン、さらにはそのイランとも独自外交を築くカタールには足を延ばさなかった。日本の外務官僚は外交音痴だねえ。

浅田 大島理森衆議院議長は本会議で哀悼の意を表して黙祷してたね。

田中 大島議長は血の通った政治家だからね。中村さんが亡くなった際に思い出したのが、2019年11月に来日したローマ教皇フランシスコが「NGOはダメだ」と言っていたこと。「出かけていく教会」を実践する彼なのにと意外に思っていたら、中村さんも「欧米からのNGOの幹部はSPをつけて、立派な家に住み、ちょっと危なくなるとお金を持って帰国する」と述べていたのを知って得心した。最初は高い志を持って活動を行うNGOも、やがては政府の後ろ盾がないと活動は困難と公然と言うようになり、何億円もの補助金をもらうようになる。教皇フランシスコの言葉もそこだけ切り取ったらとんでもない言葉なんだけど、常に現場に身を投じた中村さんの著書を読むと、その真意が伝わってくる。

浅田 NPO法ができたのはいいけど、基本はできるだけ国家に依存しないってこと。「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が右翼から攻撃された件で、問題が起こりうることを事前に認識してたのに申告してなかったって理由で文化庁が採択済みだった補助金の不交付を決定。それが通るなら、今後、問題が起これば(事前にその可能性を議論したことがなかったと証明できないかぎり)補助金を取り消せることになるわけで、大問題だよ。ただ、その後、広島県尾道市に近い百島で柳幸典がやってる「アートベース百島」で、「表現の不自由展・その後」の出品作家である大浦信行や小泉明郎の作品を含む「百代の過客」展が堂々と開催された。あれは尾道出身の中尾浩治・『テルモ』元・会長が資金面でサポートしてるからなんだね。実を言うと、大浦はアメリカで日本人としてのアイデンティティを探ってるうち、「内なる天皇」が浮かび上がってきて、それで昭和天皇の写真を素材にしたコラージュ(その自作を燃やすヴィデオが問題になった)をつくった、と。小泉も三島由紀夫に倣った腹切りパフォーマンスをやってる。自身、『犬島精錬所美術館』で三島をテーマにした柳が彼らを選んだのも無理はない。つまり彼らは右翼と通ずる感性を持ってるんで、ぼくはむしろそこに批判的なんだけど、「あいちトリエンナーレ」よりきちんとした形で展示されたこと自体はよかった。そういうことを可能にする民間のイニシアティヴが大事なんで、国は寄付を免税にするといった形の支援を進めるべきなんだ。

田中 本当だね。なのに、それだと天下りや政治献金を含めて旨みがないんだね。いやはや。

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