今、SDGs(持続可能な開発目標)が注目を集めています。2015年の国連サミットで採択された、持続可能な世界を実現するための17のゴールと169のターゲットからなる国際目標です。その交渉にも関わられた前・国連日本代表部特命全権大使の吉川元偉さんと、編集長・指出が、SDGsと地方創生、SDGsと若者たちというテーマで話し合いました。まずは、一般の人にはなじみが薄いかもしれない国連大使とはどんな仕事を行っているのか、指出の率直な質問から対談はスタートしました。
国連大使って、どんな仕事をするのですか?
指出 吉川さんは2013年から16年までの3年間、国連大使を務められました。一般の私たちにはそれほど身近ではない国連大使、一体どんなお仕事をされているのでしょうか?
吉川 国連大使は、日本を代表して国連で外交を担当する外交官です。ただ、国連は国と違って国民がいません。領土もなければ、税金を徴収するわけでもありません。国連の大使の役割は漠然としているのですが、けっこう忙しい毎日を過ごしています。まず、さまざまな国際会議に出席します。机に「JAPAN」の札を立て、日本の考えを述べます。それから、朝、昼、晩と頻繁に食事会が催されます。私は公邸で年間200回ほどの食事会やレセプションを開きました。
指出 年間200回! すごい数ですね。
吉川 はい。日本側から招待すれば相手国から招待もされますから、出席回数はさらに増えます。そんなふうに会議で意見を述べたり、食事会を開いたりする本当の目的は根回しをすることです。
指出 根回しですか?
吉川 例を引いて説明しましょう。日本は毎年いくつかの決議案を国連総会に提出します。重要なのは、北朝鮮の人権状況を非難する決議案です。北朝鮮の人権問題を改善させようと、拉致問題も含めた決議案をつくり、さまざまな国に「賛成してほしい」と根回しを行います。投票に持ち込まず、全会一致で採択されるように働きかけるためです。
私が大使の頃、安全保障理事会のメンバーになるための非常任理事国選挙が行われました。当選するためには国連総会の3分の2、つまり193か国中127か国の賛成票を得る必要があります。私の時は幸い184票を取って当選しました。選挙に勝ち、発言権を獲得することも国連大使の大きな仕事です。そのために数多くの食事会を開いたり働きかけに出向いたりしています。
さらに、分担金についても。日本は分担金をできるだけ減らしたい立場なので、国連予算が肥大化しないようアメリカ、EUなど他の先進国と一緒に予算を抑制する方向に持って行きます。一方、途上国は分担金が少ないので、予算を肥大化させようとします。先進国と途上国の間で厳しい交渉が行われるわけです。
指出 非常に戦略的で、デリケートな国家間の取り引きが繰り広げられていることは想像に難くありませんが、そうした交渉術はどうやって学ばれたのですか?
吉川 今、アメリカと日本の間で貿易交渉が行われています。二国間で行われるバイラテラルな外交交渉です。二国間交渉は相手が一人ですが国連の仕事は多国間、つまり多くの国を同時に相手にする交渉がほとんどです。交渉が上手くなるには、経験を積み、場数を踏むしかありませんが、大事なことは交渉相手と信頼関係を築けるかどうかです。
最重要課題は北朝鮮の核実験への対応
指出 国連大使の在任中、もっとも難しかった交渉は何ですか?
吉川 北朝鮮の核実験への対応でした。2016年1月、北朝鮮は約3年ぶりに4回目となる核実験を行い、2月には弾道ミサイル発射実験も行いました。日本はそのとき、国連安全保障理事会で選挙に勝ち、1月1日から理事会の席に座ったばかりでしたが、2か月間ほどかけて安保理決議第2270号をつくりました。核開発計画を放棄するよう呼びかけつつ、北朝鮮からの資源や製品の輸入制限や北朝鮮への輸出制限、資産の凍結などを決め、制裁措置を強めました。この決議は、私が国連大使を務めていた期間の最大の結果でもありますが、北朝鮮核問題はまだ解決に程遠いです。
指出 吉川さんは当時、北朝鮮メディアから呼び捨てで批判されていました。北朝鮮からすると吉川さんの調整能力が「やっかい」だったことが理解できます。
吉川 北朝鮮は私ぐらいの人間だと名指しで批判してきますが、首相や外務大臣レベルの人物は滅多に批判しません。それは、相手を批判したことで自分たちの親分である朝鮮労働党委員長を名指しで批判されるのが怖いから。トップである米大統領が委員長のことを「リトル・ロケットマン」と揶揄したことがありましたが、北朝鮮にとっては対面を汚される一言でした。
指出 日本海側の自治体とお仕事をする機会に若い人たちと話をすると、北朝鮮の拉致問題がよりリアルなこととして受け止められます。国際的にも解決すべき問題が地域にはたくさんあることが理解できます。
吉川 拉致問題について、日本は北朝鮮との二国間で解決しようとしてきましたが、1990年代に日本政府は拉致家族の要請もあり、拉致問題を国際化する方向へ踏み切りました。拉致問題の国際的な認知を図ることによって世界的な運動に位置づけようとしているのです。小泉純一郎元・首相が訪朝した際のピョンヤン宣言に基づき、日本はいずれ北朝鮮と国交回復し、植民地支配の謝罪と経済協力を行うことになるでしょうから、そのときに核、ミサイル、拉致問題の解決と日本の経済協力をパッケージにしたいと考えています。外交の結果、米朝は直接交渉に踏み切りました。日本としても中断したままになっている拉致問題の交渉を再開したいという思いは強いでしょう。
指出 二項対立では解決しないことをマルチに組み合わせることで解決しようというのは地域課題も似ている気がします。高齢化と人口減少を解決するために移住者を増やすべきという単純な考え方では解決しないでしょう。人口減少を嘆くばかりではなく、地域を俯瞰したり、マルチな視点で地域を見つめ直したりする姿勢が、ローカルをより元気にするためには必要だろうと改めて思いました。