閉じられた瞳、かすかに開いた唇。なにかの途中のようなしぐさ。いわゆる目線がある、被写体と対峙するようなポートレートとは違うため、なにも知らずに見ると、このさまざまな年齢、人種の人たちは、いったい何をしているのだろうと、謎に包まれる。
カリフォルニア州オークランド在住の写真家・兼子さんの『APPEARANCE』は、「歌う人」を写した写真集だ。兼子さんが歌う人を撮影し始めたのは、自身が病気を患っていたころ、“子ども”が放つエネルギーに惹かれて、子どもの歌う姿を撮りたいと思ったことがきっかけだった。それからしばらくして、歌を歌い表現する人の、感情の発露の瞬間をとらえたいと、大人をも含めて撮影するようになったという。
2010年から10年間、撮り続けてきた写真に登場するのは、兼子さんが日常の中で出会った人たちだ。被写体は自宅や本人が指定した場所で、好きな歌を好きなように歌う。歌の世界に没頭して情熱的に歌う人もいれば、まるで過去や未来を想うような表情を見せる人もいる。写真家はその感情と呼応するように、シャッターをそっと切っていく。いろいろな人が、歌を歌うことで解放されていく瞬間のポートレートは、とてもすがすがしい。
ひととおり写真を見た後は、写真に添えられた歌のタイトル(多くは洋楽)をYouTubeで検索してその曲をかけながら、この人にとってこの曲は、どんな存在なのだろうと、歌っているシーンを想像して見返すのも楽しいだろう。写真家がつくり出した、ささやかでかけがえのない空間の広がりを感じながら、自然と被写体に心を寄せてしまう作品だ。
写真集『APPEARANCE』
(著者:兼子裕代/青幻舎)