立原道造という人物をご存知だろうか。24歳の若さで夭逝した詩人であり、詩作を重ねる一方で、建築を真剣に学び東京大学で3年連続最優秀賞を取るなど抜群の成績を収めていた。その言動は、1学年下の丹下健三にも大きな影響があったとも言われている。分離派建築運動を起こした石本喜久治の設計事務所に入所し2年足らずでこの世を去ってしまったので、立原の建築の実績は極めて少ないが、彼が遺したスケッチをもとに実現した「ヒアシンスハウス」という建築がある。5坪ほどしかないので、小屋と呼ぶべきものかもしれないが、立原が自身のために考案したこのささやかな建築に、私はいまとても惹かれている。
「ヒアシンスハウス」が実現して以来、立原の建築家としての可能性に言及する企画が増えているが、その中でも白眉なのが建築家・鈴木了二氏によるものだ。氏は立原の建築を「寝そべる建築」であると評している。ギリシャ以来「立ち姿」ばかりを求めてきた建築の理想とは違う「寝そべる姿」を、鋭い感性から立原は追い求めていたのではないかというのだ。
立ち姿を理想とする場合、建築には記念碑性やシンボル性が求められてくる。だから立ち姿を求めた建築ばかりが建つと、それがどんなに美しくとも全体は息苦しくなってしまう。それに対し、「寝そべる建築」は、違う理想像を目指す。美しい形をつくるのではなく、日常を生きていく真摯な時間を形にしていくのだ。そして、それを環境にゆっくりと溶け込ませる。そうした「寝そべる建築」の試みは、建物を建てるのではなく、環境を「立てて」いくことにつながる。「ヒアシンスハウス」の内部空間は驚くほど簡素である。しかし、おそらく立原が主役であると考えたのは建築ではなくて、周りの環境であり、森の木々や風や光を美しく感じとる我々の時間や意識であろう。
『ヒアシンスハウス』
住所:埼玉県さいたま市南区4丁目12-10 別所沼公園内
施工年: 2004年