こんにちは、「海苔バナ」です。前回の記事(ガレージセール)から生まれた妄想は、オープンダイニング! 「住み開き」って聞いたことありますか? プライベートな空間である自宅の一部を開放して共有すること。一緒に暮らす家族もいるので、自分だけの意思で「住み開き」はできないのですが、ダイニング限定で開放できるように計画中。
なんで“オープンダイニング”なの?
私は同居している父と仲が悪い。
Uターンしてから遠慮のない親子ゲンカを何度もしている。それでも同居を解消しないのは、父に「一人でごはんを食べてほしくない」と思っているから。まだまだ元気な父は「お父さん一人で大丈夫」って言うけれど、20年以上ひとり暮らしをしていた私は知っている。
一人で食べても楽しくない。
どんなに美味しいものも、一人で食べるとさほど美味しさ味わえない。
だんだん、お腹さえ満たされれば食べるものはなんでもよくなってしまう。栄養が偏ると体の免疫力も落ちるし、脳にも必要な栄養が届かなくなるし、体が弱ると思考もネガティブになりそう。みんなで食べる場が欲しいから、“オープンダイニング”をする。
東京でひとり暮らししている時は、提供する場所を持っていなかったので考えもしなかったけれど、実家にUターンしたら場所ができた。父に「こういうことをやりたい」と説明したけれど、「お父さん知らない人が家に出入りするのヤダ」っていう。
たしかに、今の家ではごはんを食べるスペースとキッチンが一体で、ダイニングに人を招こうと思うとプライバシーの確保は全くできない。なので、父の居室を確保したり、動線を考えながら家を改造することにした。荷物を減らしたり家具も動かしたりしながら、かなり大掛かりな改造計画。
誰のためのダイニング?
単身のお年寄りだけじゃない。子どもも単身赴任中の人も誰でも。ひとり暮らしに限らず、家族がいても「お昼ごはんだけはいつも一人でつまらない」っていう人もいると思う。「一人である」ということが参加条件。大勢で食べると楽しくなるので、結果的には私が楽しむための場。
「社会問題の“孤食”の解決を目指す」とか、あまりピンとこない。結果的に「ここにごはんを食べに来るの楽しい」と思う人が1人、2人と増えていったらそれはそれで。「続けなきゃ」って思いながらの運営は楽しくないし、私はボランティア精神を持ち合わせていないので「誰かのため」って思うと急にやる気なくなる。
食べるものはどうするの?
私はひとり暮らしをしていた時は週7で飲み歩いていた。料理を作るようになったのはここ4年くらい。作るのは楽しいけれど得意ではないし、「手料理を誰かにふるまいたい」という願望はない。なので、お料理の提供はできません。うちは食堂とかでなく、普通の自宅だし。
最初は買ったものの持ち寄りでもいい。まずは「気が向いた日は誰かとごはんを食べる」という場を作りたい。ある程度人が集まれば、自然に「材料費を参加者で割り勘して何か作ろう」って話になると思うので、食べるものをどうするかはもっと後で考えればいい。
お料理の提供がなければ、近所の飲食店ともバッティングしない。「たまには出前をとってみんなで食べる」でもいいかな。
近所でお料理が得意な方とかいたら、作り方を教わりながらみんなで作るのもいいななどと妄想しながら、やりたいことを実現するために仕事や家事の合間にせっせせっせと改造準備。
私はどうしたって人が好きなんだなって思う。