山形県・朝日町のPRキャラクターである桃色ウサヒは、僕が大学院の時にデザインしたゆるキャラ(ご当地キャラ)です。卒業制作でもあり、自分が山形へのUターン移住したきっかけでもあり、今も現役で稼働しているこのキャラクターが昨年、朝日町の自治功労賞・感謝状進呈式で17年間の活動を表彰されました。ブームとしては去ったゆるキャラですが、だからこそ、今まだこの令和の時代をサバイブしているこのゆるキャラについて語ろうと思います。
ゆるキャラが大好き
「ゆるキャラ」ってキーワードを多くの人が耳にするようになったのは、きっとくまモン(熊本県)や、ふなっしー(千葉県船橋市・非公認)が多くのメディアに登場してきたタイミングだと思います。だいたい2010年から2014年頃の出来事になりますが、あの時はいろんなテレビや印刷物にゆるキャラが登場していました。
ちなみに、ふなっしーが大ブレイクのきっかけとなった情報番組『スッキリ』の放送回(2013年2月)には、僕も山形から駆け付けたファンとして登場していたりします。
その一方で、使用権問題で和解まで10年以上を要したひこにゃん(滋賀県彦根)や、有名彫刻家のデザインが不適切かどうかで賛否を巻き起こしたせんとくん(奈良県)、行政職員による人気投票での組織票が問題視されたこにゅうどうくん(三重県四日市)など、ネガティブな衝突のニュースとして報じられることもあり、一時期ブームに合わせて過剰に制作されたキャラクターたちを見て、地域活性化にとってのゆるキャラには懐疑的な方もいらっしゃるかもしれません。
「ゆるキャラ」というワードはみうらじゅんさんが生み出した言葉です(2004年に商標登録)。
郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。
立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。
愛すべきゆるさを持ち合わせていること。
という3箇条が定義づけられています。僕がゆるキャラにハマったのは、テレビチャンピオンという番組の中で、ゆるキャラ同士が自治体の威信をかけてバトルする運動会の放送を見たのをきっかけでした。機動性が高くないキャラが本気でぶつかり合う様を見て一気にゆるキャラに魅せられ、大学院の2年になった2008年にはゆるキャラを使った研究を卒業研究のテーマにすることを決めました。
ゆるキャラを「使う」、ゆえの「無個性」
ゆるキャラを作る研究と、ゆるキャラを使う研究というのにはだいぶ違いがあります。前者は郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性をいかに盛り込むかという「デザイン」が主軸ですが、後者は実際キャラクター(ここでは着ぐるみ)を運用して「効果を測る作業」が主軸です。キャラを使って地域で何をするかもポイントになるのですが、僕はそれを「タウンプロモーション(地域のPR)」に設定しました。
そしてさらに、「無個性な着ぐるみキャラ」でも地域のPRはできるのではないか? という仮説を立てて研究に取り組むことにしたのです。
ウケ狙いに無個性に設定したわけではありません。ゆるキャラの原則である郷土愛に満ちたメッセージ性というのは、見た目に必ずしも反映させる必要はなく、むしろ着ぐるみのデザインからそれを排除した動きやすい着ぐるみを用意し、特産品や観光スポットの現場に赴き、作業や活動のお手伝いをしながら情報発信した方が、写真や動画として面白いコンテンツになるのではないか? と考えたからです。
多くのゆるキャラは、地域の特産品や歴史を前面に押し出した、いわば“個性”の塊のような存在です。それはそれで素晴らしいのですが、どうしても既視感があり、コンテンツにした時のインパクトに欠ける。もっと違うアプローチがあるのではないかと考えた末の仮説でした。また、個性があまりなく自由度が効くゆるキャラのデザインの方が、地域住民とコミュニケーションをはかるなかで、改造のアイデアや、創造的なアドバイスを誘発できるのではないかという目論見もあります。
こうして生まれたのが、朝日町が育んだ圧倒的無個性がキャッチコピーの「桃色ウサヒ」です。
ちなみに、山形県・朝日町を選んだ理由は、僕が山形県の東北芸術工科大学の院生だったので、山形で実験を受け入れてくそうな自治体を探していくなかで、「あ」行から順番にあたった一番目が朝日町だったからです。
結果的に、この実証実験の面白がり関わってくれる方が増えたため、半年ほどの研究期間で成果は好評。特に手応えを感じた朝日町役場の町長および職員さんから、朝日町で仕事を用意するから戻ってこないかとオファーがきました。それは僕が桃色ウサヒで修士論文を書いて卒業し、神奈川県でサラリーマンになってから1年後のことでした。
人生で「ゆるキャラのために仕事辞めてくれないか?」と言われることは二度とないだろうと感じて、当時できたばかりの総務省の新制度「地域おこし協力隊」の隊員として2010年10月、僕は着ぐるみをやるために山形にUターンしたのでした。
無個性でも地域のPRはできる! 作ることより使う人が大事
Uターンしてきても、その半年後に大きな地震があっても、桃色ウサヒの基本スタンスに変化はなく、無個性な着ぐるみが地域の取材をして、その模様をWEBサイトとSNSで発信する。そんなPRをコツコツとやってきましたが、だんだん地元のTV局が報道してくれるようになり、知名度が増していきました。
特に大きな変化は2012年9月、桃色ウサヒの取り組みが『NPO法人ETIC』の「地域仕事づくりチャレンジ大賞」で総合グランプリを受賞したことです。研究の一環として始めた活動が社会的に評価されたことは、私にとっても自治体にとっても大きな喜びでした。
この賞の審査員の一人が、ソトコトの指出一正編集長。指出さんの著書「ぼくらは地方で幸せを見つける ソトコト流ローカル再生論」(ポプラ社)の中でもこの時の模様をとりあげてもらっていいます。受賞をきっかけに、全国メディアでも取り上げていただける機会にも恵まれ、様々な得難い体験をすることができました。
朝日町の音楽イベント「寺フェス」でみうらじゅんさんに会えたことも、
新年特番の全国放送でゆるキャラ同士を相撲させる企画があり、ウサヒが優勝したことも、
遊園地のイベントに呼ばれたら、お客さまがぜんぜんいなくて、そのことを発信したSNSが『Yahoo!ニュース』になったことも。
そうした17年間を経て昨年、冒頭の表彰状の授与がありました。数々の情報発信や住民と一緒にイベントやグッズを考案して世に送り出してきた活動、そして成果への感謝状であり、名前の欄には僕ではなく桃色ウサヒの名が記されていました。
僕だけでなく、関わってくれる町内外の関係者と一緒に育ててきたキャラクターとして表彰されたことがとても嬉しく、「これぞ、まちおこし」と実感しました。実験から生まれた桃色ウサヒですが、その成果としてはっきりと言えることが1つだけあります。
それは「ゆるキャラだけで、まちおこしはできない」ということです。
運用を考え、さまざまな形で楽しく実践してくれる人たちの存在こそが必要です。使う人がいて初めて地域振興の役に立つ。それがゆるキャラという存在です。
桃色ウサヒは無個性なキャラクターデザインをもってそれを実証してきましたが、無個性でもできることを証明しただけであって、個性があるとできないとは言っていません。むしろ見た目からご当地愛が伝わる優位性を活かした運用方法がたくさんあるはずなのです。
一時のブームのなかでさまざまなご当地キャラクターが生まれ、倉庫で年1、2回の稼働を持っているキャラも少なくありません。そんな今だからこそ、もう一度ゆるキャラの活用にもう一度チャンスを見出してほしい。そんな思いから今回は、今更ゆるキャラと題してコラムを書いたのでした。
みなさまの2025年が良い年でありますように。