北海道北見市の天気予報を見ると最高気温がプラス気温を示す日が多くなってきた。春らしくなってきたかなと胸が躍る。そろそろダウンコートもしまわなければと思っていた矢先、どか雪が降った。そこそこ積もるほどに、公共交通機関も麻痺するほどに。3月ももうすぐ終わるというときだった。
もう春になるはずなのにと下唇を出す。けれど、はじめて北見に訪れた5月に雪がちらついていたのを思い出す。北見で迎える初めての春これが日常になるのだと下唇をひっこめた。
美唄で知る北海道の非日常な日常
「いきまーす!」
高らかな宣言の直後、道脇の雪山にダイブしてはしゃいでいる陽気な女は私だ。
本物の雪にこれほどまでに浮かれるのは北海道に移住してからである。
2023年を過ごした北海道美唄市は豪雪地帯で、一晩にして膝上まで雪が積もるほどだった。
「いってきまーす」とドアを開けると目の前にあるであろう数段の階段が見えない。前に進めばハイカットのシューズなどすべて埋まる。膝下ブーツも危ういだろう。
非日常であった。靴の中にみるみる雪が入ってくるのもかまわない。ただふわふわと軽い雪に触れられる音が楽しくて、楽しくて仕方がない。ひたすら家の前で走り回っては誰もまだ踏みしめていない雪に足を突っ込んだ。

夜、外に出る。
車も人も歩いていない。ただ降り積もった雪が綺麗に続く道。たまに小さな動物の足跡だけがある。どこから来て、どこへ行ったのか。動物が通れる道へと続くその足跡を愛おしく感じる。
頬が痛い。ジンジンとした頬の痛みが自分の身体の熱を教えてくれる。
ああ、今私は生きているんだな。
何も生きられないようなこんな冷たく静かな空間で、心臓の脈打つ音が、浅い呼吸が命を感じさせてくれた。
鹿児島生まれの私にとって、雪は非日常だった。
あられが降れば「雪だ!」と叫んで「痛い痛い!」と言いながら浴びてははしゃいでいた鹿児島時代。少しでも積もれば仕事は休みになった。どこもかしこも通行止めになって、寒くてストーブから離れられない。生活が一時休止するような感覚があった。
北海道はあられじゃない。寒空の下、冷えたコートにぴたりとくっつく雪は解けずに一緒に散歩する。踏みしめるとサクサクと音を立て、重みでぎゅっと固まる。THE 雪。
美唄はどうやって生きていくんだと叫びたくなるくらい雪が降る。目の前が見えなくなるくらいの吹雪の中、歩いて目的地に向かうときは、鼻にも口にも雪が突撃してきて息ができない。「もうここで死んでしまうんだろうか」と思いながら顔面に延々と雪を浴びて、目的地に到着すれば生きて辿りつけたと安堵した。
こんなにとんでもないのに、このまちの生活は続く。仕事も休みにならないし、お店も当たり前のように開いている。雪は日常なのだ。鹿児島で桜島が噴火しても生活が止まらないように、北海道は雪が積もっても生活が止まらない。地域の持つたくましさに気づいたときは胸がくすぐったくなった。
雪も吸い込みながら深く息を吸う。私もこの非日常を日常に取り組んでいくのだ。

毎日、駐車場一台分を雪かきするだけなのに、30分以上もかかる。完全防寒して外に出ても、家に戻るときにはマフラーも外して汗をかいている。朝と晩、一日に二回雪かきすることもあった。下手だし、疲れるけれど大好きな時間だった。人一人しか通れない歩道で、譲り合いをして通り過ぎるときに「ありがとうございます」と笑ってお辞儀をする瞬間も好き。雪と共に生きる生活がいつも新鮮で、大変なこともたくさんあったけれどとにかく愛おしかった。
北見で雪の表情を知る
美唄で過ごす冬は一度だけになり、今度は北見の冬を過ごすことになった。はじめて雪が降った日、鼻歌交じりに雪を踏んだ瞬間、衝撃を受ける。
私の知っている雪じゃない!!!!
シャクシャクした、ふわっとしたかき氷が地面に広がるあの感触が雪だと思っていたのに。北見の地で踏んだ雪は……片栗粉。シャクシャクじゃない。キュムキュムしていた。パウダースノーというやつだと教えてもらった。道脇の小山を踏むと空気のようで、一瞬で足が沈んでいくスピードと軽やかさに何度も驚いた。

雪が降らない晴れた日は顔が痛いと思うほど寒く、逆に雪が降る日は少し温かい。
その日の天気によって踏みしめた雪の感触も違う。降る雪の大きさも違う。
美唄の雪で、雪を分かった気になっていた。甘かった。まだ何も知らなかった。
雪に表情があることなんて知らなかった。
これから違うまちに住んでも、そのまちの雪を知るのだろう。
そのまちのその日の雪の表情を感じるのだろう。
転勤族で、やっと心地よく暮らし始めたまちを離れないといけないことは毎度落ち込むし心が引き裂かれそうだったけれど、この雪が、少しだけ私に楽しみをくれた気がする。
北見はどんな雪解けを見せてくれるのか。春を見せてくれるのか。
外出時に見える山の景色を見て、これからも表情を窺うのが楽しみだ。
