MENU

ソトコトペンクラブ

まちなかの水辺空間

藤輪友宏

藤輪友宏

  • URLをコピーしました!

まちなかにある豊かな景色。今日は『まちなかの水辺空間』について書いてみようと思います。

目次

不意に出会った素敵な空間

一年前に職場の異動で豊岡市に単身赴任で暮らすことになりました。僕は知らないまちに行くと、ぶらぶらと気の向くままに歩きます。一年前の僕も豊岡のまちなかをふらふら歩いていました。春の日差しを浴びながら、初めて出会う住宅街を通り抜けると、ピンク色の木々と大きな青空に出会いました。

そこは水辺空間を生かした公園で、周りの土手には桜の花が数多く咲いていました。後で調べてみると、この水辺は近くを流れる一級河川円山川を改修する時に本流から分断されて、出来たそうです。その静かな水辺を生かして公園が作られました。また、桜の木々は地元の方たちの要望によって植樹されたことが堤防に建てられた記念碑からわかりました。

僕はこの場所が好きになり、ときどきお弁当を持ってご飯を食べたり、一人でのんびり過ごしたりしています。この場所に佇んでいると、「そういえば、大阪でも大好きな場所があったな」と思い出しました。それは大阪の中之島公園です。

この場所も大阪のビル群を通り抜け、不意に出会った空間でした。青い空と緑の木々に囲まれた水辺のほとりの空間は本当に気持ちのいい場所で、いろんな人たちがいろんな過ごし方をしていました。そんな人たちを眺めながら、ふらっと歩くのが好きでした。

なんで『まちなかの水辺空間』に魅かれるのか?

なんで僕が『まちなかの水辺空間』に魅かれるのかを考えてみたとき、三つの要素に気が付きました。

一つは、”水辺がもたらす空の広さ”です。

水辺空間は文字通り水辺なのでそこには何も建っていません。だからこそ、その空間は広さを持ち、空を大きく見せます。これは二つ目にも被ることなのですが、周囲の建物(住宅やビル群)の狭さが、水辺の広さを際立たせているんだろうと思います。海辺の公園も非常に開放的なのですが、僕にとっては空の広さをあまり感じることがありません。海辺が広すぎて、空を広く感じることが出来ないからだと思います。

二つ目は、”閉じた空間から開いた空間に出会う解放感”です。

一つ目の開いた空間とは対照的にまちなかにはいろんな建物があり、視界には人工的な構造物が数多く入ってきます。大阪のような大都会なら上から下まで人工物しか目に入ってきません。そんな閉じた空間から一気に開いた空間に入ることで、視界とともに心も一気に開放されるんだろうと思います。

最後は日常の隣にある異日常です。

まちなかの水辺空間は常に日常と隣合わせです。住宅地からは人の暮しを感じたり、ビル群からは都市の雑踏を感じます。そんな日常の雰囲気を感じながらも、水辺空間には日常と異なる”異日常”を感じることが出来ます。人里離れた場所でも日常と違う”非日常”を感じることが出来ますが、日常との距離感は結構はなれていると思います。一方で、『まちなかの水辺空間』は日常と近しい距離感を感じさせながら、日常ではない気持ちを味わわせてくれます。

社会と隣あわせにあるからこそ、『まちなかの水辺空間』は僕を惹きつけるんだろうと思います。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね
  • URLをコピーしました!