「お前のことは信頼できない」。
昨年の4月に九重町DMOが立ち上がって一ヶ月。
志高く飛び込んだ僕を待っていたのは、想像を絶する批判の嵐でした。僕が17年の自然保護を卒業して観光地域づくりに行った理由はこちら↓↓

「数年でなくなる」
「お前に何ができる」
「どうせ補助金団体だ」
「お前のことは信用していない」……。
あいさつまわりで受けた数々の酷評に、昨年のゴールデンウィーク頃に突然汗ばんで胸の動悸がしたり息ができなくなりました。
でも、足が震えるようなこわさで町を歩き、町の人の声に耳をかたむけ続けた時に気づいたんです。
向けられた厳しい言葉は、皆さんが必死に守ってきたこの町を、「これ以上傷つけたくない」「もう裏切られたくない」という、切実な祈りの裏返しなのだと。
なぜ今、批判を浴びながらもこの町で「組織」を語るのか。
その「本当の理由」を、少しだけ個人的な物語と共にお話しさせてください。
泥まみれで道を作る「九重のプライド」|豪雨の山で見た、無償の愛と覚悟
正直に言えば、僕に「期待しているよ」と静かに声をかけてくれたのは、ほんの一部の人たちでした。
僕はその人たちを、絶対に裏切ることができません。
忘れもしない、あのコロナ禍。そして令和2年7月豪雨。
お客さんが一人も来ず、誰もが目を伏せたくなるような数ヶ月。

僕が当時仕事でかかわらせてもらっていた大分県九重町飯田高原の観光事業者の皆さんは、いつ明けるともわからないコロナ禍の状況の中、無償で自らの手で登山道を整え、園地や公共駐車場の草を刈り、野焼きでは20kg以上にもなる水の入った袋を背負って高低差300mもある山の中をはいずりまわっていました。

それに追い討ちをかけるように起きた令和2年7月豪雨。
自らも被災したにもかかわらず水害でズタズタに傷ついた登山道を毎日のように一人黙々と直しているあの人は言いました。

「また九重を愛する人が来たときに、最高の状態で迎え入れられるように。俺たちがやらなくて誰がやるんだ」

コロナでお客さんが来なくなって本当に苦しかったはずなのに 自らの資金をつかいからだを酷使して道を作るその背中を、僕はすぐ後ろで見ていました。そして彼の後ろ姿を見てともに作業をする仲間の姿がありました。
彼らこそが、九重のプライドそのものでした。
「なぜこれほどまでに町を想う人たちが、報われないのか」
酒を飲みかわす席でも「こんなに頑張ってこんなに素晴らしい素材もたくさんあるのに、これから観光業をどうつないでいいかわからない」とこぼす声をたくさん聞きました。
僕は自問自答を繰り返し答えを探す中で、一つの残酷な真実に突き当たりました。
みんなが「間違っている」のではない。必死に守り抜いてきた「戦い方のルール」そのものが、時代と共に変わってきているんだ。
「バズり」よりも「深い共感」を。SNS時代の観光地域づくりが目指すべき物語
マスメディア全盛期は、テレビ・新聞・雑誌という大きな山から大きなイベントや話題を打ち上げ、どれだけ遠くの人に気づいてもらうかが勝負でした。
話題を作り続けることこそが、観光地の注目度そのものだった。
皆さんが信じてこられたそのやり方は、間違いなく「正解」でした。
しかしSNSの時代に入り遠くの人に気づいてもらう時代から「共感」して拡散する時代に変わりました。
中にはあっと驚く話題を作り一瞬でもバズることを望む人もいます。
でもそれは本当に観光事業者の皆さんが望む姿でしょうか?
みんなが求めているのは1日で流れて消える物語ではなく、「思わず誰かにそっとシェアしたくなり、時代を超えて語り続けられる物語」。そしてその物語を読んで共感してくれた人達が僕たちの地域を応援し続けてくれる未来ではないでしょうか。
由布院・黒川温泉に学ぶ「ブランド」の正体|風景のために代償を払う覚悟
九重のとなりには、由布院温泉と黒川温泉という、誰もが知る巨大な成功モデルがあります。
「由布院は」「黒川は」と、町のみんなも常に気にしています。
彼らがなぜブランドになったのか、その経緯には僕たちが学ぶべき、凄まじい「覚悟」があります。
由布院の中谷健太郎さんや溝口薫平さんはドイツのクアオルトにヒントを得て、歓楽街ではなく「暮らしの延長線上にある温泉保養所」を作ろうとしました。
彼らは自分たちに「建物の高さや色、素材」というとてつもなく面倒な行政の規制を自らかける「景観条例」を動かし、由布岳の見える風景を守り抜いたのです。

黒川温泉は約30軒の宿を一つの大きな旅館、道を廊下、木々を庭園に見立てる「黒川温泉一旅館」というコンセプトを掲げました。
あの有名な「入湯手形」も立ち寄り湯をいつでも受け入れるという、宿同士の利害を超えた面倒な協力体制なしには実現しませんでした。
2002年には黒川温泉と地域住民で景観形成のルールを作り「黒川地区街づくり協定」を締結しています。
これらに共通するのは、お客さんが触れたいと考えている「土地の哲学」や「物語」が映る風景のために、観光事業者が自ら代償を払い、数十年にわたって積み重ねてきたということです。
これが彼らの「ブランド」の正体です。

こうした成功をふみながらも外部資本の参入や意図せぬ広告につかわれ、土地の人たちが望んだ形に100%なっていない現状はあるものの、これらの町づくりの哲学や物語は、今の時代においても色褪せない輝きを放っています。
ブランドはある日突然できるのではなく、土地の哲学や物語が風景や取り組みの中につみかさなり、みんなの意識のなかに「あそこはこういうところだよね」と少しずつ認識されてできるものです。
それはまるでゆっくりと発酵するお酒のように。
お客さんは一見消費しているように見えますが、実はその街並みや風景にふれることで、その土地の哲学や物語にふれるのを楽しんでいるのだと思います。
大分県九重町に眠る「1000年の物語」|由布院・黒川にはない、川と草原が紡ぐブランドの骨格
九重町の人たちはみんな口を開くと「由布院は」「黒川は」と話をします。
でも僕はここで見つけたんです。
九重の観光事業者の皆さんが汗水たらして作ってきた物語には、そのブランドの太い骨格になる部分が存在すると。
そしてそれは数十年単位ではなく1000年以上にわたり守りつづけられてきた言葉にならないくらい美しい山と草原


数百年続く、温泉の湯けむりや蛍がまう川という美しい暮らしの風景に現れています。


九重町の心の原風景は「川と草原」。これは学術的な根拠とともに示されてきました。↓↓

「風景は飯を食わせてくれるのか?」年間2000万円の価値を「商売の力」に変える方法
「風景をブランド化すると言っても、それは飯を食わせてくれるんか?」という質問をされたことがあります。
「はい、風景は直接は飯を食わせてはくれません。」
でも、風景は僕たちに長い時間、間接的に飯を食わせてくれることを約束します。
この九重の風景を維持する価値は、計算すると年間2000万円以上。10年で2億円以上。
もし失ったとしても、この価値をお金で買い戻すことはできません。↓↓

九重は由布院・黒川になる必要があるのでしょうか?
僕は自然を守りたいから言っているのではありません。500人のお客さんに聞いたんです。
(観光目的での来訪者 第1ターゲット福岡・熊本・大分 第2ターゲット大阪を中心とする近畿圏 にそれぞれ500ずつとったもの)
◆九重に求めている心理感情
①壮大な自然、②癒やされる、③ゆったりできる、④静か・落ち着く
◆九重に求めている物的要素
①自然、②山、③四季の景色、④草原
◆九重に求めている体験要素
①温泉、②ドライブ、③登山、④ハイキング
この結果から九重に来ている人たちは『賑やかな観光地』ではなく『九重の静かな自然』を求めてここに来て、お金を払っていることがわかりました。ただし今、全国で「自然が豊かです」と叫ぶ自治体は5万とあります。
このコモディティ化(どこも同じに見えること)を防ぐ唯一の方法は、差別化、つまり「九重ならではの物語」を風景に宿すことです。九重の風景の正体は、前述したように1000年以上守られてきた「川と草原」です。
おとなりの阿蘇は九重とよく似た地形や風景を有しています。
阿蘇は「世界最大のカルデラと草原」を武器に草原で放牧されている「赤牛」をフックに、赤牛を食べることで草原が守られるという「草原と消費」の物語を語っています。それは素晴らしい「正解」です。

でも、九重は「くじゅう連山と筑後川源流」を武器に、もう少しだけ欲張りなことを考えたいと思います。
景色を直すだけじゃなくて、そこにくる「あなた」もいっしょに治っちゃえばいいのに、って。
九重の原風景と土地の声がつまった「ココノエのこえ」ならどんなことを言うでしょうか?

九重は、人と自然が「いっしょに」呼吸を整える場所|生命の力を取り戻す五感の旅
九重は人と自然が「いっしょに」呼吸を整える場所。東京や大阪でヘトヘトになるまで働いて、自分がどこに浮いているのかわからなくなっちゃった、あの人。
そんな人が九重に来て、どこからも汚されていない筑後川最上流部の源流でできたお米をフーフー言って食べ、

土地の名産品づくりをあきらめなかった、希望のぷりぷりのシイタケの香りで、野焼き草原のクヌギ林に遊び、

色鮮やかな九重名産のネギに、お父さんが汗をかいて守り抜いた日常の彩りを思い出し、

地獄蒸し大豆の手作り味噌で、思い出のおばあちゃんの味をかみしめ、

草原の草をはんだ「おおいた和牛」のあぶらの温かさで胃が満たされる。

キリッとした八鹿の日本酒に、筑後川源流湧水の心地よい刺激を舌で感じる。

宿だけじゃない共同浴場もめぐって「どこから来たへ?いいところだろ?」と地元の人たちとふれあって温泉で足元からポカポカぬくもり、日本一の地熱エネルギーを体じゅうに取り入れ、

満天の星空を見上げながら、「私もこの土や水と同じ、ひとつのいのちだったんだ」とふと思う。

山からキラキラとたちのぼる朝日が、昨日までヒリヒリしていた心をやさしくつつみ込み、希望の1日がはじまる。

ここはあなたが、あなた自身のいのちの力を取り戻す、ちょっと不思議な、深呼吸ができる場所です。
九重の物語を五感で感じることは、あなたの足元に、もう一度「いのちの根っこ」が生えること。
ただの「お客さん」として消費して終わりじゃない。あなたは、この風景に根っこを生やした、「九重の大地の家族」になるんです。
全国平均を凌駕する「リピート率6割」の衝撃|消費されない「大地の家族」という関係性
僕は17年、自然のことばかり見てきました。商売の苦しさを本当の意味で理解できていないかもしれません。
だから、ここまで書いたときに本当にこのストーリーがみんなの心に届くのか心配になりました。
でもこの町の温泉街のお客さんのリピート率を見た時に、お客さんが求めていることや方向性は間違っていないと考えるようになりました。
1000年の歴史があると言われる町のある温泉街では、2回以上のリピート率が6割以上。4回目以上は脅威の4割近くでした。全国の温泉地のリピート来訪意向が3〜4割という中で、実際のリピート来訪が『6割』という数字は、全国でも一握りの場所しか到達できない奇跡的な数字です。
これは僕が理想を語るまでもなく皆さんが選ばれ続ける本物を作ることで、九重がセカンドハウスみたいになってお客さんに根っこが生えているといえないでしょうか?リピーターさんがずっと応援してくれたらとても心強いですよね。そんな地域をいっしょにつくりませんか?
福岡や大分や熊本の都市部から「九重の自然を支えたい」と長者原ビジターセンターへ身銭を切ってやってくる人たち。泥々になって外来種とたたかったり、ヘトヘトになるまで登山道を直したり、一生懸命に汗をかきながら野焼きの準備のために草を刈ったり、そんな仲間の年間延べ人数はざっと500人以上はいます。

由布院や黒川の風景を「支えたい」と思ってこれほどの熱量で自らボランティアに来る人がいるでしょうか?
これは「消費」ではなく、観光客自らが九重の土地の物語になるという、全く新しいポジショニングになると感じています。僕たちに足りないのは、この風景の中で提供される観光サービス(宿泊・飲食・体験)の中でその物語をしっかりと感じられる「仕組み」です。大地とひとつになる感覚なんて宗教っぽいなんてはき捨てないでください。
みんな大地でできたものを食べているじゃないですか。

入口は「食」です。九重の自然とともに事業を守り続ける担い手やそこでできる農産物を、九重の言い伝えやストーリーとともに紹介しお客さんはその物語を食べる。そんな仕掛けを皆さんと一緒に作っていきたいのです。今までこの町の観光はいろんなところで分断を生んでいたかもしれません。でもこれが実現したら「観光」で町のみんなが一つになる。そしてそれは結果的にお客さんが大好きな九重の最大の魅力である「壮大な風景」を守る仲間づくりにつながらないでしょうか?
10年後の九重のために。物語があるから「高く売れ、若者が戻る」町へ
僕に厳しい言葉をかけてくれたあの人にはまだ僕の言葉は届かないかもしれません。どれだけ頑張ったからといって観光地として絶対輝ける保証もないし正解を見つけられるわけでもありません。
1日2日でブランドはできるものではありません。10年、20年かけてみんなで育てていくものです。
きれいごとだけで飯は食えないのもわかっています。でも、僕はあきらめません。
「期待している」と言ってくれたあの人の背中を、絶対に裏切りたくないから。皆さんが守り続けてきた哲学と物語が、今、この目の前の風景にあるから。
物語があるから、高く売れる。
物語があるから、若者が「ここで働きたい」と戻ってくる。
物語があるから、補助金に頼らない自立した町になれる。
そんな未来を実現しませんか?
いつか皆さんと心の底から笑って酒をくみ交わし、「あの時は必死だったなあ」と語り合える日が来ることを信じて。……なんて、また熱く語りすぎました。結局はこたつの誘惑に負けて、だらだらスマホ見て着の身着のままミノムシみたいに寝ちゃうんですけどね。
みんな九重に来たときくらい、深呼吸しましょうよ。タネムラのこえ
今年はそんな九重町の観光は何を目指すのかのコンセプトづくりをおこないます。お楽しみに!
全国のクリエイターさんや地域おこしに興味がある方、ぜひ僕たちの力になってくれませんか?
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