「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」は、「強い農林水産業」、「美しく活力ある農山漁村」の実現のため、農山漁村の有するポテンシャルを引き出すことにより地域の活性化や所得向上に取り組んでいる優良な事例を選定し、全国への発信を通じて他地域への横展開を図る取組です。第8回目(令和3年選定)となる今回は、合計651件の応募の中からアワード受賞者を決定しました。
【グランプリ】一般社団法人三重県障がい者就農促進協議会
見て 知って つながって ひろがれ! 農福連携

事業概要
農業ジョブトレーナーを養成し、福祉事業所や農業経営体をサポートすることで、農福連携を推進しています。三重県の教育委員会と連携し、県立特別支援学校(知的障害)の農業実習の充実を図り、農業経営体を進路とする生徒の支援を行っています。

◯今回応募したきっかけ
東海農政局の担当者から強く応募を勧められ、農山漁村振興交付金の農福連携対策事業(2019年度〜2021年度)を受託していることもあり、応募しました。
優良事例に選定されることも、ましてやグランプリに選ばれることも、夢にも思っていませんでした。
◯農業ジョブトレーナーを養成するきっかけ
2015年10月、当協議会を発足させたのは、農業者と障がい者の双方をサポートする中間支援者を養成し、農福連携を拡げようと考えたからです。
農業版ジョブコーチということで、当協議会が独自で「農業ジョブトレーナー」と呼ぶことにして、スタートしました。
◯農業ジョブトレーナー養成を通して見据えている未来の構想
誰でも気軽に相談できる「農福連携ワンストップ窓口」があり、農業ジョブトレーナーが、それぞれのケースに合わせてサポートすることで、農福連携が拡がり、地域の農業を活性化していくという仕組みづくりを目指しています。
そして、障がい者が当たり前に働いて生きていける地域づくりにつなげたいと考えています。
◯このプロジェクトを通して伝えたいことは?
誰もが、自分の意志で「働いて生きていく」ことができる地域づくり。
【優秀賞ーコミュニティ部門】グループ農夫の会
棚田のてっぺんまでの再生を。

事業概要
農作業体験や支援団体とのイベント活動、棚田米の販売など、地域内外の協力により、棚田再生と地域活性化に向けて活動しています。モンテディオ山形、山形交響楽団や山辺町等と連携し、棚田での米づくりに着目した棚田再生を実施しています。

◯今回応募したきっかけ
秋に天日干しの稲杭掛けが立ち並ぶ日本の原風景「大蕨の棚田」の再生を目的に、平成 23 年にボランティア団体「グループ農夫の会」を立ち上げ、地元生産者有志と棚田再生の活動をスタート。この再生事業に、地域貢献の一環としてモンテディオ山形、山形交響楽団をはじめ多くの団体が賛同し、協働の力で取り組んでいます。
このように、生産者とボランティア団体、スポーツ、音楽、大学、行政が共に垣根を超えて、地域の誇る貴重な財産「大蕨の棚田」再生に取り組む姿を全国に発信し、多くの方から応援してもらうことが私たちのエネルギーにつながります。また、これまで地域の財産である「大蕨の棚田」を守り続けてきた先人達への敬意も込めて応募しました。
◯さまざまな外部連携で意識していることは
棚田は栽培条件が厳しく経済的にも採算が取れないことから、担い手不足で未耕作田が増えています。
特に、昔ながらの稲杭掛け天日干しする手間暇をかける米作りはなおさらです。この棚田での米作りに陽を当てて、失われつつある棚田を再生するためには、生産者だけでは限界があるため、私たちグループ農夫の会がハブ的な役割となって「誰と組むか」を意識して活動しています。
幸い、山形県にはモンテディオ山形と山形交響楽団が地域に根ざした活動 を展開しています。さらに大学コンソーシアムやまがた、JAやまがた、カタログギフトのリンベル株式会社(本社山形市)があります。お互いの得意な分野で、お互いのメリット(社会貢献、企業イメージ向上、有利販売等)を意識して共同企画イベント、商品づくりで連携を図っています。
◯棚田と地域活性で一番重要なことは
地区の人口減少と少子高齢化(人口 178 人、65 歳以上 52%)が進み、小中学校が休校になるなど、地域に活気がなくなる中、棚田の再生を通して地域外との交流が大事と考えています。
特に、田植え、稲刈り、杭掛けなど手間暇のかかる作業は、地元生産者がグループ農夫の会の会員やモンテディオ山形、山形交響楽団メンバーに手取り足取り指導して一緒に汗を流し、一緒におにぎりを田んぼで食べることや、棚田でピクニックコンサート(山形交響楽団との 企画)を開催し地元の人と一緒に楽しむこと。これは地域活性の一丁目一番地だと思います。
◯棚田を中心に今後やっていきたい活動について
今後、担い手の減少により未耕作田が急激に進むと予想されます。この受け皿として、担い手確保のためには、棚田米を有利販売し経営として成り立つかが大きなポイントです。
このため、通常、単年度に生産した棚田米は 1年をかけて販売していますが、需要が供給を上回る、極端に言えば「大蕨の棚田米」は 2年先まで予約しないと買えないという社会環境を作り出す活動をしていきたいと考えています。
さらに、日本の原風景でもある「大蕨の棚田」の景観を多くの皆様に発信する活動も積極的に展開していきたいと思います。
【優秀賞ーコミュニティ部門】神山しずくプロジェクト
林業×デザインで持続可能な豊かな田舎へ!

事業概要
山林課題の啓発活動、町産材を活用した商品開発・販売など、地元産業振興により地域活性化に貢献しています。スギの弱点とされる赤白の木目を活かしたデザインの木製品を開発し、地域おこし協力隊制度を活用した職人育成事業も実施しています。

◯今回応募したきっかけ
中国四国農政局の担当者から、ディスカバー農山漁村の宝アワードをご案内をいただき、これまでの我々(神山しずくプロジェクト)の活動実績を見て、ぜひ応募してほしいということで、きっかけを頂きました。
実はそれまで本アワードのことを知りませんでしたが、我々の活動目的(森林環境保全)の本丸とも言える農水省からお声がけ頂いたのは大変嬉しかったです。
◯地元の特産品を使った商品の開発で一番意識していることは?
我々の活動は、放置された人工林によって、山林の持つ水源涵(かん)養機能や多面的な機能を失いつつある地域環境課題について、広く啓発すること、そして杉を使うことで少しでも環境を取り戻すことを目的に活動が始まりました。
また、建材以外の「杉の新たな価値」をデザインし、世の中に提案していくこともミッションです。「杉」にしか出来ない価値を一番意識しています。杉の特徴である「赤と白の木目」を活かした木製品だったり、杉に含まれる成分の生理作用(フィトンチッド)を利用したエッセンシャルオイルなど。サポーター(消費者)が手に取ることで、森の環境に還元されるというコンセプトも大切にしています。
◯売上の増加以外で、地域活性化が分かる具体例を教えてください。
SHIZQブランドの木製品は、挽物ロクロと言われる伝統工芸技術に支えられています。徳島はもとより、全国でも後継者問題で失われつつある技術の一つですが、5年前から自社工場で後継者育成に取り組んでいます。
今では若手2名の職人が商品の製造に汗を流しています。商品製造の過程でも、木材加工系や縫製工場など地元企業とのサプライチェーン連携を大切にしています。
また、令和3年4月にはブランド専門ショップを町内に開設、新しい交流人口の拠点として人気のお店になっています。
自社工場の職人や製造スタッフ、ショップスタッフ、事務方など、10名体制で運営していますが、すべてが移住者で移住促進にも寄与してます。
◯地元の商品の売上、そして移住促進ときて、その先に見据えていることを教えてください。
地域資源×地域生産×独自販路、その次へ
地域資源を活用し、真似の出来ないデザインと技術をもって地域内で生産し、そんな地道な活動を応援してくれるファンに支えられてブランド価値を高めてきました。
杉の新たな出口を創るということは、地場産業のデザインだと思ってやってきましたが、これからは林野の視点に立ち返り、生物多様性に富んだ山林を目指す「公益性の高い山林整備事業」へ参入を計画しています。
これによって、入口から出口まで、地域内での一貫した持続可能なブランドとなることで、100年後の未来へ繫いでいきたいと考えています。
【優秀賞ービジネス部門】株式会社ELEZO社
料理人起点で食肉の未来を照射する食文化の確立

事業概要
食肉における自社一貫フードチェーンと5業種のプロ集団構築を行い、食にまつわる課題解決に貢献しています。企業として国内で初めてハンターを雇用し、農業被害の減少に貢献しつつ、食に特化した狩猟法を確立しました。

◯今回応募したきっかけ
行政機関よりご案内をいただき、これまで支えていただいた関係各位や地域のためになるのであればと応募しました。
◯これまでの活動で一番苦心したこと
創業から10年は補助金などを活用しないという決意のもと運営をしてきました。その目的は、自立した産業となることを内外に示すことです。
そして、自力を知り高めていくこと。その上での運営は全般的に金銭的な面はもとより、マイナスイメージからゼロベース、そこから魅力や期待を持っていただくまでの好転プロセスが何よりも大変でした。
◯これから先の事業で力を入れていきたいこと
事業展開計画や売上の話よりも、ジビエ業界のみならず食肉業界を担う方々が世の中の方々から感謝される存在となるよう取り組んでいきたいです。そう感じてもらえるための展開や表現に注力して参りたいと思います。
◯昨今のジビエブームと手掛けている事業の親和性はありますか?
創業から17年が経ちます。創業当初より基準や衛生面、処理頭数や製品開発に至る様々な面で業界や市場をリードしてきました。
親和性というよりは、先進的に市場開拓を行うという心算で運営してきました。ただ、表現や認知、波及のベクトルは異なると考えています。
『農業被害』や『交通障害』をおこす害獣だから。駆除したからには有効活用を。といった理由や目的ではなく、我々はそもそも『魅力的な食材』や『美食』の観点で事業システムやフィロソフィを構築しています。ブームで終わらせず、命への感謝や営みを感じられる継続的な文化になればと考えています。
【優秀賞ービジネス部門】一夜城ヨロイヅカファーム・マルシェ部会
みかん農家とパティシエの連携で地域活性化

事業概要
約7,000㎡の荒廃農地をマルシェ部会員とパティシエ鎧塚俊彦氏が整備し「一夜城ヨロイヅカファーム」と名付け平成23年に開業。有名パティシエと連携して荒廃農地を再生し誘客拠点を運営、直売所を経営して会員の所得向上に寄与しています。

◯今回応募したきっかけ
開店から10年を経て事業は順調に経過、今までの取組を世間に知ってもらうことで同様の悩みや目的を持って活動している農家の参考になるのではという思いで、小田原市役所や農林水産省関東農政局の勧めに従って応募しました。
◯鎧塚俊彦氏との出会いと共同事業の始まり
鎧塚俊彦氏が「自分の農園を持ってスイーツを作る」ための適地を探していることを小田原市役所がキャッチし鎧塚氏にコンタクトしたことがきっかけです。平成22年(2010年)5月に市役所の案内で鎧塚氏が一夜城の柑橘畑地区を視察、景観の良さやスイーツと柑橘類との相性の良さなどから強い可能性を感じた鎧塚氏は、ただちに耕作放棄地を使った農園プロジェクトのプランニングに着手しました。
計画の検討を進めるためには地元農家の参画・支援が必須となることから、市役所の仲立ちで鎧塚氏と対面し互いの課題解決のために協力しあうための議論を重ねました。
鎧塚氏とは幾度もミーティングを行い互いの目標を共有しあい信頼関係を構築、市役所も含め三者で事業理念を共有し役割分担を明確化、確立した「一夜城の耕作放棄地を再生し農業の再生を通じで地域の活性化をすすめる」というコンセプトのもとに一夜城ヨロイヅカファーム・マルシェ部会を組織し、地元の農家に広く参加を呼びかけ農園整備や直売所づくりに取り組みました。
◯事業での最大の力点・伝えたいこと
はじめに鎧塚氏とは、互いに「何を成し遂げたいのか?」「何をしてほしいのか?」を徹底的に議論し信頼しあえる関係を構築、市役所も含め三者で事業理念を共有し役割分担を明確化したことが、短期間で事業を成し遂げる原動力となったと考えています。
一夜城 Yoroizuka Farmプロジェクトは、早川の農家グループ、鎧塚俊彦氏、小田原市役所の三者がそれぞれの役割を分担し、相互に支援しあうことで連携し、「皆がWin-Winとなる」という理念のもとに計画されています。
この各者のウォンツは〜
①地元農家
農産品の付加価値向上・6次産業化・販路づくりによる所得向上、グリーンツーリズム推進による早川地域の活性化のための拠点を作る。
②鎧塚俊彦氏
自らの農園を持ち、素材から作った「地産地消スイーツ」という比類の無い店づくりを実現、農業への尊敬と地域への貢献による企業価値の向上。
③小田原市役所
耕作放棄地の再生・地域農業の活性化、石垣山一夜城地域への誘客促進・早川地区の観光拠点づくり、地産地消による市民の豊かな食・未病改善・健康増進への貢献。
一夜城 Yoroizuka Farmの着工直前だった平成23年(2011年)3月に「東日本大震災」が発災し事業の延期や中断が頭をよぎる中、鎧塚氏の「こんな時だからこそ皆に元気を!」という思いを地元も共有し、同年5月に着工、11月3日オープン、結果として多くの小田原市民や来訪客に喜んでもらうことができました。
開店後の運営には日常的に地元農家・事業者、鎧塚氏や店のスタッフ、小田原市役所の職員など多くの人間が関わっているが、事業の最初に徹底した話し合い(連夜の飲み会)によって信頼しあえる人間関係を築いたことが事業成功の重要なカギとなっており、今日でもお互いに言葉に出さなくても「何に困っているか?何をしてほしいのか?」がよく判り、事業の円滑な運営に役立っています。
(鎧塚氏に頼まれることは地元に強いマルシェ部会には容易に解決ができ、早川の農家や市役所の頼みごとは鎧塚氏のブランド力・発信力が叶えてくれます)
自前の販路が作れ直接マーケティングができる環境を手に入れたことで農家の「売れるモノづくり・6次産業化への取組」が加速、店でスイーツを作る鎧塚氏のスタッフが農家に加工品づくりのノウハウを教えたり、農家が店スタッフに農地の管理や柑橘づくりの技を伝授するなど互いに助け合う協働環境が生まれました。
亡くなられた川島なお美さんもこの場所を愛していて、農家の人たちとも交流を深め強い絆があったことから、没後一周忌の平成28年(2016年)9月に川島なお美を偲ぶメモリアル「川島なお美慰愛碑」が建立されました。
◯コロナ禍で新たに試みていること・今後力を入れていきたいこと
店舗の営業制限や来訪者の減少などの逆境にあっても「訪れた人にファームを楽しんでもらう」ことには手を抜かず、いつも花を絶やさずにメンテナンスを続けてきた結果、お客さんからは「美しい景観に心が癒された」と多くの感謝の言葉を頂き、絆を保ち続けることができました。
その努力の甲斐もあってか、自粛制限が解除された折にはいつも以上のお客さんで賑わい、結果として年間販売額は予想していたほどの減額とはならずに済んでいます。
小田原市の恵まれた自然から生まれる豊かな食の恵みを生かすため、小田原市長の守屋輝彦さんは「美食のまちづくり」を進めるという施政方針を掲げられました。これは飲食だけでなく食材の生産・加工・流通・販売の全てのステージで市民・来訪者・事業者が関わって価値を生む場を作り、小田原市の食の資源の生かすことで地域の活性化をもたらすことを目指すものだそうです。
守屋市長さんからは、当マルシェ部会は早川地区での地域活性化事業の実践者としてこの「美食のまちづくり」実現のための役割を担うことを期待されおり、今後市役所と連携して具体的な検討を進め小田原市の活性化に貢献したいと考えています。
【優秀賞ー個人部門】植田輝義
農業を通じて皆様を繋ぐ架け橋になりたい!!

事業概要
地元特産の黄ニラと岡山パクチー大使として、メディアや祭への参加により産地をPRするとともに、学校、福祉、企業とも連携。岡山交通株式会社とコラボし、「黄ニラタクシー」を誕生。タクシー乗務員への農業指導も実施しています。

◯今回応募したきっかけ
農水省の職員からの軽い打診(中四国農政局岡山県拠点)があり、難しいのではないかとは思いましたが、事例集をみると良い活動にも感動し、自身も行っているなと感じました。
また、全国各地の色々な事例を政府や関係省庁が拾い上げるのは困難なため自身から出すこと(応募)が現実的であると考えました。
◯黄ニラ大使をはじめるきっかけは?
この活動を始めたきっかけは、年々黄ニラの売上が下がっていたり、高齢化も見えてきたりして、農業をやりたい担い手が出ないんじゃないかと危惧して、2008年から黄ニラ大使を自称して活動を開始しました。
2008年に動いていなければ今の活動にはなっていないでしょうし、後に黄ニラタクシーが生まれるとか、パクチーを使ったゼリーが生まれるとか、今回の受賞で総理大臣官邸に呼ばれることもなかったと思います。周りのおかけだと痛切に感じています。
◯黄ニラ大使の活動はどのように拡がったのですか?
妻の実家である黄ニラ農家に兵庫県からまったく経験がないなか就農して、最初は農業もやらされている感もありました。今は毎日が楽しく、もっともっとやりたい意欲ばかりなんですが。黄ニラ大使の活動を開始した当初は、それこそ最初は知識もなく知り合いもなく右も左も分からず孤独だったので、飲食店の方とか企業さんに入り込んでいって。
もちろん壁にもたくさん当たりましたが、その中でも理解ある人が少しずつ増えていきました。その後地元のメディアさんにも活動が取り上げられて大きく拡がり、関西・全国のメディアでも取り上げられ、黄ニラ大使の活動が地元で認知されるようになりました。
◯これからの黄ニラ大使の活動や夢を教えてください。
活動は特別なことをやっている意識はなく、当たり前なことをやっていると思っています。この活動はもちろん継続的に行っていくのと、これから農業をやってみたいって子どもたちの声も聞こえるようになってきましたので、若い子たちを受け入れられるような土壌を作り、経営基盤をしっかりしたいと考えています。
担い手の雇用にもチャレンジして参ります。いまはコロナ禍でオンラインでの活動も増えたので、農場から講演先の学校の子どもたちに実際の黄ニラを見せたりするとすごく喜んでくれます。
教室で話すのではなく逆にオンラインだからこそ出来る活動もあると気づきました。この黄ニラ大使の活動では、軽トラックに黄ニラを積んで、いろんな街に行くのが夢です。黄ニラの宅配便ですね(笑)