廃校となった小学校を改装し、「火」と「暮らし」をテーマにさまざまな学習や体験ができる施設『ひとくらす』は、福島県石川郡石川町の小高い丘の上にあります。「ひとくらす」を管理・運営する『一般社団法人ひとくらす』代表の三森孝浩さん、移住者の竹原司さん、同じく移住者の中溝雅之さん、そして石川町役場の南條貴之さんに話を伺いました。
30年前の思いが、いまも残る木造校舎。
――『ひとくらす』について教えてください。
三森孝浩さん(以下、三森) 『ひとくらす』は、1991年に現在の石川郡石川町に建てられ、2015年に廃校となった「旧・中谷第二小学校」の利活用プロジェクトとして始まりました。小学校の建設当時はすでに鉄筋コンクリートの建物が一般的でしたが、地域の人たちの声によって木造の校舎が建てられました。この学校を100年守っていこうと話していましたが、人口減などの影響により2015年に廃校が決まりました。その後は、町外の企業が敷地を再利用する案も出たのですが、それでは町の人が気軽にここに入れなくなってしまいます。「この場所は町の人が集まる場所として残したい」と住民と石川町役場が協議して、交流施設としての再スタートが決まりました。
――地元の方が校舎を思う気持ちから、今の姿に生まれ変わったのですね。
三森 ただ、すんなりとオープンに漕ぎ着けた訳ではありませんでした。建物のリノベーション自体は役場が行ってくれましたが、では果たしてここで何をするのかというプランがなかなかまとまりませんでした。2019年には、台風に伴う土砂災害で校庭が一時廃材置き場になったり、さらに2020年からはコロナ禍の影響もあったりと、なかなかオープンの目処が立ちませんでした。そんななか、全国の廃校を再利用した施設を視察させてもらったのです。その土地に合ったさまざまな工夫がなされているのを目にし、石川町ならではのコンセプトとは一体何だろうと検討を重ねました。その結果、石川町の豊かな自然を最大限に活かす“自然環境活用型の交流施設”というコンセプトが固まりました。同時に『ひとくらす』という名称も決まりました。
――素敵なコンセプトですね。施設はいつオープンしたのですか。
三森 2021年にオープンしました。当時はコロナ禍の真っ最中でしたから、いま開けてどうなるんだろうという気持ちもありました。ただ、いまでは逆にそのおかげで小さく始められたことがよかったと感じています。私たちもこうした施設の運営に慣れていませんでしたから、急にお客さんが来るよりも少しずつ認知が広がっていったのがよかったのかなと思っています。
――『ひとくらす』は現在、どのような使われ方をしていますか。
三森 レンタルオフィスやスポーツ施設、バーベキュースポットなどとして、地元の方に日常的に使っていただいています。また『ひとくらす』は宿泊施設と運動場が一体になっているため、部活動やスポーツチームの合宿で多く利用いただいています。特に2023年夏はひっきりなしに団体の予約が入りました。スポーツ以外でも、温かみのある木造校舎というロケーションを活かして、撮影などに使われることもあります。
課題解決は自分たちの手で。『ひとくらす』は進化する。
――これまでの『ひとくらす』運営における手ごたえがあれば教えてください。
三森 利用者の多くがリピーターになってくれています。それはうれしいことなのですが、同時に彼らの声に応えられていないこともあり、その改善をしていくことがいまの課題だと思っています。
たとえば『ひとくらす』では食事の提供をしていません。食材を持ち込んで敷地内でバーベキューなどをしていただいていますが、ご高齢の方などからは食事を提供してほしいという声をいただいています。いずれは人員を増やして応えていきたいと考えています。また、シャワーはあっても湯船がないことも挙げられます。これについては露天風呂を自分たちでつくろうと計画しています。まだ至らない部分もありますが、少しずつ変わっていくところを一緒に見てもらえればと思っています。
人と人とのつながりが深い、石川町での暮らし。
続いて、石川町の地域おこし協力隊隊員で、移住コーディネーターとして働く竹原司さんに話を伺いました。
――竹原さんは移住者とのことで、石川町での暮らしはいかがですか。
竹原 司さん(以下、竹原) 1年前に、東京都内から石川町に移住しました。石川町での暮らしは、とにかく自然のスケールが大きくて圧倒されますね。冬の厳しさも身に染みます。また都市部に比べて近所の人と軽い立ち話をする機会が多く、お互いのこと、たとえばいまどういう仕事をしているのかといった事情をよく知っているんですね。そのため困ったことがあると近所で共有され、自然とみんなで「手伝おうか?」と声を掛け合う関係が築かれている、そんなネットワークの強さを感じます。自分もそのなかに溶け込めるように、週末に開かれている朝市などには積極的に参加するようにしています。そうすることで次第に顔を覚えてもらうことができました。
――今後、石川町でチャレンジしてみたいことはありますか。
竹原 いずれは林業に従事したいと考えています。そのため、時間があるときは山に入ってそこに生えている樹木のことを調べたり、林業についての勉強をしたりしています。個人として林業に興味があるだけでなく、石川町の産業として林業を盛り上げたいですね。ですが、林業のなり手は不足しているのが現状です。その解決のために、自分と同じくらいの世代の仲間を増やしたいと考えています。僕たちの世代は「おもしろそう」と感じられて、あとは集まれる「場」さえあればやってきます。なので、たとえば林業に携わる若い人たちのシェアハウスをつくってみるなどして、石川町の林業を盛り上げるきっかけになればうれしいですね。
石川町の魅力は自由であること、そして安心できること。
建設業を営み、若いころから九州から北上するかたちで住まいを替えてきたという中溝さん夫妻に、石川町の魅力を伺いました。
――石川町に移住されたきっかけを教えてください。
中溝雅之さん 最初は東北地方に移住したいと思っていましたが、自分たちにとって住みたいと思える場所が見つからず、そんな折に『ふるさと回帰支援センター』で石川町への移住についての説明会があることを知ったんです。そこで役場の方にお話を聞いたら、私よりも妻のほうが石川町に一目惚れしてしまい、移住が決定しました(笑)。石川町は、移住者に自由にやらせてくれるんです。家を建てるときも、地元の方にとっては先祖代々受け継いできた土地であるにもかかわらず、どこでも好きに使ってくださいと言ってくれたんです。おかげで川沿いの風通しのよい場所に家を建てることができました。石川町のそういう開放的な雰囲気に惹かれましたね。また、ここは2011年の東日本大震災でもびくともしなかった硬い地盤の上にあります。環境的な安全の面でも心強い場所だと感じますね。
中と外をつなぐ場として、次世代にどう引き継ぐか。
最後に、『ひとくらす』を行政の立場から見守ってきた石川町役場の南條貴之さんに話を伺いました。
――行政の目線から、『ひとくらす』をどのように捉えていますか。
南條貴之さん 町としては『ひとくらす』がしっかり事業として“自走”できるのか、ほかの事業と同じようにフラットな目線できっちりと評価しなくてはいけません。あくまで民間企業の取り組みですからね。ですが、個人的には同じ石川町で育った者として、『ひとくらす』には町の中だけでなく「中と外とをつなぐ場」になってほしいという思いがあります。今後は、たとえば次の世代に『ひとくらす』を引き継ぐにはどうするべきかといった、より俯瞰的な立場からサポートをしていきたいと考えています。
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photographs by Yusuke Abe, Ishikawa town hall
text by Takanobu Mihashi