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サスティナビリティ

特集 | 指出一正 オン・ザ・ロード

岡村靖幸さんのスタンスと、リジェネラティブなジレンマ

指出一正

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<前回の話|サスティナビリティ&リジェネラティブ

目次

ゴギを取るか、人口減少の解消を取るか

年に2回くらいの僕の楽しみで、島根県に渓流釣りに行くというのがあります。ここ3年間くらい繰り返していて、今年は春に行きましたが、夏の雰囲気もまたいいですね。どこに行くかというと、石見地方の中国山地です。僕自身は島根県の「しまコトアカデミー」という関係人口講座のメイン講師を務めて13年目になるんですが、島根の皆さんに地域やまちづくりのことを教えてもらった13年だったなと感謝しているほど大好きな場所です。その石見地方でプライベートの魚釣りをしたことから頻繁に通うようになり、今では僕の大きな楽しみになっています。江津駅前のホテルに宿を取って1泊2日とかで行きます。江津市役所職員の松島康訓さんと一緒に釣ることが多いです。

何を釣るかというと、ゴギという魚です。大変貴重というか、守られている魚なので、どこの川で、みたいなことは言わないつもりですが、ゴギは中国地方にいるイワナの仲間で、きれいな水が流れる渓流に棲んでいます。石見地方はワサビが有名で、湧水も豊富、冷たい水が流れる川が多い地域としても知られています。イワナも可愛いんですが、ゴギはさらに愛くるしい感じ。頭に白い点々があって、目がキョロキョロしていて、のんびりしてるのか心配性なのか、両方の性格があるイワナの仲間です。

なんでゴギって呼ばれているかというと、皆さん「プルコギ」って好きですよね。由来はほぼ同じなんです。昔、中国山地はたたら製鉄が盛んだった地域で、多くのたたら職人が朝鮮半島から技能集団としてやってきました。その職人たちが名づけたようです。

ゴギっていうのは「食べられる肉とか魚」っていう意味みたいなので、「山の食べられる魚=ゴギ」と呼ばれたようです。このように、イワナの亜種であるゴギという魚名はたたら製鉄という歴史と関わりがあるようです。当時の最先端の素材だった鉄を産出していた石見地方は、日本を代表するテクノシティだったはずで、いろいろな文化も華咲いたことでしょう。ゴギもまさにその一つ。そんな歴史や文化の名残りを感じながら釣りをするのもしみじみと楽しいものです。

ちなみに、僕たちは「原生林を守ろう」というコンサベーションの話をしがちなんですが、中国山地もそうだし、イギリスもフランスもそうであるように、落葉樹や広葉樹がエネルギーとして利用されすぎて、ほとんど丸裸になったという歴史があります。つまり、木材にものすごい価値があったとき、たとえば中国山地なら鉄で産業を起こそうと思った時代に山林が丸裸になるまで伐採されたみたいな歴史を、どこの国でも持っているものです。中国山地もみんなは自然林だと言いますが、基本的には復活した混交林だと僕は認識しています。一度なくなったものは元に戻らないというメランコリズムに負けず、足尾銅山があった足尾エリアもきちんと植生が復活して広葉樹が育っています。僕自身は、一度なくなってしまったものでも、自然界にエネルギーがしっかりあって、そこに対しての人々の理解が進んでいれば、ちゃんと復活するんじゃないかなっていう考えでいます。そんな意味でも、中国山地の美しい広葉樹の森が保たれているところにゴギが棲んでいて、その環境も含めて松島さんと一緒に過ごす釣りの時間は、僕が生きていることを強く感じられる時間なのです。

そして楽しみは夜も続きます。江津駅前に超有名な居酒屋チェーン店『養老乃瀧』があります。僕は江津に行くと夜はそこで反省会という名目で松島さんと2人でビールの大ジョッキを、まず2杯ずつ頼みます。これ、SDGsです。店員さんの仕事の工程を増やさないってことで。先に2杯頼んでおけば、作業の時間が減るじゃないですか。そして、フランチャイズ店の『養老乃瀧』らしいメニューが並ぶ中で、壁に貼った短冊に「今日の刺身」と書いてあるんです。「今日のフライ」とか。店員さんに「今日の刺身は何ですか?」って尋ねると、「アイナメとクエかな」って言って出してくれるのですが、それは店の主人が自分の船で日本海に出て獲ってきた魚を捌いているんですよ。僕はそれを「揺らぎ」と呼んでいます。

いわゆるフランチャイズだと、どこの店も同じものが出てくるだろうと思いがちですが、フランチャイズとしての濃度が高い地域から低い地域へ、つまり都会からローカルに行けば行くほど揺らいでくるんです。「揺らぎ」は思いもしない形で目の前に表れるものです。居酒屋のメニューに出てくるクエのフライなんて高級品です。それが『養老乃瀧』価格で普通に出てくるんです。みんながローカルに惹かれる理由はいろいろあると思いますが、この「揺らぎ」は大きな魅力なんじゃないかな。ローカルでは何かしらの「揺らぎ」がいろんなところにあって、それが実はとても地域に大事なことだったりします。何でもオンタイムで正確に、山手線が1分たりとも遅れないように、それが当たり前と思っている人がローカルの「揺らぎ」に魅せられちゃう。「f分の一揺らぎ」っていう言葉が前からあって、人はその「揺らぎ」に心地よさを感じると言われますが、僕にとってそれは喜ばしいショックなわけです。「揺らぎ」がローカルのおもしろさになっていて、若い人たちが地域に魅力を感じる大きな要素になっていると思っています。

江津駅前の『養老乃瀧』、おすすめなので機会があったら行ってみてください。めっちゃおしゃれなK-POPスターみたいな、BTSっぽいおしゃれなリネンのシャツを着るような男子大学生たちも飲んでいます。僕にとっては、『養老乃瀧』って昭和のフランチャイズヒーローなんですが、そんな時代を知らない若い人たちが当たり前のように、『養老乃瀧』という既成概念を無視して、ウィキペディアじゃない形で楽しんでいるのが僕にとっては痛快なのです。

ちなみに、ゴギは釣ったら写真を撮って川に逃します。それから、僕は釣った川の名前は隠しましたが、松島さんや釣り場の先輩、漁協の方々からは、僕がゴギの写真をSNSにアップするときに「川の名前も出してください」とお願いされることもあります。そうすれば、都会からたくさんの釣り客が来てくれるかもしれないから。裏返せば、それくらい地域には人が訪れなくなっているということ。魚のコンサベーションを取るのか、人口減少対策を取るのか。これは難しいですよね。僕はその間で揺れているんです。魚にとっては書かない方がいいけど、「中国山地の魚です」とか、「石見地方を拠点に釣りに行ってます」でいいと思うんですが、「何々川水系です」って書くと、大勢の釣り人が来て釣られてしまいますから。

中国山地の山間地域の奥だと人に会うことがあまりなくて、車もなかなかすれ違わないし、美しい家はあるけどほとんど誰も外に出てこない。首都圏の周辺だと中山間地域でもまだ人と会うのですが、僕が行っている釣り場の周辺でもそれほど人と出会いません。全国的にローカルは人口が減少しているように感じます。ゴギを取るか、人口減少の解消を取るか。どちらも異なる道理で動いていますから、ゴギが減るよりも人が減る方が由々しいんじゃないかという話になるわけです。

「サスティナブル&リジェネラティブ」がテーマですから、魚は守りたいし、地域も元気になってほしい。そういうジレンマが僕にはあります。地域側としては「渓流釣りに来てください」という気持ちですが、釣り人のなかにはブルドーザー並みの底びき網のような乱獲を好む人もまだまだいますから、場所がわかった瞬間に渓流の魚はいなくなります。魚の数が減っていかないようにすることと、地域の人口が減っていかないようにすること。その狭間に今、僕たちはいるのかもしれません。

岡村靖幸さんのように色褪せないメディアになりたい

僕は、「リジェネラティブ・オーガニック・コットン」のTシャツをよく着ているんですけど、シャツの場合もプラスチックをリサイクルしたポリエステル素材のものを着ています。ジーンズもオーガニック、アンダーショーツもリジェネラティブ・オーガニック、靴はリ・クラフトと、かなり「リジェネラティブ・ファッション」で揃えているのですが、一見したところパッとしない感じで歩いています。逆に、僕はそれが嬉しくって(笑)。

以前は、エコロジカルとかオーガニックって、一見してわかってしまうような色やデザインの服しかなかったんですよね。だから、それを着ているともう「そういう感覚の人なんだ」と見られがちなのがちょっともったいないなと思っていました。僕は、今は普通にパッとしないおじさんの格好なんですけど、実は全部「リジェネラティブ・オーガニック」を着ているわけです。そういう意味ではいい時代。「ノームコア」っていうファッションスタイルが一時流行りましたが、「ノームコア」が「リジェネラリティブ」にまで波及してるんじゃないかと思ったりもします。

こんな僕ですが、やっぱり人前で話をしたり、大切な会議に行くときはちゃんとアイロンのかかった白いシャツを着て、ジャケットを羽織って、髪を七三に分けて行きます。すると当然、洗濯済みのよれよれのシャツが部屋にたまっていきます。それを日曜日の午前中に「今日はアイロンをかけるぞ!」と決めて、10枚くらいをノルマにしています。

アイロンは音楽を聴きながらかけます。いつもは『amazonミュージック』でイギリスやアメリカの音楽をかけたりしていたんですが、ある日たまたま岡村ちゃんの曲をかけたんです。岡村靖幸さんです。1980年代から活躍されていて、今は斉藤和義さんと一緒に「岡村和義」ってユニットをつくって、「サメと人魚」だったかな、すごいいい歌を歌ってるんですよ。80年代、岡村さんが音楽シーンにバーっと登場した頃、僕は上智大学の学生でした。前回話した、「ALL SOPHIANS’ FESTIVAL 2024」の実行委員長を務めたこともあって当時の気分を思い出し、岡村さんの曲を熱心に聞いているので、頭の中で岡村さんの声が鳴り響いてやまないんです。

岡村さんのことを簡単に説明すると、尾崎豊さんと吉川晃司さんとめちゃめちゃ仲が良かった 3人組の1人です。同い年で、高校を中退してすぐにスターになってという経緯もすごく似ています。岡村さんは神戸で生まれ、新潟の高校を中退してスターになりました。3人とも背が高くて、岡村さんは自分の歌の中で「身長が179」っていう歌詞があるくらい背が高いんです。岡村さんの僕の印象は、当時はプリンスっぽい人だなって思っていました。マイケル・ジャクソンじゃなくてプリンスという、2人が割と比べられたときにどっちが好きか。

たとえば「ローリング・ストーンズか、ビートルズか」みたいな比較に近いと思うんですけど、僕はどちらかというと群馬から出てきた高校生に毛が生えた程度の人間ですから、高校時代は「吉川晃司がかっこいいな」とか、「やっぱり尾崎みたいに生きたいな」と感じていて、この3人の仲間の中では岡村さんはマニアックなプリンスっぽい人だと感じていたのです。

岡村さんと吉川さんと尾崎さんが本当に仲が良かったということは映像にも残っているので確認できるのですが、3人が仕事を終えた後に西麻布で待ち合わせをして、集まったらじゃんけんをして、吉川さんが勝ったらひたすら飲む、岡村さんが勝ったらひたすら踊る、尾崎さんが勝ったら女の子を口説けるお店に行くと決めていたそうです。結局3人ともお酒が好きだったのか、3人で話すのが好きだったのか、徹底的に飲む結果に落ち着くという楽しいエピソードがあります。YouTubeで見ることができる1987年の広島のライヴでは、岡村さんのステージに尾崎さんが上がって、2人で楽しそうに抱き合いながら歌っているレア映像があります。尾崎豊さんが、いかに岡村さんのことを好きだったのかがよくわかる映像。あれは見た方がいいです。

吉川晃司さんに関しては、ピンクのスーツを着てバク転とかして、めちゃめちゃ派手でかっこよかった。「なんてかっこいい人がいるんだろう」と思って釘付けになったのを覚えています。大学に入った当時はカラオケボックスがなく、新宿にステージがあってお客さんが順番に鉛筆で曲名を書くとその音楽が流れ、リクエストした人がステージに立って歌うっていうショーパブみたいな場所があって、そこに年に何回か行ってました。僕はいつも「You Gotta Chance」や「モニカ」を歌っていました。

尾崎豊さんに関しては、中学、高校の時代に熱に浮かされたように「こんな生き方をする人がいるんだ」という印象が強くて、『卒業』とか『17歳の地図』を買って聴いてたんですけど、高校2年生の夏だったかな、ライヴで前橋に尾崎さんが来たのでチケットを買って見に行ったんです。黒のタンクトップにサマージャケットを着て行って、満員の前橋市民文化会館、真ん中くらいの席だったので尾崎さんは遠目にしか見えなかったのですが、開演の時刻がちょっと遅れたんです。なかなか尾崎さんが登場しないでいるとだんだん会場がざわめき出して、3列ぐらい前の僕と同い年かもうちょっと上の男性がいきなり立ち上がって、「尾崎、早く歌ってくれ!!」って泣きながら叫んだんです。そのくらい尾崎さんが若者の感情を動かしていた時代に、岡村さんのポジションはすごくいいポジションだったんじゃないかって思うのです。ただ、岡村さんを熱烈に聴いていたわけじゃないので、岡村さんのファンに申し訳ないんですけど……。

たとえば80年代の彼のMVを見ると、今のK-POPアーティストみたいなファッションをしていて、なんら色褪せた感じがしません。音楽も、プロモーションの映像も、自分がプロデューサーで全部つくっていた人だから、あれだけのことができるんでしょう。もちろん、オマージュしているアメリカやイギリスの音楽はあったと思いますが、それを自分らしく昇華してしまう力とセンスを持っていたので、吉川さんや尾崎さんとはまた違うチャンネルの「自分らしさ」を僕らに見せてくれていました。そんな岡村さんの姿を見て、改めて30年くらい前の、それこそ「Dog Days」とかは、当時大好きだったコンピューター・ミュージックのPSY・S(サイズ)の松浦雅也さんが、彼はのちにゲームの「パラッパラッパー」の音楽もつくった人で、坂本龍一さんみたいに「フェアライト」というシンセサイザーを使っていたんですけど、そのPSY・Sのボーカリストで大阪・西成区出身のCHAKAさんという女性が合いの手で、「車のない男には興味がないわ」と歌っているのが時代を感じさせますが、そのMVのロケーションで使われているのが漫画『スラムダンク』とか、映画『海街diary』とかの鎌倉の風景なんですよ。今のプロモーションビデオを見てるのと何ら変わりがないつくり方をしていて、「こういう色褪せない人っているんだな」って改めて思いました。あれって、どこかに属さなかった結果として生まれたのか、意識的なプロデュースなのかわからないんですけど、確かにそういう人っているじゃないですか。アーティストでも「なんとか系」って括れないけど、いつまでも色褪せない存在の人。僕の中では 1周、2周回って、変わらず岡村さんらしさみたいなものが、この30年間経ってもそれを変わらず維持している奇跡的なアーティストなんじゃないかなと思っています。そんな、岡村さんみたいなスタンスをどうやったらつくれるのかというのが、『ソトコト』というメディアをやっていく中で大事な視点なんじゃないかと思ったんです。「サスティナブル」というのはたぶん、人間のプレゼンスにも関係するんじゃないでしょうか。

いろんなところで、いろんな人に見られながら、人はつくられていきます。「もうあの人の時代は終わったよね」とフェードアウトさせられてしまうような、薄っぺらい形で消費されてしまうような、その人に対してすごく申し訳ない社会観の中で物事が動いていることがこれまでの日本には多かったんですが、今は好きなものは好きと言って30~40年続けられることが認められるようになったという意味では、みんな「岡村ちゃん化」していった方がいいんじゃないかと思うのです。それが流行ろうと、世界を席巻しようと、社会とつかず離れずのポジションにいながら自分の好きなことが続けられたら嬉しいみたいな。

言いたいのは、シャツにアイロンをかけている間に岡村さんの曲を聴いていたら、この人はどうしてこんなに色褪せないんだろう、『ソトコト』も岡村ちゃんのようなメディアとしてやっていけたらいいなと思ったということ。そういう意味では、みうらじゅんさんやいとうせいこうさん、あるいはイッセー尾形さんがそういうポジションかもしれません。僕の世代的にはかっこいい憧れのヒーローたちですが、メディアとしてもあんなポジションにいたいなと思うのです。

「ふくしま未来創造アカデミー」のリジェネラティブ

今、僕は「ふくしま未来創造アカデミー」という福島県の12市町村、相馬と双葉の相と双で「相双」というのですが、この浜通りを中心とした相双地域、田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村の12市町村との関わりを深める関係人口講座でメイン講師を務めています。今年で3年目になります。首都圏の10代、20代、30代のみんなが受講してくれていて、「リジェネラティブ」という意味でもいいコミュニティができていると思っています。

関係人口は、観光以上移住未満の「第3の人口」ということで、言葉としても定着してきていますが、地方の人口が減っているなかで地域の復興を考えるとき、そこに住んでいないけれども地域の未来づくり、産業復興でもいいんですが、そういったことに寄与する人たちをどう見つけていくか、あるいは伝えられるかということは結構大事なことです。

2024年4月24日には増田寛也さんたちが「人口戦略会議」で消滅可能性都市を提言しました。2050年までに日本の744自治体が消滅の可能性があるという分析結果を発表したのです。全自治体数の4割を超えるということで、以前にも消滅する可能性としての議論がされましたが、今回また改めて不安な気持ちになり、何か手を打たなければと政策に力を入れる動きが出てきているのも確かじゃないかと思います。移住・定住の政策とはまた違うアプローチで関係人口が改めて注目されているように思いました。関係人口という言葉を希望みたいな形で取り上げられることも多くなっています。

そんな中で、福島の相双地域では、帰還困難区域が段階的に解除されていますが、たとえば南相馬市や大熊町、富岡町のフェーズと、双葉町のフェーズは全然違っていて、国道6号をレンタカーで走ると、復興具合にタイムラグがあることが如実にわかります。

「ふくしま未来創造アカデミー」では、「東京相双化計画」というプロジェクトを受講生のみんながつくってくれて、モルックを楽しむとか、相双地域を東京に持ってきて、お店やマルシェを開くみたいなことを続けてくれています。僕の中では、島根県の「しまコトアカデミー」の初期に似ているなと感じていて、「しまコトアカデミー」も島根に移住しなくても島根に関わりたい人たちが一期、また一期と活動を続けてきました。最初は何かこう「一緒になんかやりたいよね」みたいな空気から、12期、13期とつながっていって、今のように層も厚く広がって、卒業生が400人以上の大きなコミュニティになっているのです。そこからUターン・Iターンだけじゃなくて、島根を応援するプロジェクトを立ち上げる人もいれば、起業したりソーシャルビジネスをつくったりする人たちも現れています。「ふくしま未来創造アカデミー」もそんな流れになっていくのではないかなと期待しながら、幸せな気持ちで見守っています。

「ふくしま未来創造アカデミー」と同じく「相双機構(福島相双復興推進機構)」という組織があって、この「相双機構」の主催で先週、「第2回関係人口サミット」が富岡町で開かれ、僕は基調講演を務めさせてもらいました。去年に続いて2回目の開催で、去年は「関係人口の可能性」というテーマでお話をしたのですが、今回は「関係人口とリジェネラティブ」というテーマで話しました。「リジェネラティブ」って一体なんだろうというところから始まり、その後、対話をする分科会もあって、みんなが考える「リジェネラティブ」ってどういうことなのかと意見交換をしました。たとえば、震災前に戻りたいっていう強い気持ちもある一方で、震災前に戻ることは「リジェネラティブ」ではないのではないかという意見も出ました。それぞれの未来に対する思いが発露された、とても有意義な時間でした。

「リジェネラティブ」は、最初に話したように「再生される」みたいなひと言で言い切ることはできず、時代のどこからどこまでを再生するかを、それぞれのコミュニティや個人の関係の中で考えることが必要だろうと思います。一つ言えるのは、時間を巻き戻して昔に戻すことがいいリジェネレーションではないということ。たとえば、未来に何を持っていって、何を置いていくのかという議論も含めて、まちの再生やコミュニティの再生は考えていった方がいいでしょう。日本は人口が減っていますが、それも時間を巻き戻してどうこうできる問題ではありません。時を振り返るにしても、いつを基準にすればいいのかもわかりません。みんなが「あの時は楽しかった」と振り返る「あの時」が、1分1秒違わず同じ時間であるはずがないですよね。世代によって思い出は違うでしょうから、幸せを連想させるような時間の再生はいいと思いますが、「1988年に戻りたい」っていうのはみんなの合意ではないと感じました。答えが出るような時間の取り方ではありませんでしたが、「リジェネラティブ」を福島の相双地域で、みんなで話ができたことはすごく意義があったと思います。関係人口と「リジェネラティブ」は、すごく相性のいい感覚じゃないかなと改めて気付かされました。

たぶん今は、「地域の役に立ちたい」とか、「何か困っている人たちを助けたい」みたいな感覚で関係人口になるフェーズではないと思うんです。「自分たちもおもしろいからやっている」みたいな、その場所に惹かれて来ているような、使命感よりもある種の「フェロモン」みたいなものに誘われてやって来るような。フェロモンって、ポジティブなものばかりが潤沢にあればそれがまちのフェロモンになるわけでもなく、自分の中でぴったり合うという意味では恋愛にも近い気もします。誰もが「パーフェクト」なものを欲しがっているかというと意外とそうでもなくて、自分の好きなものは「趣味、同じだね」というよりも、「趣味、違うね」みたいなところから表出するから、まちと自分との関係性も「違うね」という感覚から生まれたらいいなと僕は考えています。

僕は相双地域が大好きで、仕事でご一緒させてもらって阿武隈高地に行けることをとても嬉しく思っています。人によってはおいしいクラフトサケで人気の『haccoba』があるから行きたいと思う人もいるだろうし、相馬の文化がかっこいいなと思う人たちもいますから、すべてが「フェロモン」という言葉で表現してしっくり来るかどうかわかりませんが、生き物が惹き寄せられる感覚みたいなものを意識的に持てているかどうか、そんな視点を大事にしています。まちにフェロモンがあるかどうかは大事です。相双地域は間違いなく、そういう何かを醸し出している場所になっていることが、「ふくしま未来創造アカデミー」を受けているみんなの楽しそうな顔を見ていると感じます。その大きな理由が、相双地域に「好きなものがあるから」とか、「好きな人がいるから」なんですが、それは言い換えると「未来感」だと僕は思います。

「未来」って、決まってないところがいいですよね。「5年後にはこうなるから」という設計図ができているよりも、どっちに行くかはわからないジェットコースター感みたいなものがある。さっきの「揺らぎ」にも通じると思いますが、ドキドキワクワクすることを許容してくれるところに「リジェネラティブ」という言葉もハマっているのかもしれません。万事計画的に160階建てのビルを立てることがリジェネレーションかと言うと、そうでもありません。土の再生なんて、土壌の微生物に話を聞かなければわからないくらい答えがないのですから、その不可解性や不整合性みたいなものも含めてリジェネラティブという言葉がうまく言い表している。それを「ふくしま未来創造アカデミー」で感じています。

「第2回関係人口サミット」が開かれた日、僕は前日の午後から現地に前乗りしたのですが、この地域のみなさんはカツオをいっぱい食べるんですよね。僕もカツオの刺身は大好物です。それで、富岡町や双葉町の地元の方々が買い物をするスーパーではどんなものが売られているのか見に行こうとして店に入ったところ、びっくりしたのは、アイスキャンディが入っているような大型の冷蔵庫1台全部にカツオの刺身がぎっしりと並べて売られていたのです。夢のような売り場でした。高知で食べるのも好きですが、相双地域にこんなカツオ文化があるのかとうれしくなって刺身を買い、ホテルの部屋でも堪能しました。もう最高でした。

サミットの翌日は土曜日で休みだったので、僕は猪苗代の好きなエリアに足を運びました。行きたかったのは、郡山市湖南町。郡山といえば、「こおりやま街の学校」という講座の学校長を5年間ほど務めさせてもらい、去年で一区切り着いたのですが、それもあって郡山には思い入れがあります。佐藤哲也さんが代表を務めるクリエイティブファーム『ヘルベチカデザイン』が学校の事務局を担い、素敵なローカルデザインを展開されました。郡山は東北だと仙台市に次ぐ大都市で、文化都市としても知られているのですが、ローカルの中山間地域の顔も持っています。猪苗代湖に面する湖南町もその一つでしょう。素敵なワイナリーのある逢瀬町からトンネルを抜けて湖南町に入ると大きな栗の木が出迎えてくれて、牧歌的な風景が広がります。僕はアウトドアや釣りの雑誌をつくっていた頃から湖南町には縁があって、当時、ホテル代がなくて小さなバンガロー1棟に7人くらいで泊まる予算しか持っていなかった編集部の取材陣を、地域の方々はものすごく温かく迎えてくださったのです。「なんてやさしい地域なんだ」と思ったのがこの磐梯エリアです。そのときのコミュニケーションやご恩が今だに忘れられず、もう30年くらい通っています。今もキャンプ場を経営している方もおられるし、別の仕事をしている方もおられるようです。

そんな編集部時代の体験もあって、磐梯エリアは自分の心の一つの起点みたいに位置付けられているから、流行っているからとか、まちが盛り上がっているからではなく、無性に行きたくなるのです。誰に会うわけでもなく、風景が好きで行くのですが、特に「鬼沼」という場所が好きです。名前がいいでしょう、鬼沼。民話が伝わってそうで。「猪苗代 鬼沼」で検索してGoogleアースを見ていただくと、猪苗代湖本体にポコっとくっついているようにあるのがわかります。大きなシャボン玉に小さなシャボン玉がくっついたような形で。その鬼沼にはきれいな花を咲かせる水生植物がいっぱい自生していて、その風景が好きで見に行ったんです。たぶん4年ぶりくらい。新型コロナウイルスもあったので最近は行けてなかったのですが、ちょうど低気圧が抜けた後で清々しく晴れていて、ラッキーでした。

6月の爽やかな鬼沼の風景を見たとき、僕はまちづくりに関わることでいろいろな人と接点を持てる仕事をしているのですが、「原点はこれだな」とふと思いました。僕が今ここにいることを知っている人はほとんどいません。30年間通っていることを自慢したいわけじゃなくて、この場所に足を運ぶことで自分の中の時間軸が揺らがないで保持できる。それが僕にはとても大事なことなんです。一足飛びに、たとえば『ソトコト』の仕事に生かしたいなら、鬼沼周辺の方々に名刺を渡して手っ取り早く関係性を持つみたいなことはできるのかもしれませんが、そういうことは一切しないで、本当に「お前、誰だ?」みたいな感じで鬼沼に30年間通っているのです。大きい魚が釣れるからでもなく、単に鬼沼っていう場所がしっとりしていて、僕の好きなタイプの風景を見られるから行っています。30年間通っていることで、たとえば「こおりやま街の学校」の学校長を務めるときにも、まちの人々との接点として鬼沼があったことは心のよりどころにもなりました。

鬼沼の風景は知っているけど、もっとみんなと接点を持つことで鬼沼が立体的になっていく、そんなプロセスを一足飛びにしたくないという気持ちが強くて、それは僕の仕事のやり方の真ん中に置いていることでもあるから、鬼沼が接点になったことで30年間分の多幸感みたいなものを感じることができました。たまたま行った日に美しい風景が見られたのでSNSに上げたのですが、「指出さんって、地域づくりにどっぷりコミットしてるんですね」と言われると、「どっぷり」という言葉が合っているかわかりませんが、僕の地域に対するスタンスはこのくらいのじっくりとした感じっていうのが改めて自覚できました。

僕の信条は「辞めないこと。辞めなければ、いつか何かが起きる」ということ。同じように大きな魚を釣る最大の秘訣は「帰らないこと、釣れるまで」なのですが、それと同じで地域に関わることで何かを得られたり、作用できたりするためには、関わりを「辞めないこと」が重要です。「ふくしま未来創造アカデミー」を通して相双地域に足を運んだ年数は、鬼沼に通っている年数よりもはるかに短いけど、相双地域も僕にとっての鬼沼みたいな風景になっていくといいなと願っています。

鬼沼に通う目当ては他にもあって、猪苗代町の『まるいち食堂』のチャーシューメンと、湖南町の『大阪屋』のチャーシューメンにあることも確かです(笑)。この両店舗のチャーシューメンはめちゃめちゃうまいです。手もみ麺で、喜多方だけじゃなくて福島も、たぶん宮城も山形もそうだと思いますが、すごく実直にラーメンをつくっています。おそば屋さんのラーメンもそうですが、食堂のラーメンもめちゃめちゃうまいんです。ラーメン専門店のおいしさも評価しますが、カツ丼が食べられるし、ビールは飲めるし、ラーメンもうまいみたいな、誰にも開かれたお店が持つローカルのポテンシャルみたいなところは食堂で測ることがあります。『まるいち食堂』と『大阪屋』に行ってチャーシューメンを、それぞれ別の日に行って食べましたが、そこでラーメンを食べることが1年で最も大事な目標と言っても過言ではなかったので、それが今年は果たされ、鬼沼とはまた違った多幸感を味わうことができました。

※左側が『まるいち食堂』、右側が『大阪屋』のチャーシューメン。

<続く|取り戻したものと、変わらずにいてくれたもの、2つのリジェネレーション

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