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「紙切れみたいな一枚の経木から世界の森を変えたい。」伊那で再び始まる、昔ながらの経木文化

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 多くの人が「森林保全」と聞いてイメージするのは、できるだけ木を伐らないことや、さらに木を増やす植林活動かもしれない。しかし実は、今の日本の森にとって本当に必要なのは、ただ木を増やすための活動ではない。そう教えてくれたのは、株式会社やまとわ 代表・中村博さんだ。日本の森のこと、そして循環する森づくりの中でたどり着いた“経木”について、話を訊いた。

目次

荒廃していく、日本の森。

 日本は、国土面積の3分の2を森林が占める、世界有数の森林国。日本中、どこの地域にもある森林は、私たちの暮らしの中で様々な機能を果たしている。たとえば、地球温暖化の防止や、土砂崩れなど災害の防止、そして動植物たちの保全。さらに、心を癒やすセラピー効果や、山菜やきのこといった森の中で採れる食材の楽しみなども含めれば、森林から受ける恩恵はもっと多い。しかし、これら全てがうまく機能するためには、適度に木を伐採する“間伐”を行うなど日常的な森の管理が必要とされている。

森林

 世界では過剰な森林伐採が問題となっている一方で、日本では手入れされず荒廃が進む森林も多い。戦後、急激に増えた木材の需要を補うため各地に作られた人工林は、安価な輸入材の流入とともにいつしか管理されなくなり、収穫(伐採)の時期を過ぎた今も放置されたままになっている。

 森は降った雨を地中に蓄えることで、土壌の流出を防ぐと同時に水を浄化する。そして、森の豊かな資源の中で多様な生物が暮らすことにより相互作用が生まれ、自然環境が保たれているのだ。しかし、管理を放棄され、育ちすぎた木々が茂る森は、光が差し込む隙間もなく昼間も真っ暗。森林が持つ本来の力を発揮させるためには、多様な生命が共存する、木漏れ日の美しい森を取り戻さなければならない。

 そんな日本の森を変えるべく、地域の木材を使ったものづくりや地元の森林整備に取り組むのが、長野県伊那市にある株式会社やまとわの代表、中村さんだ。もともと郵便局員だったという中村さんは、29歳で仕事を辞め、木工職人の道へ進んだ。2016年には株式会社やまとわを立ち上げ、日本の森が抱える問題に日々取り組む中、今年8月には新たに「信州経木Shiki」の生産・販売を開始した。

信州経木Shiki

 現在はこうした地域材や森林整備の活動に熱中する中村さんだが、木工職人になった当時は全く関心がなかったという。そんな中村さんが、「やまとわ」という会社を立ち上げ、森林整備の活動に取り組むようになったのはなぜだったのか?

 そして、プラスチックが主流になる60年ほど前まで食品の包装材として使われてきた「経木」の生産になぜ今取り組むのか? 厚さ1ミリにも満たないこの薄い経木1枚1枚から世界の森林を変えていく、やまとわの挑戦に迫る。

関連記事:脱プラ+森林保全にも繋がる、懐かしい日本伝統の包装材「信州経木Shiki」発売

中村さんプロフィール
中村博さん●長野県伊那市出身。高校卒業後、郵便局員を経て木工職人の道へ。2016年10月、「森をつくる暮らしをつくる」会社、株式会社やまとわを設立し、代表取締役に就任。現在では、かんな削りの技術を競う全国的な組織である「削ろう会」信州支部の事務局長も務める。プライベートでは、2012年に地元有志で森林整備の団体を立ち上げ、週末林業に取り組みながら、日々森の中での暮らしを楽しんでいる。

表現者になりたい――その思いで選んだ、木工職人の道。

もともと中村さんは郵便局で働かれていたんですよね。現在の木工職人の道を選んだのは、「ものづくりがしたい」という思いがきっかけだったそうですが、その中で木工を選んだのはなぜだったのですか?

そもそも「ものづくりがしたい」と思ったのは、郵便局員のころの配達エリアに、昔で言う“ヒッピー”と呼ばれるような人たちが勝手に住み着いてるエリアがあって。その中にあったガラス工芸の工房で、若い職人さんたちと交流するのが好きで通ってたんです。変な人ばかりが集まっていて、すごく刺激的で。そのうちに、そうやって自分で生み出したものを世の中に発信している人たちに、僕はもう、すっごい憧れるようになって。だから郵便局員を辞めて本当はガラス工房に入りたかった。でもその工房の人に「絶対やめたほうがいい」と言われて(笑)。だけど、じゃあ何がいいかなって思った時に、木でものを作ることに興味があったというか。特別何かを考えたわけじゃなくて、漠然と家具屋が良かったっていう、そんなイメージなんです。

長野_南アルプス

そのときは木工職人になるための何かツテみたいなものはあったのですか?

当時、家族もいたので、とりあえず食べていけそうなところを探しました。そのとき僕は貯金保険の営業マンだったんだけど、お客さんで建具屋職人さんがいたんです。そのお客さんと話していたら、ある企業が廃業する建具屋を買い取って新しく立ち上げた建具屋があって、最近そっちに移ったという話を聞いて。そこで僕は「すごくいい話かもしれない」と思って、「友達が木工職人になりたいって言ってるんですけど、繋いでくれませんか?」と嘘をついてね(笑)。それで繋ぐ段取りまで全部つけてもらったあと、夜その方の自宅に伺って「すみません、実は僕なんです」って言って。

ええっ! すごい。相当びっくりされたんじゃないですか?

すごい止められて(笑)。「建具屋なんて食えないから、公務員辞めるなんて絶対やめろ」みたいな。でも僕も「絶対にそっちの道に行きたいんです」って頼み込んで。そしたらなんとか入れてもらえる話になりました。そのあと4年間くらいは修行期間でしたね。

森の現実を知って変化した、自分がやるべきこと。

やまとわ_KOA森林塾

当時は、とにかく「木工職人になりたい」という思いだったんですよね。そこから地域材でのものづくりや森林整備に取り組むようになったのは、なぜだったのですか?

実はそのあと、「森林塾」っていう木こりの養成講座をやっている会社から声をかけてもらって、そこで木工の仕事をしていました。あるとき森林塾を担当している先輩と話してたら、「国産の木を使わないことで日本は森林荒廃が進んでいて、しかも材木を輸入してくる国の中には森林がどんどん減少している国もある」という話を聞いたんです。そのときに一気に考え方が変わりましたね。自分は木でものを作ることが仕事。であれば、絶対に日本の木を使ってものづくりをするべきだ、と。そういうものづくりを通じて世の中に発信することで日本の木を使うことが増えれば、海外の木を輸入しなくて良くなるだろうと思ったんです。まあ、僕たちがやれることなんて、本当に少ない量の話なんですけど。でもやっぱり家具屋としてやる人がいないとだめだなと思って、僕がやってみようか、と思うようになりました。

木を扱う仕事だからこそ、中村さんの中には強い当事者意識が生まれたのですね。数年後に「やまとわ」という会社を立ち上げたのも、そうした思いの延長線上だったのでしょうか。

そうですね。そういうふうに思ってからは、地域材に完全にシフトして。その時点でも地域材を使ったものづくりはできていたのですが、やっぱり僕だけでやっていても使用量はすごく少ないし、もっと違うアクションをとりたい、可能性を広げたいっていう思いが強くなっていって。当時、地域のイベントなどで地域材や森のことについて話したりしてたんですが、その中で奥田(悠史)くん(株式会社やまとわ 取締役)と出会って意気投合したんです。それで一緒に会社を起こすことになりました。

やまとわのみなさん
やまとわのみなさん。左から中村さん、近藤さん、吉田さん、奥田さん。

昔ながらの経木、そして93歳の職人・山岸さんとの出会い

これは自分がやるべきことだ――そう直感した、経木との出会い。

経木

やまとわでは、中村さんがやってきたような、地域材での家具づくりや森づくりを中心に取り組む中で、昨年からは経木の製造にも挑戦していますよね。昔ながらの経木を、なぜ今作ろうと思ったのですか?

きっかけは、伊那市市長の白鳥(孝)さんから声をかけてもらったことでした。伊那の山は全体の約3分の1がアカマツなんですよ。アカマツはくねくね曲がるので加工もしづらくて、本当に価値がつかない木で。でもなんとか伊那のアカマツに価値をつけたいと思って、それまでもいろんな活動をしてたんです。そしたら市長がそのことを知ってたみたいで。「中村くん、『経木』って知ってる? これを復活させたいんだけど、興味ある?」って声をかけてくれて。それで、長野県でただひとり、今でも経木を生産している93歳の山岸(公一)さんのところに一緒に見に行ったんです。

93歳で現役とは、すごいですね!

そうなんですよ、現役バリバリでね。それで実際に作っているところを見たら、大きなかんなでアカマツを削って作られていて。使われている木も加工しづらそうな、良質な木ではないことがわかりました。だから経木の生産には、木材ひとつひとつの特性を見極める力とかんなの技術、両方がないとできないなというのを感じたんです。でもそのとき、自分なら両方できると思ったし、「これは自分がやるべきやつだ」って思ったんですよね。

経木職人・山岸さん

当時、経木について全く知らない中で現場を見に行って、その場で「これは自分がやるべきことだ」と感じたというのは、ある種運命的な出会いですよね。

昔は家具だけが作りたかったから、昔の自分だったら絶対やってないですね。「こんなの削るだけだし、つまんない」って思ってたと思います。

ではなぜ今、経木に魅力を感じることができたのでしょうか。

それまでアカマツのことをずっとやってきて、経木だったら確実にアカマツの利用に繋がると思ったからですね。今まで僕は家具を作ってきたけど、家具は直しながら何世代にもわたって使い続けられる木製品で。それってすごく良いことだし、やっぱりそういう木工家具が大好きだなと思う一方で、長く使い続けられるから地域材の利用は進まないんですよね。だからその当時も、もっと日常的に消費されていく木製品を探して試作してみたりしてて。どれもピンとこない中で、経木に出会って「これだ!」と思いました。もう「絶対にやるんだ」っていう感じでしたね。

伊那のアカマツ
伊那のアカマツ。「松枯れ病」により、アカマツがどんどん枯れていってしまっている現状もある。枯れてしまう前に、新たな生命を吹き込みたいと考え続けてきた。

手探りでスタートした、経木作り。

それから実際の経木作りはどのように進められたのですか? 

まずは山岸さんのところに通って、経木の機械を譲ってほしいと一生懸命話しました。当時、県内で経木を作っているのは山岸さんだけで、しかも後継者がいなかったので「後継者になりたいんです」っていうような話もして。それで無事、機械を譲ってもらって、伊那に持ち帰って試作を重ねました。

経木の機械
経木の機械。50年以上前の年代物。

経木作りについて何の知識もないところからのスタートですよね。相当苦労されたのでは?

どの機械も50年くらい前のものなので、ところどころパーツがなかったりとか、完全なものが全然なくて。1年半くらい前に機械は預かっていたけど、取り扱い説明書があるわけでもないし、全く正解がわからず使えなくて。それで、群馬で経木を作っている阿部(初雄)さんにも助けてもらいながら、足りないものは自分たちで作ったりして試行錯誤してたんです。そんな中で、この経木の取り組みを地元の新聞に大きく載せてもらった時に、隣の村の人から「うちにも機械があるよ」と電話をもらって。見せてもらったら、わりと完全なかたちの機械が残っていたので、それをまた譲ってもらいました。でもそれも完璧ではなかったので少しずつ調整して、やっと削れるようになったのが今から3〜4ヶ月くらい前の話。それでやっと商品化できるか、という感じでしたね。

まず機械で削れるようになるまでに、かなり苦労されたんですね。

もう経木の機械を作っている会社もないし、どれも年代物の機械だから大変でした。いろいろ教えてもらっていた阿部さんに機械の扱い方のコツを聞いてみたら、阿部さんも、自分の恋人だと思って『大丈夫か? 今日も頑張ろうぜ』って毎日声をかけながらやっているんだって、本当に(笑)。そういうふうに日々、機械の癖を見抜きながらやってるから、これはすぐにできるものじゃないなというのは本当に感じてました。あとはやっぱり、木の特質を見極めるっていうことのほうが難しくて。季節によって木の中の水分量も違うし、天気によっても木の性質は異なります。それに合わせて木を切ったり削ったりできないと、経木は作れないですから。

やまとわ_酒井さん
今年4月から「削ろう会」の酒井邦芳さんが経木作りに加わったことで、商品化へ向けてさらに加速。立ちはだかる難題をクリアしていくたびに「社長! できた、できたよ!」と喜びを爆発させながら報告をくれる酒井さんの姿が、特に印象に残っているそう。

経木から、本当の“豊かさ”を感じてほしい。

経木は機械を動かせば作れるというものではない、ということですね。

そう、ボタンを押したら同じものがどんどん作れますっていうものではないので。今まで日本はどちらかというと量の世界で成長してきたと思うし、経木みたいに1個1個を見極めて作るような面倒くさい産業は、切り捨てられてきちゃったところはあると思うんですよね。今まで利便性の豊かさを追求したからこそ、本質を忘れているような空気がある。でも経木は、そうじゃない豊かさを伝えることができると思っています。僕としては、そういうメッセージをこの経木1枚1枚に乗せてみんなに伝えたいと思って、作りながらワクワクするんです。

経木_包装紙

たしかに、やまとわの経木が出来上がるまでには、本当にたくさんの人の協力がありましたし、この薄い経木1枚にさまざまな歴史や思いが込められていますよね。木で作られているから環境にも優しいですし、かつて自然の中で無理なく営まれていた日本人の暮らしの歴史も感じられる、素敵なプロダクトだと思います。

使えば使うほど自然環境にいいっていうところもすごく良いんですよね。薄く削るから1本の木から大量に作れるし、ものすごく少資源で済むというかね。人の営みの都合にあわせて大量に切ってガンガン使っちゃうと資源も枯渇してくだろうし、伐採の仕方によっては土砂崩れみたいな災害につながることもある。でも、経木は少量でたくさんの人たちの生活を支えることができるので、森林の成長と人の営みのサイクルのバランスがちょうど良いし、循環しながら使い続けられるものだと思うんです。

この紙切れみたいな一枚の経木から、世界の森林を変えたい。

経木と料理

しかも調湿や抗菌の効果もあって、機能性に優れているという点も、昔の人の知恵ってやっぱりすごいと思います。この経木もさらに広まれば、私たちの暮らしも環境も、もっと良くなるのかもしれないですよね。

森だらけの日本であれば、今回みたいなことはたぶんどこでもできるんですよ。仮にアカマツがなかったとしても、違う材木で作っていたという歴史もあるので。だからもっと経木が広まれば、日本中の森の木が経木として使えるようになっていくし、そうなれば日本の森に対してもっと大きなアクションがとれるようになっていく。僕たちも安定して経木を作れるようになったら、仲間をたくさん作って、日本中で作ってくれる人が増えていくといいなと思いますし、いずれはそんな活動もしたいと考えています。

会社や地域の枠を超えて多くの人に広めていきたいと考えているのは、やまとわや中村さん自身が、日本や世界中の森を本気で変えたいと思っているからこそだと感じます。

僕が本当にやりたいのは、この紙切れみたいな一枚の経木が、世界の森林事情を変えていくっていうこと。経木は僕らがやろうとしていることに確実に繋がっているし、本当にやるべきことだと思っているので。それにこの経木に対して、社員みんな一生懸命取り組んでくれているのを感じています。やまとわは“何をしたいのか”ということをすごく大切にしている会社のつもりでいるので、みんなのベクトルをひとつにするのにも経木が活躍してくれているのは、社長としても嬉しいですね。そんなふうに経木は、森にも人にもアクションがとれる。なんて素敵なんだ、と思います(笑)。だから今はもう、経木のことをやりたくてしょうがないですね。

中村さんとやまとわの皆さん

 最後にそうに語ってくれた中村さんは、この取材の途中で「楽しく暮らしていると、仕事になっていくんです」とも話してくれた。そのことを証明するように、森や経木のことを話す中村さんはずっと楽しそうで、その姿は少年のようでもあった。

 仕事として森や自然に良いことだけをストイックに実践するのではなく、あくまで自分たちの暮らしを良くするために、とことん楽しみながら活動する。そんなふうに、“森との豊かな暮らし”を自ら体現する中村さんを見て、森の整備や地域材の利用に取り組む仲間はどんどん増えていくのだとか。楽しくなければ、誰もやりたくないのは当然。中村さんもそう感じているからこそ、自分自身も遊ぶように取り組んでいると語ってくれたのも印象的だった。

 日本の森を守り、大切な資源として正しく消費していくことは、世界の森林と地球全体の自然環境を守っていくことにも繋がっていく。まずはほんの少しでも、普段の生活に日本の木を取り入れてみてはどうだろう。自然が生む美しい木目から感じられる温かみと優れた機能性は、自然環境だけでなく、私たちの何気ない暮らしも豊かにしてくれるはずだ。

やまとわのみなさん

<やまとわと繋がる>

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