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特集 | sotokotoclassics

笛吹き男、ゴミを追え!

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笛吹き男1号が吹き鳴らす笛に踊らされ、笛吹き男2号はハーレー・ダビッドソンに打ちまたがり、ゴミ大国日本の首都東京のゴミ追究に乗り出した。さかのぼって江戸から現在まで、東京のゴミはどう処理されてきたか、されているのか、以下はそのレポートである。

主演=剣太郎 セガール
撮影=夏 永康
服飾=北村 勝彦

下水道の歴史は江戸時代にさかのぼる。1641(寛永18)年、石垣で下水が造られた。それ以前ゴミ捨て場は会所地だったが、以降は下水となった。初期の下水は吸い込み式でゴミを除く杭が打ってあり、月に3回清掃する決まりであった。古来、日本ではし尿を肥料としてきたが、人口の大都市集中と大雨による浸水で汚水が溢れ出て伝染病が蔓延。1877(明治10)年〜1882(明治15)年のコレラ大流行を機に、下水道設備が必須となり1884(明治17)年、内務省技師・石黒五十二の設計案に基づいて神田下水が我が国近代下水道の先駆けとして建設された。現存する一部614メートルは今も機能を果たしており、東京都文化財に指定されている。

東京23区の下水道普及率は1978年に70パーセントとなり、今はほぼ100パーセント、約800万人が利用している。下水道管の総延長は約1万5000キロ、新幹線の東京〜博多間6往復以上の距離に当たる。張り巡らされた地下水道を経て、雨水・炊事洗濯などの生活排水、水洗便所の排水などは、東京23区に12か所ある総面積約301万平方メートルの下水処理場に集められる。そこで1日に東京ドーム約3.7杯(約466万立方メートル)の汚水が処理される。日本最初の下水処理場は、1922(大正11)年に建設された三河島処理場。現在、芝浦処理場では微生物を利用した活性汚泥法により1日平均約70万立方メートルを処理、再生水の一部を近隣ビルでトイレなどに使用し、残りを高浜運河(東京湾)に放流している。また発生する汚泥は焼結して透水性ブロックやレンガなど建設資材にするほか、堆肥にして緑地・農地に利用している。下水道はリサイクル実践システムである。将来は下水道管内に光ファイバーケーブルが敷設され、情報通信網が整備される計画。暗い下水道には、最先端の科学技術が開く明るい未来がある。

成立期の江戸では、家庭ゴミは空き地や堀、川に投棄されていた。やがて人口の江戸集中に伴い、市街から離れた場所に投棄場が設置されるようになった。ゴミ処理の最初の法令は1647(慶安元)年、三代将軍・徳川家光の治世末期に施行された「覚」である。

次いで2年後に、「一、会所へ只今迄捨て置き候ごみ、掃き溜めへ分け、四町の町中として五日の内に早々取り捨て、跡を平らにならし申すべく候。以来、少しもごみ掃き溜め捨て申す間敷く候。……」の町触れが出た。これにより、会所地はゴミ捨て場として使えなくなる。1655(明暦元)年には、各町共同で集めて永代浦(今の佃辺り)へ捨てるようになった。1662(寛文2)年の町触れには次のようにある、「お堀、町屋の入堀、裏々の大下水、空き会所等に塵芥を捨てるな。また、死体、牛・馬・犬・猫・鳥の死骸を捨てないように」と。だが、不法投棄が止むのは廃棄物が都市の経済システムに組み込まれてから後のことである。

1666(寛永6)年、各町が金を払って特定のゴミ掃除人「塵芥請負人」に処理を依頼するようになり、それが後に「浮芥定浚請負(うきあくたじょうざらいうけおい)」という独占的組合に発展。かくてゴミ処理は金儲けと化し、縄張り争いが激化することとなった。

江戸期はリサイクルも盛んで、現在のようなボランティアではなく産業の一部であった。たとえば以下の職種があった。●提灯の張り替え、錠前直し等壊れものの修理を本業としながら新品の販売、古物の下取り等をする職商人●瀬戸物の焼き接ぎ、下駄の歯入れ等修理・再生の専門業者●紙屑買い、肥汲み、灰買い、落ちてるものを拾う等回収専門業者。

リサイクル業者は、ゴミの行商人であった。さらに江戸では初物が珍重されたため、ゴミを農村に運び込み促成栽培の肥料という名目で売る者もいた。新田造成にもゴミを利用した。江戸にはゴミを金に替える、いわば錬金術師の集団がいたのである。

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現代ではどうか。東京都によると1996年の東京23区のゴミ総量は、年間東京ドーム13杯分(413万トン)であり、あと15年で新しい埋立地は満杯となり、埋める場所がなくなるという。そこで定められたのが『東京ルール』。1997年制定の『容器包装リサイクル法』は使い終わった包装容器類を分別回収し資源化しようとするものだが、『東京ルール』では、特に再利用率が2パーセントしかないペットボトルのリサイクル・システムを整備することを主眼としている。はたして東京のゴミは、いかにして生き返るのだろうか。

先進諸国では環境問題への関心が高まっている。官民一体でゴミ問題に取り組む国々の具体例を見てみよう。まず、大自然に恵まれた国というイメージの強いカナダだが、やはりゴミと公害に悩む。ブリティッシュ・コロンビア州ヴィクトリアでは、最新技術を駆使して廃棄物管理とリサイクル基準を審査する試験プログラムを採用している。無線周波数技術を用い、ゴミ収集時に世帯主とゴミ用コンテナを識別、ゴミの種類と重量を計測。ゴミの責任の所在を明らかにし、重量ベースに基づいた料金請求書を各家庭へ送る。ゴミ収集から請求まで完全自動化することで、人為的ミスをなくし各個人の廃棄物抑制・分類とリサイクル意識を養っている。

アメリカのテキサス州ワコ市では、ゴミ処理場は自動化データ技術の大きな市場になりつつある。処理場に出入りする1日400台ものトラックの渋滞を緩和し、廃棄物の分類を促進。これにより搬入車両のタイム・ロスと請求金額の誤りをなくすと共に、廃棄物・排水による地下水汚染と埋立地不足の問題を解決する手がかりにしている。

欧州で最も厳しい環境法規制を持つドイツでは、1972年から廃棄物政策の根幹となる法制度が誕生、1993年に画期的な廃棄物処理法『包装材廃棄物規制令』を制定した。この法令によりドイツの家庭ゴミ総量の約50パーセントを占める包装廃棄物は、包装材メーカー、製造メーカー、流通業者等事業者の廃棄物回収・再利用が義務づけられ、製品の利用・所有が消費者に移行しても廃棄物処理は製造者が責任を負うことになった。

ドイツ等のモデルとなったスウェーデンは、官民双方が「自然循環型社会」を目指し、「人の健康を守る」ことを優先してきた。従って、環境問題が起きてから対処するのではなく、ゴミが出ないように、そして安全なゴミ処理ができるように予防する政策がとられている。エコマークをつくり、市民に環境負荷の低い製品を選択することを奨励している。循環型社会に貢献する企業の一つ、ソンガ・セービ・ホテルでは社員に対する環境教育を徹底し、ゴミを22種類に分別した上でほと
んどを再利用している。

2008年、日本の埋立場は満杯になると試算する学者もいる。ゴミが増殖する日本では、「もったいない」思想が生きていた古き良き時代のようにゴミを出さない社会を、いかにして実現するのだろうか。

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