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サスティナビリティ

連載 | こといづ

すなおに

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毎日、一日一曲、あたらしい曲が生まれたらいいなと思って暮らしている。だけど、なかなかそう思いどおりにはいかないもので、ピアノに向かってみても何も弾きたいことが浮かばなかったり、あれやこれや手を出してみても何も心に引っかからない時だってある。じたばたしている僕を見かねて、妻が一言、「心のコップが空っぽなんじゃないの。いっぱい体験して心を溢れさせないと。新しい体験をしよう。まずは散歩にでも行ってきたら」。まさにそのとおりだなと思って、よし草刈りでもするかと重い腰を上げたら、汗びっしょり夢中になってあっという間に一日が終わってしまった。

疲れ切ったを休めながら、ぼんやりと考えてみる。何がしたかったのやったっけ。考えれば考えるほど、やりたかったのは、ただピアノが弾きたかっただけなんやなあと思い至る。でも、厄介なことに、音楽って、なぜだか繰り返し繰り返し同じ曲を演奏してしまう。昨日も今日も、同じ曲をついつい弾いてしまう。知っている曲を弾いた瞬間に、ぱっと、その曲だけが持つ気配に包まれて、魔法のようやなあ、やっぱりいいなあとうれしくなるのだけれど、心の何処かでは、やっぱり、今までの自分をすっかり忘れて、全身全霊で、いま、ここに集中したい。ふわりと辺りに漂うように、確かに流れ続けている未知なる音楽の世界に、躊躇せずにどっと入ってしまいたい。

今年の梅雨は、実に梅雨らしく、雨雨雨。屋久島、沖縄と、どこに行っても雨が降っていた。楽しみにしていた海には入れなかったけれど、空気の中をたんまり泳いだような、濃密に満ち満ちた水の精気の中をじわあっと進むでもなく進んだような、不思議な感触に浸った季節だった。お陰で、気がつけば、雨の気配をまとった水々しい曲がいくつか生まれていた。

今、ふわっと会いたい人がいたとして、一緒に何かやれたらと願ったとして。その人はいったいどんな人なんだろうと思い馳せてみる。躰がよく動いて、隅々までよく動いて、やかで、しなやかな人だ。動物や植物や虫たちと同じ目線に立っていて、彼らの生きる時間や世界観をよく知ろうとしている人だ。風や水や土の歌を聴き取ろうとしている人だ。そんな人に会いたいと思うということは、自分がそうありたいのだろうなと素直に思ってみる。

それで、ちょっと躰を動かしてみる。思った以上にいつの間にか躰が弱くなっている。元々硬い躰がさらに硬くなっている。汗が滲むまで、息が切れるまで、足を上げたり跳びはねたりしてみると、とても気持ちがいい。ずっとこれがしたかったんだ。そういえば、87歳の元気なハマちゃんは、毎朝、体操してるって言ってたな。「朝起きたら、寝床でな、30分ほど寝ながら足を上げたり背中を反らせたり。あんたもやりなさい。歩けへんなったらかなん」。もっと早く、ハマちゃんが言ってくれていたように、引っ越した頃から運動し続けていたら、どんなに違った躰だっただろうな。直ぐには手に入らないものだから、一歩一歩。昨日よりもほんの少しだけ何かができるようになっていくのが、こんなにも楽しい。子どもの頃の感覚。もう一回、すなおに。

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