個人の「私」から、個人と全体を含む「わたしたち」への広がりが重要視されているウェルビーイング。「わたしたち」を意識することで、個と集団の関わり方はどう変化するのか?ウェルビーイングとテクノロジーの関係を研究する渡邊淳司さんが語る。
今、なぜ、 持続的ウェルビーイングか?
なににウェルビーイングを感じるかは、人それぞれです。食べることが好きで毎日の食事にウェルビーイングを感じる人もいれば、会社で仲間とプロジェクトを成功させることにウェルビーイングを見出す人もいます。平和な世界を築き上げることにウェルビーイングを求める人もいるでしょう。あなたはどんな時にウェルビーイングを感じますか?
ウェルビーイングには、大きく分けると3つの側面があります。1つ目は、心身の健康を問う医学的ウェルビーイング。2つ目は、その時々の快・不快など主観的な感情に関する快楽主義的ウェルビーイング。そして3つ目は、いきいきと暮らし、人生の意義を感じている状態を指す持続的ウェルビーイングです。
特に3つ目の持続的ウェルビーイングの重要性が今、増していると言われています。その社会的背景の一つに、人口減少が挙げられます。日本の人口は、1868年の明治維新頃の3330万人から、1945年の太平洋戦争終結時の7199万人を経て、2004年に1億2784万人のピークを迎え、その後、減少に転じています。とくに戦後から高度経済成長期、バブル期、そして現在に至るまでは、個人が与えられた役割を全うして社会を築き、ものやサービスを消費して経済的価値を追求することが「よい」とされ、掲げた目標に向かって”最短距離“で一直線に駆け上がり、到達することに人生の幸せやウェルビーイングを実感していました。ところがこの先、2050年には9515万人、2100年には4771万人(※)と予測される人口減少時代に経済成長を想定することは難しく、経済的価値を追求する生き方では人生や社会が成り立ちません。そして、もう一つの社会的背景として、社会が予測困難になってきたということがあります。一度決めた目標に直線的に突き進もうとしても、社会の変化に対応できず、失敗するケースが見られるようになりました。変化に対応するには、多様な人々とよい関係を築き、「わたしたち」として自分と場の全体、両方の「よい状態」を適応的に実現する必要があります。実際、家庭や地域、学校や職場では「わたしたち」としてのウェルビーイングを重視する人が増えています。
「私」から「わたしたち」へ。 意識を変える方法を考案。
共同研究者で京都大学教授の哲学者・出口康夫さんは、「われわれとしての自己(Self-as-We)」という自己観を提唱されています。この考え方では「私」ではなく「わたしたち」を自己であるとし、そこから個々の人は行動を委ねられているとします。「わたしたち」のウェルビーイングを実現するうえで、とても参考になる考え方です。
例えば、会社。上司が命令し、部下が言われたとおりに役割をこなすだけの働き方は、未来が予測できない現在では、うまく機能しないことは先に述べました。そこで各社員がチーム全体を「わたしたち」として自分ごと化し、全体の中での役割を、個人としての主体性に委ねながら働くほうがうまくいくのではないかということです。
家庭も同様です。子育ては女性だけがするものという価値観ではなく、家庭を一つのチームと捉え、男性も責任を持って子育てに関わることで「わたしたち」の子育てが実現されるでしょう。
「私」から「わたしたち」へと意識を変えるために、こんな方法を考案しました。「わたしたちのウェルビーイングカード」です。「挑戦」「思いやり」「信頼」といったウェルビーイングの要因が書かれた27枚のカードから、3枚のカードを選ぶことで、人がなにを大事にしているか、なにに幸せを感じるのかを知ることができます。
ある小学校で、このカードを使った授業を行いました。お題は、「ウェルビーイングな休日」。どこで、なにをすればウェルビーイングな休日を計画することができるかを、生徒たちがカードを使って考えました。
生徒たちは、5名のチームになって、まず各人が3枚ずつ自分のウェルビーイングについて紹介し合います。15枚のカードが出揃ったところで、それらができるだけ満たされる休日プランを考えます。例えば、あるチームでAさんから「社会貢献」のカードと、Bさんから「自然とのつながり」というカードが出ていたとします。この時「富士山に登ってボランティア活動をする」というプランは、AさんとBさん両方のウェルビーイングを実現することができます。このように「私」のウェルビーイングを出し合い、それらについてみんなで対話することで、「わたしたち」のウェルビーイングを満たすプランを導き出すことができるのです。もちろん休日だけでなく、クラス全員がウェルビーイングを感じられる学級目標なども考えることができるでしょう。このようなウェルビーイングをテーマとした授業を行うことで、生徒たちが価値観の異なる人々と持続的に対話し、お互いを慮りながら考える能力が育まれるのではと思っています。
もちろん、いきなり27枚の「わたしたちのウェルビーイングカード」を手渡され、自分の価値観を他人に開示せよというやり方に抵抗を感じる人もいるかもしれません。そんな控えめな人には、「心臓ピクニック」という体験がおすすめです。7センチほどの立方体の箱につながった聴診器を胸に当てると、心臓の鼓動に合わせて箱がドク、ドクと振動し、まるで手の上に心臓が乗っているような不思議な感覚が得られるのです。この箱を名刺代わりに使って、互いの心臓の鼓動を手のひらに感じたら、肩書にとらわれることなく「生きている存在」としての価値を互いに感じ取ることができるでしょう。「わたしたちのウェルビーイングカード」を見せ合う前に心臓ピクニックを体験すれば、自分の秘めた価値観を開示する心理的な壁はかなり低くなるはずです。
ウェルビーイングは、 プロセスにこそ意義がある。
例えば、食事。人がものを食べるというのは、本来的に言えば、健康な体をつくるために必要な栄養を摂取する行為です。でも、それだけではなく、好きな人と一緒に食べたい、大勢で会話を楽しみながら食べたい、仲間と持ち寄ったものを食べたい、あるいは、一人でひたすら味わいたいなど、いろいろな食べ方をしたいはず。栄養採取の機能だけではなく、食べるプロセス自体を味わうことに幸せを感じる。それが、プロセスとしてのウェルビーイングです。楽しみながら食事をすることで、結果、目標である体づくりのための栄養も摂取できていた。それでいいと私は思います。ゴールに達成するだけでいいのなら最短距離を行けばいい。食事中の会話も不要です。でも、プロセスも大事。「わたしたち」が生まれる対話やコミュニケーションのプロセスにこそ、人はウェルビーイングを感じるのではないでしょうか。ゴールは、「わたしたち」のよい状態を一緒につくり合うなかで、気づいたら点数が5点から6点に上がっていたという「副産物」として達成できていればいいのです。
さて、私がウェルビーイングという価値観に本格的に向き合うようになったのは、シドニー大学(当時)のラファエル・カルヴォさんとUXデザイナーのドリアン・ピーターズさんが、ウェルビーイングとテクノロジーの関係を示した書籍『Positive Computing』を翻訳したことがきっかけです。その本には、コンピューターが誕生した当初は生産性や効率性がひたすら追求されたが、そんな価値観は過去のものになりつつある、とあります。生産性や効率性のためだけでなく、人々の心や社会の問題にも資するテクノロジーを探る必要性を説いたもので、今読んでもためになります。
最後に、私がウェルビーイングとデジタルテクノロジーについて考えるようになった、個人的なエピソードを紹介します。私は学生の頃から芸術祭などで有名な香川県の直島が好きでした。20年近く前になりますが、たまたま直島を訪れる直前に自分のブログに「直島に行きます!」と書いたら、面識のない直島のカフェの主人から「ぜひいらしてください!」とコメントが入りました。現在ではよくある話なのかもしれませんが、当時はその偶然に驚きながら、デジタル空間でのちょっとした出来事が、私の旅のプロセスに一つの楽しみをもたらしたのを覚えています。そして、実際にお会いしたときに感じたカフェの主人のホスピタリティは、今思うと、家族や地域、職場や学校など日常の場で生まれるものとは違った、非日常における「わたしたち」のような感覚がありました。つまり、デジタルはそこから「わたしたち」を生み出したり、その形に彩りを加えることができるのだなと。さらにこれからリアルとデジタルはより密接になり、世界にはいろいろな「わたしたち」のつくられ方があるのだと思いますし、そこでのウェルビーイングの在り方も多様になっていくのだと思います。
わたなべ・じゅんじ●1976年生まれ。東京大学工学部卒業、同大学院修了。博士(情報理工学)。NTTコミュニケーション科学基礎研究所人間情報研究部上席特別研究員。人間の触覚のメカニズム、コミュニケーション、情報伝送に関する研究を人間情報科学の視点から行う。著書に、毎日出版文化賞を受賞した『情報を生み出す触覚の知性』(化学同人)、翻訳に『ウェルビーイングの設計論』(BNN)、監修・編著に『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』(BNN)など。
記事は雑誌ソトコト2022年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。