家庭医療専門医とは、患者本人を「まるごと診る」医師のこと。医師でありながら地域に飛び出し、人々のつながりと健康に関する活動をしてきた孫大輔さんは、東京から鳥取県・大山町に移住したいま、地域全体のウェルビーイングに取り組んでいる。
対話を通じて一人ひとりの よい状態を考える。
実はもともと専門医である腎臓内科医だった孫さん。家庭医療・総合診療で有名な医師との出会いなどを経て2008年から家庭医の道を歩み続けている。「専門医も家庭医も、患者さんの病気を治療するのが最大の目的となりますが、腎臓内科医だった頃は、どんな腎臓病で治療法があるのかが中心にありました。つまり専門医は病気そのものを診ているといえます。家庭医はそこが違っていて、患者さんの家族、その方が置かれている環境や地域社会のことを知り、人としての全体像を捉えるなかでケアをしていきます」と、孫さんはいう。家庭医は明確な答えのない問いを取り扱うことも多い。
例えば、認知症の患者を診る場合は、治療以上に家族や周りの人がどう支えていくのか、本人がそれでどれだけ幸せに生きていけるかという点が重要になる。「もっというなら、健康とは病気を取り除けるか否かではなく、患者さんの総合的なウェルビーイングが高まっている状態のこと。対話を通じてその人の生きがいや、よい状態を探っていくことは、家庭医としてとても大切なのです」。
まちなかや地域に広がる活動の場。
このとき孫さんは、同じく文京区にある東京大学大学院の医学教育国際研究センターで講師を務めていたこともあり、健康に関する研究の一環として谷根千エリアで暮らす寺の住職や銭湯のオーナーなどさまざまな人にインタビューを実行。話を聞けば聞くほど、この地域に魅了されていった。「インタビューを通じてゆるい人々のつながりをつくったり、お互いへの信頼感を高めたりする銭湯のような場所の存在が、地域の、コミュニティのウェルビーイングにとって重要であると気づきました。『まちけん』でもそんな場を目指しながら、健康に関する取り組みをしていきたいと思ったんです」。
「まちけん」主催の対話イベントを開くうちに、谷根千エリアの内外から個性豊かなメンバーが集まるようになり、「モバイル屋台カフェ部」などをはじめ、個人のウェルビーイングを目的としたさまざまな部活動が自発的に生まれた。そのなかの「映画部」では、映画観賞の域を超え、谷根千を舞台にした映画『下街ろまん』まで自分たちでつくってしまったのだから驚きだ。クラウドファンディングを行い、「まちけん」メンバーやまちの人たちと一緒につくったこの映画の監督は、もちろん孫さん。映画の上映会では、のちにお世話になる鳥取大の先生との出会いもあった。その出来事も含めた新たな縁に導かれるように、孫さんが次なる拠点として選んだのが鳥取県・大山町だった。
より地域に近い場所でウェルビーイングに向き合う。
去年は、大山町の地域保健事業のひとつである「大山100年LIFEプロジェクト」の21年度の事業として孫さんに白羽の矢が立ち、新たな映画製作がスタート。まちの課題でもある在宅医療や地域医療をテーマにした新作映画『うちげでいきたい』は現在、大山町を中心にさまざまな場所で上映会が開催され、映画とその後の対話を通じて地域の人たちが在宅看取りなどについて考えるきっかけをつくり続けている。
コミュニティナースとは、病院ではなく地域の中に入り、まちの人の心と体の健康をサポートする人のことで、中山さんは公民館やカフェ、朝市などの場所で病院に行かなくても健康についての相談ができる「暮らしの保健室」を開いている。「暮らしの保健室では、高齢者の方や産前産後のお母さんなど住民の方との会話のなかでのつぶやきを拾い、そこで健康に関する気になることがあれば、アドバイスをするようにしています。いまは試行錯誤しているところですが、今後は地域の方たちの生活の動線のなかにも暮らしの保健室をつくっていきたいと思っています」と、中山さん。
地域のウェルビーイングと一言でいっても、アプローチ方法もプロセスもさまざまで、答えはない。「家庭医としての向き合い方、あり方と同じだと思っています。患者さん一人ひとりを見て、その人の価値観や人間性にあった形でケアをしていきウェルビーイングを高めるサポートをする。僕らはゆるいつながりを育みながら、それを地域に対して行っていくだけです」と、孫さん。その顔に浮かんだやわらかな笑顔に、大山町の未来を見た気がした。
谷根千まちばの 健康プロジェクト「まちけん」 とは?
写真提供:まちけん(2016年〜2019年)
モバイル屋台カフェ部
ダイアローグ部
映画部
プレイバック・シアター部
マインドフルネス部
記事は雑誌ソトコト2022年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。