SNSでの拡散や口コミなどがお店の集客に大きな影響を与える現代において、お店の所在地を明らかにせず、限られたお客さんとの関わりを大切にしているレストラン「クロッサムモリタ」とそのオーナーである森田隼人さん。レストラン経営だけでなくコロナ禍における畜産業救済のためのクラウドファンディングなど「食」にまつわるさまざまな取り組みを続けてきた森田さんが、新たに「食」のウェルビーイングな未来をつくるためにナイジェリアでの活動を始めます。今回の取り組みのきっかけや展望について、ソトコトオンライン編集部でお話を聞きました。
僕がナイジェリアで食を通じたウェルビーイングな活動を始めるワケ
森田隼人さん(以下、森田) 40歳を越えてぼんやりと将来が見えたとき、ワクワクするチャレンジを毎年続けたいと考え、ロシアでの日本酒づくりや、大阪から熊本まで和牛とともに歩く「旅する和牛」、ペルーのマチュピチュ遺跡でのプロジェクションマッピングなど、さまざまな取り組みを続けてきました。
次に何かをやる場所としてナイジェリアを選んだ理由には、そのポテンシャルに惹かれたことが挙げられます。ナイジェリアは人口が約2億1,140万人(2022年)と日本の倍以上で、かつ国民の平均年齢も低く、また南アフリカ共和国を超え、アフリカ最大の経済規模を誇る国でもあるんです。
しかし、明るい話題ばかりではありません。
ナイジェリアの国内には深刻な経済格差があり、国内の富のほとんどを、0.5%ほどの富裕層が掌握しており、残る国民の多くが貧困にあえいでいるという現状があります。この問題を「食」で解決したいと考えたことも、ナイジェリアを選んだ理由ですね。
スポーツ、アート、音楽以外に貧困から抜け出すための方法論…それがシェフという職業
森田 現地の貧しい人たちが貧困を抜け出す方法としては、主にサッカーをはじめとするスポーツ選手として大成すること、あるいはミュージシャン、音楽家として成功すること、もしくは音楽以外のアートの分野で有名になること、この3つが挙げられます。しかし、これは個人の才能に依存する部分が多く、誰もが貧困から抜け出すチャンスを持てているとはとても言えない状況です。
そこで僕は、「シェフ」という仕事を貧困を抜け出す新たな道にできないかと考えました。
ナイジェリアには食文化はあってもそれを楽しむという習慣がほとんどありません。ナイジェリアの多くの人にとって食事とは、楽しむためのものではなく、ただエネルギーを補給するだけの行動になっています。ごく限られた一部のエリア以外にはレストランもなく、国内に「シェフ」という仕事が存在しないといってもいいでしょう。
ソトコト 日本にいると、食事は日々の楽しみのひとつであるのが当たり前ですから、食を楽しむ習慣がないというお話は衝撃的ですね。
森田 シェフには、スポーツ選手や芸術家のような特別な才能は必要ありません。それでいて、シェフは世界中のどこでも人を喜ばせることができる職業です。僕はナイジェリアに「シェフ」という職業をつくり、その地位を高めていくことで現地の人たちが貧困から抜け出す新しい道をつくりたいと思います。
レストランがほとんどないナイジェリアで、レストランを作る未来
森田 ナイジェリアの首都はアブジャという都市なのですが、国内最大の都市は別にあって、ラゴスと言います。このラゴスのなかに「マココ」という地域があります。ここでは、隣国のベナン共和国から移り住んできた方たちが水上に街をつくり、今では人口20万人を数えるエリアとなっており、「世界最大のスラム街」と呼ばれることもあります。一応言っておくと、本来、水上生活をしていたベナンの方々のコミュニティなので水上生活は自然なことであり「スラム街」という言い方は現実に即してはいないのですが。
そして、このマココはナイジェリア国内においてインフォーマルなコミュニティとして公の存在になっていません。つまり、20万もの人が住んでいるにもかかわらず町や村として扱われていないんですね。そのため、行政などの支援を受けることもなくインフラも脆弱で、1日の半分は停電、水道も整備されていないといった状況です。
ここに、僕は水上レストランをつくれないかと構想しています。
ソトコト すごいリアルなお話ですね。
森田 しかし、マココにはそれを補って余りあるポテンシャルがあると僕は実際に現地を見て感じました。ここにレストランをつくって、現地の方たちをシェフとして雇い、まずはこの地を訪れるバックパッカーなどに現地の料理を振舞えるようにしたいですね。
余談ですが、ナイジェリアの現地では、オートバイによるタクシーのことを「オカダ」と言うんです。日本の苗字の「岡田」さんとは関係がなくて、昔、現地に「オカダ」という飛行機会社があって、それ以来、輸送業者を指して「オカダ」と言うようになったらしいです。僕は、これをとてもおもしろいと感じていて、ゆくゆくはナイジェリアでは「シェフ」のことを、僕の名前である「ハヤト」と言ってもらえるようになれればいいなと思っています。
ソトコト もし、ナイジェリアで「ハヤト」としてビッグになった方が、日本に来て「どうして『ハヤト』なんですか?」と尋ねられて、「マココに初めてレストランをつくった人の名前だよ!」と答える未来が来てほしいですね。本日は、ありがとうございました。
子どもたちに食事を振舞い「ハヤト!」「ハヤト」!の大合唱に包まれる森田さん。
近畿大学卒後、建築設計事務所にて国家資格を取得、25歳でデザイン事務所「m-crome」設立。商店街及び市街地再開発事業を手掛ける。また、事業材のリサイクルに着目し「デジタルドレスデザイン事務所」設立。その後、東京都特別区公務員となり上京。
レストラン事業は2009年7月、東京神田に関東初となる立ち焼肉「六花界」をオープン。その後、「初花一家」「吟花」「五色桜」等、出店した全店が予約が取れない名店となるばかりか、日本初となるプロジェクションマッピングを活用したレストラン「CROSSOM MORITA」は建築家として一つのエンターテインメントを確立。また、2022年渋谷に大型大衆焼肉店「和牛の神様」をオープンさせる。また日本酒吟醸熟成肉等の、過去になかった調理技術も発明している。
2020年のコロナ禍、農林水産大臣より「料理マスターズ」を叙任。東京唯一の受賞者として注目を浴びる。第12代酒サムライとして日本酒にも精通し、世界初の移動式醸造発酵を考案し、ロシア政府応援の元、ウラジオストク~モスクワまでの11500kmを移動しながらお酒を造る「旅スル日本酒プロジェクト」を完遂。名付けた「十輪〜旅スル日本酒」は、2021年4月に開催されたSHINWA AUCTIONにて、世界最高額である前人未踏の1本=440万円で落札され、世界のオークション史上最高額の清酒となった。熊本県天草「田中畜産」と協働し、自社プラント「もりたなか牛」の開発も行っている。
またプロボクサーや、国家資格を有する建築家としても活躍する異例のシェフ。各大学や企業講演での講師も努め「ダイバーシティ」や「パラレルキャリア」を広く伝える。