その日々が、幸せをつくる。
東京・墨田区押上、スカイツリーの足元に残る古いアパート。渋谷区の公衆トイレの清掃員・平山は、その一室に住んでいる。早朝道を掃くホウキの音で目を覚まし、慣れた手順で身支度を済ませると、彼は掃除道具一式を載せた軽自動車で仕事場へ向かう。ひとつ目の清掃が完了すると、次の現場へ。
『PERFECT DAYS』
仕事が終わると自転車で銭湯に赴き、一番風呂を浴び、その足で浅草駅中の呑み屋に向かい、夕食を摂る。帰宅後は、寝落ちするまで文庫本を読む。
翌日も、同じように一日は始まる。平山は夕方まで数か所の現場を回り、公衆トイレを清掃し、一日を終える。
朝の移動中に飲む缶コーヒー、昼休みに神社の木陰で食べるサンドイッチ、浅草の呑み屋で注文するいつものメニュー……。こうして書き起こせるように、平山の生活はシンプルで規則正しい。彼の一日を追体験するような時間軸に沿った映像は、平山の行動のシンプルさを際立たせるだけでなく、彼の日常に生じるささやかな変化や不意の出来事に傍らで立ち会っているような親密感を観る者にもたらす。
平山は何者なのか。ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』を見ながら、そんな問いを抱く人は少なくないだろう。移動の車中でカセットテープから流れる1960~70年代の音楽。作業しやすいように自身で改良した掃除道具。休憩時にカメラを向ける木漏れ日。カセットプレーヤー以外、電化製品が見当たらない静謐な部屋。休日に巡るコインランドリー、フィルムを現像する写真屋、文庫本を手に入れる古本屋……。こうした細部を通じて造形される平山は、ミニマリズムを体現している。
禅宗では、掃除は修行のひとつとされている。たしかに平山の佇まいは禅的だが、その気配は柔らかい。口数は少ないものの、頑ななわけではない彼に、きっと周囲は信頼を寄せている。
平山に、そして平山を演じる役所広司に監督が抱く憧憬の念が全編に滲み、観ていて得も言われぬ満たされた気持ちになる、そんな作品だ。
禅僧を連想させる平山とは対照的に、『ミッション・ジョイ』では、ノーベル平和賞を受賞したふたりの雄弁な宗教家が、自身の経験と学びをもとに、幸福や喜びについて語り合う。
『ミッション・ジョイ ~困難な時に幸せを見出す方法~』
5歳で即位し、亡命生活65年目を迎えるダライ・ラマ法王と南アフリカのアパルトヘイト撤廃に尽力したデズモンド・ツツ大主教。ふたりが直面した困難は記録映像が示すとおりだが、それでも彼らは喜びを伝道する。
先進的な法王に要請され、研究を進めた科学者が「幸福は学ぶことができるスキル」と語るように、映画は示唆に富むことばにあふれている。だが、80歳過ぎとは思えないふたりの笑顔と笑い声、そして肌艶のよさ、これこそ何より幸福の象徴ではないか。
text by Kyoko Tsukada
記事は雑誌ソトコト2024年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。