MENU

ウェルビーイング

連載 | こといづ

つづきへ

  • URLをコピーしました!

「おっとー、あてー、あんぴんまん」「あまー、にゃーにゃ、ちーちーちー、どーじょ」。3歳になった息子が毎日たくさんお喋りしている。こちらの言っていることはほとんど理解しているようで、僕たちも息子の言葉はだいたい分かる。(お父、見てー、バイキンマン)(ママ、猫ちゃんに僕のお気に入りの毛布をどうぞ)。いま、目の前で人形相手にひとりでママごと遊びをしている。そういう時は、効果音混じりの独特な言葉で喋っているので、音だけ聞いていると何を言っているのだろうと思うけれど、何をしているのか見ながら聞いているとだいたい分かる。「ありが、じじょ、こいて。うわあ、こんこん、おーとーた、なーし、あーじょ。のりんまん、あ、おりんごー、あいちぇん、だだだーじだね、わあ、りんご、おいしいだよ、りんご、りんご、りんごよ」。これはだいたい、(いっぱい食べものがあるね。うわあ、卵もあるよ。おひとつどうぞ。わあ、りんごもあったよ。りんごは美味しいね。りんご、りんご、りんご)と人形たちと一緒にスーパーのお買い物で盛り上がっている。かわいいなあ。

1年前、どんな風に過ごしてたかなと振り返ると、子どもと一緒にいる日々がようやく当たり前になってくれたと感じる。できないことはできないし、できることはできる。気にすることは気にするけれど、気にしなくていいことは気にしなくていい。3年かかって、ぐるっと自分にとっての普通が戻ってきた。しんどくさせていたのは、世間体、なのかな。子どもを育てていくなかで、むっくりと起き上がって、いつの間にかドデンと居座ってしまった世間体さまがいるなあ、いたなあ。要らないなあ。前から要らなかったけれど、これからも要らない。さらばじゃ、どろん。

いま、次男坊が妻のお腹ですくすく育っている。もう一回はじまる赤ちゃんとの日々。「次の3年をどう過ごしたい?」と妻が聞いたので、「一日一日ではじまって終わるようなことをもっとやってみたい」と答えた。若い頃は、昼夜関係なく数か月かけて何かに取り組めたものだけれど、小さな子どもと一緒の毎日は、もっと細切れで、刹那にはじまって終わっていく。だから、僕自身もそうありたい。ささやかな波に身を委ねて、明日に持ち越さずに、その場その時を味わって。とあるラジオ番組で伊集院光さんが「子どもの写真を見返すと笑顔ばっかりで、泣き顔が見つからない。ほんとうは泣き顔に困り果てる毎日だったのに。後になったら泣き顔こそ見返したいものなんだよ」と話されていて、そうそうと頷いた。誰かに見せる前提の見せたくないものが消された写真よりも、何もかもそのまま写ってしまっている写真のほうがおもしろいし、ほんとうだ。ついつい、あるか分からない憧れのほうに転んでしまうけれど、足元のゆたかさを、何度でも。

文・高木正勝 絵・Mika Takagi

たかぎ・まさかつ●音楽家/映像作家。1979年京都生まれ。12歳から親しんでいるピアノを用いた音楽、世界を旅しながら撮影した「動く絵画」のような映像、両方を手がける作家。NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』のドラマ音楽、『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』の映画音楽、CM音楽やエッセイ執筆など幅広く活動している。最新作は、小さな山村にある自宅の窓を開け自然を招き入れたピアノ曲集『マージナリア』、エッセイ集『こといづ』。www.takagimasakatsu.com

記事は雑誌ソトコト2024年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね
  • URLをコピーしました!

関連記事