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仕事・働き方

35歳で福岡に移住し人脈ゼロからの独立。特殊造形・特殊メイクアップアーティスト、末次健二さん

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いかにも美味しそうなみずみずしいイチゴ…ではなく鼻!?あの毛穴に汚れが詰まった状態を指す「いちご鼻」から着想を得て生み出された作品だ。手がけたのは、特殊造形・特殊メイク工房「ツクリモノ」代表の末次健二さん。東京で修業後、独立のため福岡へ移住し、現在は映画やテレビ、広告業界で活躍している。東京に比べ需要の少ない地方で、業界の人脈もほとんどない中、どうサバイブしてきたのか。末次さんに話を聞いた。

目次

好きな仕事だからこそ、好きな場所でしたかった

特殊造形・特殊メイクアップアーティストとして、福岡市を拠点に映画・テレビ・広告などの現場で活躍する末次健二さん。特殊メイクというと映画などに登場するゾンビの顔を想像しがちだが、末次さんはそのようなメイクだけでなく、セットの一部に使われる造形物や被り物、広告のグラフィックのベースとなる立体物なども制作し、その仕事は多岐に渡る。また冒頭の写真のように、自身のライフワークとしての作品制作も行い、展示会などにも出展している。

末次健二氏
末次健二さん。左の作品は「小さいおじさん」(2012・自主制作)写真提供:ZUNDARE MAGAZINE (c)YUICHI UMEHARA

末次さんは佐賀県に生まれ、幼少期から大人になるまで、親の転勤で神奈川や大阪、福岡など、各地を転々としていた。特殊造形・特殊メイクの仕事を志したのは、福岡市の大学に通い、美術サークルで立体的な作品を制作していた頃だ。
「子供の頃からそういう仕事があることは知っていて、でも本当に仕事にしようとは思ってなかったから普通に就職活動もしてたんです。ただなんとなく、『人生を決める仕事に就く前に、この世界をのぞいてみたいな』と思っていて。そんな時に東京の工房がスクールを開講していることを知り、これだと。それで卒業後すぐ東京に出て、バイトしながら工房に通ってましたね」。
しかし実際に仕事の現場を見ると「世界をのぞく」だけでは満足できなくなり、1年のスクール修了後にはアシスタントとして手伝わせてもらうように。そして10年が過ぎた頃、独立を決める。
「東京でやろうというのは最初からあんまりなかったですね。何年か前からぼんやりと福岡に住みたいなと思っていて。そもそも東京に行きたかったというより、特殊造形・メイクの仕事を学べる環境があったから上京したので。独立するなら、好きな場所でやりたかった」と、当時を振り返る末次さん。都心にも田舎にもアクセスが良い、福岡市の適度な街の規模感が好きだった。なにより、この世界を目指すきっかけを与えた街が、福岡だったということもある。
「失敗したらその時に考えようかなと。色々考えちゃうと怖くて動けないし、『失うものはない』くらいの勢いでしたね。ただお世話になった師匠にはしっかり時間をかけて話しました」。ダメでもともと、とにかく行かなきゃ始まらないと、2013年に福岡市へ移住し、準備期間を経て2014年に開業した。

Kenji suetsugu studio
現在、福岡市内に借りている工房。独立から数年は自宅で作業していた。

需要も人脈も実績もないアウェーからのスタート

しかし、特殊造形・特殊メイクが必要とされる映画や番組の制作そのものが、東京に比べると福岡は圧倒的に少ない。しかも、大学へは佐賀の実家から通っていたという末次さんには、学生時代にできた友人・知人以外の人脈はほぼゼロ。需要と人脈がない完全にアウェーの環境で、どのように仕事を生み出していったのだろうか。
東京時代はアシスタントで実績があるわけでもなく、制作会社などへ売り込みや営業にいくこともすぐにはできない。
「まずは自分が何を作れるのか人に伝えないといけないし、自分自身の力量を知るためにも、とにかく作品制作に励んでました。作品は撮影してホームページに載せたり、あとは、学生時代の友人に聞いた業界関係の人がよく来るバーに、作品を置かせてもらったりもしましたね」。

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独立当初の作品「NIWAKA」(2014・自主制作)。福岡県民にはおなじみ、伝統芸能・博多仁和加の「にわか面」をリアルな肌の質感で表現。(c)Kenji Suetsugu

そもそも需要の少ない福岡の映像・広告の制作において、特殊造形や特殊メイクに予算を使おうという発想をしてもらうには、「なんか面白いことできるヤツがいるな」と、クリエイティブ業界で働く人たちに印象を残す必要があった。その点で、ポートフォリオを持って制作会社や広告代理店を訪ねるというセオリー通りの営業活動を行うよりも、業界人が集う店で存在を知ってもらったことが功を奏したのかもしれない。こうした地道なPR活動が実を結び、ある時ホームページで作品を見た広告代理店の担当者から、CM撮影での特殊メイクを依頼された。こうして実績を重ね、「あのCMのアレを作った人」と認知されるようになり、少しずつ仕事も増えていった。

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「背中で語る」(2014・自主制作) 2014年に開催した個展『特殊造形×haco』への出展作品。背中の毛を剃る面白さと真面目なメッセージの対比を特殊造形で表現した作品。(c)Kenji Suetsugu

無いものを生み出す仕事で、どう爪痕を残すか

「本当に、運と巡り合わせには感謝してますね。ほとんどの場合は『へーこんなの作ってるんだ』で終わるんだけど、僕の作品を見てすごく好きになってくれて面白がってくれた方が、仕事を依頼してくださることが多いです」と末次さん。クリエイター達が企画を考える際に、「そういえばあの人がいたな」と思い出してもらうために。毎回依頼された案件の中で、どう爪痕を残すかにかかっている。
特殊造形・特殊メイクの仕事は、そもそもこの世に存在しないもの、形のないものを作って欲しいと言われることも多い。
「要望を形にすることは難しいけど、それが一番のやりがいですね。特殊造形や特殊メイクは主役ではなくて、映画やCMの中でどう溶け込んで、監督やディレクターが思い描いている映像を実現する手助けになれるかが大事なので。その役に立てた時は本当に嬉しいです」。
作るものに決まった形はないため、毎回作業フローは異なり、制作期間もなかなか定まらない。
「だから基本的に2つの案件の同時進行はやらないようにしています。トラブルに対応できず迷惑をかけてしまうこともあるので」と末次さんは言う。量産できる仕事ではないからこそ、一つひとつのクオリティが重要になる。
「だからこそ、依頼してくださった方の期待以上のものを出したいし、次にまた声がかかるように、とにかく毎回必死こいてやってます(笑)」。


人を楽しませ、街の魅力を発信する仕事に関われる喜び

人を楽しませ、街の魅力を発信する仕事に関われる喜び

これまで携わった仕事はどれも印象深いが、中でも自身が移住に選んだ街・福岡と、出身地・佐賀で携わったプロジェクトは心に残っているという。
「動物園で子ども達が選挙を体験するイベントがあって、その投票箱につける動物の尻尾を制作しました。子ども達が尻尾を楽しそうに触ったりしているのを見て、すごく嬉しかった」。特殊造形・特殊メイクの仕事は、なかなかエンドユーザーの反応を直接知る機会がなく、子ども達が素直に楽しむ姿を目の当たりにし、これまで感じたことのない喜びがこみ上げてきたそうだ。

どうぶつそうせんきょ投票箱
「どうぶつのえんちょうせんきょ」投票箱(2014・福岡市動物園のイベントで使用)(c)Kenji Suetsugu

また、佐賀県内で撮影された短編映画「The Walking Fish」の撮影では、特殊メイクスタッフとして参加。
「肥前さが幕末維新博覧会でのオランダとの交流事業の一環で、監督も撮影クルーも全員オランダ人でした。日本人スタッフは自分と手伝いにきてくれたヘアメイクさんだけ。撮影を通してもそうだし完成した映像を見ても、自分の知っている佐賀とは違っていて。海外の人が日本を見るとこんな風に見えるんだと驚いた」と末次さん。
さらにこの短編映画は、カンヌで開催された「Young Director Award 2019」で、最優秀短編映画賞と特別審査員賞を受賞。アカデミー賞の短編映画部門にもオランダ代表作品として出品された。「まずテッサ・マイヤー監督が自分のホームページで作品を見て声をかけてくれたっていうのが光栄だし、その期待に応える仕事を提供できたこと、結果として世界中の多くの人に映画を届けるお手伝いができたことは嬉しかったですね」。

居心地がいい街で暮らすことで、いい仕事を生み出せる

周囲が就職して経験を積む中、修業に10年以上を費やし、30代で福岡への移住とゼロからの独立。平坦ではなかった道のりを振り返り、ようやく今「自分は幸せなんじゃないかな」と思えているという。一番の理由は、やはり好きな街で好きな仕事ができていることだ。福岡を舞台にした「映画 めんたいぴりり」に特殊メイクで参加した際、ふと思ったという。
「この映画は福岡の百道にあるテレビ局系列の制作会社が制作しているんですが、実は学生時代に同じ局でアルバイトをしていたことがあって。打ち合わせで百道に出向いた時、あの頃ぼんやり憧れてた世界で働けているんだなーとしみじみ感じました」。
福岡市は仕事をする上ではもちろん、生活する上では東京に比べて物価も安いし、子育ての環境としてもすごくいいと末次さんは言う。「休みの時は近くの海まで子どもと散歩してます。仕事の現場ともアクセスしやすくて、歩いて海に行けるなんて最高ですよ」。仕事以外でストレスフリーに過ごせるからこそ、制作への感性を研ぎ澄ますことができ、いい仕事が生まれる。

福岡タワー
学生時代、アルバイトに通った福岡市・百道。十数年後に、夢だった特殊造形・特殊メイクの仕事で、同じ場所に通うことになる。写真提供:九州観光推進機構

コミュニケーション力と技術のアップデートを

「これからも変わらず、必死にやるだけです」。今後の目標を尋ねると、そう答えてくれた末次さん。しかし、ただ現状をキープするだけでは未来はないとも話す。
「コロナ以降はSNSなどオンラインでの打ち合わせも増えてきています。ただでさえ形のないものを生み出す仕事なので、今まで以上に意思の疎通には心を砕いていかないと」。また業界的にも制作の効率化が進み制作費は削減される一方で、特に特殊造形・特殊メイクの役割はCGが担うことも多い。
「仕事の絶対量は減っているから、そういう中でどうやっていくか。いつでも新しいものを生み出せるように、技術もアップデートしていきます」。
福岡で生まれた末次さんの作品に、いつか世界の人々が「これがツクリモノ!?」と驚く日が来るかもしれない。
 

末次 健二(すえつぐ けんじ) 

福岡市西区にある特殊造形・特殊メイク工房「ツクリモノ」代表。
1978年、佐賀県生まれ。福岡での学生時代、美術サークルで立体の制作に興味を持ち、創作活動を開始。卒業後、東京の特殊メイク工房が運営するスクールに参加。その後、同工房のアシスタントとして、映像作品や各種イベント展示などの特殊メイク・特殊造形制作に携わる。
2014年より福岡でフリーランスの特殊造形・特殊メイクアップアーティストとして活動を開始。現在に至る。人の肌をリアルに再現した作品を得意とし、個人のアート活動としての作品制作や、展示会への参加も積極的に行う。躍動する現代作家展2017 躍動する現代作家賞受賞。
ツクリモノ

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