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仕事・働き方

移住の末に見つけた仕事や暮らしの実践。ジビエ伝道師が立ち戻った原風景は・・焼き鳥屋!?

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移住するしないに関わらず、我々に仕事の悩みは尽きないものだ。今の暮らしを一変させる移住の場合はなおさらだろう。移住先での仕事をどうするか。今の仕事を継続するか、新たな事業主に雇用されるか、それとも自ら事業を起こすか。仕事について十分準備してから移住するか、移住してから考えるか。それらは全て移住者次第だが、その仕事によって本来目指す「こう生きたい」という暮らしを実践できるかが肝心だろう。愛媛県西条市を拠点に、ジビエを料理教室や食育活動、食事提供で地域に広める「伝道師」である鈴木寛顕さんは、そんな暮らしの実践者。移住を繰り返し、また様々な職を経験した後に決意した暮らし方、立ち戻った原風景とは。

目次

身近なジビエの伝道師、ネイティブキッチン

白のボディに緑の線とオレンジの屋根。車体にかわいいマンモスのイラストが描かれたキッチンカー”ギガントマンモス号”から、炭火焼の香ばしい匂いが漂い、煙があがる。メニューは焼き鳥と猪肉と鹿肉の串焼き、さらには地元西条市の鹿肉を使ったソーセージだ。ひとり車内で調理し、手際よくお客さんに提供するのが、この車の主、鈴木寛顕さん34歳。屋号は「ネイティブキッチン」だ。

ネイティブキッチンのキッチンカー
ネイティブキッチンのキッチンカー

ネイティブキッチンは、キッチンカーでの炭火焼の出店の他、BBQ体験、料理教室や食育講座を行い、ジビエの魅力を広く地域に伝えていくことを使命としている。とは言えお客さんと気さくに話し、にこやかに振る舞う鈴木さんの姿は、高級フレンチのお店でジビエ料理を提供するのとは違う、気軽で身近なジビエの伝道師である。

ネイティブキッチン代表の鈴木寛顕さん
ネイティブキッチン代表の鈴木寛顕さん

鈴木さんには、2%と言われるジビエの食用としての流通割合を向上させたいという思いがある。ジビエの持つ食としての魅力が広がることで、人々の意識が里山に向き、猟師や山師の減少に歯止めがかかり、山の整備によってジビエの住処が生まれ、農業を営む人間との共生がかつてのように行われる・・。そんな好循環が生まれることを理想としているのだ。
このようなジビエによる言わば「持続可能な里山」への取り組みは、西条市に住む同年代の農林業や狩猟に従事する友人らとの交流から生まれたものだった。近くの山に鹿避けのネットを張る作業を共に行い、鳥獣被害の現状を知り、地元の山の課題を知った。そしてすでに炭火焼のキッチンカーで開業していた鈴木さんは、自身のなすべきこととしてジビエの普及を選択したのだった。

移住先で培った価値観、アイヌの教え

さてその友人らの多くは移住者だったのだが、実は鈴木さん自身、全国を移住してきた過去があった。里山の未来に挑む移住者はどのように人生を歩んできたのだろう。
鈴木さんは現在の住まい、愛媛県西条市の隣の新居浜市の出身だ。専門学校卒業後に地元で建築や鉄工の職に就いていたが、東日本大震災を機に、「せっかくの一度きりの人生、日本をもっと知ろう」と、愛媛を出て季節労働者としての道を歩むこととなる。元々自然が大好きでアウトドアやバイクでのツーリングなども趣味だったという鈴木さん。馴染みのカフェのオーナーから教わり、最初に向かったのは長野県の上高地。山小屋を改装した喫茶で食事を提供した。特に囲炉裏でイワナを焼く仕事に惹かれたという。

上高地での囲炉裏焼き(写真提供:鈴木寛顕さん)
上高地での囲炉裏焼き(写真提供:鈴木寛顕さん)

日本の中央から次に向かったのは南、沖縄。西表島の製糖工場で働いた。後に開業するネイティブキッチンの名前の由来ともなるのだが、インディアンなどの世界の先住民の暮らしや文化にも興味を持っていた鈴木さんは南の島暮らしから一転、アイヌの人々に会いに北海道へと向う。札幌から東に100キロ、占冠村(しむかっぷむら)の住み込みのリゾートバイトをしながら、折を見てアイヌ文化の残る二風谷(にぶたに)という村へ向かった。
縄文の習俗を保持するアイヌの教えを意気揚々と請うた鈴木さんだったが、そこで長老の一人に優しく窘められる。「日本の全国各地に縄文のルーツがあり、それは遡れば全て一つだよ」と。鈴木さんは目から鱗が落ち、自らのDNAに刻まれたルーツを大事にし、狩猟をしながら自然と共生する暮らしに心から敬意を持った。
それ以来休みの度に二風谷に足繁く通い、アイヌの人々から山菜や自然、山そのものへの知識と知恵を豊富に得ることとなった。リゾートバイトが終わり近くの美瑛町に移ったあとも交流は続き、アイヌの暮らしをより深く理解していく。そしてやがて妻となる女性と出会い、定住を見据え、共に自身の地元・愛媛へと帰ることとした。

アイヌの民族衣装をまとった鈴木さん。隣は後に奥さんとなる美歌さん。(写真提供:鈴木寛顕さん)
アイヌの民族衣装をまとった鈴木さん。隣は後に奥さんとなる美歌さん。(写真提供:鈴木寛顕さん)

理想の暮らしを実現する仕事 背中を押したものとは

友人のツテで西条市内ののどかな自然の残る地域に古い空き家を借り、自ら改修して暮らすこととなった鈴木さん。まずは再び建築現場で働くことで、幅広いDIYの技術を身につけた。また高齢者と向き合うことで伝承されるべきものを受け継ごうと、福祉施設にも勤務する。そしてこれまでの人生で得た知識や生き方、自らのルーツを実践したいと、軽自動車をキッチンカーに改造して起業。ついにネイティブキッチンとしてスタートを切ったのである。

ネイティブキッチンの初代キッチンカー。軽バンをDIYで改造した。(写真提供:鈴木寛顕さん)
ネイティブキッチンの初代キッチンカー。軽バンをDIYで改造した。(写真提供:鈴木寛顕さん)

さて様々な職や移住を経て、また結婚し家族も増えた中で、自分らしい暮らしの実践を満たす仕事は、何がふさわしいのだろうか。何を基準に決心したのだろうか。鈴木さんの場合、これからの仕事を選ぶにあたり、自身の原点、心の原風景に立ち戻った。そしてそれは意外にも幼少期に見た焼き鳥屋の風景、屋台の雰囲気だったという。
「子供の頃、習い事の帰りに連れて行ってもらった焼き鳥屋の風景がとても温かくて。火を扱うということに親しみを感じていました。アウトドアでのキャンプや上高地での囲炉裏焼きもそうですね。今炭火焼で使っている炭も近くの間伐材からできたもので、これを使うことで山の整備にも貢献できると思っています。」と鈴木さんは語る。
これまで培ってきた人生の価値観に基づき、ジビエの普及で持続可能な未来の実現に挑むという現在の仕事に至ったのは、幼少期の原風景が背中を押してくれたからだった。そしてそれは、長野・北海道・沖縄で得た様々な貴重な経験から比べると、幾分身近な焼き鳥屋だったのである。

移住するしないに関わらず、我々に仕事の悩みは尽きないものだ。しかし自分の価値観のルーツにあるものを見つめ直し、また心の原風景に立ち戻ることで開ける道もあるのだと、鈴木さんは教えてくれた。自分らしい暮らしを支える仕事とは。今一度考えたい。

 

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