名古屋地裁にて「同性婚を認めないことは、憲法に反する」という判決が出た。これまでもすでに、札幌地裁で違憲判決が出ており、東京地裁でも実質的な違憲判決が下されている。同性婚の法制化に向けてまた一歩前進したことに対し、ネット上では好意的なコメントも、思わず目を伏せたくなるようなヘイトコメントも、数多く寄せられた。
同性婚を望まない人たちは、もちろんさまざまな意見を持っている。そのほとんどが「同性婚を認めては、社会が“悪いほう”に進む」という、私見をベースとしたものだが、反対派の中でも猛烈な反対者たちは、一体どういう人なのだろうと、ずっと気になっていた。
たどり着いたあるブログには、何度も同性婚反対を表明する趣旨の投稿がなされていた。「国の財源は限られていて、同性婚などに使っている場合ではない」。直近のものにはそう書かれていて、コメント欄には、その主張への反論が並んでいた。ブログの主はそれらに対し、「この国には◯◯など、もっと重要な問題がある」という趣旨の返答を重ね、そこから長い彼女の独白が続いた。その骨子は、「◯◯は放置されている」というもので、文面から伝わってくる迫力が、そのテーマの当事者であることを物語っていた。「同性婚を望む人は救われて、なぜ私は救われないのか」。強烈な怒りの真ん中では、孤独が渦を巻いているのかもしれない。
幼い頃、通っていた習い事の先生が、ある問題行為を理由として教室からいなくなった。僕とM君という同い年の男の子が彼の主たる標的で、二人は多分お互いに、一緒にいては“ 的”が大きくなったと思われる気がしていたから、ほとんど会話をしたことがなかった。僕は当時、自分が受けていることに対し、自分が何を感じているのか理解できなかった。今思えばあの感情は憎悪であり、怒りだったけれど、幼い体で分解するにはあまりに大きいその真っ黒な塊を、僕は「きっと自分が悪いのだ」と、心の奥に押し込む以外、術がなかった。
ある時、壁に落書きをした、ということで先生に怒られた僕は、壁全面を拭いてから帰るように言われた。長居をしていた子たちがひとり、またひとりと帰宅していく中、黙々と壁を拭く僕の視界に、ふと右から影がさした。影の先にあったのは、雑巾を壁に押し当てるM君の白い手だった。それは滑らかで、発光しているようだった。「俺も手伝うよ」。M君は壁のほうを向いたままそう言って、黙々と壁を拭き始めた。驚いた僕は「ありがとう」と言うのがやっとで、やっぱり何も話さないままその日から少し経ち、M君は教室を辞めた。
ある日の教室からの帰り道、ほかの子たちと寄った本屋でM君を見かけた。友だちと楽しそうに笑う彼を見てうれしくなった僕は、思わず駆け寄り、「M、元気してるん?」と話しかけた。すると、彼の表情からは溶け落ちるみたいに笑顔が消えて、現れた切れ長の目は僕を睨んでいた。「話しかけるな」。M君はそう言って、僕は「ごめん」とだけ言った。それは決して反射からではなかった。僕はずっと、自分が何もできなかったことを悔いていたから。「M っていつも頑張ってるよな」。それくらい、言ってみればよかった。その一言が救いになるなんて、そんなおこがましいことは思わないけど、伸ばされた手は美しいのだから、言ってみればよかったのだ。あの日も今も、僕に足りないのは、手を伸ばしてみる勇気なのかもしれない。
文・太田尚樹 イラスト・井上 涼
おおた・なおき●1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。
記事は雑誌ソトコト2023年8月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。