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注目! | 指出一正 オン・ザ・ロード

新章突入!ファンタスティック・ローカル、その素晴らしい地域に!

指出一正

指出一正

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目次

日本の市町村のライバルはどこ?

2025年の年末に『オン・ザ・ロード2 スーパーウェルビーング』を発刊しました。1冊目の『オン・ザ・ロード 二拠点思考』を出した後の1年間で僕が考えたこと、感じたこと、経験させてもらったことをまとめた本です。おかげさまでいろんな人が手に取ってくれて、Amazonの評価もほとんど5つ星かな、1個だけいきなりコメントなしの星1つをつけられて悔しい思いをしたんですけど、心ある優しい皆さんがリカバーしてくれて、高評価を維持できています。本当にありがとうございます。読んでくださった方々の感想も届いていて、「2冊目を出してよかったな」ってつくづく思ってます。1冊目も2冊目も自分1人の力ではなく、僕が大変お世話になっている皆さんが『ソトコト』をつくってくれている延長線にあるので、自分の本というよりは『ソトコト』がこういう雑誌から単行本の形になったっていうふうに理解してもらえると嬉しいなと思いながら、1年に1冊まとめていこうかなと思い2冊目を出した次第です。

ところで、皆さんは漫画を読みますよね? 漫画だけじゃなくて単行本も。村上春樹さんの『1Q84』はBOOK1、BOOK 2、BOOK 3という3冊セットだったりしますが、単行本が1冊でまとまってなかったときに皆さんはどういうふうに本を買うのかなというのは僕にとって結構気になるところではあります。『ソトコト』は1月号とか8月号とか春号とか1冊でまとまっているのでどの号から買っても楽しめる、それが雑誌のよさだと思うんですけど、単行本となるとなかなかそうもいかなくて、1冊目の次はたぶん1冊目とはまた異なるものを期待されたり、そうは言いながらもテイストは通ずるものを求められたりするので、2冊目を誰がどういうふうに買ってくれるのかなと想像しながらつくりました。1冊目を買ってくれた人がその流れで2冊目も買ってくれるのか、新しい人が2冊目から買ってくれるのか。いろいろな場所や書店、Amazonの動きをしげしげと観察する1か月間くらいが今過ぎたところです。

わかってきたのは、2冊目から買ってくれる人も結構多いということ。それは、2冊目を買った後におもしろかったら1冊目を買おうかなという振り返り型の購入です。あと、1冊目と2冊目を並べて対面販売するようなときには、「どっちがおすすめですか?」って尋ねられることがあるのですが、著者の僕としては困るんですよね。どっちも買ってもらえればいちばんいいので、「どっちもおすすめです」と言いつつ、「順番でいうと先に1冊目を読んでもらった方が、話の流れのなかに入っていきやすくていいかもしれませんね」と答えると、「じゃあ1冊目から読みます」と言って買ってくださる。そんなふうにして、白い本と青い本の前でニコニコと笑顔で立って売れ方を見ていました。

おもしろかったのは、若い人たちです。地域創生に興味がある20代の大学生や、まちづくりに関わる会社に入られたばかりの方が、僕の講演会場や書店を訪れてくれるのですが、そのときに、1冊目は1人が買って、2冊目はもう1人の友人が買うみたいな感じで、1冊目と2冊目をシェアして買ってくれる人たちがいることでした。これはまさに現代の本の読まれ方なのでしょう。図書館まではいかないんだけど、個人間でシェアするみたいな、まさにシェアリングエコノミー。1冊目と2冊目を出したことで、グループであったりカップルであったり会社の仲間みたいな人たちのなかで、『オン・ザ・ロード』がシェアされているというのもとても嬉しいこととして捉えています。

『オン・ザ・ロード』の1と2が出たなら「3も出るのでは?」と皆さん思っているかもしれませんが、正解です。3冊目も出そうと考えています。小説や映画なんかも「3部作」というように、3は大事な数字なので。3冊目を出そうかと思いながら、年初の今、『オン・ザ・ロード』のソトコトオンラインでの連載をまた改めて力強く進めているところです。3冊目は2026年度の話がメインとなりながらも、やはり僕のなかで去年(2025年)に考えていたことがいい意味で煮詰まって、言葉になっていったこともあったりするので、そういったことや、改めて地域と僕がどのような形で接点を持って、自分のなかに地域とかローカルという言葉が入ってきたのかみたいなことを振り返ってみようと思っています。現在進行系の話と思索型の話がまたこんがらがったような状態で綴られていきますので、頭の柔軟体操をしてから読んでください。

3冊目のキーワードとして、前から心に決めていた言葉があります。それは、「ファンタスティック・ローカル」という言葉です。「素晴らしい地域」と訳せますが、なぜこの言葉を使いたいかというと、『ハリー・ポッター』の映画の外伝で『ファンタスティック・ビースト』という映画があるんです。概要をお話しすると、皆さんご存知のように『ハリー・ポッター』は全世界に大勢のファンがいる、J.K.ローリング原作の人気小説です。映画化され、爆発的な大ヒット作になっていて、僕の息子が小さい頃も『ハリー・ポッター』ばかり見ていたので、家にはすり切れたようなDVDがシリーズ全部あります。その『ハリー・ポッター』のスピンオフが『ファンタスティック・ビースト』です。スピンオフというのはメインストーリーに出てきた登場人物の一人が今度は主人公になって、物語が展開することで、『ファンタスティック・ビースト』は、『ハリー・ポッター』シリーズの舞台であるホグワーツ魔法魔術学校の教科書の著者である魔法動物学者のニュート・スキャマンダーが主人公となり、ニューヨークやパリで活躍する映画です。彼は魔法動物を保護しながら、闇の魔法使いグリンデルバルドに立ち向かうのですが、僕の妻と息子がこの『ファンタスティック・ビースト』の大ファンということもあって、「ファンタスティック」という言葉がこの数年間ずっと僕の頭のなかに置かれていたのです。同時に、市町村の皆さんとお話をするなかで、自分たちの町や村に対して自信がなさそうな発言をされる傾向があることも常々感じていた僕は、もっと自分たちの地域のよさを胸を張ってお話すればいいのにと思い、それぞれが素晴らしい地域であることを伝えられる総称みたいなものがつくれるといいなと思っていました。どこか特定の地域がダントツ1位だという言い方ではなく、どの地域も素晴らしい感覚を持った魔法のような地域であったり、実は日常だけじゃないものも重ねて持っている地域であったり、そんな市町村を言葉にするのであれば、スーパーウェルビーングの次に何がふさわしいかなと考えていたときに、「ファンタスティック」という言葉が思い起こされたのです。「ファンタスティック・ローカル」という響きもいいし。なので、3冊目のテーマとなる言葉として使うことにしました。

前回の『オン・ザ・ロード2 スーパーウェルビーイング』のなかで、東京のライバルは日本の市町村ではなく、パリやニューヨークといった世界の巨大都市だと書きましたが、じゃあ日本の市町村のライバルはどこかと聞かれたとしたら、迷わずこう答えます。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン、USJです。それぞれの地域を比べてライバル視するのは違うと思うし、それよりも日本の地域が人々に与えられるものは、たぶんUSJに行ったときに感じるような楽しさじゃないかなと思うんです。USJは大阪の臨海エリアにつくられたアメリカの映画会社『ユニバーサル・シティ・スタジオ』のテーマパークで、たとえば森のなかを抜けて、『ハリー・ポッター』のエリアに足を踏み入れると、魔法の世界がいきなり現れます。USJに来る人たちは、ミニオンとか他にもいいキャラクターがいっぱいありますが、それぞれのエリアに行くことで心の高ぶりを感じているのでしょう。であれば、地域が訪れた人に対して提供できるものも心の高ぶりだと思うんです。心の高ぶりは、ファンタスティックという言葉に集約されます。日本の1718ある市町村のライバルは他の市町村ではなく、USJをライバル視したほうが地域に何が必要かがわかりやすくなるはずです。入場料だけでなく交通費や宿泊費、飲食費も含めてたくさんのお金を払うわけですから、訪れた人に与えられるものは何かと考えるとき、丁寧なもてなしも大事ですが、USJみたいに心を揺さぶられる経験、大人も子どもも関係なくドキドキして童心に帰ることができる体験、そういうファンタスティックな感動が地域には必要なんじゃないかなって思います。

神戸に住んでいる息子はUSJの年間パスを持って友達と遊びに行ったりしていますが、大いに遊んでほしいです。USJのドキドキ感を知ってからローカルを見たら、ローカルに今何が必要かっていうことがわかるから。そんな若い人たちがどんどん増えていくと嬉しいですね。ちなみに、魔法の杖も息子にプレゼントしてあげました。『ハリー・ポッター』のエリアに行くと、その杖を使ってあるアクションをすると、センサーか何かが反応してドアが開いたりするんです。魔法の杖はキャラクターによって異なり、息子はハリーの杖を買いましたが、みんなそれぞれの杖を持ってきて順番に並び、杖を呪文のようにうまく動かすと開かない頑丈なドアが開くという仕掛けを楽しんでいます。素晴らしい仕掛けだなって感心しました。杖は6400円もしてなかなか高いなと思いましたが、何回も遊びに来てその楽しさを体験できるのであれば、『ハリー・ポッター』好きにはたまらないことでしょうから。

僕にとってのファンタスティック・ローカル

僕自身が、「まさにここはファンタスティック・ローカルだ」と確信した場所が、振り返ると小学校4年生か5年生くらいのときの原体験としてあります。どこかと言うと、僕は群馬県出身だということは何度も書いていますが、群馬県の北部、北毛の、長野県に接するところに六合村という村がありました。六合村は「くにむら」と読みますが、今は中之条ビエンナーレというアートフェスティバルで有名な中之条町に合併されています。六合という地名は、古事記や日本書紀にも出てくる言葉で、東西南北と天地の六方を指し、世界や国を意味する言葉として使われていて、そこから来ているそうです。ちなみに都道府県で言うと、岐阜県だけが日本由来の地名ではないんですね。雑学ですけど、岐阜以外の都道府県名の成り立ちは日本の土着的なというか、地域に根づいたり、地形に根づいた言葉から来ているんですが、岐阜は織田信長が中国の故事から引用してきた地名だそうです。古代中国の周の文王が岐山から天下を平定した故事と、孔子の生誕地の曲阜という地名から「岐」と「阜」の二文字を取って岐阜と、信長が美濃国を統治したときに禅僧の沢彦宗恩の提案によって命名したとも伝わっています。

話を戻すと、当時の六合村には日本でいちばん標高の高いとされる湖がありました。1514メートルにあった野反湖です。ただ、40年くらい前の僕が中学生頃のことで、さらに野反湖は人工のダム湖なので自然の湖としてはカウントされないかもしれないので、今は順位は変わっていると思います。野反湖はロックフィルダム、つまり、元々池だったところの出口に石を積んで堰き止めたダム湖です。僕はこの湖が本当に好きで、中学生、高校生、大学生、20代までは限りなくよく通っていました。その大きな理由は、美しいイワナや、透明な水のせいでそう見えるのでしょうけれど、魚とは思えないくらいのコバルトブルーの背中をしたブルーバックレインボーと呼ばれるニジマスがいたっていうことと、キャンプ場でキャンプをするのが楽しみだったことです。大学のサークルでも友達と一緒に行ったり、群馬の仲間ともよく行ったりしていました。

最初に野反湖に連れて行ってもらったのは、父の友達から「ちょっとドライブに行こうか」と誘われたときのことで、たしか僕は小学4年生でした。冷たい雨が降っている日で、トヨタのセダンに乗り込み、高崎からどんどん北上して今で言う「日本ロマンチック街道」を通っていくんですけど、中之条を過ぎて六合村に入ると標高が高くなってきたせいかすごい霧に包まれてきました。雨も降っていて、幻想的なというか真っ白の世界。当時の車ですからヘッドライトの性能もいいわけじゃないので、照らしても何も見えないような峠道をゆっくりゆっくり走って、野反湖に近づいて行きました。そこは山岳地帯なんですが、野反湖のすぐ手前に和光原という平場があって、そこに父が土地を持っていたんです。当時、話題になっていた原野商法ではなく、おそらく仕事の付き合いで買ったんじゃないかなと思うんですけど、小さな会社の経営者って仕事の付き合いで物を買うってことが結構あったみたいで、かつては群馬県の下仁田に、父は林業の関係の仕事の付き合いで山を2つ買ったこともあったみたいです。僕のなかでは幼な心に、「お父さんは仕事の付き合いで大変だな」と思いながらも、「和光原の土地を買ったので見に行こう」みたいな感じで野反湖に行きがてら寄ったんじゃないかなと思うんです。その土地に着いた僕たちは車を降りました。すごい霧と冷たい雨のなか、僕はトランクに入っていた父の古いジャケットを着させてもらいました。すると、なぜか父の友人が「ここで昼飯を食べよう」と言い出しました。近くに蕎麦屋さんやレストランがあるわけでもありません。おじさんはいきなり父が買った原野で焚き火を始めたんです。そして、食べるものは何もなかったはずなのに何で火を焚くんだろうと思っていたら、おじさんはトランクから鹿肉のブロックを出してきたんです。小学4年生の僕にとって初めてのジビエです。鹿なんて食べたこともないから、「うまいのかな」って尋ねたら、昔のC.W.ニコルさんのハムのCMみたいな感じでナイフで肉を切り出して、近くの木の枝を折って持ってきてはそこに差して、「これでカズちゃん焼け」って渡されて、「わかりました」っていい頃合いになるまで焚き火で焼いた鹿肉を食べたとき、これはすごい経験だと思ったんです。幻想的な霧の風景は小学生にとっては怖い感じもしたし、高崎から標高が1000メートルぐらい上がった場所だからすごく寒かった。車のなかで暖房をつけてじっとしてるんじゃなくて車から出てきて焚き火をして、さらにトランクのなかにあった鹿肉の塊をナイフで切って男3人で食べるという経験。「これはすごいな」と。しかも、その鹿肉がうまかった。僕はあのときから鹿とかマトンとかグラスフェッドの赤身肉が好きになったんです。鹿肉の匂いを嫌がる人もいますが、子ども心に嫌な匂いは感じなかった。生き物の匂いだし、それが焼けたときの香ばしさと、スライスされた牛肉や豚肉ではなくブロックの肉を頬張るようにたらふく食べる喜びでお腹も心もいっぱいになりました。野球のボールくらいに大きい鹿肉でしたから。それが、六合村と僕の出会いでした。

鹿肉を食べ終えると、そのまま野反湖に上がっていきました。野反湖は標高1500メートルほどあり、しかも緯度が高いので周囲に鬱蒼と生い茂った森はありません。高山帯の一歩手前なので草原地帯みたいな風景です。そこにいきなり、手のひらを広げたような形の真っ平らな湖が現れて、おそらく6月頃に行ったと思うのですが、黄色いニッコウキスゲが咲き誇っていたりしたので、「ここは外国なんじゃないか」という錯覚に陥るほどでした。もちろん外国なんて行ったことがなく、ただ漫画やテレビで見ていた古くて幽霊がいそうな城とか、イングランドやスコットランドの古城がある風景をイメージするだけでしたが、その日のことは、高崎という自分の暮らしているコミュニティから離れた場所での貴重な経験になりました。同じ群馬でも富岡や藤岡には父の仕事場があり、母の実家も富岡の近くにあったので、僕にとってはコミュニティのなかです。高崎のまちなかに出かけるのも、自分にとっては全然違う場所に来ちゃったなっていう感覚はないのですが、六合村に行ったことは初めての越境、地域を飛び越えて違う地域にやってきた瞬間でした。あの野反湖、六合村、和光原の体験は、僕にとってのファンタスティック・ローカルの初体験だったのです。今も変わらず僕はあの場所が好きで、しかもその土地はまだあるんです。これを書いているのは1月で、11月から4月くらいまでは雪で道が閉鎖されてしまいます。別荘地でありながらもその時期は行くことはできず、春から秋までだけ行ける場所なんですが、いつかそこにティピーでも自分でつくって立てて、ちょっとひとり暮らしなんかしてみたいなという小さな夢を見ています。妻にはあまり言わないのですが。ちなみに、野反湖のダムサイトから川を下っていくと、ある場所にたどり着きます。日本の秘境のトップとも言われる秋山郷です。切明温泉という温泉があります。新潟県の津南町と長野県の栄村のエリアにある、鈴木牧之が書いた『北越雪譜』と『秋山紀行』という本にも記されています。日本の民俗学上、大変に重要な本とされているその場所と川続きの野尻湖エリアも、冬季の環境は推して知るべしではないかと思います。

鹿肉を頬張って以来、父や母にねだっては六合村や野反湖に連れて行ってもらっていました。中学生、高校生のときも行きましたし、大学生になったら免許を取ったので、実家の車を借りてドライブを楽しみました。ドライブに行って帰ってくるのには六合村くらいがちょうどいいんですよ。ただ、山道は狭かったので、免許を取り立ての頃はドキドキしながらハンドルを切っていました。慣れてくれば朝から行って、ブルーバックレインボーや、イワナの再生産が行われている場所なので天然のイワナを釣りに行ったりもしていました。野反湖は古くから釣り場としても有名で、釣り人の人気の高い湖ではあるんですが、僕にとっては六合村、野反湖は自分の好きな風景としてもトップに立っていたんです。その結果、僕はイギリスの留学先をスコットランドに決めたのです。スコットランドでは湖のことをLOCHと書いてロッホって読むんです。ロホネスというとネス湖ですね、あのネッシーのいる。スコットランドには荒地に咲くヘザーという植物があり、ヘザーと丘陵とそこに溜まった平たいロッホというのは、いかにもスコットランドっぽい風景としてあるのですが、野反湖もその風景に似たものがありました。逆にスコットランドに留学していたときは、「なんだか六合村っぽいな」と相似した風景を眺めながら思い出したりしていました。

野反湖エリア、上信越の国境になりますが、白砂山、岩菅山という日本二百名山にも選ばれているいい山があります。いわゆる北アルプスや南アルプス、谷川岳みたいに有名な山塊ではないのですが、登山が好きな人はあのエリアの山登りをすごく楽しんでいて、僕も先達に倣って学生時代に縦走しました。とてもきれいな山でした。上智大学のバックパッキングクラブ時代は、プランをつくって六合村へ行き、白砂山や岩菅山を登ることにかこつけて、キャンプしてテントを張ってみんなでお酒を飲んでいました。後輩や先輩と一緒に、山登りを中心に据えた行程というよりは野反湖の麓でみんなで持ち寄ったご飯を食べたり、おいしいお酒を飲んだり。あと、群馬の釣り仲間とも野反湖にニジマスやイワナのフライフィッシングに出かけました。あるとき、出発した高崎は晴れていたのに、野尻湖に行くと突然雪が降ったりすることもありました。いちばん激しかったのは夏の悪天候です。ビー玉くらいの大きな雹がいきなりものすごい音を立てて降ってきたことがありました。みんなで乗っていった友人の車が雹の猛攻に遭って、バラバラバラバラバラと小石が落ちてくるような物凄い勢いでボンネットを叩き、実際にへこんでしまったほどでした。

自然志向として訪れると随分楽しめるエリアであることはもちろんですが、六合村には文化もあるのです。それは、温泉です。花敷温泉と尻焼温泉という温泉が知られています。この2つの温泉は1980年代後半の雑誌『るるぶ』で女子が選ぶ人気の温泉ランキングで1位、2位を飾ったことがあるんですが、女子が尻焼温泉なんていう奇妙な響きの温泉に行くんだって思春期の僕は不思議な気持ちがしたんですけど、その後僕もその温泉を訪れ、川沿いの露天風呂に入ったりして、とても印象に残りました。群馬のなかでも関東平野の始まりみたいなエリアは人がたくさん住んでいますが、関東平野から新潟へ抜ける急峻な地域、野尻湖であったり谷川岳であったりするエリアの山の人たちの生活みたいなものを感じ取ることができたのは、六合村、野反湖と高崎を往復したからこそだと思っています。

今、友人の車に雹が落ちてきた話をしましたが、実は群馬は日本でトップクラスの自動車王国なんです。世帯ごとの保有台数が多く、中には1人で3台とか持っている人もいます。通勤・通学用には燃費のいい軽自動車、週末の遊び用の車は、アウトドアが好きなら4WDの大きな車、今だとSUVでしょうか。走るのが好きならスポーツカーというように2台目を持ちます。もう1台は、たとえば兼業農家なら軽トラを持っていたり、というふうに1人で3台とか持っていることは珍しくありません。もう1つ雑学を話すと、日本でいちばんFMを聴くのも群馬県というデータがあります。なぜかと言うと、通勤・通学で車のなかにいる時間が長いから。 そういう土地柄なので、群馬の友達の車に乗せてもらって、冬はチェーンをつけて行けるとこまで行ってみたり、夏は東京の友達と一緒にキャンプに出かけたり。僕は当時から、まず東京の大学の友人や後輩、先輩を高崎の実家にお招きして、雑魚寝みたいな状態で泊まってもらうのですが、そこに群馬で育って、群馬で勤めている友達たちにも来てもらって、「僕の高校・中学の仲良し」と紹介すると、互いに打ち解けてくれて東京と群馬の友人同士が仲良くなるということを繰り返していました。そうやって18歳から20代半ばくらいまでは事あるごとに東京の友達を群馬にお連れして、彼らが僕の地元の友達と楽しそうに夜、父がつくった『あかりの資料館』の囲炉裏で一緒にお酒を飲んだりする様子をニコニコしながら眺めていました。すごく楽しかったし、今振り返るとまさに関係案内所になっていました。野反湖に釣りに行く、六合村でキャンプをするというタイミングに合わせて、前日の夕方くらいに高崎に泊まって、みんなでわーっと騒いで、翌朝車に分乗して出発する。一方的に東京から群馬の避暑地にキャンプに出かけるんじゃなくて、高崎で1回ドロップして、そこで群馬の友達も合流して六合村に一緒に出かけて楽しく過ごす。さらに、僕がいなくても新しい友達関係が生まれているというのを見るのが好きだったんです。新たに歩み出した東京の世界と、これまで暮らしてきた群馬・高崎の世界がつながるのは、自分にとってこんなに嬉しいことなんだって。たぶん編集者という仕事もそれに近いんでしょうね。そんなふうにファンタスティック・ローカルとしての野反湖や六合村は、自分にとっては強く関与してきた地域であり、単なる通過点としての地域ではないと思っています。

ネイチャーかカルチャーか理論

自分の地域のことを誰かに伝えようとするとき、伝える手法には気をつけた方がよく、正しく伝えるための概念があることにも最近、気づき始めています。それは、「ネイチャーか、カルチャーか」という考え方です。別に韻を踏もうと選んだ言葉ではありません。ネイチャーはどちらかというと人の手が関与しないままそこにあるもの、あるいは人さえも抱擁している時間、空間、現象みたいなものと捉えられます。一方、カルチャーはカルティベートと語源を同じとしていて、ラテン語の耕す(colere)という言葉から生まれた言葉ですが、人の手が加えられたものであり、伝統芸能とか技術とかいう文化と捉えられるでしょう。ただ、僕のなかではその境界はぼやけている部分もあります。ぼやけているっていうのは、人の手が加わっていないことがネイチャーで、人の手が加わっていることがカルチャーかというとあながちそうでもない気がするからです。この考え方を、仮に「ネイチャーかカルチャーか理論」と呼ぶことにします。

一つ、例を挙げましょう。高知県の話です。高知県では関係人口の講座を高知市や津野町で開催させていただいて、まちの皆さんには大変お世話になっているのと同時に、個人的には美しい川がたくさんある、しかも高知市という約30万人が暮らす大きなまちの足元に、世界を代表するアカメという1メートル以上になるプラチナ色に輝くかっこいい魚が普通にいるっていう意味でも、都市の生活と自然資本の力が信じられないくらい隣接している稀有な地域です。さらに、2012年から高知県の文化広報誌『とさぶし』という媒体が立ち上がり、創刊編集委員を9年間ほどやらせてもらったこともあって、大変にご縁を感じている地域でもあります。今も高知大学での講演を含め、高知県や市町村からお仕事をご依頼いただくことが多いんですけど、この前ちょっと気になったのが、どこの地域も人口が減っているなかで、移住促進としてまちを認知してもらうためのPRをどうやったらいいかみたいなことに皆さんすごく悩まれておられたのです。

PRの仕方は僕も気になるところでしたが、最近、一つの考え方を提示できるようになりました。皆さん、今日本を代表する清流といえば、どの川が思い浮かびますか? 僕は100本くらいの清流が思い浮かんでしまって答えに困るんですけど、おおよそ日本を代表する清流は高知県にある2本の川を思い浮かべることが多いようですね。1本は、四万十川です。高知県西部を流れる川で、最後の清流とうたわれて、80年代くらいからその存在がじわじわと知られるようになり、NHKが特集番組をつくった瞬間に、「なんだこの川は?」ってみんなが驚いて、若い人たちの心をわし掴みにしました。一方、「○○ブルー」と呼ばれ、ものすごく人気の高い川があります。ご存知、仁淀川です。「仁淀ブルー」と呼ばれ、四万十川と比肩する美しい川で僕も大好きです。ただ、この2本の川の知名度が上がっていくなかで、認知のされ方に異なりを見せたように僕には思えます。簡単に言うと、仁淀ブルーはとても響きの美しい言葉で、その川をひと目見たいと望む人たちが仁淀川の流域を訪れることがここ十数年間の現象としてあり、観光の目玉にもなっています。実際に「仁淀ブルーを見に行きました」と話す若い世代の方々にもお会いしていますので、高知県や仁淀川の周辺のまちはすごくいいものをお持ちだと僕は認識しているのですが、行政の課題としては、仁淀川が有名になって、仁淀ブルーが全国的な地名度になってはいるけれど、それが移住・定住には直接結びついていない事実をこれからどうしていったらいいかが悩みの種だと相談を受けたこともあります。これは、地域にある自慢できるものや、みんなの心を揺さぶるもの、つまりファンタスティック・ローカルがあるときに、これをどう伝えるとより自分たちが求めている成果につながるのかという歯痒さやジレンマを感じていらっしゃるのでしょう。これがまさに、「ネイチャーかカルチャーか理論」の好例ではないかと思います。

仁淀川は今の時代、インスタ映えするとか、SNSで証認を得たいという欲求にぴったり当てはまる美しさを持って現れました。青く澄み切った仁淀川の写真を撮って、この場所に行ったことを一刻も早く伝えて、それをみんなから認めてもらうということが幸せの循環になる、そんな価値を持って仁淀川は存在しているんだと思うのですが、言ってしまえばこの捉え方はネイチャーです。ネイチャーというのは、その場所に足を運んで、その場所で自分が経験したり、目にしたりすることが、最も喜びや楽しみにつながりやすい事象だと考えられます。和歌山県の那智の滝もそうでしょう。富士山もそうだし、鳴門の渦潮もそうだし、野生動物もそう。基本的に自然物はネイチャーに分類されますが、四万十川もそのような存在かというと、それが違うんです。同時代のものとして比べていないので齟齬があるかもしれませんが、僕のなかでは四万十川はカルチャーなんです。

どういうことかと言うと、四万十川が1980年代や90年代に一躍日本の清流としてみんなから認知されたときには、四万十川は川の美しさというよりも、流域にある暮らしの美しさみたいなものが強くフィーチャーされたのです。川漁をする漁師の皆さんとか、江川崎というカヌーの聖地で、ライフスタイルとしてカヌーを楽しんでいる人たちから認識されていった結果、四万十に移り住むっていう方々が現れたんです。いろんな都市から四万十に、元々カヌーやアウトドアが好きで、当時はどちらかというとローカルっていうのは旅や、椎名誠さんの影響もあると思いますが、住むというより今いる場所とは違う場所に自分の身を置きたいみたいな感じで捉えることが多かったと思うんです。そのなかで、四万十川は人々の暮らしみたいなものが比較的前に出た露出の仕方をしていたように思います。

その結果、「ここで暮らしたい」と思う人たちが四万十川流域に移住するという現象が起きました。江川崎であったり、四万十市の四万十川流域に住んでいる方は移住者が多く、元々カヌーで旅をしていて四万十川にたどり着いて、「ここでの暮らしがすごく素敵なので定住しました」という方の声を聞くと、当時の四万十川はネイチャーとして見えていたのではなく、カルチャーとして認識されていたんだろうなと考えざるを得ないのです。その違いは、自分がその場所で暮らすことを想像できるようなアウトプットのされ方をしているかどうか。「四万十で暮らすのも選択肢の1つとしてありだな」と思わせるPRの仕方。もちろん美しい清流ではありますが、暮らしというものがわりと前に出ていたので、四万十の当時のアウトドアブームの後に続く移住ブームが起きたのではないかと推察しています。

「ネイチャーかカルチャーか理論」は、自然か、暮らしかでわけることができるのであれば、すべて簡単にわけられそうだと思われがちですが、では、出雲大社はどっちだと思いますか? 日本の古い歴史のなかから生まれた神社で、神楽殿のあの大しめ縄は圧巻ですが、出雲大社は「ネイチャーかカルチャーか理論」でいうと、ネイチャーです。長い歴史を経て、人の手から手と受け継がれてきた精神的支柱ではありますが、出雲大社を訪れる人たちの大半はカルチャーというよりも、ネイチャー的な視点で訪れていて、「出雲大社があるから移住する」という移住の動機には直線的にはあまりならないように思われます。伊勢神宮もそうだし、熊野大社もそうです。ある一定のレベルを超えたカルチャーはネイチャーになってしまうのでしょう。もちろん、神道への信心など大きな理由がある方々が一定数いらっしゃることは認識しているうえで話しているのですが、そこにあるものをそこにあるものとして認識するのがネイチャーだとしたら、出雲大社ほどの大きな存在は、カルチャーというよりはネイチャーに分類すべきではないかと思うのです。風光明媚な自然だけじゃなくて、古い歴史のなかから培われてきた場所を象徴するアイコンみたいなものもネイチャーだと捉えると、出雲大社を移住・定住の政策に安易に結びつけるのは難しいのかもしれません。暮らしとの距離がありすぎるから。

今、僕は「ネイチャーかカルチャーか理論」を構築している途中なので間違いがあるかもしれず、そこはご容赦いただきたいのですが……。自然もそうですが、きっぱりとわけられるものではなく、ネイチャー80パーセント、カルチャー20パーセントというのがより丁寧な分類の仕方で、各地域でそれをアピールすればいいと思います。自分たちのまちの人口減少を食い止めることをお考えなのであれば、ネイチャーで推すよりはカルチャーで推した方が人は興味を持ちやすいでしょうから、どんなものでも一度カルチャーの側面から捉えると、皆さんが大事にされている宝物のような風景や場所のよさが届きやすいのかなと思います。「とにかくすごいから来てほしい」みたいなのってネイチャーじゃないですか。「見てもらったら人生感、変わるよ」みたいに表現しますが、それはネイチャーとしての押し出し方だから、その後のお付き合いに広がっていく可能性は低いような気がします。「ネイチャーかカルチャーか理論」で言うと、カルチャーで推した方がいいように思います。

同じ神事でも、お祭りくらいのサイズだとカルチャーになることもあります。お神輿を担ぐ人がいないけどどうするとか、それこそ、よさこいがあるから高知に移住するっていう人もいると思うんですよ。阿波踊りがあるから徳島に通っているとか。そういう場合、ネイチャーかカルチャーかの線引きはどうなるのか。自然物でも順当なままネイチャーに分類されるもの、カルチャーに分類されるものがあるのと同時に、人工物や伝統行事でもネイチャーにわけられるもの、カルチャーにわけられるものがあるでしょう。そういう意味では、お神輿を担ぐとか、まちのお祭りの存続みたいなことはカルチャーなので、こういうものの方が人は関与しやすく、自分とその対象物との距離も縮まりそうです。カルチャーというのは対象物との距離が物理的にも縮まるってことなのかなっていう感じはします。釧路湿原を眺めるのはネイチャーですが、釧路市のまちづくりに取り組んでいる人たちが主催しているネイチャーガイドツアーに参加するのはカルチャーかもしれません。

さっき書いた野反湖は、僕にとってはネイチャーです。僕は野反湖に住んでいないし、遊びに行く場所だと思っています。ただ、野反湖に通うなかで見えてきた六合村の六合ハムという名産品や、花敷温泉や尻焼温泉の宿の営みは、ネイチャーの素晴らしさに惹かれてその場所に通うなかから発見したカルチャー。そういう出会い方もあるでしょう。山登りが好きな人たちは山に足を運ぶことで、たとえば「松本っていいまちだな」って思ったりするわけです。そういう出会い方だったら、ネイチャーからカルチャーが見出せるかもしれません。ネイチャーを訪ねてカルチャーに出会う、みたいな。

群馬県の伊香保温泉はネイチャーなのかカルチャーなのかと考えるとき、伊香保の温泉街はもう歴史や伝統がすごいので、ある意味ではネイチャーに近い状態だけど、実際には温泉のある渋川市の皆さんが一生懸命まちづくりに取り組んでいたりするので、温泉に通うなかで温泉街の事情とかもわかってくれば、「自分も関与してサポートできたら」と思う関係人口が現れるかもしれません。そういう意味では、ネイチャーとしての文化に出会って、その後、カルチャーとしての日常に出会うみたいなことは意識されるといいかもしれません。だから、「ネイチャーあるところカルチャーあり」っていう言い方でもいいと思います。ただネイチャーだけを体験して帰ってくるのではなくて、仁淀川の美しさに触れたら、仁淀の流域のまちの営みを感じようとする二段構えでもいいのかもしれませんね。

韓国語版の発売と初めての韓国、智異山へ

2025年9月、『オン・ザ・ロード 二拠点思考』の韓国語版が韓国で出版されました。これは本当に嬉しかったです。自分が想像していた未来に、この選択肢はありませんでしたから。韓国でも本が出せたらいいなと口にしていたわけでもないのに、韓国の皆さんが僕の本を見つけてくれたことに感謝をしたいです。僕と韓国の皆さんとのお付き合いはいきなり始まったわけではありません。『ソトコト』がもたらしてくれた大きな出会いがいくつかあって、この10年間、とくに『ソトコト』が関係人口の特集をつくり始めてから、僕のメッセンジャーやメールに韓国の方から連絡をいただくことがかなり頻繁にあったのです。たとえば、韓国の大学の先生と生徒さんからとか、韓国のある地域の行政局の方とか、韓国の地域創生の研究者の方というように、『ソトコト』をチェックしてくれている方々が大勢いらっしゃって、「韓国の皆さんは日本の地域創生にご興味があるんだな」と、コロナ禍の前だから7、8年前からかな、感じていたところです。というのも、皆さんすごくフレンドリーに、「指出さん、今度私、東京に行くんですけどこの日います?」みたいなメッセージを送ってくれるんです。そうやってご連絡いただいた方とは、やんごとなき事情がない限りは、「いいですよ。ぜひお越しください」という感じで、『ソトコト』編集部が渋谷にあったときも、溜池山王の現住所にも、それぞれ違う方々ですけどお越しいただいてお話や意見交換をしてきました。ソウル市立大学の皆さんと先生は7、8人で編集部に来てくれて、みんなで撮った記念写真がSNSに上がったりしているので、時折見て「楽しかったな」と思い出したりしていました。そんなふうに年に2回くらい、韓国の方が僕のところに来てくれることが続いていたんです。

これは実は、韓国の都市と地方における状況に大きくよるところがあって、皆さんご存知のように韓国の首都はソウルですが、生活に関しては東京よりもいろいろな社会課題に直面しているようです。たとえば、若い人たちが農村部からどんどんソウルに入ってきて一極集中が激しくなっているとか、東京や日本よりも少子化が進んでいるとか、結婚をしない若い層が増えているとか、日本と似た状況が進んでいるなかで、とくに『ソトコト』や僕のところに来てくれている研究者や学生の皆さんは、頭の中心においてお話をしてくださっていることが、都市と地方や農村の格差の是正というのか、あまりにも生活者が集中して都市に集まってしまう、または地方や農村への人口の大幅な流入減の現象をどう変えていったらいいかということです。そういう課題を解決するためにも関係人口に注目してくれているのです。東京だけじゃなく、日本の関係人口の現在を知りたいというお気持ちが皆さん強くて、「どういう場所を見に行けばいいか?」と尋ねられるので、そのたびに僕は、「今、ここがおもしろいですよ。宮崎県の新富町とかどうですか」と、訪ねてみるといい場所をいくつかご紹介していました。韓国の政府関係の方々が4名くらいで来てくださったときには、「韓国では関係人口が国策になりました」という報告を受けたりもしました。2年くらい前のことです。韓国では関係人口という言葉をそのまま使うのではなく、関係人口的な動きをすることや関係人口的な政策のことを「生活人口」という言葉を使って進めていくとお聞きしたときに、「お隣の国なので状況が似ているんでしょうね。僕がお役に立てることがあればいつでもお声がけください」というお話をしていました。

そんな頃、『オン・ザ・ロード 二拠点思考』をつくりますというアナウンスをSNSを活発に利用して皆さんに伝えていて、2024年の秋には、「いつ発売になりそうか」「こういう内容になります」みたいなことをアナウンスしたら、それを見てくださった韓国の方からメールかな、会社にご連絡をいただいて、「韓国でも出版しませんか?」というお誘いを受けたんです。それはすごいことでした。なぜなら、まだ本ができてもいない、表紙もできていない、どういう文章かお見せしていないので誰もわからない、僕の頭のなかにある「オン・ザ・ロード」というタイトルと「二拠点思考」というサブタイトルでつくるくらいの曖昧な状態なのに僕を信頼してくださって、「韓国で本を出しませんか?」と言ってくれた瞬間、天にも昇る気持ちになり、大袈裟ではなく生きててよかったと思いました。韓国の版元をつないでくださったのは、韓国を拠点にしている編集者であり翻訳者のパク・ウヒョンさんという方です。僕と同じくらいの世代の方で、『ブルータス』と『ソトコト』が大好きだっていう、コーヒーを淹れる写真がとても素敵な方です。パクさんからのご連絡を僕が直接受けたわけではないのですが、韓国語版を出すきっかけは、海外出版のエージェントが韓国と日本にあり、それらの会社とパクさんからの推薦で、「今度こういう本が出ますが、地域創生のなかで出版しませんか」って韓国の出版社に提案してくれたことに始まります。僕が、「『オン・ザ・ロード 二拠点思考』を出しますよ」ってSNSで発信したとき、パクさんも韓国から注目してくれていたのと同時に、日本にある海外出版のエージェントも注目してくれていたということで、話がとんとん拍子で進んだのです。本来であれば、本を出したいっていう韓国の出版社サイドと、この本を翻訳したいと思ってくれるパクさんのような方や、いろんな人の合意がないと前に進みづらいものが、本をつくる前からエージェント、パクさん、キム・ムニョンさんという女性の社長さんがやってらっしゃる『イ・スップ』っていう出版社の3者が出版するって決めてくれていたのです。僕にとってはすごくスムースな座組みを韓国の皆さんがつくってくださり、行幸に恵まれたみたいな感じでラッキーでした。ちなみに、キムさんがされている『イ・スップ』という出版社が日本のどういう本を出しているのかウェブサイトを拝見したら、いい本ばかり出されてるんですよ。吉本ばななさんの著書、それから、谷口ジローさん、久住昌之さんの孤独のグルメ。そんななかで僕の本も出させてくれるっていうのは嬉しかったですね。

皆さんのおかげで韓国語版は無事出版されたのですが、実は僕はそれまで韓国へ行ったことがなかったんです。韓国には内水面にいい魚がいっぱいいるんで、いつかは釣りに行きたいなと思っていたんですけど、なかなか足を運ぶタイミングがなかったのです。そして、これは「編集者あるある」なんですが、その地域の特集をつくっておきながら、自分はそこに行っていないということがままあるのです。本来であればこのようなつくり方をしてはいけないんじゃないかと思ったりもするのですが、『ソトコト』も日本のローカルにシフトする前は、比較的海外の事例を取材して紹介していました。アメリカに行ったり、アフリカに行ったり、アイスランドに行ったりしながら記事をつくっていたのですが、そんな中、僕が専任担当で年に必ず1冊出すことを4年間続けたある国の移住特集があるんです。ニュージーランドです。「ニュージーランド移住計画」は人気の特集だったんですけど、特集だけではなくさらにはムックもつくったんです。ムックとは雑誌と本の中間みたいな媒体です。何度も特集をつくったので、僕の頭のなかにはニュージーランドの地図がプロットされていてどこについても詳しいんですけど、実は1回も行ったことがない。ニュージーランド大使館にお招きいただいてパーティーに出るんですけど、本国に1回も行ったことない。それはどうなんだろうって思うかもしれませんが、これだけSNSが発達すると、行っていなくても心は行った気持ちになっている人たちもいるので、僕はそういうつくり方も編集者としてはありなのかなと思ったりもします。ただ、実際に現地に足を運んだ制作チームはいたし、僕も現地の人とのやりとりはしていたので、まったくの想像でつくったわけではないことは言っておきます。

韓国も行ったことがなかったのですが、韓国のことは子どもの頃から気になっていました。僕が韓国の存在を身近に感じたのは、大学生の頃です。父は冷熱の機械をつくる小さな工場を経営していたんですけど、いわゆるボイラー屋さんで、冷熱の技術は当時、日本はとくに環境負荷を減らすという面でも世界的に進んでいる機械をつくっていたので、海外の同業の会社の方々が相談に来ることも多かったんです。韓国の釜山の会社の人も来られて、父のことを兄弟みたいな感じで接していました。父は元・ボクサーでしたから熱い気持ちで、「自分が役に立てることは何でもやるよ」というふうに、同じ冷熱の機械を製造している釜山の会社の社長さんと話していました。父は家が大好きで、家と仕事先を回ることを大切にしていました。そんな父が唯一行ったことのある海外が韓国だったんです。その兄弟のような、信頼関係のある釜山の社長さんにお招きいただいて、現地で技術指導をしたことが2回ほどあって、「一正、韓国へ行ってきたぞ」「ご飯がおいしかったぞ」と韓国出張から帰ってきた父の土産話を聞いた覚えがあります。「刺身を食べたが、あまりにおいしかったので、『これは何ですか?』と聞いたら『ナマズの刺身です』と。びっくりしたよ」という話は今もよく覚えていて、「僕もナマズの刺身を食べてみたいな」と羨ましく思った記憶があります。

とんとん拍子に進んだ韓国語版『オン・ザ・ロード 二拠点思考』は、2025年9月に発売されました。そのタイミングで、僕はパクさんたちによって韓国に招かれたのです。父は韓国の技術者の方々のことを尊敬していたので、僕もそういう気持ちはちゃんと継承しようと思っていて、「お役に立てることがあれば」みたいな感じでお招きに預かりました。招かれたのは、韓国の南部にある最高峰の智異山というエリアです。移住者が増えている中山間地域で、年に1回、ソーシャルマター、いわゆる社会課題の解決に取り組んでいる若いNPO・NGOのリーダーが集まるサミットが開催されるらしく、そのサミットにご招待いただいたのです。本が出ることのお披露目があるとともに、人口減少、都市の一極集中、ウェルビーイングといった社会課題に韓国のNPO・NGOのリーダーの皆さんも大変ご興味があるということで、日本から唯一僕が参加。ほかの皆さんは韓国のさまざまな地域から200人ほどが集まっておられました。そこで2泊3日、実質的には1泊2日になりましたが、韓国のNPO・NGOのリーダーの皆さんと一緒にお話をする機会を得ました。

智異山は韓流の映画の舞台にもなっているのですが、風景はのどかな印象で、日本でいうと長野県と山梨県にまたがる八ヶ岳をイメージしてもらうと近いかもしれません。日本でも移住者がまちや文化をつくった筆頭の地域の一つとして八ヶ岳エリアがあると思うんですけど、美しい山々と自然豊かな環境が農村回帰や自然回帰を望む都市の若い人たちの心に作用して移住者が増えたのが八ヶ岳の原村などのルーツにあります。当時移住された方々は、今ではもう先輩世代になっています。韓国でも都市生活から30代、40代の皆さんが違う生き方や働き方を目指して智異山に移住することが多くて、移住者が経営している素敵な宿やカフェが多いんです。そんな地域であることから、ちょうど10年目かな、「智異山フォーラム」っていうのが社会や暮らしをテーマにして開かれていて、僕もそこに参加してきたのです。

『オン・ザ・ロード』は移動が大きなテーマなので、移動の話も少し書きます。今回、僕はソウルの仁川空港に向かいましたが、空港にパクさんが迎えに来てくださることになりました。伺ったことがないので遅れないようにしたかったのと、目的地である智異山はソウルから南に電車と車を使って3時間くらいかかる場所だったので、1人でたどり着くのは難しいかもしれないし、道中に打ち合わせができることもあってパクさんに甘えることにしました。そこから話が始まるように書いておきながら、話は前の日にさかのぼります。僕は前日は神戸にいました。神戸の家からいちばん近い空港は伊丹空港でもなく、関西国際空港でもなく、神戸空港なんです。神戸は、僕が二拠点生活を始めた2022年くらいから国際空港の整備が整い始めていて、台北、台中に行くとか、上海や南京に行くとか、仁川に行くとか、東アジアの主要都市に行く飛行機がかなり充実してきているんです。しかも神戸の自宅からモノレールを乗り継いでいけば20分くらいで到着するので、羽田空港よりも便利でした。だから神戸空港は愛用していて、かつて高知と神戸を結ぶ便があったときは30分くらいで神戸に戻ってこられるので、高知での仕事のときは神戸空港を使っていました。国際線のための別の建物がつくられ、きれいなターミナルになっているんですが、何がいいかというと、関空や羽田よりも人が少ないことです。その日は空港に僕1人しかいなかったんです。大丈夫かなと心配になるほどでした。ただ、それは僕が出発よりも2時間は早く行くっていう心配性の性格のせいで、実際は1時間前くらいになったら適正な人数のお客さんがその飛行機に乗るために現れたので、神戸空港そのものが閑散としているわけではなく、単に僕が早く行きすぎたっていうだけのことでした。早朝の静かな時間を一人占めでき、ますます神戸空港のことが好きになりました。神戸空港の素晴らしいところは、乗り継ぎが便利なところ。神戸空港から韓国に行って2泊3日で戻ってきた後、僕はすぐに東京へ戻らなければならなかったのですが、神戸空港からバスで新神戸駅へ18分で着き、新幹線に乗って、あっという間に東京に着きました。アジアのトランジットエアポートに行くのであれば、僕は東京から行くのもいいと思うんですけど、渋滞もなく、ストレスもない神戸空港はかなりおすすめです。

その神戸空港から仁川空港行きの大韓航空機に乗りました。ちなみに、パクさんとキムさんとプロジェクトメンバーの皆さんとは1度、zoomで打ち合わせをしていました。パクさんと出版社のキムさんと当日のファシリテーターをやってくれる建築家の女性のチョン・スギョンさんが入って。そのとき初めてパクさんとお話をしたんですが、独学だったか日本語を学ばれ、日本語でお話を進めてくれました。画面上にいる方のなかでは、パクさんは韓国語と日本語を話せて、何人かの方は日本語は話せないけれども理解できる、僕は残念ながら韓国語は話せなくてという、どの言語を使ったらいいか迷う状況になったのですが、最近のインターネット会議のインターフェースって字幕がちゃんと同時通訳で出るんですね。僕が話すとハングルが表記されて、みんながうんうんって頷いてくれて、向こうの皆さんの言葉は日本語に通訳されるので僕もうんうんって頷くという。「これは早晩、語学学習が必要なくなる可能性もある、もしくは必須ではなくなるかもしれないな」と感じました。まだまだ通訳の質はぎこちないんですけど、これはテクノロジーで絶対に解決できるだろうから、あと1年くらいすると本当に、よほど自分の生きざまとか、仕事の情熱を伝えるための言葉はうまく訳せないとしても、そこまでの深みは必要ない、メッセージのやり取りができればいいオンライン会話だと、日本の地域と世界の地域はぐんと近づく可能性は高いなって思いました。

仁川空港で飛行機から降りた瞬間、かっこいい空港だなと感じた僕は、いきなりお上りさんのように写真をいっぱい撮り始めました。大韓航空で行ったんですが、空港にはたくさんの大韓航空の機体が止まっていて、球体のタワーもありました。そんな写真をカシャカシャと撮ったら、仁川に着いたことを妻に伝えました。入国審査を通過したら、パクさんと合流しました。本の翻訳をしていただいたことへの感謝の気持ちを込めて挨拶をしました。パクさんのzoomの画面から滲み出る通りの優しいお人柄に甘えて、僕は日本語でお話しさせてもらいました。KTXっていう韓国の高速鉄道に乗り、いろんな話をしながら南に向かいました。韓国の高速鉄道に乗るのも初めてでした。フランスのTGVみたいなスタイリッシュな車両デザイン。建設にフランスが入ってサポートしたようで、ちょっとヨーロッパっぽいタイプの列車でした。韓国ってビルもそうですが、まちに欧米文化が感じられるんですよね。僕のなかでは大人のまちという印象があります。寒い地域じゃないですか、ソウルって。東京よりも冬は全然寒いですよね、緯度も高いし。なので、防寒の構造になっていて、グレーでカチッとしたソリッドな感じのビルが多く、それも大人っぽいなと感じながら車窓の風景を眺めていました。

息子の学校の学園祭では男子高生たちがみんなカンナムスタイルを踊るということをKTXのなかで思い出しました。僕もその歌詞と踊りを知っているということをパクさんに話すと、「ここが、そのカンナムと言われている場所です」と車窓から見えるまちを指し示してくれました。高い建物が立ち並び、ハイソサエティな感じのするまちでした。韓国でも一二を争うくらい進んでいるまちらしく、「カンナムっていうのは『江の南』っていう意味です」と教えてくれて、一つ韓国の言葉を覚えられて嬉しい気持ちになりました。

KTXには一緒に移動するキムさんも乗ってきてくれたので、挨拶をしました。2時間くらい乗って、日本の奈良のような昔の都があったまちに、韓国の宮殿っぽい外観の南原駅があるのですが、その駅で降りました。レンタカーが停まっているという駐車場に向かい、真っ暗ななか車を探しました。夕方にソウルを出発したので、もう夜7時か8時頃になっていたのです。パクさんが車を運転してくれて、僕を含めて4名が乗り、1時間くらい山道をドライブしていきました。車内では日本の今の地域の現状や、僕が二拠点生活を送っている理由について質問を受けたので英語で答え、なんとなくみんながわかってくれたみたいな感じで過ごしていました。

智異山というのは、日光のいろは坂や箱根なんかのしっかりと整備された峠道を思い浮かべてもらえるといいのですが、明りがほとんどない暗い森のなかの整備された道を車のライトだけで登っていったので、僕はここが一体どういう場所なのか全然わからないまま智異山に到着しました。その日のフォーラムのプログラムはすべて終わっていて、最後の振り返りをされているようなタイミングでした。ビジターセンターみたいな場所がメイン会場で、そこに皆さんが集まっているタイミングだったんですけど、僕は夕食を摂っていなかったので、パクさんと皆さんでご飯を食べてから合流しましょうとなり、連れて行ってもらった場所がまちのドライブ・インで、地元の人たちがチャミスルやマッコリを飲んだり、鍋をつついたりしている店でした。いきなり最高のローカルな場所に連れて行ってもらえたんで、僕は「韓国に来た感じ、高まってる」というふうに静かにテンションが上がりました。そこでパクさんとキムさんとソウル市立大学大学院生のパク・ソンウンさんと僕で、韓国ですから注文したご飯の前にいっぱい、キムチとかナムルの小皿料理をいただきながら、地元のマッコリを冷蔵庫から出して飲み、「韓国、最高」と思いながら干し鱈のスープとかいろんな食べ物を食べました。

その夜は、智異山に移住された女性の方が経営している一棟貸しの宿みたいなところに泊まりました。とても素敵だったので写真を何枚も撮りました。そして、前からやり取りをして懇意にさせてもらっているご夫妻、韓国と日本の農村地域を研究している妻のチョ・ヒジョンさんという博士と夫のユン・ジョングさんが合流してくださいました。ご夫妻とはこの数年間、メールでのやり取りをさせてもらっていて、直接お会いするのは2回目ですが、この前にお会いしたのは3年くらい前。嬉しかったです。チョさんは西粟倉村の牧大介さんをはじめ、日本のローカルプレイヤーの方もよくご存知で、日本の地方創生を研究している韓国の先生です。ユンさんとともにヘラブナ釣りとか魚釣りも大好きです。ユンさんは僕と顔を合わせるなり、「指出さんの講演よりも、一緒に釣りに行くのを楽しみにして来た」と笑顔で言ってくれるようなユーモアのある人です。北海道とソウルの二拠点生活をしていて、北海道ではお寺の僧侶も務めています。みなさん日本語も話され、夜、ポテトチップスの袋を丸くくり抜いて開ける韓国流の開け方をして、韓国ビールを飲みながら、日本語で話をしながら楽しい時間を過ごしたんですが、ユンさんは「釣り竿を持ってきたので翌朝、釣りに行こう」と誘ってくれました。ユンさんとチョさんは離れに泊まり、その隣に僕は泊まってたんですけど、朝6時頃だったかな、起きて待っていたらユンさんが来てくれて、「じゃあ、行きましょうか」って連れて行ってくれたのが、ほんの100メートルほど歩いた下に流れている川だったんです。この川の美しさと言ったら、四万十川や仁淀川にも引けを取らないものでした。四万十川には沈下橋がかかっていますが、ここ智異山を流れる上・中流域の川にも沈下橋があるんです。なので、ここ最近は僕はスライドで、「四万十川に行って来ました」と言いながら智異山の沈下橋を映すのですが、見ている皆さんは見事に騙されます。「いや嘘で、実は韓国南部の川の沈下橋です」と種明かしをして場を和ませたりしていますが、その川に連れて行ってもらいました。僕は釣り竿を持っていなかったのでチョさんが釣る姿を見てるだけだったんですが、それでも眼前に広がる大豆畑やナムルをつくるためのゼンマイ畑を、日本の高知や徳島や島根の中山間地域の風景そのものだなと思いながら眺めていました。移動してきたのが夜だったので、どんな場所か全然わからないまま宿の外に出たのですが、朝6時過ぎのもやに包まれた風景は、ハングルで書かれている看板を外したらまるっきり日本の中山間地域じゃないかっていう、僕の好きな風景が広がっていました。一輪車で大豆を運んでいる男性におはようございます、「アンニョンハセヨ」とニコニコしながら挨拶したりしてました。川に降りたユンさんは、「今からコウライオヤニラミを釣りますよ」とルアーを投げました。「川メバル」とも呼ばれ、美しい水の象徴とされている魚です。なぜオヤニラミという名前が付いているかというと、水中に巣をつくって親が睨みを利かせて子どもを守っているからだそうです。日本ではとくに西日本に多く生息している魚で、美しい川の指標生物にもなっています。「ここはいるはず」と言いながらユンさんは5投目くらいに見事、20センチほどのコウライオヤニラミを釣り上げました。朝の1時間くらいでしたが、フォーラム開催地の風景を感じ取ってから講演ができたのはよかったと思います。ユンさんに感謝しました。

僕が韓国の淡水魚に興味があることをSNSを見て知ってくれていたご夫妻は、僕が講演をしている間、川に仕掛けを入れておいてくれました。講演が終わってユンさんと一緒に仕掛けを確認しに行ったら、韓国の魚がいっぱいかかっていました。もちろん全部逃がしました。2泊3日だったけれど、ソウルはパクさんがおしゃれな本屋さんに連れて行ってくれました。韓国の都市と農村の両方をそのエキスパートが案内してくれたおかげで楽しい時間を過ごすことができました。ちなみに、コウライオヤニラミは今、日本では増えすぎて社会問題になっています。だから僕もSNSで写真をあげたりはしていません。

基調講演で話した後、ユンさんが「上流に行ってみよう」と提案して行ったんですが、そこは国立公園になっていて、山梨県の昇仙峡や香川県の寒霞渓に似た、ゴツゴツとした岩が露出している景勝地でした。見たら、ツキノワグマがキャラクターになっています。「ツキノワグマは結構いるんですか?」とユンさんに聞いたら、「一度絶滅寸前になったけど、移入して今また増えてる。というか、増やしてる」とのこと。「絶滅寸前になった後、どこから連れてきたんですか?」と尋ねたら、「北朝鮮から連れてきた」と。「北朝鮮はDNAが同じなので、連れてきて、繁殖をさせて保護しているんです」と聞いて、兵庫県豊岡市のコウノトリもそうですが、こういう形で自然の再生に取り組んでいるところもあるんだなと勉強になったし、上流へのドライブの10分間でも自分の糧になることはあるんだなと思いました。 ちなみに、この日は200人くらいの参加者たちと一緒にランチを食べたんですけど、これがよかった。みんなでビビンパを食べるんですよ。何十個もステンレスの器が並んで、みんなで自由にご飯を盛って、ナムルやキムチなど好きなものをトッピングして、キノコのスープかな、智異山で採れた食材でつくった食べ物を持って、外のテーブルで参加者同士が話しながら食べる、ビビンパパーティーみたいな感じでとても楽しかったですね。「これはみんな、仲良くなるはず」と思いながら、僕もそのなかに入れてもらってたどたどしい口調で話をしましたが、ビビンパパーティーは日本だったらおにぎりパーティーかな、国民的だし、しかもそこに参加していたひとりの女性が、「私たちにとっては宝物のような場所」と言ったので理由を尋ねると、「こんなにおいしいビビンパが食べられるし、野菜もこの智異山のエリアで採ったものばかりなのよ」と明るい声で話しました。その話しぶりから、ローカルフードを大事にしている様子がうかがえるとともに、ソウルなどで活躍しているNPO・NGOのリーダーにとって、智異山はかけがえのない地域なんだろうなと思いました。

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