MENU

Contents

日本のローカルを楽しむ、つなげる、守る。

Follow US

【レポート③】復興のその先へ、つぎの未来を編む。|ふくしま未来創造アカデミー第4期

ソトコト事業部

ソトコト事業部

  • URLをコピーしました!

福島12市町村。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故による住民の避難を経験し、長い時間を経て、今も復興と再生の途上にある地域です。この「福島12市町村」を体感し、“関わりしろ(福島12市町村のために自分自身にできること)”を考える「ふくしま未来創造アカデミー」(主催:公益社団法人福島相双復興推進機構)の第4期が、2025年9月から2026年1月まで開催されました。受講生は大学生や社会人などバックグラウンドのさまざまな12人。全5回の講座を通じて、福島12市町村との新たなつながりを探りました。

初回(2025年9月7日)のオリエンテーション、第2回(10月18日~19日)の現地でのフィールドワークを経て、第3回(11月14日~16日)は、「福島12市町村をより深く知る・体験する・交わる」をテーマに、2泊3日のフィールドワーク。受講生は自身と地域の接点となる“関わりしろ”を求め、それぞれの興味や関心にもとづいた仕事体験に挑戦しました。

目次

2045年という期限と、復興の現在地。

11月14日。郡山駅に集合したメンバーは、バスに乗り込み大熊町と双葉町にまたがる『中間貯蔵施設』へ向かいます。原発事故後の除染で生じた土壌や廃棄物を、最終処分までの一定期間、安全に貯蔵するための施設で、2015年以降、県内各地から運び込まれた土は、約1400万㎥。東京ドーム約11杯分に当たります。

中間貯蔵施設の見学前に、「中間貯蔵事業情報センター」にて説明を受ける受講生。

受講生たちはマイクロバスで渋谷区と同じ広さの敷地を巡りました。土壌の分別を行う受入・分別施設や古墳のような形の土壌貯蔵施設などが並び、介護施設や公民館、小学校など、被災当時のままの姿で残る建物も点在します。放射線量の低い土は、道路の盛土などへの再利用も進められています。

バスで中間貯蔵施設を見学。震災当時のまま残るまちの施設などの様子がバスの中から垣間見えた。

土壌は、2045年までに県外で最終処分をすることが法律で定められていますが、未だ最終処分地の見通しは立っていません。「2045年に必ずここに戻ってくる」という思いで、国に土地を託した町民もいます。復興は、いまも現在進行形なのだという事実を、受講生は目の当たりにしました。

情報センター内「未来を描く」コーナーを見学。メッセージボードには施設を訪れた人たちのさまざまな思いが綴られている。

みんなの笑顔を生む、第三の居場所

昼食後は、双葉駅西側に建つ「駅西住宅」へ。双葉町の避難指示が一部で解除された2022年にオープンしたこの災害公営住宅には、現在75世帯が暮らし、その多くが単身世帯です。この日は、10月にスタートした「みんな食堂」の開催日。月に一度、第2金曜日に集会所で開かれる、誰もが参加できる夕食の場です。

双葉駅西口に広がる公営住宅「駅西住宅」。ここで月に一度、「みんな食堂」が開催されている。

「みんな食堂」は、地域の子どもたちの「みんなで一緒にご飯を食べたい」という思いと、「単身世帯の多いこの場所で一緒に夕飯を食べる時間があったらいいな」という住民の思いが重なり誕生。きっかけは「みんな食堂」の責任者である黒津今日子さんが、「駅西住宅」の家庭菜園で仲良くなったおばあさんからご飯に誘われたことでした。

「夕飯食ったかぁ?食ってけえ」とお誘いがあったものの、「ごちそうになるのは申し訳ないな」と思っていたという黒津さん。「『駅西住宅』には単身世帯が多い、月に1回でもみんなで夕飯を囲める場所があればいいのに」と考えていたとき、住民の高久田祐子さんから子ども食堂を開こうと思っていると話がありました。

「それなら一緒に子どもからお年寄りまで 『みんな』で夕飯を食べられる『みんな食堂』にしよう!」
こうして月に1回の「みんな食堂」が実現しました。

「みんな食堂」では積極的に双葉町産の野菜を使用しています。「みんな食堂」の責任者であり、双葉町で営農している黒津さんと齊藤泰道さんの畑で採れるブロッコリーやごぼうなどがメニューを彩ります。

この日のメニューはホワイトシチューと蒸し野菜。メニューに使われたブロッコリーとキャベツは双葉町産、お米は黒津さんの勤める『安井ファーム』(石川県白山市)から寄付された石川県産コシヒカリです。受講生たちは地域の方々と協力しながら、野菜の皮むきや精米、看板書き、皿洗いなどを手伝いました。

高久田祐子さん(写真右)とともに、「みんな食堂」で振る舞う料理を準備する受講生たち。

17時になると、集会所に一人、また一人と住民が集まってきます。「無料だと申し訳ない」という声を受けて、材料費の一部として大人には200円を支払ってもらっているそう。

「今日はどうしてた?」「元気そうじゃない」と住民同士の会話が弾み、夕食を終えた子どもたちはおもちゃを囲んで遊び始めます。

高久田さんは、「双葉の子どもたちにとって、自宅でも学校でもない“第3の居場所”になればうれしい。普段はお惣菜で済ませている一人暮らしのお年寄りに喜んでもらえるのも励みになります」と話します。大人も子どもも、町に戻ってきた人も移住者も、ともに囲む食卓。住民たちそれぞれのストーリーに、受講生も真剣に耳を傾けます。「おいしかったよ。ごちそうさま」と温かな笑顔を残して帰っていく住民たちの姿が、印象的でした。

夕食時になると住民が集まる。受講生も混ぜていただき、和やかな雰囲気で食事を楽しんだ。

土地を耕し、地域を育てる

2日目は、受講生は3つのグループに分かれ、それぞれの関心に沿ったインターン(仕事体験)へ。地域で活躍するプレイヤーたちと少人数でじっくりコミュニケーションを重ね、地域の現状を知り、自分たちの“関わりしろ”を探るのが目的です。

まず最初のグループが向かったのは、浪江町でニンニクを栽培する『ランドビルファーム』。ここでは、1000年以上の歴史を持つ伝統行事相馬野馬追(そうまのまおい)に参加する馬の堆肥を活用し、「サムライガーリック」を育てています。かつて武士たちは、戦いに出る前に “勝つ男”に通じる験担ぎのカツオと、滋養強壮のためのニンニクを合わせて食べたといい、そんなストーリーと、柔らかな香り、まろやかな味わいが評判を呼んでいます。

受講生は、園主の吉田さやかさんの指導のもと、ニンニクの植え付け作業に挑戦。その後、吉田家の築150年の古民家へと移動し、ずらりと並ぶ侍の甲冑を見学しました。

「サムライガーリック」園主の吉田さやかさん。吉田家に代々伝わる甲冑を説明してもらった。
リノベーションされた吉田家のお宅。

「この地域には次世代に手渡したい魅力がたくさんある。地域の食材を活かしたイベントや、甲冑の着付け体験を通して、この土地の文化を発信する拠点に育てていけたらと思っています」

そう語る吉田さんは、「“こんなことをしてみたい”と口にすると、賛同してくれる人が周りにたくさんいるんです」と笑顔を見せます。東京都内のフレンチシェフと共同開発した、サムライガーリックを利用したエナジーコーラも販売中といい、農業を軸に、地域と文化をつなぐ新たな挑戦に意欲を燃やしています。

一方、双葉町の『安井ファーム』を訪れたグループは、ブロッコリーの収穫を体験しました。畑に立つと、スタッフの黒津今日子さんが写真入りのパネルを手に説明を始めます。

「採ったものは状態をよく見てください。虫がいないか、傷はないか。紫がかっているのは天然色素アントシアニンによるもの。ゆでれば緑になるので、収穫して大丈夫ですよ」

軍手に長靴姿の受講生は畝間を進み、両脇の株を見極めながら、刃渡り15㎝ほどの包丁で育った花蕾を切り取っていきます。朝露がしみ込み、服がじわりと濡れていきます。

「ブロッコリーが手作業で収穫されているとは知らなかった」
「収穫できるかどうか、人の目でのチェックが必要で、機械化が難しい部分もあると知った」
といった声が受講生から聞かれました。

ブロッコリーの収穫体験をする受講生。

福島市の果樹農家に育った黒津さんは、山形県内の大学を卒業後、鉄道会社で技術職に就いたものの、「やはり農業がしたい」と2023年、石川県を拠点に展開する『安井ファーム』へ。翌年双葉に派遣され、野菜たちを見守っています。

「小さいころから自然が好きで、畑にいるだけで幸せなんです。人間が野菜を育てるなんて、おこがましい。野菜が育とうとするのを、私たちは支えているだけです」

農作業の楽しさを生き生きと話してくれた『安井ファーム』スタッフの黒津さん。

前日の「みんな食堂」にも寄付されたブロッコリーは、品質保持フィルムに包まれ、カット野菜工場へ。冷凍食品や学校給食として全国に届けられます。

記憶を未来へつなぐ、『あの日の家』

最後のグループが向かったのは、浪江町の戸建て住宅。神奈川県の会社員、若月稔彦さんが震災前まで暮らしていた家で、家の2階部分は、15年前の震災当時のまま。子ども部屋のクローゼットには洋服がかかり、横倒しになったままの本棚から、漫画本や雑貨が飛び出しています。

2011年の被災当時、小学5年生だった若月さんは、家族とともに福島県白河市に避難。そこで出会ったのが、中学・高校と同級生だった富井治弥さんでした。富井さんは現在、東京大学の大学院で建築を学んでいます。

震災前までこのお宅で暮らしていた若月稔彦さん(写真右)と、「あの日の家」プロジェクトの発起人である富井治弥さん(写真左)。

「この家の存在を知ったとき、残さなければと使命感に駆られました」。富井さんは大学院の仲間たちと家の改修に取り組み、地域の人や外から来た人が集まるコミュニティスペースとして再生を進めています。この試みは『あの日の家プロジェクト』と名付けられ、2024年夏にはウッドデッキも増築しました。

3人の受講生は、この住宅を今後どう活用していくか、そのための課題は何か、この住宅の魅力はどこにあるのか、アイデアをシェアするワークショップに取り組みました。「避難した人も戻ってくるようなきっかけになるようなイベントを開催したい」「移住者と昔からの住民が交流できる場にできれば」など、受講生もこの家の未来に思いを巡らせます。

ワークショップの様子。この家をどう残していくか、富井さんは受講生たちにアイデアを募る。

若月さんは「この家が、震災前の浪江町を伝える“案内役”のような存在になれば」と語ります。近隣では福島国際研究教育機構 (F-REI)の整備も進み、職員たちが集えるコミュニティスペースとしての利用も予定されています。若月さんと富井さんの二人は現在、プロジェクトのNPO法人化を目指して奮闘中です。

3日目は、前日までの体験をふまえ、それぞれの気づきやアイディアを共有しました。

3日目の振り返りワークショップでは、3日間の感想をシェアした。
福島12市町村でこれまで見聞きしたことをもとに、自分自身の“関わりしろ”を考える。

受講生それぞれの胸の中に、“関わりしろ”に向かう小さな種を蒔き、3日間のフィールドワークは幕を閉じました。

十二人が描いた、つぎの未来。

12月に都内で行われた「プラン作りワークショップ」を経て、2026年1月18日、受講生によるプランの最終発表が行われました。フィールドワークで見聞きしたことをもとに、受講生一人ひとりが自身の仕事で活かせそうなこと、趣味や新たな挑戦としてやってみたいことをプランとして発表します。集大成となる会では、多彩なアイデアが飛び出しました。

プランの一例:

グレーからグリーンへ 自然と暮らしを結ぶ風景をつくる
土木や建設の現場に、コンクリートではなく畦(あぜ)など、自然素材を用いた構造物を導入する。住民や地域の人々の手で環境を守っていき、交流を促進する。

「自らを整えに、帰る場所」へ。和座リトリート化10年計画
サムライガーリックや浪江のカツオなどを「浪江・養生箱」として通販で届ける。いずれは吉田家の古民家を、静寂を楽しむリトリートの拠点として開業する。

発酵ツーリズム福島 浜通りの聖地巡礼
クラフトビールや地酒の醸造所、味噌醤油店、漬物屋など、“発酵”をテーマに12市町村をめぐるツアーを企画・実施する。

12市町村とおえかき
福島在住の小中学生とともに、12市町村を巡って見た景色を大きな絵にして表現する。

『あの日の家』で、子ども向けのイベントを開催
春は「浪江の写真を撮ろう」、冬は「クリスマスウッドデッキを作ろう」など、『あの日の家』を拠点に、子ども向けのイベントを季節ごとに開催する。

アカデミーのメンターを務めた南相馬市在住のデザイナー、西山里佳さんは、「みなさんがこれまで積み重ねてきた経験が、つらい経験も含めて、福島との出会いを経てこのタイミングでアウトプットされたのだなと感じました。個性豊かなプランを一緒に形にできることを楽しみにしています」と柔らかな笑顔で語ります。

講師を務めた『ソトコト』編集長の指出一正氏は、「今日は卒業式ではなく、はじまりの日。話題のまんなかに相双地域を置いて、新しく出会った仲間たちと、これからもコミュニティとしてご一緒できたら」と締めくくりました。

福島12市町村との出会いを経て、12人の視点から生まれた、“つぎの未来”への多彩なアイディアの種たち。蒔かれた種は、やがてそれぞれの場所で芽を出していくでしょう。

【主催】公益社団法人福島相双復興推進機構
【企画運営】一般社団法人日本関係人口協会
【写真】鈴木穣蔵
【文】中村茉莉花

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね
  • URLをコピーしました!

関連記事