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サスティナビリティ

連載 | フィロソフィーとしての「いのち」

いのちは はいりこむ

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家族で「展覧会 岡本太郎」(『東京都美術館』)に足を運んだ。中学生の頃、岡本太郎の著書『自分の中に毒を持て』(青春出版社刊)を読んで以来のファンだ。わたしは、彼とは文章を入り口に出合った。熱く躍動的な文章を体現するような絵画や彫刻、すべての創造物、そうしたことすべてを含んだ生きざまや存在自体に惹かれた。我が家には、長く集めてきた本や画集など太郎作品がちりばめられている。息子は自然環境のようにして太郎作品そのものと出合った。ただ、岡本太郎の絵画も、3歳の頃は「こわい」と言って近寄ることができなかった。わたしは「こわい」と思える感性こそが素晴らしいと思った。言葉にならない体験は「こわい」としか言えないものだっただろう。その3文字の中にあらゆる未分化な感情が込められていた。

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4歳頃から、岡本太郎作品の「傷ましき腕」(1949年)を特別な作品として見はじめていることに気づいた。画集『歓喜』で「傷ましき腕」を見た瞬間にパタンと本を閉じていた。「こわい」けど見たい。見ては閉じる行為を繰り返しながら、すこしずつ距離を縮めているようだった。ある時には、画集が視野に入り込んだだけでその周囲に近づかず、わたしの後ろに隠れながら遠巻きに眺めていた。画集が何かの下に隠れているときでも、そのオーラ(aura)を感じているのか、「あの塊を遠ざけて」と言われ、移動させるときに「傷ましき腕」に畏れていることが分かって、驚いたものだった。きっと、こうした能力は誰もが潜在的に持っているものなのだろう。使い道はそれぞれ違う。ある時から、絵を見たいというようになった。ただ、その度に「絵が飛び出てこないかどうか見張ってて」と言われた。人は、安全な場や守りの中でこそ「こわい体験」を自分のものとして取り入れていくことができる。体験は、背後にある環境すべてと一続きのものだ。

5歳の今、「傷ましき腕」は彼のお気に入りとなった。チラシから切り抜いた「傷ましき腕」の写真をお気に入りのLEGOボックスにコラージュして貼って、よく眺めている。この絵は「太郎がパリ時代に悩んでいたときに描いた作品なんだよ」と、子どもは制作の背景までもしっかりと理解している。プリントであってもそうした情報量を受け取る感性が人間には秘められている。

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「展覧会 岡本太郎」で、5歳の彼ははじめて実物を見た。絵の前で金縛りにあっていた。帽子を目深にかぶって表情を見られないようにしていたのは、彼なりに誰にも邪魔されず一人で対決したかったのかもしれない。すべては言葉に還元できない一瞬の体験だっただろう。そうした体験は、生涯かけて自分の肉体の細部へと解け込ませていく体験だ。
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わたしも、大学生のころにダリやピカソの実物の作品を見るためだけにスペインに旅行に行った。フィゲラスの『ダリ美術館』、マドリードの『国立ソフィア王妃芸術センター』でピカソの「ゲルニカ」も見た。いまだにそうした絵画体験は“心の神殿”に大切にしまわれている。心の奥深くに偉大な芸術家が内在化されると、悩んだり立ち止まったとき、内的対話の登場人物に彼らが必ず登場するようになる。絵画を介した深いイメージの体験は、きっと人間の魂の問題に関わるのだろう。わたしが、医療と芸術を“対等な存在”として位置付けているのは、いずれも人間の魂の問題に関わる事柄だからだ。生きることは、そうした体験の連続なのだ。
文・写真 稲葉俊郎

いなば●としろう。1979年熊本県生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014-20年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(「山形ビエンナーレ2020」芸術監督就任)、2022年4月より軽井沢病院院長に就任。在宅医療、山岳医療にも従事。単著『いのちを呼びさますもの』(2017年、アノニマ・スタジオ)、『いのちは のちの いのちへ』(2020年、同社)、『ころころするからだ』(2018年、春秋社)、『いのちの居場所』(2022年、扶桑社)など。www.toshiroinaba.com

記事は雑誌ソトコト2023年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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