ランドスケープデザイナー・田瀬理夫さんが手がける植栽は、個人の庭であれ、大規模な公共施設であれ、周囲の景色になじむ居心地のよさがあります。そうした景色をつくるうえで、さまざまな示唆を与えてくれる本を田瀬さんが紹介します。
『Architecture Without Architects』は、そんな私のバイブルです。タイトルを訳せば「建築家なしの建築」。地域の人々が地域の素材を使ってつくってきた住居や町並みを紹介しています。土中に穴を掘ってつくった中国の住居群や、家々からの換気塔が林立するイラク・バグダッドの町並み、日本からも沖縄県の亀甲墓や、築地松に囲まれた住居が田んぼの中に並ぶ島根県東部の出雲平野の景色などが掲載されています。
人が年月をかけてつくってきた”景色“の見本がここにあると思いました。ランドスケープもそうありたいと思い、地域が育んできた植栽や景色を大切にしてきたので、私の仕事は土地の景色や植生の特徴を知り、昔から育まれてきた美しさを大切にすることから始まります。
私が美しいと思うのは、幼少期を過ごした石神井公園の景色。雑木林や屋敷林に囲まれた農家がぽつぽつとあり、美しかった。私の原風景です。しかし、今は住宅ばかり。伝統的な景色をつくってきた技術や、景色そのものが失われています。しかも、空き家や空き地、持ち主が手入れしない山林などが増え、日本各地の景色が荒れつつあります。
なぜそうなってしまうのか。理由のひとつは、土地の所有にあるのではないかと考えていました。そんなときに読んだのが、『土地は誰のものか』です。著者・五十嵐敬喜さんは神奈川県・真鶴町の生活風景を保全する「美の条例」の制定を支援した人です。この本で提唱しているのは、未利用の土地を地域住民で共有する「総有」という概念です。昔、日本には地域の人たちが共有して利用できる「入会地」という考え方がありました。その考え方を現代に生かすことで、景色をよりよいものにすることができると説いています。
ランドスケープでデザインできる空間は限られていますが、植物は生長し、昆虫などの生き物も集まります。敷地を越えて周囲に影響を与える、「総有」に通じる側面があるのではと感じています。そこにランドスケープデザインの可能性と希望ある未来を見出せます。
記事は雑誌ソトコト2022年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。