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連載 | 写真で見る日本

あたりまえのこと 志鎌康平×山形県鶴岡市

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写真だからこそ、伝えられることがある。それぞれの写真家にとって、大切に撮り続けている日本のとある地域を、写真と文章で紹介していく連載です。

山形県鶴岡市。羽黒山の参道

山形県鶴岡市。羽黒山の参道

「山伏」について書かれているモノはたくさんあり、僕がこの場でわざわざいうことではないのかもしれない。

ただ、修行を通して感じたことが写真にも影響し、今も自分の中に大事な出来事として残っている以上、このことを書かないわけにはいかないような気がした。

山伏という存在は子どもの頃から知ってはいたが、身近な存在ではなかった。東京で写真家のアシスタントを経験したあと、14年ほど前に山形県に戻りカメラマンとして働き始めた。

生まれてから大学卒業まで山形にいたにもかかわらず、撮影で出会う人や土地には初めて出合うものが多かった。出羽三山や、そこで修行する山伏という存在も然り。そんな中、羽黒山伏の星野文紘先達や坂本大三郎さんと出会い、山伏の方々の山や自然との関わりを知っていった。

これまで幾度となく出羽三山を訪れる中で、星野先達を撮らせていただく機会を得た。人の世界とご神域である山の世界を分かつ「隋神門」。そこで撮る先達の姿を通して、生と死、人と山の関係性を感じるのだった。
 
2019年、山形県鶴岡市にある「羽黒山荒澤寺」の8月下旬から9月頭まで9日間行われる「秋の峰入り」という修行に参加した。「山伏修行をする」というのは、僕の中で自分を成長させたいという願望のためだった。修行をすれば今よりも何か達観し、写真によい影響を及ぼすと信じたからだ。しかし修行に励んでいく中で、自分の中の修行の目標、大事なことが変わっていく。

修行が始まって数日後、数年前に亡くなった妻の父のことが頭から離れなくなった。お経を読むときや山を歩くときも、義父のことが頭をよぎる。なぜかは分からなかったが、必然のように義父やご先祖に感謝を思い、修行していた。人は結局、ご先祖からのつながりのもとにこの時間を生きている。自分自身がここにいることも、ぼくの娘がいることも、すべてはひとつで過去や未来もそうなのだと。

あの修行からすでに2年以上経過した今、春になった羽黒山へ訪れた。登りの過程で、2446段の石段を登ることと写真を撮ることばかりに気を取られていた。頂上まで登り参拝したあと、帰りの石段を降りながら自分が少し焦っていることに気づいた。何かを達成しようと、登ることや撮ることの行為をただこなそうとしていないか。
 
一度足を止め、ただただこの場所にいるということに集中してみた。頭で考えるのをやめてみる。暖かい太陽の光を感じる。春を喜ぶような鳥の声が四方八方から聞こえる。そしてまだ淡い緑の葉が輝いて見える。感じるということを、このお山は温かく見守ってくれているように感じた。

今年、地元・山形市に新しいスタジオを建てる。蔵王連峰の西側に位置する瀧山の麓だ。ここもかつては修験の山として多くの人が訪れた場所だとされている。奇しくも、スタジオができる予定地の北側には月山神社の分社が祀られてあり、出羽三山の月山を眺めることができる。

スタジオの南の窓からの太陽の光と、北の窓からの月の光で人々を捉える。これまで山形や日本・世界各地の人々のポートレートや家族を撮ってきて、今この土地の光でここに住む人を撮ろうと思っている。家族という親と子、兄弟、祖父母と孫。さまざまな関係を写真に収める中で、命がつながる連鎖のようなものも同時に写真に切り取ってきた。

その一枚から過去や未来が見えたらいい。今を生きることをしっかり楽しんだらいい。ぼくが山から教えていただいたのは、そんな当たり前のことだったのかもしれない。

 (109301)

しかま・こうへい●写真家。1982年山形県生まれ。日本・世界を旅し、土地や人の持つ力を捉え撮影を行う。主な展示に2022年「もうひとつの時間」(沖縄rat&sheep)、2016年「土地のまなざし」展(山形KUGURU)など。第22回ひとつぼ展入選。プロジェクト「地域芸能と歩む」のフォトグラファーや、山形ビエンナーレ公式フォトグラファーなどを務める。東北芸術工科大学映像学科非常勤講師。
記事は雑誌ソトコト2022年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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