特集 | かっこいい農業 これからの日本らしい農業のあり方 !
「フリースタイル農家」・加藤絵美さんの毎日!
米づくりとクラフトビール醸造の“二刀流”を実践する加藤絵美さん。「フリースタイル農家」と名乗り、農業にとらわれない活動を展開しているが、どんな思いを持って、2つの仕事に挑戦しているのだろう?
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地域の存続に使命感を抱き、一念発起して米農家に。
10代の頃、バンドを組んで活動していた加藤絵美さん。高校卒業後、上京して音楽で生きていく夢を追ったが、挫折。地元の福島市に戻り、営業職の仕事に就き、懸命に働いたが、ノルマを求められる毎日に疲れてしまった。そんなとき晃司さんと出会い、結婚した。晃司さんは建設会社で働いたが、「働いても大きくなるのは社長の家だけ」とサラリーマン生活に虚しさを感じ、退職。絵美さんとともに農業の道を歩むことにした。
「農家だった祖父が、国・県・市が行う基盤整備事業に手を挙げ、取り組んでいました。地域の小さな田んぼを区画整備によって大きく、効率的な田んぼに変えていく事業です。さらに祖父は『機械利用組合』も設立し、農家が収穫した米の籾を機械で除去する籾摺りの作業を一手に引き受けました」と晃司さん。元々、福島市は果樹王国と呼ばれ、モモやリンゴなどの栽培が盛んだったため、果樹農家は稲作を副業的に行っていた。その副業を晃司さんの祖父が組合をつくって受託していったのだ。
受託とは、所有者から田んぼを預かって稲作を行い、現金か米を支払う業務。「受託も含め、僕は祖父から後を継ぐよう声をかけられました」と晃司さんは、結婚し建設会社に勤めていた頃のことを振り返る。絵美さんと一緒に考え、「地域の土地を耕作放棄地にすることなく、田畑として守っていくことに命を使う人生もいい」という答えを出した。絵美さんも、「農業に別の生き方を見つけたいと思って」と二人三脚で歩むことを決意。2009年に就農した。
二人は一から稲作を覚え、無農薬栽培にも挑戦した。絵美さんはコンバインに乗って稲刈りも行った。「繁忙期は昼食を摂る間もないぐらい働きました。でも、苦ではなかったです。自然とともに生きている実感がありましたから」と絵美さん。晃司さんも、「自分たちのアイデアや工夫で収入が増えたり、職場環境がよくなったりしていくことがやりがいにつながりました」と話す。
そんなアイデアの一つが、「もち玄米おこわ」というおにぎりの販売だ。「和菓子店を営んでいた叔父が考えたおこわのおにぎりで、おばあちゃんがよくつくってくれました」と絵美さん。「初めて食べたとき、おいしさに感動しました。町内会の集まりなどにも出していたみたいで、『これ、売れると思う!』と販売することを提案。農業倉庫の中にDIYで食品加工場をつくり、朝4時に起きておにぎりを握り、地域の直売所で販売していました」。今は冷凍おにぎりとして産直サイト『ポケットマルシェ』で販売している。
米づくりを始めて12年が経つが、すべてが順調に進んだわけではない。特に東日本大震災後の福島県の農業は風評被害との闘いだった。「このままではだめ。地域を盛り上げるために何かしたい」と考えた絵美さんは、全国のローカルで活動するキーパーソンを訪ねた。「16年頃から2年間で40か所ほど訪ね、どんな方が、どんな思いで、何をされているのか、学ばせてもらいました」。そんな中、自身のことを「フリースタイル農家」と名乗るようになったそうだ。「農業にとらわれず自由に活動しようという自分への期待を込めて名乗っています。気持ちの持ち方、コンセプトです」。海外で米やおにぎりを販売したり、農作業着をプロデュースしたり、活動する中で「気持ち」はどんどん膨らみ、ついに農家でありながらクラフトビールの醸造所をつくったのだ。
誰もが気軽に立ち寄れる、地域密着の醸造所に。
クラフトビール醸造所の名前は、『Yellow Beer Works』。全国のローカルを訪ねたとき、三重県伊勢市の『伊勢角屋麦酒』の社長と会い、ビールを飲んだことが醸造所をつくるきっかけの一つになった。もう一つは、震災で被害を受けた福島県南相馬市で、支援として米づくりを始めたこと。「米づくりに加えてビールの醸造も考えていたので、大麦やホップも栽培していたのですが、借りていたホップ畑が太陽光発電所になるということで計画は潰えました」と絵美さん。さらに、南相馬の若いプレイヤーも徐々に戻り、農業や地域を再生する活動を始めたため、自分たちが果たす役割を終えたと感じて米づくりもやめたそうだ。
ただ、ビール醸造への熱は冷めやらず、食品加工場をつくっていたタイミングで「加工場の一室を醸造所にしよう」と思い立ち、設営。数年前に別の農園と間違えて『カトウファーム』に迷い込んだ若者が、「ビール醸造に興味がある」と言っていたことを思い出した絵美さんが連絡を取り、醸造を学べるところを知っているかと尋ねると、「学べるかはわかりませんが、東京・世田谷区の『ライオットビール』は好きです」と教えてくれた。絵美さんは早速、オーナーに連絡。醸造日に合わせて晃司さんと一緒に訪ねるようになり、醸造の基礎を学ばせてもらった。今は晃司さんと絵美さん、そして、会津若松市から来る若手醸造家の三人でビールを醸造している。
『Yellow Beer Works』を福島市にオープンして1年余り。地元からも県外からも訪れるお客は、音楽好きの若者から農作業帰りのお年寄り、小さな子連れのパパやママまでバラエティに富んでいる。「量り売りも行っていて、瓶詰に5分くらいかかるのですが、待っている間、パパが子どもに絵本を読んであげたり。そのひとときが記憶に残ったらうれしいです。大人になって、『子どもの頃、父と来ていました』と言ってくれたら最高。そんな未来を想像しながらビールを注いでいます」と絵美さん。そして、「誰もが気軽に立ち寄れる地域密着の店にしたいです。ビールを飲んだり、待っている間に、お客さん同士の会話が始まり、つながりが生まれるような場になれば」と笑顔で話す。
最後に、絵美さんがメッセージをくれた。「米や野菜をつくるだけが農業だと考えず、ビール醸造も、食のイベントも農業だととらえたら、農業の可能性はもっと広がります。ベランダのプランターでもいいから種を蒔いて、作物を栽培してみてほしい。そして、そこに芽生えたアイデアとワクワクを育ててほしいです。『カトウファーム』に見学に来てくださってもかまいません。ビールでも飲みながら話しましょう」と、絵美さんは手づくりのビールを注いでくれた。
photographs by Hiroshi Takaoka text by Kentaro Matsui
記事は雑誌ソトコト2022年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。