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多様性

連載 | 標本バカ

ゾウの耳管、モグラの耳管

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どうやら僕がお湯を入れた穴は、この管が通る部分だったようだ。

 耳小骨という小さな3つの骨が大好きだ。哺乳類の頭骨は複数の骨が組み合わさっているが、これらは左右の耳の奥深く、目につかぬ場所でひっそりと関節をつくり、我々の感覚を助けている。ツチ骨・キヌタ骨・アブミ骨の3つの耳小骨は哺乳類に固有、かつ共有された特徴でもある。

 モグラの耳小骨を研究したロシアのストロガノフによれば、この骨の形態は分類学的に非常に重要なものだという。彼が残したイラストでは、モグラ科のグループごとに特徴を持つ3つの骨が描かれており、形態的に突飛なものも含まれるため、これは確かに研究しがいがある。彼の真似をして耳小骨のスケッチをして、アジアのモグラの分類に役立ててきた。問題は、これらの骨を破損なく取り出すためには、頭骨の一部を壊さなくてはならないこと。採集・作製した頭骨標本を傷つけるのは心が痛む。所有する貴重な頭骨の聴胞と呼ばれる部分が左右の片側だけ壊れているのは、それが理由である。

 モグラでは数ミリの骨、ゾウだったらどんなサイズなのだろう。興味を持ち始めたのは、アフリカゾウの全身骨格を展示用に組み立てる作業を行ったときだ。頭骨を運ぼうと台車に載せようとしたら、小さな硬いものが床に転がった。ゾウのツチ骨だった。これを機に、3つをセットで標本として残したいと考えるようになった。しかしゾウの外耳道は長く、壊すのは大作業だし、重い頭骨を振って転がし出すというわけにもいかなかった。

 よい方法が見つかったのは、2年前に動物園で死亡したアジアゾウの頭骨の処理中のこと。処理槽に3週間入れた頭骨の脂抜きを行おうと思って、ホースでお湯をありとあらゆる穴に噴射したところ、耳の穴から肉片のようなものが落ちた、洗浄してみるとツチ骨とキヌタ骨だ。耳小骨が収まる中耳は耳管という細い管で口腔と連結している。飛行機が上昇するときに耳が痛くなるのは、外気圧と中耳の圧に違いが生じて鼓膜が張り詰めるからで、あくびをしたら治るのはこの管が拡張されて気圧が調整されるからである。

 どうやら僕がお湯を入れた穴は、この管が通る部分だったようだ。モグラの耳管は針の先も入らないようなものなので、こんなことはできないが、ゾウの大きさならホースを差し込むことだってできる。これは素晴らしい。逆側の穴にお湯を流したら、今度はキヌタ骨とアブミ骨が出てきた。しかしこの時はそれぞれもう一つずつの骨が出ず、約1時間を耳と口の連結部へお湯を流す水遊びに費やしてしまった。

 そして2019年11月末のこと。九州の山地でモグラの調査中だったが、動物園でアフリカゾウが死亡したという連絡を受けて、調査を中止し、関東に戻った。その3週間後、「やり方は分かっている、今度こそは」との思いで、処理槽から取り出した頭骨を前に、耳管が通る穴を確認して勢いよくお湯を噴射した。狙いどおり、2つの骨が出てきたのだが、左右いずれもツチ骨とキヌタ骨だけ。一番奥にあるアブミ骨はどうやっても出なかった。複雑な頭骨の内部構造は、僕の収集欲をまだ満たしてくれない。

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