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サスティナビリティ

連載 | 森の生活からみる未来

「菜園の大リノベーション 後編 」

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 最初にちょっとしたお知らせを。今回で、実は、当連載もいよいよ7年目に突入! これまでの長い応援、心から感謝しています!

 さて、これまで我がオーガニック畑の土の入れ替えの工程と労働について書いてきた。今シーズンは大改造を施したため、かなりの労力になったことは伝わっただろう。

 だが、これまでも年に最低1度は必ず、一部の土を入れ替えてきた。その作業は、うちの敷地内にあるコンポストエリアで自作した腐葉土を、やせた畑に加えて、日本から運んできたクワで耕すというもの。

 話はそれるが、当初この作業を、ニュージーランドで売っている大型スコップでやっていたが、数年前に日本製のクワを使い始めたらもう元に戻れなくなってしまったのだ。このクワだけでなく、雑草を刈ったり、抜いたりするツールなど、日本の農具は圧倒的に便利であることを、ここで強調しておきたい。

 さらに横道にそれるが、ここで農法についても言及しておこう。ここで畑を始めた時、実はぼくは、有機肥料を使わない「自然農法」と、地面を耕さない「不耕起栽培」に挑戦していた。3〜4年間は好調だったが、途中で野菜がうまく育たなくなり、まず不耕起栽培を断念。

 そして、途中で数度、土の栄養分が減ってしまったエリアに、牧場の無農薬の草だけを食べている羊の乾燥したフンを加えたりして、完全なる「自然農法」も断念することに。

 それでも、なるべく動物性の有機肥料を過剰に使わないよう心がけ、自然農法に近いスタイルを維持するように努めてきた。

 そうする理由は、野菜が明らかに元気で、味が強くなるからだ。まさに「命の濃度が高い」わけだ。

 過去最大のリノベーションを施した、今シーズンの春の菜園の仕込みで、なぜ、パワーショベル5杯分という、敷地内ではまかなえないほど大量の腐葉土をわざわざ街で買い、苦労してまで運んできたのか。それは、菜園全体の容積を増やしたためだったのである。

 写真を見ていただけるとわかるが、うちの畑は木材を使って自分で組み立てた完全オリジナルの木枠スタイルとなっている。ちなみに、ぼくはDIYが大好きなので、こういった木を使って何かを作ることは至福の遊びでもあるのだ。

 その木枠の高さを、ぼくは数年に1度高くしてきた。菜園を高くする理由は、腰を曲げずに収穫できること、ウサギや猫にいたずらされづらいこと、陽当たりがよくなることなど、 複数の利点がある。

 そして今春は、2つの畑では1段分を、1つの畑では一気に2段分を高くしたので、かなりの量を追加する必要があった。さらに、昨年の大量の雨が原因か、元々畑にあった腐葉土の目減りも激しく、その減った分も必要だったためである。

一気に「1段から3段へ」と、2段分を高くするDIY作業の途中経過。
一気に「1段から3段へ」と、2段分を高くするDIY作業の途中経過。

 さあ、肉体労働の結果はどうだったか。過去もっとも時間と手間をかけたおかげで、今年の夏のオーガニック菜園は、過去最大の収穫をもたらしてくれた。ありがたかった。

 ぼくがここニュージーランドの湖畔で営む“森の生活”における主食は、自分で釣った魚と、庭で育てた野菜と果物たち。

 40年以上、本気になってやり続けていた釣りで、ぼくはプロとなったが、釣りとはあくまで結果が読めない「狩猟」だ。天候や自然状況、技術と道具、人の努力と創意工夫すべてが揃っていたとしても、釣果ゼロということは頻繁にある。ハイリスクな狩猟とは、そういうものだ。

 だが、植物たちは違う。人間が労力と創意工夫を費やせばその分、必ず応えてくれる。もちろん、いつも100パーセントということではない。だが「結果ゼロ」ということは、ぼくの経験上、ほぼ皆無なのだ。

 ここでの暮らしは、魚(や動物)という生き物も偉大だが、植物という存在は、もっともっと偉大であるということを教えてくれる。

 「ファーマー(農民)」であり、「フィッシャーマン(漁師)=狩猟家」でもあるぼくが、この森の生活を通して得た、貴重な気づきがもう一つある。

 それは、我ら祖先がなぜ「狩猟生活」から安定的な「農耕生活」に移ったか。その理由を心底から理解できるようになったのである。

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