「将来、子どもたちが地元を『すてきなところだよ』と、いきいきと話せるようになってほしい」。そう話すのは、埼玉県比企郡滑川町で地域ブランディングに携わる久保田ナオさん。もともと福岡県出身の久保田さんが今、埼玉の“比企”にこだわり活動を続ける理由とは。
地域のなかで働き、遊ぶ。
埼玉県比企郡滑川町で、アートディレクターとして活動する久保田さん。都内から滑川町に移り住んで、今年で6年目になります。もともと趣味だったキャンプを気軽に楽しめるよう、自然が豊かな滑川町を移住先に選びました。
移住してからは、家の近くのキャンプ場で家族とデイキャンプを楽しんだり、ときにはそのままPCを開いて、近くの川の音を聞きながら仕事をすることもあるとか。日々、自然の近くで穏やかに子育てができる幸せを感じているといいます。
そんなふうに、今では仕事や育児、そして趣味も、自分のペースでバランス良く生活に取り込む久保田さん。しかし、現在の暮らしに至るまでには多くの試行錯誤がありました。移住したばかりの土地で仲間をつくり、地域密着のアートディレクターとして独立するまでの道のりを教えてもらいました。
出産を理由に退職。都内で暮らす理由がなくなった
そもそも移住のきっかけは、一人目の妊娠が発覚し、勤めていた会社を辞めなければならなくなったこと。都内の美術大学卒業後、ずっとデザイナーの仕事を続けてきた久保田さん。当時の職場は海外出張も多く、「育児をしながら今の仕事を続けるのは難しい」という会社側の意向で泣く泣く退職することに。
「働きたい」という思いはあったものの、会社に通う必要がなくなったことで、都内で暮らす理由もなくなりました。もともと東京の狭い家で子育てすることに窮屈さを感じていたこともあり、「自然の多い場所でのびのび暮らしたい」と引っ越しを検討し始めます。
久保田さん「まずは、会社員の夫が職場に通いやすい路線の駅徒歩圏内を条件に、移住先を探しました。その沿線上で10か所くらい選んで、子育て支援の内容を見比べたり、実際に駅前を車で走って、道の広さやまちの雰囲気を見て回ったり。そのなかで自然が多い滑川の景色を見て、主人と『ここなら子育てするイメージが湧くね』と意見が一致したんです」
ふたりとも地方のニュータウン育ち。子育てに求める環境も似ていました。滑川町は子育て支援も手厚く、若い世帯に人気のエリア。実際に訪れたふたりも、「子育て世代がいっぱいいて、わいわい楽しそう。ここがいいね」とすんなり決まったそうです。その1年後には家を建て、滑川町に住まいを移しました。
仕事と育児の両立に悩んだ日々
移住後はしばらくフリーランスのデザイナーとして、東京の広告会社で働く友人から仕事を引き受けていました。しかし二人目のお子さんが生まれると、育児に追われ仕事も手につかない状態に。「保育園へ通わせたい」と思い始めたとき、滑川町にも待機児童がいることを知ります。
久保田さん「『田舎だから待機児童もいないだろう』なんて高をくくってたら、思った以上に子育て世帯が多くて、今のままだと入園できないことがわかりました。本当は子どもを保育園に預けて、在宅で働くのが理想だったのですが、それが難しかった。外へ働きに出る共働き家庭が優先されるので、私も派遣社員のデザイナーとして働くことにしました」
働きに出たことで、保育園には無事入園できました。しかし、フルタイムの仕事と育児を両立させる難しさを痛感します。仕事が終わって家に帰れば、休む暇なくふたりの子どもたちのお世話。両家の実家も遠く、引っ越してきたばかりで頼れるような知り合いもいません。しばらく派遣社員を続けたものの、自分自身の限界を感じるようになりました。
仲間づくり、そして再びフリーランスを目指して
「やっぱりフリーランスに戻りたい」そう思い始めたとき、WEB上でひとつの記事が目に留まります。それは、滑川町を含む比企地域で開講される「比企起業塾」の塾生募集の記事でした。「比企起業塾」とは、子育て世代のミニ起業を支援する社会人講座。比企地域に住む人や移住を検討する人を対象に、講座の第1期生を募集していたところでした。
当時を振り返って、久保田さんは「このころは、地域の人たちとどういう距離感で接したら良いのかわからなかった」と話します。保育園の送り迎えでは、子どもたちのお父さんお母さんとも挨拶を交わす程度。派遣社員として働いていた企業でも、プライベートで関わるほど仲が深まる人には出会えませんでした。
そんな心細さもあり、フリーランスとして本格的に独立するため、そして地域の仲間づくりのため、「比企起業塾」への参加を決意します。
半年間にわたるプログラムでは、起業へ向けた課題提出や発表に追われながらも、地域での働き方や起業ノウハウを学ぶことができました。ともに濃密な時間を過ごした講師陣や同窓生とは、お互い頼りあえる関係に。今では、毎年増える後輩たちも含めて、仕事もプライベートも関わり合う大切な仲間になっているといいます。
久保田さん「起業塾は『同じ釜の飯を食う』みたいな感覚でした。顔を突き合わせて、お互いに本音で意見交換するうちに、自然と深いつながりができて。起業塾に思い切って参加したら、0だった仲間が5くらいまで増えて、そこから10、20とどんどん広がっていった感じでしたね。起業塾が良いステップになって、地元の仲間がつくれるようになったと思います」
デザインの力で、もっと地域を魅力的に
卒塾したあとは、すぐにフリーランスのデザイナーとして再び独立。そのとき、久保田さんが掲げたビジョンがあります。それは「比企を子どもたちが自慢したくなるまちにする」というもの。そして、比企地域の魅力を伝えるブランディングやデザインをメインの仕事にしていくと決めました。
しかし、久保田さん自身は、福岡県宗像市出身。縁もゆかりもなかった土地で、地域に根ざすビジョンを掲げたのはなぜだったのでしょうか。
久保田さん「福岡にいたころは、地元が大好きで『福岡最高』と話す人たちがまわりにたくさんいたんです。でも埼玉に来て、あんまりそういう人に出会ったことがなくて。心の中ではみんな思っているのかもしれないけど、『埼玉が好き』と公言しない人が多いのかなと思ってました。だけど、地元を好きになるのはすごく良いことですよね。私の子どもたちのふるさとは比企郡滑川町。大きくなって、自分の地元を紹介するときに『すごくすてきなところだよ』と、いきいきと話せるようになってほしいと思ったんです」
そう考えるようになったのは、久しぶりに訪れた地元・福岡で「まちが変わった」と感じたことがきっかけになりました。
久保田さん「里帰り出産で福岡に帰ったとき、地元の雰囲気が良いほうに変わっていたんです。今では近県の人が宗像を選んで移住してきてくれることを知って、『こういうふうに選ばれるまちになったんだ』とすごく新鮮な驚きがあったんですね。10年でこれだけ変われるなら、比企も私が関わることで、10年後にはもっと子どもたちが愛したくなるようなまちに変わるかも、という希望を感じました」
約10年前まで暮らしていた宗像には、洗練されたデザインの新しいお店もたくさんできていました。良いデザインが溢れていたら、地元を「ダサい」なんて思わないはず。子どもたちが育っていく地域のために、デザイナーとしてできるアプローチをしたい。久保田さんは、そんな考えに至りました。
どうやって地域で仕事をつくる?地道な営業活動も
地域のなかで仕事をつくるために
地域密着デザイナーとして初めての仕事は、起業塾のイベントポスター。自ら参加していた起業塾のなかで受けた仕事でしたが、そのあとはどのようにデザイナー業を軌道に乗せていったのでしょうか? 地域での仕事のつくり方についても教えてもらいました。
久保田さん「独立してからは、自治体の役場に突撃して、作ったポスターを見せながら『何かデザインのお仕事あったらください』と名刺を配って回りました。それで実際にお仕事をもらえたこともあります。埼玉県が主催している起業塾のポスターを作らせてもらえたことで、自分に対する信用も得やすかったのかなと思いますね。すごく営業しやすかったです」
さらに久保田さんは、起業塾でできたつながりをもっと広げるため「比企クリエイターズHUB」を主宰。比企で活動するクリエイター同士で集まり、定期的なイベントを実施しています(※2020年4月以降、活動休止中)。
イベントの内容は、あえて仕事に直接関係するものではなく、拠点である比企地域への理解を深めたり、純粋に楽しみながら交流できるものにしています。久保田さんの呼びかけで発足したあとは、知り合いが知り合いを呼び、毎回必ずひとりは新たなメンバーが参加するようになっていました。実際にイベントでできたつながりから、仕事に発展することもあったといいます。
久保田さん「毎回『こういうことをしている人がいたんだ』という発見もあり、地域のネットワークが広がって嬉しかったですね。実際にイベントで知り合ったクリエイターさんを思い出して、自分が受けた仕事を『一緒にやらない?』と声をかけることもあります。ひとりではできない仕事も、信頼できる人と一緒に取り組める。お互いにどんな人か知っているので、すごく安心感があるんですよね」
“競合”ではなく“仲間”に。
今では地域と深く関わり合いながら働く久保田さん。しかし、初めは自分が起業することで、地元の人と競合してしまうことに不安があったといいます。そんな不安も、独立後すぐに地元のデザイナーと出会ったことで解消されていきました。
久保田さん「私が比企で起業したら、この地域で先にデザイナーをしていた人たちが嫌な思いをするんじゃないか、と不安だったんです。新しく事業を立ち上げるということは、誰かの商売敵になってしまうことでもあるので。でも実際に比企のデザイナーさんと知り合ったとき、全然嫌な顔もされないし、むしろウェルカムな雰囲気で接してくれたんですよね」
久保田さん「私も仕事を始めてみたら、同じ職種、スキルではあるけど、得意分野が違うからバッティングもしなくて。むしろデザイナーが増えれば、良いデザインがまちにたくさん増えてハッピーだねっていう感じです。だから、これから比企に来たいという新しいデザイナーさんがいたら、私もすごく歓迎するだろうなって思いますね」
「比企を子どもたちが自慢したくなるまちにする」。このビジョンを掲げる久保田さんのもとには、同じように「比企を盛り上げたい」と考える仕事仲間が自然と集います。自分たちが暮らす「比企」という共通項を通じて、“競合”ではなく“仲間”になれる。「仕事とプライベートの中間のような働き方が、とても心地いいです」と久保田さんは話してくれました。
ここまで、久保田さんが「比企」という地域で積み重ねてきたのは、「心地よいつながりを少しずつ作っていく」ということ。終始、親しみやすく柔らかな笑顔で話す久保田さん。「チキンハートな私がこうして居場所を作れたのは、比企のウェルカムな空気があったから」といいます。
しかし、地域の人のやさしさに触れられたのも、自らの意志で一歩を踏み出した瞬間があったからこそ。知らない土地を“地元”にするのは、自分自身の行動でしかない。久保田さんのことばと経験は、改めて大切なことを気づかせてくれます。
“地域”だからできる仕事がある
そして最後に、地域密着のアートディレクターとして働く魅力について、久保田さんは「ブランドの成長を見守れること」、そして「すべての仕事が自分ごとになること」と語ってくれました。
久保田さん「東京でやっていたお仕事は、全体は大きい仕事でも、そのなかのほんの1パーツ。それを1週間くらいでやって、納品したらそこで終わり。でも、今私がやっている地域のお仕事は、もう全部なんです。『この商品をつくりたいんだけど、どうしたらいい?』みたいな最初の相談から完成まで関わるし、納品したあともブランドがどう育っていくかを見守っていく。地域の人から『見たよ』と反応をもらえることもあります。地域のことは自分のことでもある。だから、やりがいもすごく大きいですね」
自分が暮らす地域の仕事だから、手が離れたあとも近くで見守ることができる。ブランドがまちの人に愛されながら育っていく様子は、久保田さんにとって大きなやりがいと幸せにつながっています。
そんなふうに、手掛けたデザインはまちの一部となり、デザインがまちをつくっていく。その実感があるからこそ、久保田さんが大事にするのは“未来”を見据えたデザインです。それは、見た目やコンセプトの完成度だけではなく、“サステナブル”や“エシカル”といった持続可能性を考えたデザインのこと。どこかの知らない誰かではなく、身近な地域の人やもの、そして子どもたちへの確かな想いから生まれる視点です。
将来、子どもたちが「比企出身」であることを自慢してほしい。その想いを実現するため、久保田さんは“比企の未来”を見つめ続けています。