移住に興味がある人の中には、「興味はあるけど、新しい生活や人間関係にうまくなじめるだろうか・・・」と不安に感じている人はいないだろうか?新しい場所で始まる新生活にワクワクする気持ちもある一方で、どうしても不安を解消できないまま迷っている人もいるかもしれない。でもそんな移住に対して、まったく知り合いがいない状態から「ハードルが高いと思っていたが、意外にそうでもなかった」と語るご夫婦に出会うことができた。お二人がなぜそう感じたのか、お話を聞かせてもらった。
強く印象に残っていた倉橋の雰囲気
今回お話を聞かせてもらったのは、天本雅也さん・奈津子さんご夫妻。
それまでは福岡や横浜で暮らしていたお二人は、子育てをきっかけに移住を決めた。
移住後は奈津子さんのご実家が経営する宿泊施設内にあった喫茶店を改装し、ブックカフェ『seaside cafe ALPHA』を経営している。
カフェから見える桂浜は瀬戸内の島々に囲まれていることもあり、とても穏やかで青く透き通った海が広がる。その景色をただ眺めているだけで心が落ち着くような、ゆったりとした時間が流れているように感じられる場所だ。
週末には多くの人が来店する人気カフェを経営するお二人が、倉橋町に移住したきっかけを聞かせてもらった。
雅也さん: 僕は初めて来たときから、倉橋ってすごく良い雰囲気の場所だなと思っていました。結婚前に初めて来たんですけど、僕は瀬戸内に来たことがなく、生まれや育ちは福岡や神戸だったので、海の印象がまったく違いました。鏡のような海と島がいっぱいある景色に、「すごいところだな」っていう想いは強く感じていました。
その時はすぐに移住を考えようっていう気持ちではなかったけど、とにかく印象はすごく残っていて。当時はまだこのお店が昔の純喫茶みたいな時に、そこでゆっくりしている時の雰囲気とか、すごく印象に残っていたんですよね。
雅也さん: それから結婚して、ずっと仕事をしているうちに、たまに帰省するじゃないですか。そうすると、倉橋のすごくゆっくりした時間がいいなと強く感じるようになってきて。子どもが生まれたタイミングでもあるし、ちょうど何か新しいことをやりたいという気持ちもあったし。定年してからこっちに来ても、身体がついていかないかもしれないとも思っていたので、ゼロから何かやるなら早いうちの方がいいかなと思って、そのタイミングで移住しました。
移住前はまったく知り合いがいなかったという雅也さん。今では呉市移住者交流連絡協議会(通称:Kureto)にも参加し、移住者をサポートする取り組みにも参加している。
奈津子さん: 付き合っている当時から、ことあるごとに夢みたいな感じで「倉橋で何かしたいね」とお友達とお酒を飲みながら話していたんです。もちろん漠然と言っていただけで、「それを実現するぞ」っていうほどでは全然なかったけど、それを聞かされてきた主人の友達も実は今、倉橋に移住してきたんです!
雅也さん: 彼には前から「倉橋すごくいいよ」っていう話はしていて、何回か遊びには来ていたんです。そんな彼が移住した一番のきっかけは、新型コロナウイルスで。日本語教師として海外で働いていたけど、今は海外にも行けない状態で、すべてオンラインになってしまった。それならどこに住んでもいいじゃんって話になり、移住してきました。もともと彼の興味が、僕のやりたいことに繋がることもあって、今ではいろいろ手伝ってくれています。
移住先での教育は?人間関係への不安は?
移住前に感じる不安の中には、地元の人とのコミュニケーションについて心配する人もいるだろう。
まったく知り合いがいない雅也さんと、地元に帰ってきた奈津子さんは、どんな風に地域の人たちと関わってきたのだろうか。
雅也さん: これは倉橋だからかもしれないけど、ここに長く住んでいる方は、割と排他的なところがなくて。倉橋に来た時には誰も知り合いはいなかったけど、35歳前後の人が地域には珍しかったこともあって、いろんな人が声をかけてくれました。
奈津子さん: 私としても移住で戻るとなったら、子どもは保育園に行けば大丈夫だと思っていたけど、主人が溶け込めるのかは一番心配していました。でも倉橋に帰ってきてみたら、今となっては私より知り合いが多くて、「あのおじさん、誰?」ってこちらが聞くことさえあるんです。
雅也さん: 僕はお酒を飲むことや人が集まる場も好きだったので、誘われるものは全部行って、全部参加したんです。地元のボランティアも、呉市がやっている団体もいろいろ入りまくって。でもそういうのがあったおかげで、地元の人たちと知り合うことができたので、何か自分がイベントをやりたいと考えたとしても、割と話がスムーズに進みました。
でもあえて「溶け込もう」とか、そういう気持ちはまったくなくて、もともと僕がそういうのが好きだったっていうのもあるから、あんまり考えずに、みんなが受け入れくれたっていう感じでもあります。
奈津子さん: だから私も最初は心配だったけど、すぐ大丈夫そうだなとは感じていました。「もうやりすぎだって!」と止めるぐらい、主人はずっと外出してばかりだったので、最近は良い意味で諦めました。(笑)
また奈津子さんは子どもの教育環境についても「移住前は田舎の教育にも不安はあった」と言う。そんな奈津子さんが、それでも倉橋を選んだ理由についてこう話してくれた。
奈津子さん: 帰ってくる時に、子どもの教育のことも心配ではあって、そこは母親としては気になるポイントだと思うんです。でもそれに関しては自分たち次第かなと、今では思っています。学力の問題は、自分たちでどうにか考えて育てていくっていうスタンスで。
それよりも将来的に見て、小さい頃から倉橋のような環境で育つことの方がとても大きいと思っています。自分も昔教師をしていたから、田舎に住むと学力が下がることは分かっていたけど、それよりは生きる力とかコミュニケーション力とか、大人になってからも必要なものを身につけてもらいたいなと思っています。
「ハードルは意外に高くなかった」と語っていた理由とは?
「ハードルは意外に高くなかった」と語る理由
雅也さんは「呉で輝く若者たち」というテーマで呉市が制作した動画にも出演している。その中で「移住はハードルが高いと思っていたが、意外にそうでもなかった」と語っているのだが、なぜそう感じたのか、聞いてみた。
雅也さん: 移住ってなると一番ハードルが高く感じるのは「仕事」と考える人が多いのかなと思っていて。でも仕事に関しては、自分で探そうと思えばいっぱいあると思うので、そう言った意味で移住のハードルは低いんじゃないかなと僕は思っています。
雅也さん自身も異業種からカフェ経営を始めた。開業までに夫婦ともに福岡のカフェで半年間勉強をしたというが、その過程についても雅也さんはこう話す。
雅也さん: お店を出すにあたって、資金繰りとか市の助成制度などの準備をしたぐらいで、経営に関しては、もともと仕事で経営ではないけど数字の管理みたいなことはやっていて。でもやっていたことと言えば、まぁそれぐらいですね。
僕は新しいことをやるのがもともと好きなので、何かを始める時に深く考えすぎないっていうのもあるかもしれません。でもずっと東京で働き続けることはないかなっていうのは思っていたし、何かやりたいっていう想いもずっと持ってはいて。倉橋での生活はおもしろそうだと思っていたところもあったので、あまり深く考えて「ハードルが高い」って思うことはなかったですね。
最近は、地域課題を解決するような新しい取り組みも全国で広がっている。移住者が移住先で新しいチャレンジをしている地域もたくさんあり、雅也さんはそれらの取り組みを例に「地域課題は全国どこにでもある。その課題を解決することで生まれる仕事はいくらでもある」とも話していた。
雅也さん自身も、お店と取引がある漁師さんからの言葉をきっかけに『倉橋島お宝フリット』という地域産品を開発するプロジェクトを立ち上げた。東京・代官山のシェフにも協力を得て、それまで捨てられてしまっていた魚を活用した地域おこしメニューを作り上げ、地元の漁師さん、飲食店にもお金が落ちる仕組みを考えた。
自身のお店も経営しながら、新しいプロジェクトを進めるとなると、それだけでハードルが高く感じてしまいそうだ。
でも雅也さんのお話を聞いていると、そこには移住者が地域と協力体制を築くためのヒントがあるように感じた。
雅也さん: 少なくとも僕は、地域とのコミュニケーションに関してもハードルは高く感じていませんでした。中にはうまくいかない方もいるかもしれないし、そういう意味では僕は運が良かったのかもしれないけど。
でも別にもともと何かを変えようと思ってるわけではなくて、そこで暮らしている人たちの生活はそれはそれで良くて、無理やり変えようっていうつもりもなくて。もっとこうしたら楽しくなるんじゃないか、みたいなことをやっている感じでした。
だからあまり変に気合いを入れすぎて、「自分が課題を解決するんだ!」っていう人の方が難しかったかもしれませんね。
また雅也さんは「地元を良くしたいという想いは絶対誰でも持っている。それを口に出す人間がいなかっただけなのかなと思う」とも話していた。そういった地元の人の想いを感じるほど対話を重ね、コミュニケーションを取っていたのだろう。
移住して良かったと強く感じた瞬間
コロナ禍で生活が変わってしまった人も多い中、お二人の生活はほとんど変わらなかったのだと言う。
奈津子さん: 特にコロナの件もあって、倉橋に帰ってきてよかったなぁと強く感じています。もしあのまま都会のマンションに子どもと二人だけの生活だったら、自分は耐えられただろうかと、自粛期間にすごく感じたんです。だから東京にいる友達にも連絡して、トマトの時期だったからトマトを送ってあげたりしていました。都会で暮らす人たちは、あの時期みんな絶対苦しいだろうなと思って。
でもそんな時でも、倉橋では子どもも外で遊べるし、家族や親戚も周りにいるので、閉鎖的な生活でもないし。その時は、移住して本当によかったと思いました。
雅也さん: もちろん店は休んだけど、コロナだからと言って僕たちの生活は特に何も変わらなかったんです。もともと山に登ったり、海でSUPをしたりしていたので、その時も同じように暮らしていましたね。
最近では、リモートで仕事をしに来る人が倉橋にもやって来るのだそう。
雅也さん: 僕はそういう人を増やしたいと思っていて、スキルがあってバリバリ仕事をしている人には、片手間でも息抜きでも、地域課題の解決を手伝ってくれたらと思っているんです。「息抜きで地域課題を解決しませんか?」って感じで。それは手伝う側にとっても、仕事ばかりじゃなくて良いと思うんですよね。
「ゆるく地域とつながること」が大事
コロナ禍以前には、「移住者の会」という飲み会を毎月開催していたという雅也さん。
移住に興味がある人と、すでに移住してきた人を集め、本音を話す会を開いていたのだそう。
そんな“移住の先輩”である雅也さんに、「移住を迷っている方にアドバイスをするとしたら?」と聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
雅也さん: 僕はやっぱり「ゆるく地域とつながること」が大事だと思うんです。景色がきれいだとかっていうのは、日本全国どこにでもある。だから最終的には、その地域にいる人たちがどんな人なのかっていうのが一番大事だと思うので、そことうまくつながることが大事なのかなって思うんです。
雅也さんの言う「ゆるさ」とは、移住までのステップも、地域の人との関わり方も、あらゆる面で共通しているキーワードなのだろう。
そしてその「ゆるさ」があったからこそ、「ハードルは意外に高くなかった」と思えたのかもしれないと取材を通して感じた。
180度生活が変わってしまうようなイメージもある「移住」も、必要に迫られていなければ、本当はそんなに急いで決めなくてもいいのかもしれない。
大事にしたい価値観を見つめ直し、興味がある地域を探し、少しずつ段階的に地域の人たちと交流し、ゆっくり焦らずに情報収集をする。
そんな風に少しずつ地域に馴染んでいく方が、結果としては移住する側にとっても、地域側にとっても、幸せなのかもしれない。