数年前、東京の下町で一人暮らしをしていた。夕焼けが映える商店街、桜と蓮の花が彩る池のほど近く。勤務先は定時で帰れるような職場ではなく、食事に手間暇は掛けられない。平日は帰り道のスーパーで、処分品の惣菜や弁当を調達。玄関を開けたら2分で用意できるパックごはんは欠かせない。当時はそういう、あまり褒められたものではない食事をしていた。そんな私の食生活も、晩秋に実家から宅急便が届くと一変する。
まずは、1年間しまい込んでいた土鍋と小さなおひつを取り出し丁寧に洗う。そして週末の朝、丘をひとつ越えたところにある小さな豆腐屋さんへ。ジョギング帰りの常連さんが豆乳を一気飲みしている横で絹ごし豆腐を買い求め、商店街の干物専門店では、隣に陳列してある茨城産の大きくて立派なカレイよりも高額な“島根県浜田沖のカレイ”をチョイス。もし手に入れば“島根県宍道湖産のしじみ”で味噌汁を作りたい。後は八百屋さんで旬の野菜を購入して煮物にする。宅急便で届いたのはお米。地元“島根県飯南町産コシヒカリ”の新米だ。
飯南町には神無月、全国の神々が出雲大社へ向かう前に道しるべとして降り立つ琴弾山がある。この米は、その神聖な山々に降った雨ですくすく育つ。また町には稲わらを編んでしめ縄を作る技術が伝承され、出雲大社を始め、名だたる神社のしめ縄はこの町で編まれているものも多い。そこで丹精込めて作られた新米を食べるのだ。いつも通りでは神さまに申し訳ない。
弱火にかけた土鍋が煮立って、少しずつ不要な水分が吹きこぼれてくる。一通り吹きこぼしたところで火を止め、15分。正確に測って鍋の蓋を開けると、水蒸気と共にごはんの甘い香りが立ち昇る。ときには、こういう食事も必要だ。背筋をシャンと伸ばして、「いただきます」と自然に口にしてしまう、そんな食事が。コスパも、タイパも良くないけれど、手間と暇と、少しのお金をかけて。
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