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多様性

災害時こそ多様性に目を向けよう。やさしい避難所づくりに必要なコト

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自然災害が発生した時、命を守る行動や安全な場所に避難することが何よりも大切。その次に課題となるのは、様々な人が駆け込んでくる避難所としての在り方だ。災害避難者の当事者になってみて気付いた、運営側や避難者自身が持つべき多様性を理解しあえる「やさしい避難所づくり」に必要な視点とは。

目次

初めて「避難」をした夜

大型で強い台風10号が九州に上陸し、猛烈な暴風雨が各地を襲った。私が住む長崎県も例外でなく、皆が日曜日の深夜から月曜日の日中にかけて家屋を揺らす風の音に怯えていた。私が経験する中で、ここ最近では珍しいほどメディアが入念に警鐘を鳴らしていたように思える。普段は世の中の動きに疎い私の耳にも、周囲の不安な声が届いていた。

いつもは大したことないだろうとたかを括り、これといった対策もしてこなかったが、今回ばかりは何もしないわけにはいかない気持ちに。私の暮らしている家は、築70年以上の古民家。ニュースで時たま見かける、大型台風の被害に遭う家屋の映像が目に浮かぶ…。他人事じゃない、明日は我が身だ。今回は「避難」してみようと思い至った。

夜の大雨
夜になるにつれて嵐の勢いは増していく…。

台風がやってくる夜、19時ごろに近所の公民館へ。既に早くから避難してきた人が大勢いるようだ。1階は満員なので、2階に通してもらった。そして、部屋に入ってから一番最初に感じた率直な感情。
緊張するな…
知らない人たち同士が一時的に生活を共にしている空間と、集まる視線。訪れた公民館も小規模な施設だったため、小学校の体育館などとはきっと全然異なるのだろうと想像する。広くて大きな場所であれば、1人増えたくらいでは大した差はない。しかし、狭くて小さな空間に人間が1人入ってくると、皆が感じるであろう圧迫感はそれなりに大きくなる。私は恐る恐る自分のスペースを端っこに確保した。

避難所の様子を冷静に見つめる

十数分ほど時間が経ち、段々とこの空間にも慣れてきた。家を出てからここにやって来るまで、危険な道中を歩いて避難所まで向かわなければならないことと、知らない人たちがいる空間に入っていかなければならない2種類の緊張感が相まって、少し興奮していたのかもしれない。安心を感じ始めるのと同時に、徐々に冷静さを取り戻しつつある私がいた。

すると、近くにいたおばあちゃんが話しかけてくれた。「あそこにブランケットがあるわよ。使う?」「そこのマットは、足が悪い方が寝るときに使うらしか。場所ば空けとってね」といった具合に、1人でやってきた若者を優しく気遣ってくれたのだ。そうか、足の悪い人だっているかもしれないな。たまたま私が居座った目の前には、1人分の寝床が確保されていた。見た目では分からないが、きっと様々な事情を抱えた人が他にもいるのだろう。

車椅子に乗る人

災害の状況を知らせるラジオの音。男女関係なく共にいる空間。貼り出された避難所のルールには、「ペット類は室内に入れることができません」の一文。冷静になって周りを観察してみると、緊急で用意された避難所という空間は、様々な事情を抱えた人を多数寝泊りさせるには不向きだなと改めて肌で感じる。私は、何度か経験したことのある避難所運営のシミュレーションゲーム「HUG」を思い出していた。


HUGから学ぶ多様性との共存の難しさ

緊急時こそ浮き彫りになる、多様性を尊重できる心

Hinanjo(避難所)Unei(運営)Game」の頭文字を取って、HUG。私は、自分が所属する消防団の研修でHUGを体験した。これはカードを使用したシミュレーションゲームだ。カードには避難してきた人の性別、年齢、国籍やその人特有の事情が書かれている。カードを次々にめくっていきながら、避難所として体育館や教室に見立てた平面図に避難者を適切に配置し、避難所で起こる様々な出来事やハプニングにどう対処するか、チームで議論しながら進行していく。

HUGのカード
大きな紙の上に避難者を配置したり、ホワイトボードを掲示板に見立てたりなど、多数の選択を同時進行しなければならない。

私が経験した設定は、大規模地震が起こり、避難所に住民がどんどんとなだれ込んでくるような事態。てんやわんやになりながらも、自分たちが正しいと信じる判断基準でゲームを進めていった。中には要配慮者と呼ばれる、特別な事情を持った人も現れるため、その度に頭を悩ませたのだった。

しかし、今は現実だ。もちろん状況は異なるし、幸いゲームでやったときのような深刻な事態ではない。とはいえ、一時的にも見知らぬ人たちと共同生活を余儀なくされる。数日間、数週間など、長期的な避難生活を送らなければいけないかもしれない。命が一番大事なのは言うまでもないことだ。だからこそ、「わがまま」とも捉えられそうなことを有事のこの場で発言することは、小心者な私にはできなかった。

もし私に大切な家族であるペットがいて、一緒に避難所には入れないと言われた時、どうしたらいいのだろう?
もし私が難聴者だったら、ラジオの音量を上げてほしい、ラジオの前のスペースを譲ってほしいと言えるだろうか?
もし私が性別不和を抱えていたら、男女別の部屋に分けられたときに事情を話せるだろうか?

ゲームではカードに書かれているが、避難所では自己紹介もしない。お互いのことが分からないのが前提の中で、どこまでお互いを思いやることができるのだろう。社会的なマイノリティを持つ人、生活する上で何らかの支援を必要とする人など、必ず周囲の人の理解と協力が不可欠となる。多様なバックグラウンドを持つ人同士が緩やかに混ざり合う避難所という空間こそ、多様性を尊重できる心持ちが試されるのではないかと思う。ゲームのように白か黒では答えが出せなくとも、グラデーションの選択をできるかどうかが大切だ。

ただでさえ不安な災害時。皆が安心して災害を乗り越えられる“やさしい避難所”をつくるには、気さくに話しかけてくれたおばあちゃんのような少しのお節介と、多様な背景を慮ることのできる想像力が必要なのかもしれない。ダイバーシティな社会を実現するための縮図がここにある気がした。

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