東京のド真ん中、渋谷区初台にひっそりたたずむ『フヅクエ』は、心静かに読書の時間に没頭できる幸せな場所。どうして、これほどまでに居心地がいいのか。店主・阿久津隆さんに尋ねた。
意識的につくられる、静けさとゆるやかな時間。
客ひとりにおける平均滞在時間は2時間30分。カフェでもない、喫茶店でもない、バーでもない「本の読める店」という位置づけの『フヅクエ』では、店を始めた2014年から、店主である阿久津隆さんがひとりひとりの客のイン・アウトの時間をデータとして記録してきた。その結果が2時間30分。もちろん、それ以上の時間でも、それに満たない時間でも、気兼ねすることなく過ごしてかまわない。
とはいえ『フヅクエ』にいると、自分の滞在時間が短いのか長いのかわからなくなる。普段の生活から切り離されて時間と空間が存在しているかのようで、まるで繭の中にいるように守られている感じがする。『フヅクエ』では、こうした「穏やかな静けさ」と「心置きなくゆっくりと過ごせる時間」が確実に担保された仕組みが整っている。だから、なににも邪魔されない幸せな読書の時間へと、心地よく没頭できるのだ。
自身もかなりの読書家である阿久津さんはいう。「本を読む人を100パーセント歓迎してくれる場所をつくりたかったんです。集中できなかったり、緊張したりすることなく、心の滋養を与えてくれるかのような場所があったらいいなと思って」。
細長い店内には、ソファ席が3つ、窓に向かってつくられたカウンターが7席(快適な脚のせスタンド付き)。それぞれに適度な距離感が保たれている。
店に入ってまず手渡されるのは、A4用紙がクリッピングされた「ご案内とメニュー」。そこには店のコンセプトからはじまり、どういう過ごしかたができるか、気をつけてもらうことは何かが「会話」「撮影」「ペンの使用」「パソコンの使用」などの項目別に書かれてあり、続けて料金体系が説明されている。しかも、それぞれ「どうしてなのか」という理由もしっかり説明されているから、けっこうな文字量なのだ。そのため「飲食物のメニュー」にようやくたどり着くのは12ページ目。注文の多い料理店さながらなのだけど、書かれている文章からは、この場所をどういう空間にしていきたいかという阿久津さんの思いが人柄とともに伝わってくるから、11ページにもわたる長大な注意書きでも、おもしろく読み進めることができる。
こうして、読むことで店のことをわかってもらうことを、阿久津さんは「快適に過ごすための枠組みをインストールする」と表現する。「暗黙の了解があったりして、何度か行くことでだんだん過ごし方を体得していくようなお店もありますが、ここでは初めて来た人でも、これを読みさえすれば快適に過ごせるようにしています。スポーツが楽しくできるのはルールがあるから。それが曖昧だと、忖度や無用な気兼ねを生んでしまうと思うんです」。
飲食メニューが12ページ目にあるのも、「長時間、本を読む中で飲みたくなったり食べたくなったりしたら、どうぞ」という位置づけのため。あくまでも読書の時間を彩るものだという。
料金はあらかじめ決められた席料が、ドリンクやフードをオーダーするごとに少なくなっていくシステム。開店当初、金額を設定しない自由料金制にしていたが、今のかたちに落ち着いた。
「あわい」があるからこそ生まれる感覚。
『フヅクエ』のウェブページでは「よみもの」として、16年10月から阿久津さんの読書日記を掲載している。18年6月には1年分をまとめた『読書の日記』も出版。そこでは日々のこと、そのときのお店の状況とともに、読書の話が気負わずに綴られている。読んでいると、阿久津さんの読書は、「役に立つ」ものでも、「学びがある」ものでもないということに気づく。ときには、何度読んでも理解できないという感想を書きながら、気になった一節を引用することが多い。「本を読んだ感想って、好きな一節を抜き書きすることこそが、いちばん素直な感想行為だと思っている。『ここが好き』という、自分の気持ちの表明だから。本は学ぶためのものという認識を持たれがちだけど、音楽だったら聴いて学ぼうとはあまり思わない。読書だって純粋にその時間を楽しむものであっていいと思うんです」。
阿久津さんにとっての「本を読む」とは、「食べる」という行為にすごく似ている。「たしかにそうかもしれませ
ん。食事も、なにが自分の栄養になるか、血肉になるかわかって食べていないですよね。本を読むときも、好き勝手にいろいろ読んで、そのまま出てしまうものもあるし、残ってなにかになるものもあるだろうし」。
ある本との出合いをきっかけに、次の本へ導いてくれることもあるし、本の中の言葉が体のどこかに残って、考え続けることで実際のアクションへとつながることもある。『フヅクエ』をつくろうと思ったり、「読書日記」を始めようと思うきっかけになったのも、やっぱり一冊の本だった。
阿久津さんが主宰する「会話のない読書会」もおもしろい。通常の読書会のように感想を言い合うことはなく、読む本と開催日時を決めたら、参加者10名が店に集まって本を読むだけ。誰もなにも言わないし、とくに交流が生まれることもない。ただひたすらに読み続ける。
それは映画館で映画を見ている感覚に近いという。「みんなで本を読むって、それぞれの窓で同じ世界を見ているかのよう。見えている情景は人によって全然違っていて、主人公の顔も声も違う。そういう意味では、映画を見るよりも奇妙な体験のような気がします」。
ふと顔を上げると、読書という行為に没頭している人が周りにもいる。そのことの安心感と幸福感が、『フヅクエ』にいると込み上げてくる。読書はプライベートな行為でありながら、この場所はあくまでもパブリック。でもその「あわい」があって、人がいるからこそ、この場所は尊いものとなっている。「本を読んでいる姿って美しい。みんなが本を読んでいる姿を見ると、『いい場所をつくったなあ』と思うんです」と阿久津さんは心底満足そうに笑う。
だけど、今、阿久津さんにはジレンマがあるという。本を落ち着いて読む場所が欲しくて『フヅクエ』をつくったのに、営業中は集中して本を読むことができない。「僕も『フヅクエ』に行きたいなあと思います。誰かつくってくれないかな(笑)」。
背中を押してもらった5冊!
『本の逆襲』 内沼晋太郎著/ 朝日出版社
本の新しい可能性を示した一冊。本や出版をめぐる暗い言説から離れた、実践者による明るさに満ちた思考に触発され、僕ももっと本と関わった仕事をしたいと思うようになりました。その翌年、『フヅクエ』をはじめました。
『無分別』 オラシオ・カステジャーノス・モヤ著、 細野 豊訳/白水社
エルサルバドルの小説。内戦での先住民大虐殺の報告書にとりつかれた男の狂気の物語。この作品を読んでラテンアメリカ小説の魅力に吸い寄せられ、1年間、ラテンアメリカ小説しばりの読書をすることになりました。
『収容所のプルースト』 ジョゼフ・チャプスキ著、 岩津 航訳/共和国
ポーランド人画家のジョセフ・チャプスキが連行されたソ連の強制収容所内でおこなったプルーストの著書『失われた時を求めて』の連続講義を再現した本。プルーストの長大な小説の再読に駆り立てられ、今も読んでいます。
『ウォール街の ランダム・ウォーカー』 バートン・マルキール著、 井出正介訳/日本経済新聞出版社
「インデックスファンドへの投資がベスト」というシンプルな主張を、明確なデータを示しながら論じた「投資のバイブル」。一番簡単な方法でいいことを説得してもらったため、以前から興味があった投資を始めることができました。
『時間のかかる読書』 宮本章夫著/ 河出書房新社
11年の年月をかけて、横光利一の短編小説『機械』を読み解き続けた文学エッセイ。「横たわる長い時間」こそが大きな力を持つことがある、ということを教わりました。僕が読書日記を書き始めたきっかけのひとつになった本です。
photographs by Kei Fujiwara text by Kaya Okada