今年5月に開催されるG7広島サミットに先がけ、4月22日・23日の二日間、宮崎県でG7農業大臣会合が開かれます。この農業大臣会合では近年大きな問題となっている食料安全保障などについての話し合いがなされる見込みです。ここでは、それに先がけて宮崎県で農業・畜産に携わる方々を取材し、そのさまざまな取り組みを紹介します。もしかしたら、農業や畜産に抱いていたイメージが吹き飛んでしまうかもしれません。就農だけでなく地方への移住を考えている方へのヒントにもつながりそうな取材ツアーとなりました。
心配事は社員の運動不足!? 徹底したスマート管理で農業=土まみれという常識を覆す「イシハラフーズ」の取り組み
イシハラフーズさんの取り組みでユニークなのは、徹底したデジタル化。
すべての畑の情報をクラウドでデータ管理し、それをアプリで閲覧・情報更新ができるシステムを自社で開発しました。全社員にスマートフォンを持たせて生育状況や散布した農薬量といった作業状況を記録することで、わずか18名のスタッフで大小合わせて約780か所、500haにわたる畑の管理ができています。
石原祥子さん(以下、石原) 創業者で、現会長でもある、父の石原和秋が、もともと新しいもの好きというか、デジタルガジェットに興味があったんです。それで、20年以上前から畑をデータで管理するようになっていました。当時は契約農家さんが250人くらいいらっしゃったので、それを紙で管理するには労力がかかりすぎていた、という事情もありました。それは自社で畑を持つようになってからも同じで、都城市のなかでも数百か所に畑があるため、やはりアナログで管理するには厳しいものがあります。
また、畑での機械化を進めているのは、以前から農業就労者の高齢化を予想していたからです。うちは冷凍野菜の会社なので、その材料となる野菜が手に入らなくなってしまっては元も子もありません。各種のデジタル化、機械化は「何か新しいことをやろう」と考えてのことではなく、ただ安心・安全な野菜を安定して供給するための方法を突き詰めていったら自然とこうなっていた、という感じですね。
ソトコト デジタル化を推し進めるにあたって、苦労された点などはありますか。
吉川幸一さん(以下、吉川) やはり最初に導入する部分では苦労しましたね。まず、私もデジタル機器に詳しかったわけでもなく、それでも担当することになってしまって(笑)。ただ、一時期はシステムを外注していたこともあったんですが、やはり農業のことがわかってないと、使いやすいものはなかなかできません。そのうちにやっぱり自分たちでやらないとダメだということになって、自社でつくることになりました。
また、システムができあがったあとも、その使い方を覚えてもらうのにもう一つ苦労がありました。実際に現場で使ってみてのフィードバックをもらいつつ、マニュアルを作成したりもして、徐々に浸透させていきました。
石原 デジタル化・機械化を進め、自社で生産から加工までを行なうようにしていてよかったと思うことの一つに、トラブルからリカバーする力がついたという点があります。宮崎は3年前に非常に大きな台風に襲われ、大きな被害が出たのですが、このときもデータ管理・機械化をしていたおかげですばやく状況を整理することができ、迅速に植え直しすることができました。自然という、人の手で管理できないものと付き合う以上、デジタル化・機械化は必要なんだと思わされました。
なので、機械は大切に扱ってほしいと思っています。うちでは耕作や収穫の機械は“土足厳禁”なんです(笑)。また、使う側にも快適に使ってほしいとも考えていて、冷暖房完備の個室のようなトラクターを導入しています。畑を耕すときも、みんな涼しいなかで音楽を聴きながら作業をしていますね。
吉川 農業と聞くと、肉体的にきつい仕事というイメージがあるかもしれませんが、現代の農業は実はまったくそんなことはないんです。畑の状況をデータ管理しているのはうちだけですが、これまでお話ししたように多くの部分に機械が導入されて、助けてくれています。
石原 なので、今はむしろ社員の皆さんの運動不足とか、メタボ化が心配なくらいなんです(笑)。たとえば畑を耕すにしても、現地に直行して機械に乗って、作業が終わったら家に直帰、作業報告も勤怠もぜんぶアプリで報告といった働き具合なので。
ソトコト 実際の仕事は農業ですが、まるでサラリーマンのような働き方ですね。
石原 農業ってもちろん大変な仕事ではあるんですが、技術の進歩によって確実に負担は減ってきています、いずれは就農するということが、会社に勤めることと同じくらいの「興味があればトライできる」、普通の選択肢になればいいですよね。これまでは家業を継いで農家になるといった閉鎖的な側面もありましたが、これからの農業は他分野との掛け算で進化していく時代になると思っています。
「日本で野菜をつくり続ける」というのはシンプルに見えて大変な目標ですが、農業界だけでなくIT業界や工業界など、いろいろな分野と農業を掛け合わせて、農業という文化を広げていければと考えています。
ソトコト 本日は、ありがとうございました。
もっと畜産を気軽に始められる環境をつくりたい。和牛定休型ヘルパー業を展開する「Moo Company」の挑戦
和牛定休型ヘルパーとは、なかなか休みが取れない畜産農家の方に代わって、定期的に、あるいはピンポイントでスタッフを派遣し、餌やりなどの業務を行なうサービスです。非常にシンプルでわかりやすい気もしますが、実は民間でこのサービスを行なっている会社は全国的にも珍しいとのことです。Moo Companyを立ち上げた飯盛将太さんにお話しを聞きました。
飯盛将太さん(以下、飯盛) 私も実家が畜産農家なのですが、畜産業には家族経営のところが多く、家族総出で牛の面倒を見るというのが当たり前の世界でした。生活の中心に牛がいるため、休みがなくても仕方がないという考えが子供のころから染みついてしまうんですね。同じように、家族以外の部外者に手伝ってもらうという考えもほとんどありませんでした。
でも、僕は休みたかったんですよ(笑)。だから、ほかの人もそうじゃないのかなと思って、上京していた弟が実家に戻ってきたタイミングで独立して、Moo Companyを立ち上げました。
ソトコト それで、実際のところはどうだったのでしょうか?
飯盛 最初は自分と世代が近い人たちにアプローチしたんですが、そこまで反応はありませんでした。十数軒の方々に話して、好感があったのは5つくらいでした。でも、しばらく続けていくうちに、私たちよりも一つ上の世代の方々に使ってもらえることが増えてきました。畜産業というのは初期投資がかさむので、減価償却には長い時間がかかります。30年、40年とかけて減価償却を終えて、あとはあくせくせずのんびりと牛を飼おうという人たちに利用してもらえるようになったんです。また、そのくらいの年齢になると、お子さんだけでなくお孫さんがいることも多く、たとえば嫁がれていった娘さんの家にお孫さんの顔を見に行くため出かけたい、といったニーズもあるようでした。
ソトコト 当初、見込んでいた同年代の農家さんではなく、一つ上の世代の方々に受け入れられたんですね。
飯盛 Moo companyを始めたもう一つの理由としては、これからの人材を育てたかったということもあります。今日、ここにいる2人のスタッフは、祖父の世代まで畜産農家をやっていたんですが、そこでやめられてしまって、でも自分でも畜産農家をやりたいと言ってくれている子たちです。
畜産業は初期投資が数千万から億の単位でかかるので、新規就農のハードルが非常に高いんです。さらに、最初の牛が子供を産んで、それが出荷できるようになるには2年以上かかります。この間も、収入がありません。なので、家業を継ぐ以外では、よっぽどの覚悟と環境が整っていない限り、畜産農家になるということが難しいんです。
でも、うちのスタッフのように「畜産農家になりたい」と考えている若い世代や、あるいは「誰かに農家を継いでもらいたい」と考えている上の世代の人って少なからずいるんです。そういう人を多く見てきました。でも、これまではそれがうまく巡り合わなかったんです。若い世代は畜産農家の家族経営気質や初期投資のハードさから農家になれなくて経験が詰めない、だから上の世代は譲りようがない、といった具合で。
そのミスマッチを解決したかったというのもMoo Companyを設立した理由です。最初から100%畜産農家になるのではなく、うちで修業しつついろいろな農家さんにヘルプに行って経験を重ねてもらう、そういう新しい就農方法になればという想いがありました。また、これは事業を始めてみて大変うれしかったことなのですが、うちを使ってくれている農家の方が、「将来的にはうちの牛や施設を引き継いでもらいたい」と言ってくださるようになったんです。実際に、今年の春からうちを離れて、これまでヘルパーに行っていた農家さんに就職するというスタッフもいます。
ソトコト 最初は農家の方も休みを取れるようにしたい、という気持ちから始めたものが、今では世代間のコミュニケーションや技術・事業の承継の場にもなっているんですね。
飯盛 「簡単です」とは言えませんが、徐々に間口が開いてきているとは感じています。畜産は家族でやるもの、という考え方から外部の人たちと協力するものという考え方に代わっていけば、自然と関われる人も増えていくと思っています。また、農家の仕事って丸一日、常に牛のことを見ていなくてはならないと思われがちなのですが、朝の餌やりと夕方の餌槍の合間などは多少時間が空いたりもするので、恐らくですが昔のイメージよりは自由な時間もある仕事だと思います。
ソトコト Moo Companyの今後の展望や、また4月に開かれるG7農業大臣会合について思うことなどあれば、お話しいただけますか。
飯盛 今は主に餌やりのお手伝いが主なのですが、これをゆくゆくは除角(角を切り取ること。牛の気性が静まり、牛も人もケガのリスクが下がる)や機械のオペレーションといった、畜産のさまざまな分野もカバーできるようにして、いろんな農家さんのお手伝いができるようになれればと思っています。
G7農業大臣会合についてというとちょっと難しいですが(笑)、農業も畜産も水産も、責任感をもって生産に取り組んでいます。しかし近年、たとえば酪農家が牛乳をたくさん廃棄しなくてはならない状況になっているというニュースをお聞きになった方も多いのではないでしょうか。食料自給率が低いという話をする一方で、こういった廃棄の問題などが起きる、そういったアンバランスさが少しでも解決する契機となればうれしいですね。
ソトコト 本日はありがとうございました。
移住30年の就農実践者。「新門トマト農園」代表の新門 剛さんに移住と就農の本音を聞く
新門剛さん(以下、新門) 私は鹿児島の出身で、大学を出たあとは東京で不動産関係の仕事をしていたのですが、1980年後半から1990年ごろにかけて、日本にはバブルとその崩壊の時代がありました。そんななかで不動産を売買していて、ふと「自分のやっていることはお客さんのためになっているのだろうか?」と自問することがあったんです。その答えに自信が持てなくなり、胸を張ってお客さんに喜んでもらえるものを届けていると言える仕事がしたいと思い、農業を始めることを決意しました。
最初は種子島に移住して農園を始めるつもりだったのですが、その手前のここ宮崎で、近い世代の方に「農業を始めるなら、ここで経験を積んでいった方がいい」と声をかけてもらう機会があり、1年だけ修業をするつもりだったのですが、しばらくいるうちに土地に愛着もわき、宮崎に根を下ろそうという気持ちになって、それ以来30年、ここでトマト農家をやっています。
新門 そう……ですね(笑)。今になって思えば、当時30歳で農業というものを甘く見ていた部分があったと思います。宮崎に来たときに声をかけてもらったのも、あまりに私が無策なのを見かねて、というところがあったんじゃないかと。なので、周りの人たちとの縁や幸運に助けられて、ここまで続けてこられたのだと感じています。
ソトコト ご出身の鹿児島の隣とはいえ、知らない土地で事業を始めるには、地元の人たちとの縁や、ある種の運も必要ということですね。
新門 実は、私が宮崎や、鹿児島の種子島で農業をやろうと思ったきっかけがもう一つありまして、それは「サーフィンがしたい」ということだったんです(笑)。それで今、いい波が来ているときに、私がどのくらいのペースで海に出ているか、わかりますか?
ソトコト うーん、週末は全部趣味に使っているくらいと考えて、週2回でしょうか。
新門 それが、多いときは週に10回くらい行くんですよ。毎日行って、特にいいときは1日2回行っちゃう(笑)。つまり、農業というのは決められたことをしっかりやらないといけないのは確かなんですが、それ以外の時間にはしっかり自分の時間を持てる仕事なんです。たとえば早朝、畑の水やりをする前にまず海に行く、それで7時か8時には戻ってきて仕事をする。夕方に仕事を終えたら、また海に行く、というようにメリハリがあるんです。ずっと畑のことを考えていなくてはならない、やることはいくらでもあるというふうにイメージされる方もいますが、実際はそれよりもずっとシステマチックな仕事なんです。
ソトコト 実はここに来る前に、都城市で冷凍野菜の加工をやっている企業の方にお話を聞いてきたのですが、そこでも野菜の栽培については積極的なデジタル化を推進していました。
新門 あとは、たとえば台風の被害などを気にされる方も多いでしょうが、最近はビニールハウスも頑丈になってきて、よほどの大型の台風でなければ被害をほぼゼロに抑えることも可能になりました。露地栽培をしているとどうしても台風の被害を受けやすくなりますが、ビニールハウスでの栽培に関しては昔のように台風で根こそぎやられてしまうということはかなり減りましたね。これを言うと「お前は農家の敵だ」と言われてしまうんですが(笑)、私にとっては台風はいい波を持ってきてくれる存在でもあるんです。
ソトコト 台風を嫌がらない農家って、全然イメージと違いますね。
新門 もちろん、台風も平気で今の農家は楽な仕事というつもりはありません。たとえばビニールハウスを動かす燃料費は年々高騰を続けていますし、農薬に使用する化学薬品も手に入りづらくなっていると聞きます。畜産で言えば飼料の材料となるトウモロコシなどはほぼすべてが外国からの輸入ですよね。こういった、自分たちの努力ではどうしようもない問題にさらされているのもまた農業や畜産の持つ側面の一つです。
しかし、さらにそれを踏まえれば、たとえば周りの農家さんが台風で収穫できなくなってしまった、あるいは後継者がいなくて続けられなくなってしまったといったネガティブな話も、逆から見れば「残存者利益」、生き残ったものにはポジティブな部分があるのも実情です。恐らく、今回の取材でたとえば後継者問題などについてのお話をお聞きになったかもしれませんが、それらを含めて「農業は楽か、大変か」という話には表・裏があると感じますね。
ソトコト 実際にゼロベースで農業を始められた新門さんならではの視点だと思います。本日はありがとうございました。
日本4位の農業大国だからこそ。災害と付き合ってきた宮崎県のタフで賢い農業を県政もサポート
井本慎吾さん(以下、井本) 宮崎県は、令和3年の農業産出額が3,478億円で全国4位となりました。自他ともに認める農業県ですね。我が国の食料安全保障や食料自給率において、小さくない役割を担っていると言えるのではないかと思います。
しかし、農業生産の構造には大きな課題を抱えています。宮崎県では施設園芸と呼ばれる、いわゆるビニールハウスを使った農業が盛んで、それを稼働させるには海外から輸入する燃料が必要です。同じく本県で盛んな畜産も同様で、飼料となるトウモロコシなどのの大半を輸入によってまかなっているのが現状です。つまり、これらの輸入がストップしてしまったら、そこから連鎖的に県内の農業・畜産にも大きな影響が出ることは避けられません。まさに今、ロシアのウクライナ侵攻を契機とした物価高騰の影響により、これらの海外資源の価格が非常に上昇しており、生産者の経営を圧迫している状態です。食料安全保障の強化に向けて、海外資源への過度な依存から脱却し、本県の農業を持続可能な形に転換していく必要があります。
また、就農人口は減少の一途をたどっており、地域によっては農業の持続だけでなく、集落の維持も難しい状況が出てきています。農業を基幹産業とする本県にとって、農業が衰退することは農村の衰退を意味します。このように、食料安全保障の強化に向けた取組と一括りに言っても、海外資源に依存した生産構造といった生産の持続性の話なのか、それとも今後の就農者不足をはじめとする人の持続性の話なのか、さまざまな部分に課題を抱えているという認識です。
本県にとって、農業は地域経済の稼ぎ頭ですから、これらの課題解決に向けてさまざまな取り組みを展開しているところです。
ソトコト 具体的には、どういったことをされているのでしょうか。
井本 例えば、就労人口の確保の観点では就農形態の多様化ですね。これまで農業・畜産というと、独立経営で就農し、それに全部のリソースをつぎ込むのが当たり前でした。今回、取材されたイシハラフーズさんやMoo Companyさんは、デジタル技術を駆使した効率化や、ヘルパー組織の活用を通じた分業体制の構築など、新しい農業のカタチを実践している生産者さんです。前提となる知識や経験がなくても、技術や働き方でサポートし、就農人口を増やすことにつながっています。
もちろん、県も、県内外で就農説明会を行なったり、個別の就農相談に応じたり、就農のための初期費用を補助したりといった受け入れ体制を積極的に整えています。イシハラフーズさんが実践しているような機械化・デジタル化も推進していて、減少傾向にある農業就労者をカバーできるように支援しています。もし、これから宮崎県で農業や畜産をやってみたいという方は、どんどん問い合わせをいただければと思っています。新門トマト農園のように、宮崎県に移住して農業をやられている方もたくさんいます。宮崎県は気候も穏やかで過ごしやすいところです。そういうところで仕事がしたいという方は歓迎しますので、ぜひ県までご連絡ください。
ソトコト 宮崎県がこれだけ農業大国として発展した理由は何なのでしょうか。
井本 宮崎県は、昔から「台風銀座」と呼ばれるほど台風が多い県でしたが、そういった厳しい環境に適応した農業を推進してきたことが大きいかなと思います。「防災営農」という言葉があり、これは昭和35年に県が策定した「防災営農計画」に由来します。当時の農業産出額は271億円、全国第30位で、台風時期を避けた営農方式が不可欠でした。このため、台風による被害を抑えつつ農業振興を図るため、早期水稲の導入や施設園芸と畜産の振興を進めてきました。その後、機械化による大規模化や、完熟マンゴーなどのブランド化を推し進めた結果、農業産出額が全国第4位の農業県に成長しました。ちなみに今は「第八次農業・農村振興長期計画」が進行中で、「新防災」と「スマート化」をキーワードに、あらゆる危機事象に負けない賢く稼げる農業を進め、「持続可能な魅力あるみやざき農業」の実現に取り組んでいます。人口減少時代の中で、今回取材されたようなかっこいい生産者を応援しながら、いかに本県の農業を持続可能なカタチに転換し、日本の食料供給を支えていくかが本県に課せられた使命であると考えています。
ソトコト まさに、これまでお話をうかがってきた、従来の農業・畜産についてまわっていた「自由な時間がない」、「天候などの自然に左右される」、「肉体的にきつい」といったイメージを払しょくするものですね。では最後に、これからの宮崎県の農業の展望について、農業大臣会合を前に宮崎に注目している人たちに向けてメッセージをいただけますか。
井本 いま日本だけでなく世界が抱えている食料安全保障の問題は、すぐに解決できるものではありませんが、今回の農業大臣会合が、何かを考えるきっかけになってくれればと思います。食料の安全が保障されている状態とは「みんなが好きなときに必要なものを手ごろな値段で買えること」だと思っています。ただ、その状態を支えているのは生産者であることも理解してほしいんです。生産者は、様々な生産コストが値上がりする中でも、皆さんに安全・安心で美味しい食材を届けるために努力を重ねています。皆様には、食べ物がちゃんとある状態でも、それを手に取ったときに「この野菜も誰かがつくっている」と、その背景について少し考えてみてほしいんです。もしかしたら、そこから農業への興味が生まれるかもしれません。今は、生産者と消費者の視線にギャップがある状態だと考えています。その視線を同じ方向に整えることができたら、これからまた農業というものを発展させていけるのではないでしょうか。
ソトコト ありがとうございました。