島根半島の沖合約60キロにある離島の町・海士町。この町で、料理学校『島食の寺子屋』がスタートしました。「その日を形にする」をテーマに、限られた島の旬の食材だけを使い、季節や風景、島の人の思いまで伝えられる和食の料理人を育てようとしています。
季節や風景、生産者の思いを、島ならではの料理で伝える。
東京からだと、飛行機とフェリーを乗り継いで約6時間。島根県の隠岐諸島の一つ、中ノ島がそのまま海士町だ。人口は約2400人。過疎化が進む離島であるが、島外から高校生を受け入れる「島留学」や、海・畜産物のブランド化など様々なプロジェクトに挑戦しており、20代、30代の若い世代のIターン移住や学生のインターン希望者が年々増え、全国から耳目を集め続けている。
この町で、新たな「食」への取り組みがスタートした。米、野菜の農産物や海産物、仕込み水など、すべて島内で生産され、手に入る食材で和食をつくる料理人を育てる『島食の寺子屋』(以下、寺子屋)が開校し、今年8月から生徒の募集が始まったのだ。
寺子屋は、海士町観光協会によるプロジェクト。担当の恒光一将さんは、取り組んだきっかけをこう説明してくれた。
「海士町では食材のブランド化、教育、移住促進などの面で成果を出してきた一方、『島内の飲食店が、この島ならではの食事を観光客に安定して提供できない環境に置かれている』ことが課題になっています。常に安定した量の食材を島内生産だけでは確保できないことや、流通技術の発達などで、島外の食材を使うほうが効率的かつ低コストで済むんです。そんな現状を、料理人の知恵と工夫で打破できないかと考えました。これは海士町に限らず、全国の地域に共通する課題だと思います」
そうして生まれたのが、「その日を形にする」をテーマに、島で採れたものだけで、講師とともにその都度メニューを決め、調理を学べる寺子屋だった。手に入る食材の量や種類は日によって波があり、生徒には創意工夫が求められる。
最終的に生徒に目指してもらいたいのは、離島ならではの日ごとに移ろう「旬」に触れることや、生産者との交流を通し、島の季節や風景、ひいては生産者や地域の人々の思いまで伝わる味づくりだ。
寺子屋では、講師と一緒に山に入って山菜や木の実を採り、地元の農家の協力のもとに畑仕事をし、漁師の船に乗って漁業体験もする。まずは、生産現場を体感することに十分な時間を割くのだ。そうして手に入れた食材で試行錯誤しながらつくる料理は、これも新しくオープンしたレストラン『離島キッチン海士』で実際に観光客に食べてもらう。
この「食材を現場で知る」「料理を学ぶ」「実践する」の3つを毎週、繰り返して学び、1年で卒業となる。
現場で「感じる」ことで、食材への理解を深めていく。
寺子屋の講師を務めるのは、佐藤岳央さん。佐藤さんは和食の料理人として、東京・八重洲で約10年間、創作和食の店を経営していた。東日本大震災をきっかけに店を畳み、その後はサウジアラビアの日本総領事館で公邸料理人を務めた。
昨年末、任期を終えて帰国した際、講師になってくれる料理人を探していた恒光さんと知り合った。サウジアラビアにいたときと同じく、「限られた食材で工夫して料理をつくる」ことにおもしろさを感じた佐藤さんは、講師の依頼を受け、今年2月に家族とともに移住した。
海士町のことを何も知らなかった佐藤さんは、食材集めも兼ね、まず島を歩き回ることから始めた。
「山にひたすら入っていました。寒い時季で木はどれも枯れていて、そこから何の芽が生えるのかもわからない。この島に来て最初に買った本は、食べられる野草と山菜の図鑑です(笑)」
食材の生産者にも積極的に話しかけた。島の人たちはていねいに接していくとみんな気さくでやさしく、農家は畑を見せてくれるし、漁師は船に乗せて漁にも連れていってくれた。佐藤さんも、作業を手伝うなどの”お返し“をした。
食材が生まれてくる現場を間近で見、コミュニケーションやさまざまな体験を経て、佐藤さんは大きな気づきを得た。
「食材の『旬』について、全然わかっていませんでした。東京にいれば、どんな食材でも電話一本で注文でき、地域を変えたりして旬が1か月はあるように感じます。でも、実際には本当の旬は10日程度。漁だって時化などに影響されるし、結局どの食材も、ベストの時は一瞬なんだろうなと思います」
そして食材は、農家や漁師が命がけで自然を相手にして手に入れるものだと、頭での理解ではなく、実感としてわかった。
「命がけで得た食材に対して、自分は最後の責任を背負っているのだと身に染みて感じました」
寺子屋のカリキュラムで現場体験が重視されているのは、佐藤さん自身のこういった体験によるものだ。「寺子屋ではこういう、当たり前なんだけれど、現場に行かなければ気づけないことを教えたいですね」。
旬を見極め、季節感を表現できる料理人に。
寺子屋では料理を学ぶと同時に、料理人が食材の生産者と、レストランなどサービスの現場の間に立ち、両者をつなぐ「通訳」のような役割になっていくことも学ぶ。
外からやって来る観光客には地域のおいしさを最高の形で伝え、楽しんでもらい、生産者にはしかるべき対価が得られるようにし、よりよい食材づくりへのモチベーション向上にもつなげようとしている。
寺子屋への協力者であり、野菜づくりや養蜂も行う米農家の山中進さんは、「生産者としては、『こういう野菜が欲しい』と、どんどんリクエストしてほしい気持ちもある。佐藤さんとはそういうこともこれから話し合っていきたい」と話す。
島内の企業である『飯古建設』定置網事業部で、副漁労長として漁業にたずさわる笹鹿岳志さんは、「都市部では磯の臭いが強いとされて人気のない魚でも、隠岐周辺で獲れた魚は、海域の水がとてもいいので『きれいな』味がします。ただ、それを発信する機会がありませんでした。寺子屋をとおして海士町の魚のことを知ってもらえるのはうれしい」と語る。おいしいのに市場価値が高くない魚や、売り物にならないサイズの魚も積極的に活用してもらいたいと考えている。
寺子屋を卒業した生徒には、『離島キッチン海士』のほか、島内の飲食店や宿泊施設、本人の能力や希望で、島外のレストラン『離島キッチン』(東京、福岡、札幌に店舗がある)、海士町観光協会とつながりのある全国の旅館、海外での公邸料理人の仕事も紹介される。もちろん独立してもいい。
「本人の希望が優先ですが、海士で育った人材にまずは海士で成功してもらい、徐々に活躍の場を広げてもらいたい。島で学んだことを全国、世界へとつないでほしいです」と恒光さんは言う。
佐藤さんも海外まで視野に入れた生徒は大歓迎だそうだ。「海外に行くと、和食の料理人は日本にいるとき以上に必要とされます。和食は世界から注目をされていますし、海外に出て和食の技術をきちんと伝えていくべきと強く感じました。それも『講師』の依頼を受けた理由です。僕が考える『和食の定義』の一つは、季節感が料理にあることです」。
現在、生徒を募集中(下欄参照、担当は恒光さん)。調理の経験は問わないが、多少あったほうが理解が早いかもしれないと、佐藤さんは言う。どこに進路を定めるにしても、島の「旬」やそこに関わる人に触れることで、季節感を表現できる料理人を育てたいと考えている。
『島食の寺子屋』講師・佐藤岳央さんのおいしいごはん三か条
㊀ 旬を逃さない。
島の食材の旬は一瞬。注意深く島の中を観察して、旬を逃さないようにする。
㊁ 手間をかける。
食材そのものが十分おいしいものを料理するのだから、真摯に手間をかける。
㊂ 「あるもの」を活用する。
そのときある食材を徹底的に活用。既存の価値観にとらわれず柔軟な発想で使う。
山ごはん、海ごはんをおいしくするキーワード
「思い」のリレー
生産者が食材に込めた「思い」を汲み取って自分なりに消化し、お客さんには「思い出」として残るよう、意識して料理をする。