作家の池波正太郎さんのエッセイにも登場する、長野県上田市のカレー屋「べんがる」。その土地の文化を愛するひとたちを引き付けて止まない、カレーの魅力とは?ディープな魅力溢れる上田の街を訪れた。
文化の気配を感じる街
【すべての文化は歴史の沈殿物である】
これは、アメリカの人類学者クライド・クラックホーン氏の言葉だ。歴史の沈殿物、つまりは、その地に生まれ、その地に蓄積するもの。文化とは、その土地の『らしさ』のことではないかと、私は解釈している。
文化の気配を感じる街に出会うと、とてもわくわくする。昔ながらの景色が残っていたり、古き良きその場所『らしさ』を大切にしながら、新しい生活を再構築しているような街。その土地に積み重なった記憶を辿るように、街中を歩き回り、思考は過去と現在を行き来する。
長野県上田市は、まさにそんな街の代表だと思う。文化の街・上田で出会った老舗のカレー屋「べんがる」には、不思議な”引力”があった。
池波正太郎が愛した、文化の街の老舗カレー
「べんがる」は、作家の池波正太郎さんのエッセイ「散歩のとき何か食べたくなって」にも登場するカレー屋だ。昭和39年創業、細い路地裏に佇むお店は、個性的な看板と長年の味わいを感じる店構え。既に只者ではない空気感が漂っている。
上田は、真田幸村のゆかりの地として知られているが、決して派手な観光地ではない。そんな街に作家の池波正太郎さんや、元マガジンハウスの名編集者 岡本仁さんらが、足繁く通っている(いた)。なんだか、文化人たちを引き寄せる”引力”があるように思う。
地元の人に愛される商店街、喫茶店、100年以上続くミニシアター、城下町の雰囲気が残る街道。新しく若い人たちが始めたカフェやバー。新旧小さくとも個性的で、この街でしか味わえない『らしさ』を纏う店が集まっている。とても1日では時間が足りない。
調理法を突き詰めた先にある、奥深さと重層感。
そんな街で、堅実に今日まで営業を続ける「べんがる」。店内にはジャズが流れ、野菜を刻む音や厨房の音と心地よく調和する。
カレーはポーク・チキン・シーフード等、全部で6種類。現在は創業から3代目の店主、藤澤和幸さんがお店で腕を振るう。カレーの辛さに負けないくらいの、玉ねぎやお肉のコクと甘さがルーに溶け込み、食べれば食べるほど、”ハマる”味。
やみつきになる味わいは、どのように生まれるのか?と藤澤さんに尋ねると、温めと煮込みに秘密があった。ふつう、カレーといえば鍋やフライパンで熱して温めて出すのが一般的。しかし「べんがる」では、お客さんに提供するまで、直火ではなく「湯煎」でカレーを一定に温め煮込み続ける。すると、熱しすぎて焦げ付くことなく野菜や玉ねぎ、お肉、お肉の脂たちが渾然一体となって深みを増してゆく。
調理法を突き詰めた先にあった、奥深さだろうか。こんなにも味の奥深さが違うのかと驚いた。「こんなお店が近所にあったらなぁ」と、上田に住む人たちに嫉妬と羨望を覚えるくらいに、シンプルに、おいしい。
上田滞在中、2日続けて「べんがる」に足を運んだ。1日目に私がカレーを食べている横で、お肉のメニューを食べている人がおり、あまりに美味しそうで「これを食べずには帰れない!」という気持ちに。泊まっていたホテルの方からも、カレー以外も絶品ですよ、と聞いていたが、期待を裏切らないクオリティ。1日目はカレー、2日目はそれ以外のメニューを。そんな旅のプランを強くおすすめしたい。
何を食べても、美味しい。創業当初からほぼ変わってないというカレーのレシピ。もちろん、受け継いだ人によってカラーが出ることはあるけれど、この味が「べんがるのカレー」と街の人は思ってくれているだろう、と店主の藤澤さんは語る。
伝統の味を受け継ぎ、細部の手間を惜しまず突き詰めるマニアックさがありつつ、それを押し付けない、シンプルに美味しい味。この普遍性と味わいの重層性が「べんがる」の文化であり引力ではないか、と感じている。
なぜならば、文化を愛するひとたちはきっと、奥深さを見出すことが好きな人たちだから。