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【連載第4回】イン・ザ・タウン〜寿司屋の息子の僕が、役場職員としてまちを盛り上げるようになった理由〜

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宮崎県新富町。『こゆ財団』代表理事の岡本啓二さんが紐解くのは、かつて「通り過ぎる町」と呼ばれたローカルの記憶です。基地や農業の歩み、実家の寿司屋の賑わいを経て、人口減少に直面するいま、町は「世界一チャレンジしやすいまち」へ。課題を可能性に変える新富町の、愛おしくて熱い等身大のストーリーです。

目次

遅ればせながら、新富町ってこんな町

『イン・ザ・タウン』というタイトルでいろいろと話してきましたが、そもそも新富町がどんな町か、知らない人がほとんどだと思いますので少し触れておきます。元々は江戸時代、島津藩と秋月藩の両方にまたがる位置にありました。つまり、両方の藩の端っこにあったわけです。ですから人口も少なく、隣の城下町だった高鍋町に比べたら栄えてはいなかっただろうなと想像できます。ただ、江戸末期には多くの開拓者がやってきて、農地を広げていったという記録も残っています。今も苗字でこの方の先祖は開拓者だったとわかります。そんな新富町のアイデンティティってどこにあるのか、神楽をやっているのでときどき考えたりもするんですが、なかなか思いつきません。県内でも「新富町って、どこ?」と聞き返されるほど知名度は低いですし、「通り過ぎる町」って言われていたくらい存在感の薄い町でした。昔でいうと、南から宮崎市、佐土原町、新富町、高鍋町の順番なんですが、ほとんどの人が宮崎市、佐土原町の次は高鍋町という順番で挙げます。大きなショッピングモールはなく、買い物は商店街で、靴が欲しいなら靴屋さん、薬を買うなら薬局と個人商店で買い物をする感じの町です。そんな田舎町だからか、土地もあったので航空自衛隊の新田原基地が1957年に開設されました。戦時中には空軍があったので特攻隊も出動していました。今も飛行機の騒音問題はあるのですが、基地があるがゆえにさまざまな交付金も申請できたりするので、学校に防音設備が施され、冷暖房も完備されたりと、生活環境は悪くはないんです。

僕が生まれた1976年には、日本は高度経済成長期を迎えていました。何もない新富町でさえ賑やかだった記憶が蘇ります。特段、大きな企業や工場もなく、ベッドタウンでもない、おとなしい地味な町でしたが、あの時代は活気に満ちていたように思います。人口が増えるとともに商業が盛んになっていき、いろんな店がオープンしました。冒頭に話した実家の『亀八』も新富町で最初か2番目に親父が開業した寿司屋でした。町の人口は2002年の1万9227人をピークに減少しはじめ、2025年は1万5709人です。農業が基盤産業なので野心的に法人化して儲けようという動きも特になく、地道に稼いでいこうとする真面目な努力家が多い印象です。ただ、農家の後継者不足は他の地域と違わず、何をフックに発展していけばいいのかわからず、「野菜と温泉のまち」と言ってみたり、「基地のまち」と言ってみたり、なかなか定まらないのが現状です。今は、「世界一チャレンジしやすいまち」と言っています。

僕がいろんなことに挑戦してきたのは、自分が生まれ育った町が廃れていく姿を見たくないという気持ちが強かったからかもしれません。バイタリティあふれる親世代の活躍や、仕事もするけど酒も飲むという感じの昭和の親父たちの背中を見て育ってきたので、新富はいつまでも栄えてほしいという思いがあり、そのために挑戦し続けているんだと思います。新富がガラッと変わり始めたのは、ここ10年ほどでしょうか。前回も話しましたが、小嶋崇嗣町長が就任されてから変わり始めたように僕は思います。一つは、「いちご宮崎新富サッカー場」というサッカースタジアムを建設したこと。プロのサッカーチームで今はJ2に所属しているんですけど『テゲバジャーロ宮崎』が試合を行っています。試合の日には駅からサッカースタジアムへ向かって列をなして人が歩いていますが、そんな光景は見たことがなかったものですから、とても新鮮です。小嶋町長がサッカースタジアムをつくったのは、さっきも話したように、新富町が何の町かわからないというところで、町民の価値観や考え方もバラバラになりがちだったので、みんなが一つの共通の話題で話ができる環境をつくろうとしたからです。外から人を呼び込むというより、町の人たちを一つにまとめていくためにつくったというのが最初の思いだったようです。スタジアムは役場のお金ではなく、県外の企業が建設し、役場に寄付するという形でつくったのです。スタジアムのあるエリアは、上空を自衛隊の航空機が飛ぶ飛行ルートにあたる移転区域なので人は住めません。なので、役場主導で開発することもできたのです。

そして、アマチュアの女子サッカーチーム『ヴィアマテラス宮崎』は全員、地域おこし協力隊の隊員から構成されていますが、これも町長のアイデアです。今、30名ほどが在籍し、53戦無敗で九州リーグからなでしこ1部リーグまで駆け上がって、2024年度は優勝しました。サッカーというところで新富町は県内ではかなり知られる存在になりました。ヴィアマテラスの選手たちはもちろんサッカーもするんですが、普段は協力隊隊員として高齢者の見守りやゴミ出し支援、農業支援、広報など4つくらいの班にわかれて活動に従事しています。廃業する農園を引き継いで、自分たちで農作業や運営を行ったりもしています。町内に県が運営していた河川敷ゴルフ場があったのですが、県が運営を止め、ヴィアマテラスを運営する『コネクティングスポーツ』が代わりに運営を始めました。ヴィアマテラスの選手が受付をしたりしています。

協力隊は任期が3年間ですが、(7割くらい新富町を好きになって残ってくれています。)スポンサー企業で働いている方もいますし、ヴィアマテラスの選手として残る方や、フロントとして残り、温泉施設などの運営に携わる方などがいます。
そうすれば、仕事をして給料を得ながらサッカー選手としても続けていくことができます。教員免許を持っている人で、新富町の学校で臨時教諭になって、サッカーを続けている方もいます。サッカーは辞めて、違うことにチャレンジする人もいますし、日本に12チームあるプロリーグのサッカー選手になった人もいます。7割くらいが地元に残り、3割くらいが別の地域へ行きます。毎年募集をしていて、7、8人が新しく雇用されています。町民もヴィアマテラスを応援していて、推し活をする人も町内だけでなく県内にも現れてきています。町長がサッカーに力を入れられて、町が一つにまとまるという目的は十分に達成してきていると思います。

稼ぐ劇場「MIRISE」プロジェクト、発進

スポーツに力を入れる一方で、文化や芸術、芸能にも力を入れ始めています。大ホール800席、小ホール200席ある新富町文化会館があります。30年近く前にできた会館で、ある程度町にお店ができ、人口も増えていた頃、町民は文化を楽しみたいという気持ちになってきます。オーケストラとか、美術展とか、紅白歌合戦に出るような歌手の歌謡ショーとか。そんな望みに応えるために文化会館ができたのです。ちょっと格式が高めなんです。ただ、次第に運営が厳しくなってきたのか、指定管理を担っていた事業者がやめました。そこで、2026年4月から『こゆ財団』が運営を始めています。単に箱物を運営するのではなく、新しいルピナスみらい劇場を目指して、地域をアートのフィールドとして捉えて事業をつくって、人と人をつなげるということをしていきたいです。そのためのスキームはヴィアマテラスと同じで、地域おこし協力隊の制度を活用して劇団員を集めています。結局、サッカーの世界でも、芸術、芸能の世界でも成功するのは1パーセントにも満たない確率でしかありません。みんなアルバイトをしながら夢を追い、チャンスを待っているわけです。そういう人たちに声をかけ、東京ではなく、地方である新富町に価値を見出してもらいながら夢を追い続けてもらおうと。今はまだ7名しか集まっていませんが、今後3年間で30人くらいに増やす予定です。一応、劇団という形にはしていますが、取り組むのは演劇だけではありません。映画、ドラマ、舞台、ショート動画、イベントなどさまざまです。机上のことも覚えてもらわないと、とてもじゃないけど役者だけでは食べていけないだろうし、何も生まれないと思っています。劇団の役者だけを目指すなら東京で目指してもらえばいいわけで、新富町に来るのだからトータル的にやってもらいたいと考えています。役者としてだけではなく、進行管理や脚本を書いてもらったり、映像を撮ったり、編集したり。地域とかけ算するような作品をつくってもらいたい。先日は、敬老会に行って漫談をしたり、協力隊隊員がオープンした『梶やんの豆腐食堂』や温泉センターで寄席をしたりと、まずは地域の皆さんのところへ出向いて行って芸を披露しながら、地域を知って、覚えていってほしい。あらゆることを経験し、わかる状態になってもらって、文化会館の運営にアイデアを出してもらったり、運営そのものに携わってもらいたいと考えています。それが、「稼ぐ劇場『MIRISE』プロジェクト」です。会社化して、うちと同じような悩みを抱えている他の地域にメンバーを派遣することもできたらいいですね。たとえば、「1週間くらいのイベントをするから、5人くらいステージに上がってほしい」という依頼にも対応できるような仕組みにしていきたいのです。

今度、派手な着物を着て踊る有名な芸能人に来てもらって音楽祭を開催する予定で、その最後には町民も舞台に上がって一緒にみんなで踊るという企画を練っています。単に有名人が来て、歌って、終わりというのではなく、町民とのつながりが生まれるような企画に変えていっています。来春の芸術祭は、宮崎県出身の落語家や芸人に、単に芸能事務所に電話してギャラの交渉をして、呼ぶというのではなく、「その方なら僕知っていますよ」というような、MIRISEプロジェクトのメンバーとのつながりを生かしながらお声がけして、来てもらう。そこに町民も巻き込んでいく、みたいな。そういうのを楽しみながら運営していくというスタイルをつくっていきたいです。町民の方に推し活もしてもらいたいです。「俺、あいつの漫談好きなんだよね」とか、飲みながら話すような。なんなら、その芸人と一緒に飲めるし。そういうの、楽しいじゃないですか。人口が減っていても前向きになれそうな気がします。『こゆ財団』の「期待が膨らむ地元に」というのはそういうことです。MIRISEプロジェクトだけじゃなく、商店街の飲食店が空き店舗になったら、いつの間にか知らない人が入って別の店を始めたというのではなく、たとえば県外から移住してきた方が地元とのつながりをつくりながら店をオープンしていくというような形でうまく活用できていけばいいですね。『こゆ財団』は「100Challenges」というミッションを掲げ、「半々ビジネス」つまり地域のためになりながらお金も稼ぐという経済活動を進め、挑戦したい人を募集しています。ビジネスっていうと都会のスタートアップを連想しがちですが、そうではなく、もっとミニマムでいいんです。居酒屋が空いたのでそこにお店をオープンする、そういうこと。町の公式キャラクター「おとみちゃん」を町民に愛されるものにしつつ、IP事業としてお金を生み出せないか、とか。そういうことにもチャレンジしていいし。そういう人たちを募集していると、以前の『こゆ財団』のときとは異なる感じの若者たちが集まってきています。その方が新富町に合っている気がします。スタートアップは難しいです。資金を集めなきゃいけないから、地方の小さな町では集まらない。やるなら東京がいいです、やっぱり。「億り人になる」だの、「IPで大金持ちになる」だのは、ぜひ東京でやってほしいですね。地方はもっとミニマムな活動、「自分の農業がしたい」とか、そういう人たちが大事になってくるように思います。

人口2万人以下の自治体って日本に600くらいあって、たぶんどこも新富町とあまり変わらない感じだと思うんです。若い人は、「こんな何もない町、つまんない」と言って出ていってしまうのですが、逆にまた外から若い人たちを呼び込んだりもしています。ヴィアマテラスの女性たちだって、MIRISEプロジェクトの協力隊隊員もそう。映画、ドラマ、舞台、イベント、いろいろやって、外へ出て巡業もやるし、会館で大きな事業をやって集客もできたらいいですね。この前、『エイベックス』と一緒に短編映画を撮影しました。映画を撮る技術、監督、脚本とか、興行としてどこに流していくかとか、ノウハウを持っていないので、『エイベックス』と組んで撮影することで、それを学ぶことができました。町長と一緒に『エイベックス』に行って話を持ちかけて。NHK連続テレビ小説『ばけばけ』のヒロイン、松野トキを演じた宮崎県出身の俳優、髙石あかりさんはじめ、エイベックス所属の俳優が5人出演するオムニバス映画を撮るという情報があって、それを新富町でロケ撮影しませんかとご提案に行ったんです。現地の段取りをこっちのメンバーでやることによって映画をどうやってつくっていけばいいのかも学べますから。まずは、シナリオハンティングとして新富町を見て、こういう地域だということを知ってもらって、そこからどういう脚本を書くか、監督を誰にするかなどを決めていきます。監督はどういう映画を撮りたいか、こちらからの依頼案件なのかを話し合ったり。さらには、資金調達をどうやってやるか、スキームを考えたり。自分も撮影期間ずっと張り付いていて。役者として協力隊隊員も2名、出演しています。普通は絶対に出られませんけど。映画は来年の秋、東京や大阪といった大都市でも公開予定です。文化会館では無料で町民に公開する予定です。今、スペインの映画賞にも応募しています。宮崎市にある映画館でも公開して欲しいのでそういった話も進めていきます。

今度は2026年10月から、宮崎大学地域資源創成学部の田中ゼミの学生と、そこの田中雄之先生が僕らのやっていることに興味を持ってくださって、「学生と一緒に映画を撮りましょう」となって。脚本は先生が書かれて、カメラマンや編集は学生が担当。新富町でロケをして撮ることになっています。映画だけではなく、協力隊隊員は地元のラジオにもバンバン出ていて、おもしろいと思われた地元テレビ局の担当者からも色々とお声がけを頂いています。ギャラが無料ということもあって(笑)。ただ彼ら、彼女らにとってはとても貴重な経験になるはずです。東京ではテレビになんてなかなか出られませんから。地方で経験ができて、スキルを上げて、次のステップに進んでいけるような人材を育てていきつつ、新富町や他の地域でも役立っているような人をつくっていきたいと考えています。

そんなふうに、町の中にいる人たちが外の人たちの力も借りつつ、新富町を盛り上げていて、まさに「チャレンジしやすいまち」というスローガンがぴったりの町になってきているように感じます。今、県内で盛り上がっているのは都城市か新富町と言われることが増えています。先日も、地方のテレビ関係者も、「地方創生や移住関係のおもしろそうなネタは都城市か新富町ばかりだから、他の地域もやらないとダメなんです」とおっしゃっていました。『こゆ財団』しかない頃は、『こゆ財団』だけがやたら目立った存在として見られていましたが、農業公社やサッカースタジアム、ヴィアマテラスができ、それぞれの活動が活発になってくるといい意味で目立たなくなり、『こゆ財団』が批判されることは少なくなりました。役場も寛容になってきていると感じています。職員もチャレンジングな仕事を実践していますし、色々起こるので慣れてきたんでしょうね。たとえば、役場で株式会社をつくるという話が出たとしても、今なら「どんな感じにするの?」という反応になると思います。以前なら、「は? 何それ」でしょうけれど。町民も、役場も、町のためになることを始めたいという思いを強く持つ、そして実行する人が増えてきているのは確かですね。

新富町の未来をつくる人、募集中

新富町の未来をつくっていこうとされている方は大勢います。緒方生寿恵(いすえ)さんもその一人です。2016年にオープンした『新富町総合交流センターきらり』の中にある『カフェKiitos(キートス)』を切り盛りしている40代の女性で、自慢の自家製ベーグルや体にやさしい軽食を出しておられます。それだけではなく、最近は新富町チャレンジフィールドに設置しているトレーラーハウスを使って、ハンバーガー専門店『kiitos food trailer』をオープンしました。緒方さんは愛知県出身で、新富町出身のキュウリ農家の旦那さんと結婚して移住された方で、さまざまなイベントにも出店されて、町を盛り上げつつ、いろんなつながりをつくっておられます。『きらりマルシェ』というイベントも緒方さんが主導され、ご自身のつながりで出店者を集め、大勢が来場する人気のマルシェに育てています。商工会の青年部にも入ってらっしゃって、『カフェKiitos』では知的障害のある方をスタッフとして雇用されるなど福祉の面でも貢献されています。九州商工会連合会が主催する「若い経営者の主張九州大会」では3位に入賞されました。人が集まる「装置」みたいなものをつくるのが得意で、役場が中心になって運営していた「まつりしんとみ」というイベントに関しても小嶋町長が「役場主導ではなくて町民がおもしろいと思うイベントをつくった方がいい」という趣旨の発言をされたことから、今は緒方さん達がメインとなって町民主導で運営されています。

今後、活躍してくれるだろうと期待している人も何人かいます。1人は、倉永圭介さんという今、商工会青年部に所属する40代の男性なのですが、最近、名前をよく聞くし、いろいろな活動に参加されている印象です。長編映画をつくる時には実行委員会の委員長をしてもらいたいなって思っています。「まつりしんとみ」の実行委員長もやっています。 保険会社に勤めていて多忙なはずなのに、高鍋高校のOB会の会長も今年やるみたいですし、以前に連続100時間サッカーをする「100時間サッカー」をやりたいって相談されたことがあって、おもしろい人だなと思いました。もう1人は、JAこゆの職員で直売所の店長を務めている林大輔さんは、40代だったと思いますが、以前、ふるさと納税を僕が担当していた時に、他の自治体が返礼品として「牛肉のメガ盛り」をやっていたことは話しましたが、それに勝ちたいんだという話をしていた相手が林さん。大体は、「いや、難しいでしょう」という返事が来るんですが、彼は、「儲かるんだったらやります」みたいな、ちょっと珍しいタイプの人だと思った記憶があります。今度つくった直売所の仕掛けが上手なのが林さんなんです。前はすごい小さい直売所だったんですけど、そこを年間売上3億円に上げた人で、柔軟なんですよ、売上や利益を上げることにすごく力を注ぎます。毎週のようにイベントを打ってますし、売上を上げるためにちゃんとやるというか、給料なんで、普通、それ以上働こうと思いませんからね。ちなみに、返礼品の牛肉も彼が「どうにかします」ってやってくれて、めちゃくちゃ伸びたし、今、直売所の売上は11億円を超えています。結果を出せる人です。中山雄太さんもそう。さっきも話しましたが、元・地域おこし協力隊隊員だった中山さんは、『梶やんの豆腐食堂』を開いて、もともと人とのつながりをたくさんつくりながら活動していたので、お客さんがすごい増えています。また、空き家を購入して、自身でDIYして、MIRISEのメンバーとも親しくしながら、月に1回、『ちなみちゃんち』って地域の子どもたちを呼んで、居場所づくりをやっている人もいます。パパイヤ栽培に励んでいる人もいますし、稲田佑太朗さんは、もともと『こゆ財団』にいて、能登半島地震の復興プロジェクトの責任者になって頑張っています。一人ひとりが何か大きなことを成したわけではないのですが、ミニマムな事業で活躍している、あるいは活躍しそうな人たちはたくさんいます。役場でも、僕らが今後、下支えをしていけば、若い職員たちがどんどん突っ込んでいくっていう素地はできてきていますから、新富町の未来は、結構、明るくなりそうな気がします。この文章を読まれて、新富町って楽しそうだな、盛り上がっているなと思って、ご自身も新富町に来て何かやってみたいという気になられた方は、ぜひ、チャレンジしてみてください。大歓迎です。

「岡本流 地方公務員としての働き方」十か条

一、わからなくても、一歩目を踏み出してみる。

僕は、最初から何か特別な知識や能力があったわけではありません。

農業ロボットのことも、宿泊施設のことも、法人経営のことも、文化のことも、最初はほとんどわかりませんでした。でも、わからないからやらないのではなく、まずやってみる。知っている人に会いに行って、わからないことを聞きまくることをしていました。

多くの人が、わかってから仕事をやろうとする傾向にあります。でも、自分でやってみないと何事もわかるはずはないんです。たとえば、野球をやったことがないのに、野球の本を読んでわかったような気になっている人がいます。本を読んだり、インターネットで調べたりするのも必要だとは思いますが、その前に、一度でもキャッチボールをしてみればいいんです。もちろん、それだけでは野球のことはわかりませんが、ボールを投げる楽しさや、受け止める難しさは体感できるはずです。それが、野球を理解する一歩目になるんです。さらに、やったことのある人に会いに行って、話を聞いてみましょう。できれば、その分野や事業で成功している人に会いに行きたいですね。僕は新富町のふるさと納税の寄付額を大幅にアップしましたが、成功している自治体の担当者に何人も会いに行き、いただいたアドバイスをすべて実行して、寄付額アップに成功しました。

仕事をしていると、全部わかってから始められることなんて、少ないです。少しわかったら一歩進む。進んだら、またわからないことが出てくる。それをまた勉強する。振り返れば、その繰り返しだった気がします。

二、勉強するなら、本物の仕事の中で学ぶ。

研修や本も大事だけれど、僕自身が一番成長したのは、実際の事業を任されたときでした。

補助事業を申請する。企業と交渉する。議会に説明する。新しい組織をつくる。やったことがないから、必死で勉強する。だから、補助事業や実証事業、新しいプロジェクトがあったら、できるだけ若いうちに手を挙げてみてほしいです。

仕事に関して勉強している人は多いのですが、実践している人は少ないように感じます。実践しないと、物事を動かせません。批判とか議論は上手なんですけど、「じゃあわかった。居酒屋一軒つくってください」と言ってもつくれない人がほとんどです。議論したり、勉強したりするのも必要ですが、実際にやってみないと仕事をしたことにはなりません。勉強と実践は同時にやったほうが身につきます。農業の勉強をしながら、農業の補助金を取りにいくとか。

AIの勉強をしていたときに、町長が異動システムをAIでできないかと言ってきました。役場は3年に1度、異動があるのですが、あれを人間がやっていたら大変なんです。大きな役所だと300人くらいをこっちへ、あっちへと、異動希望部署の1位、2位、3位を考慮しつつ、適正かどうかを判断したり、この人とこの人は同じ部署はNGだとか、さまざまな条件に合わせて異動させますから。でもAIを活用すれば、ボタン一つで解決します。何が言いたいかというと、AIの勉強をしているときに町長からそういう要望を受けて、企業に連絡して、こういうシステムがつくれないかと打ち合わせをして、システムを構築していくと、その仕組みを理解できるようになるのです。ぜひ、勉強と実践を同時にやるように心がけてください。そのほうが力がつきますから。事業を進めることと、人が育つことは別々ではありません。仕事は、一番実践的な学校になるはずです。

三、自分の町から、ときどき外へ出る。

僕は長い間、新富町しか知りませんでした。他の地域に行ける機会が増え、いろいろな人や地域を見るようになって、初めて新富町が少し客観的に見えるようになりました。「このままでは厳しい」と以前から口では言っていたけれど、外を見るまでは本当の意味の厳しさがわかっていなかったことに気づきました。だから、出張でも研修でも視察でもいいので、外へ出て、自分たちと違う景色を見るようにしましょう。単に外の景色を見るだけではなく、外の人との接点をつくってほしいです。自分がやっている、あるいはやろうとしている仕事で、疑問に思ったことやうまくいかないことを解決しようとしている人は全国のどこかに必ずいます。おもしろい人に会ったら話を聞き、「これ、新富でもできないかな」と持って帰りましょう。新しいアイデアを自分一人で生み出せなくてもいいのです。世の中にあるおもしろいものを見つけて、自分の町に合うようにつなぎ直す。それも立派な仕事だと思います。

四、失敗しても、次の人の役に立てる。

『こゆ財団』を最初につくった頃の僕は、一人で背負い込み、かなり無茶をしました。今振り返れば、「なんであんな進め方をしたんだろう」と思うこともたくさんあります。でも、その失敗があったからこそ、次の事業をつくるときには、収入源、組織、議会との関係、事業のフェーズまで、以前より広く、深く考えられるようになりました。

誰しも、できれば失敗はしたくないですよね。でも、してしまったものは仕方ありません。失敗したら、経験に変える。経験にしたら、次の人に渡す。そうすれば、自分の失敗も意味のあるものになるのではないでしょうか。「結果的に、町や他の何かがよくなればいい」っていう気持ちを持っていれば、それは失敗ではないので。

五、全員にわかってもらおうとしなくていい。

役所で新しいことをすると、いろいろ言われます。僕自身、それで随分悩みました。でも今は、正しさというのは立場によっていくらでも変わると思っています。だから、すべての人を説得しようとしなくていいんじゃないでしょうか。

ただし、一緒にやる人の話は、ちゃんと聞くようにしたいですね。『こゆ財団』では、「自分が何とかする」と考えて失敗しました。その後は、後輩、農家、JA、議会、県など、それぞれの立場の人を巻き込みながら進められるようになりました。外野の声に振り回されない。でも、仲間の声には耳を傾ける。この二つは、似ているようで全然違いますから。

役人は立場上、町民全員の意見を聞こうとします。けれども、全員の意見を反映できる政策なんてありませんから。皆さんの正義は違うので。ただ、仲間や応援してくれる人の意見には耳を傾けましょう。「うまくいくために、こうしたらどう?」という話をしてくれるからです。外野は批判が多い。あるいは、うまくいこうがいくまいがどうでもいいと思っている無責任な発言が多いので、聞き流していいと思います。

六、自分にないものは、人に借りればいい。

僕自身、奇抜なアイデアが次々に浮かぶタイプではないと思う。行政能力が特別高かったとも思いません。でも、幸い世の中には、自分より詳しい人、自分にはない発想をする人、技術を持っている人がたくさんいます。だったら、その人たちに力を借りればいいんです。農家と高専をつなぐ。企業と行政をつなぐ。若者と地域をつなぐ。自分に全部の能力がなくても、人と人の間に立つことはできます。もしかすると僕がやってきたことの多くは、「何かを発明すること」ではなく、すでにある力を見つけて、つなぐことだったのかもしれません。

協力隊を雇って行うMIRISEプロジェクトは町長が考えた『ヴィアマテラス宮崎』のアイデアの二番煎じなんですが、外部の藤沢恵太さんという方にプロデューサーになってもらっています。東京や大阪にはアルバイトをしながら役者を目指している人がたくさんいます。そんな方々に新富町にどうやって来てもらうか。下北沢の劇場に足を運んだこともない僕ができるわけがありません。藤沢さんは劇団関係に顔の利く人で、ご自身も関西の大学で落語研究会に入っていて、東京の上場企業に就職し、会社の歴史を芝居や演劇で表現するという新規サービス事業を立ち上げたりしたそうです。そんな彼に、「こういうことを文化会館を使ってやろうとしているんだけど、どう思います?」って聞いたら、「めっちゃやりたいです」の二つ返事でした(笑)。MIRISEプロジェクトのどこに魅力を感じるかを聞いたりしながら、僕も勉強して進めていきました。まさに、自分にないものを藤沢さんに借りて行っています。

そんな、人のつながりをつくっておくことが大事なのです。誰かに相談すれば、「俺、ふさわしい人、知ってるよ。声、かけてみようか」となりますから。だから、外に行って、薄くでもいいからつながりをつくっておくこと。新富町のつながりだけだと引き出しが少ないですから。

七、思いつきを、少しずつ「できる形」にする。

飲んでいるときなんかに思いつきで出たおもしろい話で盛り上がったりするじゃないですか。「おお、それやろうぜ!」って。でも、大体何も起こりません(笑)。翌日になると忘れてしまいます。というか、実行するにはいろいろ考えないといけないので、面倒になってやめてしまうのでしょう。だから、日頃から一つ一つ実行に移すための練習をすることが大事なのです。

僕だって最初から緻密に物事を組み立てられたわけではありません。むしろ、熱量だけで走って失敗する人間でした。その後、町長秘書を経験して、随分鍛えられました。町長から抽象的な話を聞いたら、一枚の紙にして、構造・役割・時間軸・資金・ゴールにわけるようにしたのです。それを何度も確認し、各課に伝えるという、その繰り返しでした。

町長って、最終の状態しか言いません。途中の過程がないのです。だから、最終の状態、つまりゴールに向けて何が必要か、を僕なりに書き出していったのです。町長に質問しながら。「いつぐらいまでのイメージですか?」「どの課に任せようとかってありますか?」「資金は役所が出すつもりなのですか? 企業にお願いしたいと思っていますか? それとも別の考えを持っているのですか? 企業はどこでマネタイズするのかといったイメージはありますか?」とか、そういうのを会話の中でできるようになってくるのです。飲んだときのアイデアや仕事をしながら思いついたことは、これと同じように構造・役割・時間軸・資金・ゴールに落とし込むように練習をしてみてください。具体化するし、これをやればいいんだなというのが見えてくると思います。企画書を書くところから始めてもいいでしょうね。

「おもしろそう」で始めていい。でも、「おもしろそう」のままで終わらせない。誰がやるのか。お金はどうするのか。誰と組むのか。どう続けるのか。一つずつ考えていけば、ぼんやりしたアイデアも少しずつ仕事になっていくはずです。

八、自分が活躍するより、人が動き出す仕事をする。

昔の僕は、「自分が頑張れば何とかなる」と思っていました。でも、一人で頑張れることなんて、たかが知れています。『ニューアグリベース』では、僕が企画や段取りを考え、後輩に実際の仕事を任せました。そして事業を自分のものにしていきました。その姿を僕は、「人が成長して僕を軽やかに超える瞬間」と感じました。今は、それでいいと思います。自分が一番目立たなくても、誰かが動き出したなら、その仕事は成功かもしれません。

これは僕と同じ50代の人へのメッセージです。人材育成というか、若い人たちにチャンスを与えようというアドバイスです。自分は全体像を見渡しながら、企画や段取りを考えて、現場には若い人たちに突っ込んでもらいたいですね。

九、すぐに結果が出なくても、もう少し続けてみる。

役所は、新しいことを始めるまでが大変です。企画が通るまでに時間がかかります。説明して、調整して、予算を取って、ようやく始まるのです。だから、予算がついたら絶対に始めなければならないし、始めたものを簡単に捨てることはできません。ただ、結果が出なくても大きく否定はされないはずです。だから、1回始めたら続けていくことが大事です。

数年前、町長が「台湾と交流して、新富の子どもたちを台湾に送り込みたい」と言い出しました。また、子どもたちを台湾に送り込むのも、修学旅行とか請け負う代理店に頼むのではなく、「台湾とつながりをつくったうえでやりたい」と。いきなり交流を始めるのは無理だろうから、僕は輸出協議会から始めてはどうかと提案しました。まずは輸出から始める。それで、2021年に輸出協議会をつくって、3年間、台湾に地域の特産品を輸出をしながら、現地でイベントをしたり、パートナー自治体を探したりしました。台北市の萬華区には、「新富町文化市場」という公設市場があります。うちの町と同じ名前で、そのつながりだけを頼りに、萬華区の区役所へあいさつに行きました。そこで、相互の輸出の話、スポーツ交流の話、子どもたちの交流の話をしました。その後、教育文化や産業振興などさまざまな分野で交流を深める目的で、2024年に萬華区と友好交流協定を結ぶに至りました。そして、県の補助金が3年間取れたので、新富町立富田中学校の2年生が台北市の龍山国民中学校を訪れ、生徒たちと交流し、市場を散策したりもしました。共通言語は英語。3泊4日の2万円で、行きたい生徒が行きました。そんなふうに、すぐに結果は出ませんでしたが、何年間か続けているといい結果につながるものです。うまくいかないことと、間違っていることは同じではありませんから。

もちろん、やめる判断も必要です。民間は売上が上がらないならやめますが、役所は1度始めたことをやめるには理由がいるし、やめた人の責任だとみられがちになるので難しい判断になります。けれども、少し失敗しただけでやめてしまったら、何が悪かったのかすらわかりません。公務員は簡単にはクビになりません。だったら、その安定を、失敗しないためではなく、もう一回やってみるために使ってもいいと思います。

十、自分も、ちょっとおもしろがって働く。

僕は特別な公務員ではなかったし、今も自分をそんなふうには思っていません。ただ、「これ、おもしろそうだな」「この人と何かできないかな」「これ、新富町でやったらどうなるんだろう」と、そんなことを考えて、少しずつ動いてきました。その結果、思ってもいなかった人に出会い、仕事に出会い、失敗もし、自分自身も少しずつ変わってきました。

「どうせこの役場で生きていくんだったら、おもしろい役場にしたほうがよくないか」。町をおもしろくするなんて、大げさに考えなくてもいいんです。まず、自分の目の前の仕事を、昨日より少しおもしろくしてみる。その積み重ねで十分だと思います。

先日、仕事じゃないんですけど、「役場内で野球をやりたい」って若手職員たちが盛り上がっていて、役場内ドラフトとかやっていたんです。「ドラフト会議、盛り上がりました」って、その様子が携帯に送られてきたりして。そんなふうに、仕事もおもしろがりながらやれば盛り上がるし、いい結果につながるはずです。

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